赤薔薇、赤弛。
温室の薔薇園で、赤毛の髪をした少年が〝赤い〟椅子に腰掛けていた。
少年は口を開けて、大きな大きな欠伸をする。
それから、伸びをするのだが。
あまりにも後ろへ反り返ったので倒れてしまうのではないかと思わせる。
しかし、そんな事はなかった。
「眠ィ……」
また一つ、欠伸を漏らす。
その時だった。
温室の扉が、開く音が耳に届いた。
誰か、来たようだ。
それが、嫌いな相手で無ければ良いのだが。
そう思いながら少年は温室に来た者の姿を捕らえようとする。
少年の前に姿を現したのは――
「なンだよ。青泉か」
「……」
青泉と呼ばれた少年の容姿は、青い髪をしており。
正しく〝青〟が似合う。
青泉は喋らずにじっ、と少年を見つめる。
その目はいけませんか、と語っているように見えた。
「別に悪かねェよ。ただ、他の奴等かと思っただけだ」
「……」
青泉は無言のまま、自分の色である〝青い〟椅子に腰を下ろす。
そして、〝少年が用意したのではない〟淹れたての紅茶を口にする。
「――今日は、天気が良いな」
赤毛の少年、赤弛はそう呟く。
しかし、返事は返って来ない。
それがわかっていた赤弛は椅子から立ち上がる。
すると――
「……何処に?」
そこで初めて、青泉が声を発した。
本当に、コイツと逢ってから声を聞いた数の方が少ない。
顔を合わせる数の方が多いってどういう事だ。
そんな事を内心思いながらも、赤弛は言い残す。
「散歩してくらァ。ちと、こン中歩く」
それだけ言い残すと、青泉は何も言わずに赤弛を見送る。
赤弛もまた、青泉に背中を向けて歩き出す。
赤弛がここに初めて来たのは、ある一通の手紙が届いたからだ。
そこには、こう書かれていた。
〝あなたをお茶会へご招待しましょう。素敵な、愉しい世界へ呼んで差し上げます〟
そんな文と共に、ここへの地図が入った手紙。
そしてここへ来ると、手入れの全くされていない薔薇園だった。
中央のテーブルの置かれている場所へ来てみると、それぞれ色の付いた椅子が並べられていた。
赤、青、黄色、白に黒に紫に、橙。
そして桃色に、虹色の椅子。
ここへ足を踏み入れた時、不思議な感覚がした。
それがどんなものなのかは、自分でも説明出来ないようなもの。
その感覚と共に――
赤弛は、ここに咲いている薔薇に目を惹かれた。
まるで、血のように真っ赤な薔薇。
とても美しく、何時までも見ていたいと思ったほど。
花などに全く興味を持たなかった赤弛がだ。
ここには、不思議な力がある。
すぐにそう思った。
そして、赤弛は初めて来た時と同じように赤薔薇の咲いているエリアへとやって来た。
――この温室には、それぞれの色の薔薇が咲いているエリアがある。
そう、あの椅子と全く同じ色の薔薇が咲いているエリアが。
その上、ここに来る人々は皆、己の〝色〟である薔薇の咲いているエリアを好む。
まぁ、一人だけ例外が居るのだが。
しかし、どれだけ探しても〝黒薔薇のエリア〟だけはこの温室内にはなかった。
黒薔薇以外の薔薇は、この薔薇園内に咲いているというのに。
「――――」
真っ赤な薔薇を目に焼き付けながら、赤弛はある事を思い出す。
それは、愛しい愛しい人の事。
大好きで、大好きで堪らない人。
それこそ、好き過ぎてどうにかなりそうな程に愛している人だ。
けれど、そんな赤弛の想いは片思い。
赤弛の想い人には、恋人が居る。
つまり、叶わない恋。
それ以前に、その恋愛の対象が同性である時点で叶わない恋なのだが。
それでも、この想いは止まらない。
何よりも大切な人を、どうにかしてしまいそうな自分が恐ろしい。
赤弛は、施設育ちだ。
幼い頃に両親を亡くしたのか。
それとも、両親に捨てられたのかもわからない。
別に両親の事など、恨んでも居ない。
赤弛が施設から出たのは、五歳の時だった。
養子に取られたのだ。
今まで、誰にも優しくしてもらわなかった。
誰も、頭を撫でてなどくれなかった。
それを初めてしてくれたのが――
赤弛の想い人である、育ての父だ。
育ての母親と言う人が居た頃から、自分の中にある想いには気付いていた。
けれど、その育ての母親が病で亡くなった。
そうして、二人だけの生活が始まった。
共に生活する度。
日を増す度に、赤弛の想いは強くなっていった。
何度も、伝えた。
〝お父さん、大好き〟と。
それを、父は笑って受け止めてくれた。
笑って、頭を撫でてくれた時もある。
大好きで、大好きで――
愛情が、赤弛の中で渦巻いて。
そんな、ある日の事だった。
〝赤弛、お父さん。再婚する事にした〟
「――――ッ!!」
父の言葉を思い出し、苛立ちから地面の煉瓦を拳で殴り付ける。
拳が痛んだが、そんな事はお構いなしに赤弛は睨み付けるようにして赤薔薇を見つめる。
――そうして、二人の生活は終わった。
三人生活は、酷いものだった。
再婚相手は、物凄く我が儘な女。
自分の思い通りにならないと、すぐに暴れ出す。
その対象は、父だった。
父に、暴力を振るう女。
父が傷付いていく様を見て、高笑いする女。
確かに父は優しく、人を怒鳴り付ける事など出来ない。
虫を殺す事も出来ないような、そんな人間だ。
それなのに――
父は、あの女にどんな事をされても赤弛に笑い掛けた。
〝自分が悪い〟んだと。
〝彼女の望む通りに出来なかった自分が悪い〟と。
――そんな事、ねェよ――
父さんは、何も悪くない。
悪いのは、全部あのクソ女だ。
俺達を引っ掻き回す、あのクソ女だ。
――幾度、赤弛が夜中にナイフを手に握った事だろう。
寝ている間に、あの忌々しい女を殺そうとしただろう。
けれど、女の横で眠っている父を見るとそれが出来なかった。
父は、そんな女を愛している。
きっと、この女が死ねばその綺麗な目から涙を零すだろう。
こんな、汚い女の為に。
ならば、父を殺してしまおうか。
そうして、父の亡骸と共に何処か遠くへ行ってしまおう。
誰も知らない土地で、共に暮らす。
そんな事を考えるが、それは間違っている事だと自分でわかっている。
殺人など、間違っている。
正常論が、まだ頭の中にある。
つまり、自分はまだそこまで狂ってはいない。
ここに来る、〝アイツ〟と比べたらまだ自分は普通だ。
そう、自分に言い聞かせる。
自分の行動や言動は正しい。
道を踏み外してはいない。
例え正しくなくても。
考えは異常だとしても。
間違ってはいない。
自分は、狂ってなどいないと。
――本当は、狂っているのかもしれないが――
自分は、決して狂ってはいないと。
赤弛はそう、自分に言い聞かせていた。