勇者の菜々子さん
+ Lv.1
私の名前は菜々子。
箸が転んでもおかしい年頃と言われる十六歳である。
私の人生は、まあまあ普通だった。
+ Lv.2 お母さんと私
私は母と二人暮らしで、築何十年かのアパートに住んでいた。
アパートは、古いながらも手入れが届いていたので小ぎれいだった。大家さんが一階の角部屋に住んでいる。
広くはないが、居心地のよい生活空間だ。
母は、女手一つでじゅうぶん私を育ててくれた。
父は、私が産まれる前に、交通事故で亡くなったのだと聞いていた。
大家のおばあさんは優しく親切で、アパート住民の入れ替わりは少なかった。
私は古き良き家族ぐるみなご近所付き合いをする隣人たちに囲まれて、割と幸福に人生を送っていたと思う。
そんな中、母が病気にかかり、あっという間に亡くなってしまった。
大家さんは、何度も母さんのお見舞いに来てくれた。私にご飯を作ってくれたり、今後の心配をしてくれた。
私は、周囲のひとたちの助けで、どうにか生活の体裁を整えられた。
そうこうしてる内に、いないと思っていた「父親」が現れたのだ。
+ Lv.3 おじさんと私
なんと私の父親は死んでなんかいなかった。
どこぞの会社役員だとのたまうのだ。
つまり母はシングルマザーで、私は私生児だというわけだ。
ドラマや小説ではよく聞くが、自分の身に降りかかるとは。
ハハ……ッと、渇いた笑いしか出てこない。
まさか愛人……、不倫……?
私は生々しい大人の事情と、出かかった単語を予想した。
母はお日様に顔向けできない事はしてないはず。
……はず。
ちょっとー、信じてるからねー! 母さん!
母さんは何という秘密を墓まで持ってったのだ。
言っとこうよ。そういうことは。そりゃ急な病気だったけどさ。
いきなり知らないおじさんが来て「お父さんだヨ」とか言われても、驚いちゃうではないか。
まあ、このおじさんが私の正式な身元引受人になってくれたのだ。
申し訳ないけど、いきなり来たおじさんに、お父さんとか呼べないよ。
血の繋がりがある証拠を、DNA検査とか認知とか書類を見せてくれたけど、こちとら多感な時期になに事だよ、まったくもう。もうっ。
おじさんは、私の生活や金銭面を、ごく常識的にお世話をしてくれた。
おじさんは、会社から家庭から心身共にすりつぶされた悲哀を漂わせ、しみじみと言ったものだ。
「菜々子ちゃんは、本っ当に良い子だねえ。
うちのこも、菜々子ちゃんみたいに、いいこだったら良いのに…………」
おじさんちには、私より一つ二つ年下の息子さんが二人いるらしい。
私の一つ二つ年下といえば、反抗期まっただ中だ。
しかも野郎がふたり。
そんな閉塞感あふるる生活の中に、突然あらわれた、毒にも薬にもならない娘。
私はおじさんに対して、よその人扱いだから、愛想笑いしてるよ。猫もかぶってるよ。
正直、おじさんにはご接待だよ。
おじさんの境遇に、私は素直な同情もするが、生ぬるい気持ちも持つ。
なぜならおじさんのセリフは、私はおじさんちの子ではない、という事が大前提だからである。
おじさんは私に優しくしてくれたが、自分の家庭を愛している、ということも、じんわりと感じられた。
うーん、息子さんが私よりも年下と言うことは、母と別れた後に、今の奥さんと結婚したのか?
おじさんから醸し出る雰囲気は大変上品で、母はつまり、いわゆる身分違いに身を引いたと、考える事はできないだろうか。
というか、そういう事にして下さい。
純愛と誠実を信じたい年頃なんです。これくらいの予想で勘弁して下さい。
+ Lv.4 白い制服と私
おじさんは、私の進学先にと、寮の付いた、高そうな豪華そうな学校をすすめてくれた。
私は近所の公立校でじゅうぶんなのだが。
友達もそっちに行くし。
なぜ引っ越しまでしなきゃならんのか。なぜおじさんちの近所の学校に通わなきゃならんのか。
遠慮に見せかけた拒否をしましたとも。
しかしおじさんは、女の子みたいにキャッキャとはしゃいだ。
「この制服がねえ! 可愛いんだよ。
私に娘がいたら、ぜひ通わせたかったんだよ!」
……。
変態と言うよりは、乙女かおばさんのようなテンションだ。
引いたり微笑ましかったり、私の心は複雑なマーブル模様を描いた。
世に言う、年頃の娘が父親に向ける感情と大差ないだろう。いや、私とおじさんは、もうちょっと遠慮があるか。
誰が好きこのんで、親の独身時代の恋愛遍歴を知りたがるだろうか。しかし私は、おじさんとの一連のやり取りから、母とおじさんの出会いから別れ、その気持ちの変遷を、何となく察したのだ。
主に母の気持ちを。悪い意味で。
おじさんちは男の子ふたりである。女の子に対してに幻想でも抱いてるのだろう。そう考えれば、微笑ましいではないか。そうしとこう。
そして、今までに何度となくおじさんに会ってて気付いたが、私とおじさんは、ふっとした考え方が、気味悪く似ている。
例えば、自分の庇護下にあるものに対して幻想を抱いたり、物の言い方だったり、なんでもない癖だったり。
私とおじさんは血が繋がってるんだな……。おっと、つい遠い目になる。
まあ何だかんだ言って、今さらながらの過保護も独善も、嫌ではなかった。
長い時間を掛けたら、普通に仲良くなれる。
そんな予感を胸に──私は、唐突に異世界へと来た。
+ Lv.5 異世界と私
真っ白い制服に身を包んだ私は、軽やかな足取りで真っ白い階段を下りる。
爽やかな風が吹いている。
私の、肩よりも伸びた髪はその風を、ふわり、と受け止めた。
ギリシアの神殿を思わせる、白くて高くて大きな柱と、同じく白い床が見える。
上を見上げると天井はなく、澄み渡る青空が広がっていた。
のちに「天空の神殿」と教えられたそこは、その名の通り、天空にプカプカ浮かんだ神殿である。
王国領土の最奥にある、神秘の山脈の、そのまた上空に浮かんでいるらしい。
たっとい神官達のたっとい魔法によって、維持されてる空間だ。
真っ白な神殿にいる、真っ白い服の神官たち。
その数十人の神官たちは、神殿の高座から降りてくる私を見て、おぉ……と感嘆の声を上げた。
そして私に対して、丁寧に丁寧に説明をする。
王国の救世主だとか、勇者だとか、いまさら何だというのだ。
何でもかんでも、かかってくればいい。
標高の高い、澄んだ空気が目にしみるぜ。
神々しい建物につつまれて、私はやけくそのように正面を見すえた。
+ Lv.6 王国と私
異世界の勇者だとか、選ばれた戦士なので地球のために戦って下さいだとか、非現実的な事を受け入れたっていいじゃない。高校生だもの。
現実逃避をしてもいいじゃない。高校生だもの。
私は高位神官の高位魔法によって、勇者として召喚されたのだそうだ。
渇いた笑いも出てこない。
まな板の上の鯉が、あれよと言う間に、活け作りにされて口をぱくぱくしている心境にも近い。
きれいに盛りつけられちゃって、いやはや、どうしよう。
どうしようもない。
あとは食われるのみだ。毒を食らわば皿までねぶれとは、古来よく言った物である。
まあ、なんだっていい。
王国の人たちは、みんな親切だった。
細かく言うと、王族派、神殿派、賢者派、そこに、保守、タカ、ハトなどが縦横斜め、立体交差など、多角的に展開されて、騙し絵みたいになっている。
穏やかではない鍔迫り合いが、水面下で行われているが。
私は神官さん達から、したたかに勇者の準備を進められたのであった。
剣技をはじめ、武術の基礎稽古に、毎日の大半を費やす。
稽古を付けて下さる指南役さんは、歴戦の古傷がついた顔を、満足そうに頷かせた。
「菜々子どのは、飲み込みが早くていらっしゃる。教え甲斐がございます」
口は甘いが手は辛かった。いいかげん筋肉痛が来ましたよ。
しかし私は、体を動かすことは大好きだ。
余計なことを考えなくていい。ストレスも吹っ飛ぶ。
地元の友達は、頭は良かったけど、運動はからっきしだった。今はどうしてるかな。
元気にしているかな。相変わらずだろうな。サプリメントに頼りっきりかな。ちゃんと煮干しも食べてね。
指先が冷たくなる。体がふわふわする。これが一種のランナーズハイかな。おもしろいな。
「菜々子どのは、踏み込みすぎる」
ある時、護衛のイノさんに、そう注意された。
+ Lv.7 イノさんと私
私は王国城に居を構え、この世界に馴染む日々を過ごしていた。
世話役は男女一人ずつ。男性の護衛イノさんに、女性の神官クレアさんだ。
どちらも筋骨隆々の武闘派に見受けられる。クレアさんは神官のはずだけどな。いや、美人のソフトマッチョかっこいいですけど。
お二人とも、二メートル前後の背丈があり、迫力がある。
挟まれると、私はまるで捕まった宇宙人だった。
イノさんは、指南役さんが連れてきた騎士の人で、なんていうか、顔がイノシシに似ている。
しかし猛々しい見た目に反して、作法に則った剣技は美しい。
眼福。私は思わず、手と手を合わせて拝む。
クレアさんも強くて、流麗な動きが素晴らしかった。
緩急のきいたスピードは、神官服の流れる動作と合わせて、思わず見とれた。
信仰心を込めた一挙一動は、私は信仰というのは分からないが、とても神聖なものに感じた。
戦いの運び方を見ると、イノさんの方が個人的に好みであり、ついファンになってしまった。
しかも強くて優しい。 イノさんかっこいい!
子供がヒーローを見るような気持ちである。
よく「ファン」というと偶像崇拝であり、正直に言うと、実のない幻想だ。
現実逃避をしたっていいじゃない。癒しが欲しいのだ。
……ふと、私は、おじさんが私に向けていた気持ちを思い出した。
偶像に逃避するのは遺伝か。そうなのか。
私は、おじさんと同じ事をイノさんにしているのだ。
自分の理想を押しつけて、その人の実を見ていない。
「偶像の好みについては……、まあ……、この際、置いておく」
ある日、クレアさんに懺悔してたら、そう言われた。
最終的に、まあ良いんじゃないの。と生暖かい目で結論付けられ、その件については落ち着いたのだった。
+ Lv.8 ビキニアーマーと私
私は、護衛イノさんと神官クレアさんと共に、各地の魔物を倒した。
そんな討伐が続くうちに、仲間も、剣士おにいさん、魔法使いおねえさん、盗賊おに……え? 男装だったんですか? おね……まあいいや盗賊さんに、賢者おじいさんと、なりゆきや、王国の手回しで、だんだんと増えていった。
相手取る魔物も、レベルが上がっていた。
害獣レベルから噛ませ犬、魔将軍に四天王と、何が何やら、各国を絡めた相互関係も複雑である。
どうやら魔物の組織はピラミッド式のようで、上から下への命令系統が整えられているようだ。
しかし、どこの集団も例外がいるようで、一枚岩ではない様子。
ドコの国のナニという魔物と、ソコの国のアレという魔物が、どうこう繋がっているとか、なかなか一朝一夕ではいかない根深さを感じさせる。
そして、そこに見え隠れするのは、帝国の存在だった。
帝国は、この魔物騒動、引いてはこの世界の破綻への黒幕のようである。
くだんの帝国をはじめ、隣国や鎖国、海を渡って砂漠とか忘れられた地とか、特殊な移動手段のみで入れる、何とか仙人の何とか神殿とか。
世界各国をめぐる内に、強い武器と防具が揃ってきた。
珍品、稀少品、高級品。
盗賊さんのコレクター魂が火を噴いた。
六賢者が示した三つの宝珠に、暗黒の森に棲む聖なるユニコーンのツノなど。
でもビキニアーマーは勘弁な。
美人ソフトマッチョの神官、クレアさんが私の代わりに着てくれた。
引き締まった筋肉を、申し訳程度に包む鎧。やや武骨なデザインはクレアさんの凛々しさを引き立てた。
防御力? そんなの夢と希望と魔法的な何かが補ってくれる。
やだ、なにこれ、異世界ってすばらしい。
微妙に照れられると、ますますおいしいじゃないですか。
+ Lv.9 帝国の双子と私
白魚の手をした帝国貴族の手引きで、悪の帝国と言われる敵の本拠地に、接触できる日が来た。
とは言え、まだまだ下調べ程度だ。
私は「王国の救世主」などと言われているが、向こうには「帝国の救世主」がいるらしい。
一体どうなっているんだ、この世界は──。
私は今さらながら、頭を抱えた。
帝国の救世主は、黒い制服を着た、男女の双子だった。
黒い制服の、セーラー服と学ランが示す通り、私と同じ世界から来た、中学生のようである。
色白の肌に、黒い髪と制服が、いいコントラストをかもし出している。
魔物を従えている姿は、実に貫禄のいったものだった。
そこにいるだけで、場の雰囲気が変わるたぐいの人物である。どう変わるのかは、二人の人柄を考慮して言及しない。
話してみると、思わぬ好人物であったのだ。というか普通の中学生だった。
もしかして、帝国が何をしているのか、全く知らないのではないか。
私は、この魔力の強さと、見かけ倒しだけに支えられた中学生を危うげに見た。
この二人だけは、ちゃんとに元の世界に返さなきゃな……。
謎の庇護欲である。
+ Lv.10 凱旋と私
ホワイトドラゴンに守護された辺境に住む、竜騎士の一族。
その人たちの助けを借りて、私たちは、やっと幹部クラスの魔物のひとりを討伐した。
この頃になってくると、魔物ばかりが悪者ではない。という、なんとも後味の悪い事象が増えた。
知恵を持つもの同士が争うと、まるで固く絡まった糸のように、どうしようもない時がある。
腕力や魔力が高くても、勇者と言われても、それだけでは役に立たない。
凄く手を回しても、その場での最善のことを、全力でやったとしても、間に合わないときには間に合わないのである。
もちろん、全力で挑むことや、諦めなければ実を結ぶと、そう信じるのは大事なことではあるが。
高校生らしく、この世の無常や、自分の存在意義などを考えながら、王都の門をくぐる。
王国への凱旋である。
王国の白い石造りの大通りが、色とりどりの紙吹雪にうもれる。
大通りの左右には、王国城下町の名に恥じない、きれいで立派な建物が並んでいた。
歩道から、窓から、屋上から、王国民の歓声も賑やかで華々しかった。
お祭り好きなのは、どこの世界も一緒のようだ。
最初は私とイノさんとクレアさんだけだった討伐隊も、この頃になると、騎士団や軍隊クラスの人数になってきた。
それだけ、討伐の対象も巨大になってるのだ。
王国騎士団も、一緒に凱旋である。
騎士や兵士たちは堂々と胸を張り、縦横均等に整列して一糸乱れぬ行進は壮観だった。
お調子者の騎士ならば、ファンサービスも欠かさない。
私が乗っている馬車は、催し事用の立派な作りで、高所恐怖症の人にはつらい高さだ。
しかしそのおかげで、私は、この混み合った大通りを、遠くまで見渡せた。
私の姿も、遠くの人にまで見えるのだろう。
凱旋パレードや舞踏会、謁見や演説。
社交界などなど、私は無駄に人前に出ることが多くなった。
「王国の救世主」と言われたが、政治的思惑に、かつがれた感がなくもない。
まあ、大人の事情に刃向かう理由も特別にはなかった。なすがままである。
人前に出ることも、無理か平気かといえば、平気なのである。
自分のこの性質には、だいぶ助かっている。じゃなかったら、裸足で逃げてる所だよ。
故郷の友達は、根回しが大得意だったのに、人前は大嫌いだった。
元気にしてるかな。元気だろうな。細く長く生きて、長い物に巻かれるタイプだ。サプリ漬けの友人に、きな粉ねじりでも突っ込んでやってくれ。私の代わりに。
異世界での不慣れなことや、分からないことはクレアさんが教えてくれた。
そして、イノさんの前なら虚勢をはっていられる。
イノさんが褒めてくれるのならば、ごはんおいしいです。
+ Lv.11 この世界と私
凱旋の途中でイノさんが言った。
「菜々子どのは、あの辺りにいる普通の町娘のように小さいのに、この国のこの世界の重さを背負うのは、酷ではないですか」
私の身長体重は、女子高校生の平均。決して小さくはない。
「そんな事は」
私はそう返そうと、取り繕おうとした。
が、しかし、つっぱっていた足を突然、ヒザかっくんされた時のように、私は動揺していたようだ。
悲しくはないけど、涙が出た。
そう、色々なことが酷だともプレッシャーがつらいとも、本当は、たまに思うことがある。
しかしそうは言っても、なにも始まらないのだと、お隣に住んでたおねえちゃんが言っていた。
まあ男も女も、子供も大人も年寄りも、理不尽に泣きたいときはある。
私の涙は頬を伝った。
「菜々子どの……。もう、イノどの、そういうことは二人きりの時とかに言えどうせならこの野郎」
クレアさんが、凱旋パレードを乱さないように、素晴らしい笑顔のまま、小声でイノさんに注意した。言動と表情を剥離させるとは、なかなかできる芸当ではない。
観衆のみなさんには、私が感極まっているように見えるだろう。
私がこの手にかけたのは、何人の魔物で、救ったのは、何人の人間になるのか、頭の中で数えてみた。
思い出した人数は、目の前の王国民の何百、何千分の一でしかなかった。
そして同時に、数々の出会いや、協力してくれた人たちの人数も、思い出す。
そうするとイノさんが言っていた、王国民や世界中の人数が、まるっきり私に掛かっているとは思えないのだ。
私の隣には、イノさんとクレアさんがいる。
前と後ろには、騎士団と兵士のみなさんがいた。
遠くの前方には、王様と大臣と神官長がいるのだろう。
私は、私のことが別に大事ではないけれど、私を大事にしてくれる人は大事にする。
天元突破的なことを考えながら、私は涙をごっくりと飲み込んだ。
白い町並みと、カラフルな紙吹雪が目に染みる。
私たちのたたかいは、まだまだ始まったばかりだ。です。