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トルネ川の分水嶺: バイキング(の末裔) vs 蒙古(の末裔)の陰の歴史

ロシアの前身であるモスクワ公国は、モンゴル帝国の末裔である遊牧民族の支配から独立したが、その発展はモンゴル戦闘民族の血が混ざるかたちで進んだ。極論するならロシアはモンゴル帝国の末裔と言えよう。


一方、この時期に、ロシアと覇権を争ったスウェーデンはバイキングの末裔だ。


その最後の直接戦争が1808-1809年に起こった。結果はロシアの大勝だが、戦争は和平交渉の締結まで終わらない。軍人から引き継いだ外交官の戦いこそが、本当の意味での歴史の分水嶺だった。


雨水の流れる先、それが右か左か分かれるところが分水嶺だ。例えば尾根や峠がそうだ。


雨水に限らず、広く川の水まで含めると?

その場合、三角州や中州も分水嶺に含まれる。大河の三角州の中には、はっきりとした尾根を持つものだってある。まさに分水嶺だ。


もっとも、日本のように地球史的に山が新しい地形では、この手の分流は、ぐに合流するか海に流れ注ぐので、距離は短い。だから『分水嶺』という感じにはほど遠い。


しかし、大陸規模だと距離も長くなる。

例えばライン三大分流は、河口(三角州)域が、南はベルギー国境の分流から、北はドイツ国境に近いゾイデル海(アイセル湖)に流れる分流にまで広がる。オランダの過半が、北分流と南分流の間に挟まる上に、「元島」の里山を抱える。まさに『分水嶺』だ。


大陸規模で語ると、もっと大規模な分流もある。

太古に三角州だったものが隆起するとか、ほとんど平坦な大地(楯状地たてじょうちや、浸食の終わった大陸)で、蛇行の果てに分岐した川が、すっかり低くなった分水嶺を越える場合だ。この場合、分流が数百km以上も続いて、全く異なる河口に注いだりする。もちろん、それぞれの河口で三角州を作るほどの大河として。


これら分岐した川を隔てる尾根は、雨水と河水の二重の意味で『分水嶺』だ。


そんな『分水嶺』のうち、世界最大の分流はオリノコ川(全長2700km強)のかなり上流にあるカシキアレ川(Casiquiare、300km強)だ。本流はそのままベネズエラを流れるが、一部がカシキアレ川として分流し、アマゾン川上流の支流ネグロ川と合流する。その結果、間に3000m級の山脈とガイアナ・スリナム・仏領ギアナ3国を挟むほど、同じ川の水は離ればなれになる。


カシキアレ川という奇妙な分流が、宗主国のポルトガルとスペインで認知されるのは、両宗主国が植民地の境を決めた18世紀半ばであり、その際の認識は、自然な分流というより、奇跡的な天然運河だった。故に、流れの速い川にもかかわらず『川』ではなく『運河』と名付けられた。


カシキアレ川の陰に隠れているが、世界で2番目の規模の分流をしているトルネ川(Torne川、520km)も特筆すべきだろう。場所はスカンジナビア半島の北の入り口、スウェーデンとフィンランドの国境だ。


距離こそオリノコ川より短いが、分流地点の標高(210m)は、カシキアレ川がオリノコ川から分流する標高(110m)よりも高い。分流したテレンデ川(Tärendö川、50km強)は、トルネ川に並行するカリックス川(Kalix川、430km)に合流するが、その地点の標高(160m)も、カシキアレ川がアマゾン水系ネグロ川に合流する標高(90m)よりも高い。


しかも一部分流のカシキアレ川と違い、分流する水量ほぼ半々ならば、分流後の長さも大差ない(250km内外)、完全な二分流だ。


地形図を見ると、トルネ川が標高差数十メートルの里山にぶつかって分かれ、それぞれが別の川と合流している。そして、河口までの200km以上、間には日本の里山以上の標高を持つ山々もある。まさに川が分水嶺にぶつかって、水が二分流したというていだ。分水嶺にぶつかる前の河道がほんの100m右か左にずれていれば、どちらにしか流れなかったのだ。それは、三角州等、氾濫による自然堤防による分流とは全く異なる。


このトルネ川こそ、200余年前にスウェーデンと帝政ロシアの国境線(そのままスウェーデンとフィンランドの国境線)が定められた基準だ。なのに、現実の国境線はトルネ川本流ではなく、その支流のモーニオ川で定めれられた。その際にスウェーデンがろうした小細工は、歴史の流れの分岐点でもあった。


地図:北スカンジナビアの大河

挿絵(By みてみん)

筆者作製


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時は18世紀末から19世紀初頭の、ナポレオンが欧州を席巻していた時代。

当時は、フランス対イギリスという商圏支配の覇権争いの他に、スウェーデン対ロシアというバルト海沿岸支配を巡る覇権争いも繰り広げられていた。前者はフランスからイギリスへの挑戦として、後者は度重なる敗北で後のないスウェーデンの最後のあがきとして。


ナポレオン戦争が始まるころ、スウェーデンはイギリス側にたっており、その対策として、ナポレオンはロシアにスウェーデンを攻撃させた。それで占領する予定のフィンランドを、スウェーデンから割譲させても良いという裏取引と引き換えに。


後にして思えば、ナポレオンの大失策だった。フィンランドの兵力まで得たロシアは、フランスを裏切ってイギリス側につき、ナポレオン凋落の遠因となったからだ。そして同時に大国ロシアを生んだのでもある。後年のクリミア戦争では、英仏協力して当たらざるを得ないほどの大国に。


1808年2月下旬、ロシアはスウェーデン領のフィンランド並びにラップランドへ侵攻した。当時の地理では、スウェーデン「帝国」は、「スウェーデン語圏=本国」「サーミ語圏=ラップランド」「フィン語圏=フィンランド」に分けられており、そのうちに2地域に侵攻したのである。


ロシアの侵攻後、デンマーク(当時はノルウェーもデンマークの一部だった)までスウェーデンに宣戦した。スウェーデンは兵力を集中できず、僅か1ヶ月でフィンランドのほぼ全域とラップランドの半分が占領された。フィンランド最後の拠点すら5月上旬には陥落した。

終戦から僅か5年後に、スウェーデンがデンマークからノルウェーを奪ったのは、ロシアの脅威に対応するためというのもあるが、デンマークへの腹いせが多分にある。


その後、スウェーデンは反撃したものの成功せず、半年でフィンランドは完全にロシア軍勢力下となった。この時に一旦締結された休戦協定で、両軍は上記トルネ川河口域を境にそれぞれ撤退した。


しかし戦争終結には至らない。スウェーデン国王が戦争を継続したからだ。結果、ロシアはトルネ川を大きく越えて、カリックス(kalix: カリックス川の河口)、ルーレオ(Luleå: この地域で一番水量の多いルレ川の河口)、ピティオ(Piteå: ピテ川の河口)などを1809年夏までに完全に支配した。


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同年9月17日、フレドリックスハム(Fredrikshamn)で和平協定が締結された。

ロシアは前年の休戦協定に加えた割譲地としてオーランドを要求したものの、ラップランドについては寛大さを見せて、前年の休戦協定の境であるトルネ川まで占領地を放棄したのである。それはラップランドがスウェーデンとフィンランドとに分割されることをも意味し、ラップランドは後年に独立できたかもしれない唯一のチャンスを逃した。


さて、和平文書では国境線をトルネ川支流のモーニオ川に設定している。しかし、予備交渉では、スカンジナビア半島の付け根の最大の川を境界にすることで話がついていた。そして、それは決してモーニオ川ではない。それをモーニオ川にまとめたのは、後年の歴史を見れは大きな分水嶺だった。そこにスウェーデンのしたたかさを見る。


最大の川を水量で決めるならトルネ川よりルレ川が多い。そこは、トルネ川から100km以上もスウェーデン側に入っている。スウェーデン・ロシア両軍とも海岸近く(海岸線から数十キロ以内)でしか戦っていないから、実際にルレ川よりさらに南のピテ川まで進出したロシア指揮官からすれば、ルレ川のほうが境界に相応しいだろう。


現場感覚でも、ルレ川流域はラップランドであってスウェーデン本国ではない。トルネ川まで撤退したらロシアの丸損なのだ。最善でもカリックス川が境界だっただろう。三つの川の中で河口が最北地点にあるから、「スカンジナビアの付け根」という意味ではカリックス川だって正しいのだ。


だが、和平交渉はラップランドを知らない外交官によってなされた。そこで、スウェーデンがろうした小細工の一つ目が『最大=一番長い』という論理だ。


トルネ川+モーニオ川=450km

トルネ川本流=520km

カリックス川本流=430km=河口が最北

ルレ川本流=460km


本流だけを比較したらトルネ川本流がルレ川を越える。水量で負けるのは、途中でテレンデ川に分岐して大量に失われるからだ。


さらにスウェーデンはもう一つ小細工をろうした。

『モーニオ川こそトルネ本流であって、現在トルネ川上流と呼ばれているところは、実はカリックス川(テレンデ川経由)だ』

という説明だ。ちなみにこの場合、カリックス川+テレンデ川+トルネ上流の組み合わせの方が、トルネ川+モーニオ川より数十km長い。実際の川を知っている者からすれは、明らかな屁理屈へりくつだ。


トルネ川・テレンデ川の分流が、欧州では全く知られていなかったからこその小細工だ。当時のスウェーデンですらほとんんど知られていない。学校があり、そこで地理を教える現代でも、スウェーデン以外では教えているかどうか。


そこまで小細工をろうした理由は、ひとえにキルナに眠っている鉄鉱脈だ。なんせ、当時のロシアは鉄鉱石が大量に埋蔵していることを知らなかったのだから。お陰で、単純に南北の伸びる川を境界とする事で妥協したのである。


それでも、もしもテレンデ川がなければ、トルネ川本流が国境になっていただろう。


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キルナとエリバレ、それはスウェーデンにとっての希望であり、眠った虎の子だった。


鉄鉱石の存在自体は17世紀に現地のサーミ人からスウェーデン帝国政府になされていた。しかし一般に知られるようになったのは、試掘の始まったのは1741年 (それもエリバレのみ)あたりだろうか。

もっとも、この時代のラップランドはろくな道がなく、運搬手段がネックで、150年近く、試掘レベルの採掘しかできなかったのだが。いかに「道がない」状態だったかというと、今でこそ欧州高速E10が走っているキルナ・ナルビク間だが、鉄道は1903年に敷かれたが、車の通れるような道路は1984まで敷かれていなかったほどだ。


そんなしょぼい鉱山にロシア帝国が食指を伸ばすだろうか?

ロシアは100年前のピョートル1世以来、自国内の鉱山開発に熱心で、この時代は鉄鉱石輸出国となっていた。一方のラップランドは、知られているのはカリックス川支流の先の『ショボい採鉱しかしていない』エリバレだけで、トルネ川から10kmも離れていないキルナで鉄が出る事すら知らないのだ。


知るは現地人と僅かな関係者のみ。


もしもキルナの鉄鉱脈がロシアに知れていたら、いかに「ショボいかもしれない」鉱山であっても、トルネ川本流沿いという点(実際に掘ってみたら10km以内の距離)に目をつけて、トルネ川上流を国境にしていただろう。鉱脈は川の反対側にもあることを期待して。


ロシアがそういう「正しい指摘」をしたばあい、当時のスウェーデンは拒めない。

だからこそ、キルナの鉄鉱脈を隠しつつ「地域最大の川」に関する嘘をき通さなければならなかったのだ。

さもなくば……


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近年流行の「別の世界線 」というのを、この件に当てはめたら?

例えば、ぎりぎり1809年の和平交渉までにロシア代表が「出来ればルレ川を境界に、最悪でもトルネ川の本流で誤摩化されないように」

と気付いたらどうなっていただろうか(*注釈)。



もしもルレ川が境界となったら、ロシアの大勝ちだ。


キルナ鉱山もエリバレ鉱山も、20世紀前半は世界最大の鉱山として君臨している。そうなると、算出した鉄鉱石は戦略物質となる。なんといっても、戦争に使われる鉄の過半をロシアが抑えるのだから。


鉄という生命性を握られたドイツはロシアと敵対できなくなり、第一次大戦でも対立がなくなって(それ以前に第一次大戦が起こるかも怪しい)、ロシア帝国が延命するだろう。たといロシア革命が起こっても、そのどさくさでドイツ帝国が新生ソ連を浸食した歴史(ブレスト条約=8ヶ月しか効力を持たなかったが、それでもフィンランドやポーランド、バルト3国は最終的に独立した)は大きく変わるだろう。


例えばフィンランドン独立が無くなって、キルナ・エリバレはいつまでもロシア領(ソ連領)になるのではないか。キルナ・エリバレの帰趨きすうは、たとい奇跡的にフィンランドが独立できても変わるまい。なぜなら、上記ブレスト条約で、フィンランド語圏とサーミ語圏ラップランドの独立が別々になると思われるからだ。


ルレ川を国境としたロシアは、直ぐにエリバレ鉱山の価値を知り、時を置かずキルナ鉱脈も知るだろう。そうなったとき、単純に自治領をフィンランド一国に権力集中させるとは思えない。


バルト海に広くアクセスするためのフィンランドと、鉄の確保のためのラップランド。属領統治の基本として、2つ利益を一カ所に集めてはならない。となれば、ロシアは自治領をフィンランド自治領とラップランド自治領に分けたはずだ。そして、上記ブレスト条約は、そういった分離を反映するから、ブレスト条約による一時独立でもラップランドはフィンランドと別になる。


その結果、軍事力のないラップランドはドイツ帝国敗北後にソ連に取り戻すされるだろう。それは欧州に置けるソ連の鉄鉱石寡占をも意味し、第二次大戦にも影響をあたえよう。もっとも、それ以前に第一次大戦が起こらないか、起こっても戦況や陣営が変わるだろうが。


それ以前に、19世紀前半に、ロシアが北ノルウェーを侵攻する可能性も考えられる。というのも、スウェーデン・ロシアの戦争の5年後の1814年にスウェーデンはデンマーク領ノルウェーに侵攻して、支配下に収めているからだ。

となれば

『スウェーデンからラップランドを取り返して自治領にする』

という名目の侵攻は可能だ。特にナポレオンを撃退したあとなら。


トルネ川源流の峠を下った先のナルビクは、そこ以南と地理的に完全に途切れている。現在ですら、ノルウェーを南北に縦断する欧州高速E6は、ノルウェーの南のトゥスフィヨルド(Tysfjord)で途切れ、E6は唯一この区間だけはフェリーに頼っているほどだ。となれば、スウェーデン軍もデンマーク軍も、ナルビク以北にはアクセスしずらい。

既にムルマンスクという不凍港を得ているとはいえ、北極海ではなく大西洋に面しているナルビクは、ロシアが喉から手を出しても欲しい港なのだ。侵攻は時間の問題だっただろう。


国境の変更は鉄道の敷設史にも影響を与えるだろう。


現実の歴史だと、敗戦国スウェーデンは、1830年代に鉄道敷設を議会で議論し、実際の敷設はエリバレからボスニアルーレオまでが1988年に完成し、ナルビクまでは1903年に完成している。ルーレオ以南の線は1894年に完成はしていたものの、鉄鉱石を大量に運ぶような規格ではなく、ルーレオに運ばれた鉄鉱石は、ボスニア湾が凍っていない時だけ船で運ばれていた。だからこそナルビクまでの鉄道が必要だった。


一方のフィンランドだが、ロシアの自治領に過ぎず、初鉄道の敷設もスウェーデンより20年ほど遅れたにも関わらず、1903年にはスウェーデン国境トルネオまで伸延している。ロシアが価値を見いだしていない地域にも関わらずだ。もしもキルナ鉱山がロシア領だったら、現実よりもフィンランドの鉄道網は整備されただろう。


この場合、キルナを走る鉄道は現行の欧州標準(143cm)でなくロシア標準(152cm)となるはずで、鉄鉱石の輸送に有利である。だから、船に頼らず、そのままロシアに運ぶ可能性が高い(ロシア国内の輸送と同じ)。そればかりか、フィンランド側のラップランド(モーニオ川沿岸)で採れる石炭を使用して、トルネ川沿岸で鉄鋼業まで発達した可能性すらある。



ではより現実的な想定、すなわち、もしもトルネ川本流が国境線になっていたら? 


一番あり得るのは、ロシアはどこかの段階で再侵攻してキルナ(とナルビク)を得るというシナリオだ。しかし、それは上記のシナリオに類似するので割愛して、20世紀に入るまで、ロシアが大人しくしていたと仮定しよう、



その場合、まず予想されるのはキルナ鉱山の停滞だ。


エリバレ・ルーリオ間だけの鉄道(1988年開通)では、エリバレ鉱山の鉄鉱石を運ぶのに不十分だからだ。なんせボスニア湾が冬季に凍結するのだ。だからこそ鉄道は不凍港のナルビク(当時はスウェーデン領)へも敷かれたのであり、そのついでにキルナ鉱山も開発された。


しかし、そのナルビク・キルナ間はトルネ川に沿っており、ロシアの再侵攻を恐れていたスウェーデンにそんな大胆な鉄道敷設はできない。


となると、この場合でもドイツは鉄鉱石をロシアに頼ることになってしまう。それは第一次大戦(もしも回避できなかったとして)でのドイツを上記のようにロシア依存に走らせる。


一方、もしもロシア革命が起こり、もしもフィンランドが独立した場合、ラップランドがフィンランドに付随するか、別々になるかはわからない。ただし、たといフィンランドに付随した場合でも、鉄道敷設は遅れるだろう。ソ連がいつフィンランドを再占領するか分からないからだ。


例えば冬戦争でフィンランドを支えたスウェーデンが現実よりも弱いだろうから、フィンランドはソ連の一共和国として組み込まれるかもしれない。


そうなると、ドイツの復興とナチスの戦争を支えた鉄は、かなり遅くまで入手できなくなり、ドイツは現実より弱いままで推移する。それは第二次大戦でのドイツ・ソ連不可侵の長期化を意味するだろう。


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トルネ川・テレンデ川の分流がなければ、上記のような「ロシア帝国の大勝ち」は避けられなかった。河道が少しでも北にずれていたら水は全てトルネ川に流れ、その水量から、モーニオ川を本流と言いくるめる事は出来なかっただろう。逆に河道が少しでも南にずれていたら水は全てカリックス川に流れ、その結果、最長となった合流カリックス川が国境になっていただろう。


その意味で、この分流を作った分水嶺は、歴史の分水嶺でもある。地理の作る歴史の分岐。それが1809年の和平交渉での裏の姿である。



(おわり)


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(*注釈)

ネット小説風に書くと、「歴史逆行転生」の主人公が、19-20世紀のドイツ帝国とか反大英帝国を嫌っていた場合が想定される。

主人公の転生先は18世紀末で、ぎりぎり1809年の和平交渉までにロシア代表に入れ知恵できたとしたら。

転生者であることを隠すなら、キルナ鉱山の知識は出せない。

しかし、川の知識なら時代的に問題ない。

ならば、

「出来ればルレ川を境界に、最悪でもトルネ川の本流で誤摩化されないように」

というアドバイスになろう。どの川を選んでも、ラップランド内であってスウェーデン本国ではないからだ。

こうして、本編へと繋がる。


もっとも、この場合、主人公はセントペテルブルクからキルナへの鉄道敷設も進言するだろうが。

参考サイト

ウィキペディア

1. 日本語版

2. 英語版

3. スウェーデン語版(+グーグル翻訳)

地形図サイト(https://en-gb.topographic-map.com)

1. en-gb.topographic-map.com/map-jhbnh/Nijmegen/

2. en-gb.topographic-map.com/map-cch23q/Pajala-kommun/

スカンジナビアの歴史地図(https://timemaps.com/history/)

1. timemaps.com/history/scandinavia-1648ad/

2. timemaps.com/history/scandinavia-1789ad/

3. timemaps.com/history/scandinavia-1837ad/

4. timemaps.com/history/scandinavia-1914ad/

5. timemaps.com/history/scandinavia-1960ad/

市役所や鉱山会社などのサイト(+グーグル翻訳)

 キルナ市、エリバレ市、カリックス市、LKAB(鉱山会社)


他の情報源

 1. 和平交渉の予備交渉に関しては複数のスウェーデン人から聞いた話ですが、裏付け資料は探しきれませんでした。

 2. トルネ川上流が過去にカリックス川として扱われている地図は上記のスウェーデン人に見せてもらったことがあります。


(あとがき)

はじめは、ラップランドの現地人の視点で書こうと思って資料を集めました。例えば


キルナと東70kmほどの、ビッタンギに住むカッレ・ニエミ(仮名)は、ラップランドの原住民サーミ人とスウェーデン人の間に生まれた。トナカイの放牧で行きているサーミ人にとって、名目上の支配者がスウェーデン人であろうが、ロシア人であろうが、フィンランド人であろうが大差はない。だが、戦争だけは困る。


という風に。でも資料を集めるほど、それでは分岐後の歴史のあとが続かないことに気付いたし、そもそも、そんなに歴史に詳しい人間がラップランドにいたとも思えず、私の想像力では書けないと感じました。


そうして資料を集めるうちに時間切れとなって、転生者視点の話を書く余裕も無くなったので、純粋歴史ものとして投稿する事にします。CC_BYにしますので、どなたか、そういう「主人公視点」の著作の得意な方がおれば、それで書いて頂けると嬉しいです。


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 このような歴史があったとは、全く知りませんでした!  地理上の分水嶺を巧みに活用して、歴史上の分水嶺となしたスウェーデン……その外交手腕に、感心すると同時に、綱渡り的な危うさも感じて、拝読しながらド…
たかが川一本と思うなかれという事ですね。 とても勉強になりました。 私は学生時代は世界史を学んでいたのですけど、このラップラントの存在は知らなかったです。 学校の世界史って、少し野蛮な言い方をすると…
お見事! 話も素敵ですし、その上、地図っ! 作るの大変だったと思います。 分水嶺に2つ意味を持たせるの使い方も、大好きです。
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