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第112話 結果と過程

~保坂視点(一ノ瀬母の仕事仲間)~


 最近の車は音がしない。エンジンをかけても、アクセルを踏んでも静かなものだ。しかしその静けさのせいで今のこの状況をより気まずくさせているのは間違いないだろう。


 運転席には俺、助手席には一ノ瀬先生、後部座席に一ノ瀬先生の娘である愛美ちゃんが座っている。一緒に俺の車に乗り込んできてから、特に会話はない。


 正直、俺はそこそこのゲーマーであるため愛美ちゃんと色々と話がしたいのだが、そんな空気ではない。裁判所の張り詰めた空気と似た感じがする。


 俺はハンドルをしっかりと握り締め、運転に集中したいが、この静けさ。俺は腕を伸ばして何か音楽をかけようとする。


 ──喧嘩中……なんだよな?よし、俺が選ぶ最高の仲直りソングを……


 ナビの画面から曲のリストに切り替わる。


 ──これだ!!ne-yoの『mad』でどうだ!!


 切ないイントロに線の細い、それでいて確かな黒人の奏でる声がイントロと重なる。2人の戦争には得がない。2人とも敗者になってしまう。そんな楽曲だが、2人には響いていない様子だ。


 ──ん~もしかしてすべってる?俺すべってないか?待てよ、一ノ瀬先生って音楽は何を聞くんだろ?全然知らないな……


 俺はne-yoの曲を兎に角変えたくて、ハンドルにある操作ボタンを押して、次の曲を掛けた。弦楽器と金管楽器が奏でるハーモニーに、ソプラノ歌手の繊細な声が聞こえる。


『O mio babbino,caro~♪』


 日本語タイトルは、『私のお父さん』という俺の好きなオペラのアリアだ。美しい旋律に身を委ねながら、運転中の車は橋を渡る。


 ──そうそう、この歌の歌詞は、娘がお父さんに好きな男性の元へ行かせてくれなければ、ヴェッキオ橋から飛び降りてやるって懇願する……って!親子喧嘩の歌じゃねぇか!!


 慌てて次の曲をかけようとすると、助手席の一ノ瀬先生が言った。


「ここでいいわ、ありがとう」


──────────────────────


~一ノ瀬母視点~


 保坂君に礼を言うと、私と愛美は車から降りて歩いて家に向かった。


 車内では確かに気まずかった。保坂君が気を遣って音楽をかけてくれたり、選曲を色々と考えていたのがわかった。しかしとある2つの考えが私の頭の中を占領しており、会話をするまでの余裕がなかった。


 1つは愛美のことについて、そしてもう1つは、思わず声をかけてしまった愛美のお友達についてだ。


 仕事柄、多くの犯罪を犯した少年と相対する。少年犯罪の多くは金銭目的の犯罪、友人間でのトラブル、プライド・自尊心を傷つけられた報復行為等が挙げられるが、注目したいのが殺人を仄めかす脅迫文のようなメッセージをネット上に残す少年達についてだ。彼等の秘めたる破壊衝動や暴力性によって、始めはネット掲示板やチャットルーム、SNS等に暴言紛いな言葉を書き連ねるか、動画投稿サイトに載っている暴力的な動画を見ることによって発散されるが、次第に自らが実践して、人を殺傷するような事件も起きていたりもする。


 ──現在私が受け持っているような事件みたいに……


 そのような犯罪を犯した少年の多くは両親との関係性がよくないことがわかっている。そして漏れなく皆、人生に絶望している。


 その絶望している表情や佇まいを愛美のお友達の男の子に感じてしまった。


 ──彼の家族構成は?

 ──どうして絶望している?

 ──彼を救うにはどうすれば良い?


 そんな事と、愛美の事が私の脳内に渦巻く。しかし、歩いていると徐々に頭がスッキリしていくのがわかる。第2の心臓とも呼ばれる足を動かすことによって、血の巡りを良くし、脳内に血液を送ったおかげだ。


 そして、そのスッキリとした私の頭が言っている。先ほどまでの思考は、単なる私の想像でしかなく、杞憂で終わることのほうが多い。では何故このような思考が渦巻くのか、それは私が愛美と会話をするのを先送りにしているからだ。


 日が傾き始めた街並みは、次第に活発さを弱らせ、一仕事終えた人達が家路につこうとしている。


 私は愛美に話し掛けた。


「愛美……」

「お母さん……」


 ほぼ同時だった。私達は立ち止まり、見つめ合う。


 今日初めて愛美と目があったかもしれない。背が私とあまり変わらない。大人になった愛美を見た。


 私達はお互いの気まずさからくる緊張から、同時に話し掛けるという偶然のおかげで笑ってしまった。


「お母さんから話して」


「いえ、愛美から話してちょうだい?」


 愛美は「え」と少しハニカミながら呟いて、少し戸惑った表情で言った。


「今日は来てくれてありがとう……」


 それを聞いて私は直ぐに返した。


「愛美……ごめんなさい。お母さん最後しか見れてない──」


「それでも!来てくれて嬉しかった」


「……愛美のあんな表情、お母さん見たことなかったな」


「え?」


「ゲームしてる時の表情。あんなに真剣で、それでいて楽しそうにしている愛美を見たことなかった。今思えばお母さん、愛美の頑張ってきた結果しか見てこなかった。テストや模試の結果ばかり……愛美が頑張ってる姿は小学生の運動会以来かな……」


「そんなに昔……」 


「お母さん勘違いしてた。ゲームをプレイするのに、あんなにも本気になるのね。見てる方も一生懸命応援してて、その……凄かった。そして愛美は結果を残した」


「……」


「正直言うと、お母さん、観に行くつもりはなかったの。優勝したかしてないか、結果だけを聞くつもりだった。だけど愛美の頑張ってる姿を見て、どうしても直接見たくなったの」


「……」


「結果と過程、そのどちらが大事かなんてことは昔から語られることだけれど、お母さんのような法律家は結果が優先される。会社や組織にいる人も結果は大切。だけど、一個人の長い人生に於いては過程の方が大切なのかもしれないわね。現にお母さんはゲームをプレイしている過程の愛美を見て観に行きたいって思った。大切なのはその結果となった過程や経験が如何に充実しているか。ゲームは……ううん。eスポーツは十分素敵な経験をもたらしてくれる。そう思ったわ」


 愛美のどこか緊張していた表情が輝きだした。ゲームや娘との間に私は壁を造っていた。しかしフォートトゥナイトでさえも自らが造った壁ならば簡単に穴を開けることができる。


 私はその壁に穴をあけて愛美を抱き締めた。愛美は私の耳元で呟く。


「優勝できなかったら諦めさせるって言ったくせに……」


「ぅ……お母さんが間違ってたわ…ごめんね、プレッシャーのかかることを言っちゃって……それよりも、優勝おめでとう」


 しばらく抱き合った後、私は言った。いや言い返した。


「シロナガックスって名前はどうなの?」


「ぃ、良いじゃん別に……」


◆ ◆ ◆ ◆


「ねぇ~、お母さん!これって本当にいるのぉ?」


 幼い頃の愛美が図鑑に載っているシロナガスクジラに指をさした。


「いるわよ~。地球上で最も大きな哺乳類、シロナガスクジラ」


「シロナガッスジア?」


「ううん。シロナガスクジラ」


「シロナガッス、ス?シロナガックス!?まなみ将来、シロナガックスになりたい~!!」


 小さな愛美にとっては大きな図鑑、それを両手目一杯に広げてシロナガスクジラのページを開き、かかげながら彼女はそう宣言した。


「お、大物になりそうね……」


◆ ◆ ◆ ◆

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