俺の話を聞いてもらえますか?
「シュリズィエに聞いて欲しいことがあるの」
ある日、私を呼び出した両親は、顔を見合わせながらそう言った。
「どうしたのです? そんなに改まって」
親子でも滅多に顔を合わせないなんてご家庭も多いと聞くけど、うちは違う。家族仲は良好だし、食事も一緒に取るようにしている。そんじょそこらの貴族よりも余程、仲睦まじい――――それがこの国の王家、フリュヴェラ家の特徴だ。
「それがね……ふふ」
父と母は、互いに発言を譲り合いつつ、ほんのりと頬を染めて微笑んでいる。二人とも、もう良い年だというのに、まるで成人したての恋人同士のようだ。ちっとも内容が想像できずに首を傾げると、ようやく決着がついたのか父がコホンと咳ばらいをした。
「赤ちゃんが出来たんだ」
「…………は?」
一瞬だけ『誰に?』って聞こうと思ったけど、二人の様子を見るに不毛な質問だろう。愛妻家のお父様はこれまで愛人を一人も作ることがなかったし、万が一余所に子が出来たのだとしたら二人で話をしに来る筈ないもの。
「――――お母さま、一体お幾つでしたっけ?」
「それ、聞いちゃう?」
母は唇を尖らせながら頬を染める。私の記憶が間違っていなければ、母は今年で36歳。医療の発達していないこの時代においては、超の付く高齢出産だ。
「一体どうしてこのタイミングで?」
「どうしてって聞かれても、こればかりは授かり物だし……」
そう言って父は言葉を濁す。それはそうかもしれないけど、何となく釈然としない。正直言って重臣や国民達を含めて皆、二人に私以外の子は生まれないだろうと諦めていた。
我が国では王位継承権は王の直系男子が第一、次いで王弟、それでもダメなら女子が継ぐことになっている。父に弟はおらず、我が家に男子はいない。つまり、私が王位を継ぐはずだった。
「男の子かな? 女の子かな?」
もしも生まれてくる子が男の子なら――――私の王位継承権は下がる。自分が王の器とは思えないから、正直言って男の子の方がありがたいんだけど。
「シュリったら、気が早いわよ? 出てくるまで分からないわ……今からだと、大体七か月後ね」
母はそう言ってコロコロと笑う。父も満足そうに頷きながら、私と母のことを交互に見た。その顔が、何だかとても幸せそうで、こちらまで穏やかな気持ちになってくる。
(無事に生まれてくると良いなぁ)
そんなことを思いながら、私は笑みを浮かべた。
***
「と、いうことがあってね?」
興奮を抑えられぬまま、私は必死に声を潜める。人払いをした部屋には私と、もう一人――四年前に私と婚約を結んだ、侯爵令息レグラスが向かい合って座っていた。
「姫様、それ――極秘情報なのでは?」
レグラスは眉一つ動かすことなくそんなことを言う。
エメラルド色をした切れ長の瞳にサラサラのプラチナブロンド。人形のように整った目鼻立ちをした中性的な男性だ。社交界では彼を『氷のようだ』と囁く人もいるけれど、常に冷静沈着で文武両道、抜きんでて優秀な点を評価され、私の婚約者となった。
「もちろん。妊娠中は何が起こるか分からないものね。だけど、あなたは既に身内のようなものだし、お父様も知らせて構わないって言ってたもの」
レグラスと私は二年後――私が十八歳になったら結婚する予定だ。レグラスは私の二歳年上。知り合ったのは婚約を結ぶ何年も前だし、接してきた期間が長いため、婚約者というよりも頼り甲斐のある兄みたいな感覚だ。
「……陛下がそんなことを」
「えぇ。このことを知ったら、きっと国中がお祝いムードに包まれるわね。十六年ぶりのロイヤルベビーだし、皆、心の中では女王が立つことに不満を抱いていただろうから……なんて、生まれてみないと性別は分からないらしいんだけど」
とはいえ、生まれてくる子は『男児』だろうという確信がある。昔から、そういう勘は当たる方だった。
「そうですか。では、良かったですね――――と、そう申し上げてよろしいのでしょうか?」
「もちろん! 家族が増えるのは幸せなことだもの。嬉しく思っているわ」
この年にして両親が仲睦まじいことも――多少の気恥ずかしさはあるものの、幸せなことだ。私も二人のように、レグラスと温かい家庭を築けたら良いなぁと、そう思っている。
(彼がどう思っているかは分からないけど)
相変わらず無表情のままのレグラスを見つめつつ、私はふふ、と笑った。
***
「シュリ――――あなた、馬鹿なの?」
「へ?」
それは、父母から今回の件の開示を許可された、もう一人の人物から放たれた言葉だった。
父方の従姉妹であり、公爵令嬢のジェニュインだ。数年前、聖女の力に目覚めた彼女は、城内の一室で生活をしている。高齢出産の母のこと。今後彼女には色々と助けてもらうだろうからと、私から話をすることになったのだけれど。
「あなたが将来女王にならないってことは、レグラス様が王配になる道も無くなるってことでしょう?」
「えっ……? えぇ、まぁそうなるわね」
「そんなの、レグラス様にとっては地獄じゃない。折角これまで、王配になるために必死で努力してきたのに、ある日いきなり『別に後継者ができたから用済み』になった、ってことでしょう?」
「へ?」
正直言って私は、そんな風に考えたことが無かった。彼はいつも淡々としていて、努力とか苦労とか、そういう素振りを見せたことすら無かったから。
「お気楽なあなたは知らないかもしれないけど、相当大変らしいわよ。常に品行方正を求められる上、何でも一番にならなきゃならないし。折角モテるのに、世間の目があるから令嬢方との会話もままならない。彼が『冷たい』と囁かれるようになったのは、あなたの婚約者になったからだって専らの噂なんだから」
「そうなの⁉」
「そうよ。それだって、女王の配偶者になれると思えばこそ我慢できたんでしょうに……きっとレグラス様は落胆なさったはずよ。肝心なあなたは、彼の苦しみに寄り添うどころか、呑気に喜んでいるのだし」
ジェニュインの言葉が鋭利に私の胸に突き刺さる。
(言われてみれば、そうかも)
彼が私の婚約者に選ばれたのは、将来私が女王となった時に、配偶者として補佐ができると見込まれたからだ。周囲からのプレッシャーは私が思う以上に凄まじかっただろうし、その分、将来得られる王配という最高の身分への期待も大きかっただろう。
「私……レグラス様を傷つけてしまったのね。どうしよう、ジェニー? どうしたら良いと思う?」
過去に戻って無神経な言葉を取り消すことも、母が妊娠したという事実を変えることもできない。けれど、もしも私がレグラス様のために出来ることがあるなら――――。
「解放して差し上げたらどう?」
「え?」
ジェニュインはサラリと、そう口にした。
(解放?)
彼女の言わんとしたいことが分からず、私はそっと首を傾げる。
「婚約を破棄して、レグラス様をあなたから解放して差し上げるの。王配になれないなら、王女との結婚は重い鎖みたいなもの。他の令嬢と結婚した方がずっと良い筈よ。気楽だし、失われた青春も取り戻せるし」
「ジェニーが言うと……説得力がすごいわね」
ジェニュインの母親は、父の姉――――元王女だ。伯母に見初められた現公爵は、半ば押し切られる形で彼女と結婚する羽目になったらしいと、私も聞き及んでいる。王女との結婚は不自由なことが多い――――それが、二人の娘であるジェニュインが見た真実なのだろう。
「そっか……そうなのかもね」
滅多に感情を表に出さない人だからと――――私はそんな彼に甘えていたのかもしれない。レグラスの気持ちを考えようともしなかった。自分が彼の重荷になっているだなんて、想像したことも無かった。
(私はずっと――――自分が中心の世界に生きてきたんだ)
そう思い知る。
「ありがとうね、ジェニー」
そう伝えると、ジェニーは朗らかな笑顔を浮かべた。
***
そんなやり取りをして、半年が経った。
「姫様? 一体どうなさったのですか?」
レグラスが怪訝な表情でそう尋ねる。
未だ私は、彼が私との婚約をどう思っているのか、話が出来ていなかった。母の妊娠がどこまで無事に進むか分からなかったし、そもそも生まれてくる子が女の子なら、現状維持で許される筈だもの。
『婚約破棄をするとして、陛下と王妃様には事前に相談しない方が良いわよ。お心を煩わせてしまうから』
ジェニュインのそんな助言もあって、両親にはこのことを相談できていない。妊娠中は少しの心労がお腹の子に大きな影響を及ぼすこともあるというから、ジェニュインの言うことはもっともだと思うのだけど、その分思い切ることが出来ない。相変わらず、彼が感情を表に出すことは無かったから。
「あっ……えぇと、母のお腹の子が男の子だって確定したらしくて。そのことについて少し考えていたの」
聖女の力というのは侮りがたい。つい先日、ジェニュインは大きくなった母のお腹に手を当て『男の子だ』とそう断言した。
性別は伏せられているものの、現在では国中の皆が母の妊娠を知っている。世論が『男の子の出産』を向かっていることは、最早疑いようのない事実だった。
「ジェニュイン様がご覧になったのですか?」
「えぇ。赤ちゃんが大きくならないとハッキリ見えないらしくて。ようやく間違いないって言えるまでになったらしいけど」
「そうか。あの方がそう言うなら、間違いないのだろうな」
そう言ってレグラスは、薄っすらと笑う。その瞬間、胸が音を立てて軋んだ。
瞳がレグラスに釘付けになる。彼はどこか遠くを見つめるような目をして微笑んでいた。
(レグラスのこんな表情、見たことがない)
嬉しそうな――――どこか愛し気な彼の表情が、一体誰に向けられたものなのか。
『あの方がそう言うなら、間違いないのだろうな』
頭の中で、レグラスの言葉が木霊する。
(もしかしてレグラスは)
ずっと、自分の想いを抑えてきたのだろうか。私が彼と婚約してしまったから。他に好きな人がいるのに、ずっとずっと――――。
「それでね? レグラス――――ずっと考えていたのだけれど」
「はい、何でしょう?」
答えたレグラスは、既にいつも通りの彼に戻っていた。感情の見えない、人形みたいな顔。何度か深呼吸をし、私はそんな彼と向かい合う。喉がカラカラに乾いて、心臓が嫌な音を立てていた。
(だけど、もしもレグラスが幸せになれるなら)
彼が心のままに笑えるようになるなら、こんな痛み、かすり傷だ。
「――――私達の婚約を破棄したいの」
静かな部屋に私の声が木霊する。レグラスは小さく目を見開いていた。私のことでも心動くことがあるのかと――――そう思うと少しだけ気持ちが救われる。情けない顔をした自分を見られずに済むよう、私はそっと踵を返した。
「生まれてくるのが弟なら、私が女王になることは無い。だったら私は、国益に繋がるよう他国に嫁いだ方が良いと思うの」
尤もらしい理由を口にして、私は笑う。
正直言って、レグラスと婚約破棄をしたら、国内外を問わず、私と結婚しようというものは出てこないと思う。今の私は、自分の結婚が相手に迷惑を掛けるだけだと分かっているし、疵のついた王女を引き受けたいと思う者はそうはいない。それに――――。
(私――――レグラスのことが好きだったんだ)
純然たる政略結婚だったし、彼が自分の心の中を私に見せてくれることは無かった。けれど、それでも私は彼が好きだったのだと気づく。
(気づいた途端に失恋するなんて、相当馬鹿だけど)
きっと、私は彼以外の人との結婚を受け入れられない。だったら、結婚せずに王族として公務を行う方が良いだろう。
(いや――――それはそれで、税の無駄遣いってことになるんだろうか?)
そう思うと、つくづく、自分が人に迷惑を掛けるだけの存在な気がしてきた。正直言って泣きたい。泣いた所でどうにもならないと分かっているけれど。
「お話は以上ですか?」
背後から淡々としたレグラスの声が聞こえる。私はコクリと頷いた。今は声が出せない。目頭がツンと熱くなった。
「だったら今度は、俺の話を聞いてもらえますか?」
その瞬間、ふわりと身体が宙に浮く。見ればレグラスが、私を抱きかかえていた。
「えっ? えっ……⁉」
突然のことに目を見開き、私はレグラスの腕の中で身動ぎすることしかできない。
「あなたを唆したのは、ジェニュイン様ですね?」
部屋を出て、城内を速足で移動しながらレグラスは尋ねる。背後を追う護衛の騎士たちも、驚きの余り顔を見合わせていて、何だか物凄く恥ずかしいし居たたまれない。
「唆しただなんて、そんな―――――ジェニーはただ、私に事実を教えてくれただけで――――」
「『事実』は、俺の中にしか存在しません」
そう言ってレグラスが向かった先は、ジェニュインの私室だった。
「レグラス様⁉ それに、シュリも……。一体、どうなさったの?」
ジェニュインはレグラス様を見て瞳を輝かせたかと思うと、次いで私の存在に気づき、表情を曇らせた。
「姫様に婚約を破棄したいと言われました」
レグラスは私を抱きかかえたまま、そう口にする。こちらの身が竦むほど、凄みの効いた表情。ブルりと身震いしつつ、私はレグラスとジェニュインを交互に見た。
「まぁ……! ご心痛、お察ししますわ」
「え……?」
思わずそう口にし、私は首を傾げる。
ジェニュインならば『おめでとう』と、そう言うだろうと思っていた。だって、レグラスにとって私との結婚が重荷でしかないと、そう言ったのは他でもない彼女だもの。
「まさに心痛だな――――姫様から婚約を破棄されたら、俺があなたと結婚するとでも思っていたのですか?」
レグラスの言葉に、ジェニュインは弾かれたように目を見開く。彼女の顔は真っ赤に染まり、唇は真一文字に引き結ばれていた。
「そんな――――わたくしはただ、王配になれないなら、王女との結婚はお相手の負担になるだけだと――――そう事実を教えてあげたまでですわ」
心外だとでも言いたげに、ジェニュインは首を傾げる。
「俺がいつ王配になりたいと言った?」
「え?」
「そんなもののために、俺は努力をしてきたわけじゃない」
そう言ってレグラスは私のことを真っ直ぐに見つめた。普段とは違う、熱っぽい瞳。眉間に皺を寄せ、苦し気にこちらを見つめる彼に、こちらまで胸が締め付けられる。
「俺はただ、姫様の――――シュリズィエ様に相応しい男になりたかっただけだ」
レグラスの言葉が真っ直ぐ胸に響いた。瞳がじわじわと熱くなって、息苦しい。思わず目を背けようとした私にレグラスは「ちゃんと俺を見てください」と、そう言った。
「ジェニュイン様――――数年前からあなたが陛下と王妃様が子を授かれるよう、助力してきたことは知っています。お二人の希望に沿ったものですし、そのこと自体を責めるつもりはありません。
けれど、俺の気持ちを勝手に決めつけ、姫様の心を傷つけたことは許せない」
ジェニュインは顔をクシャクシャにし、勢いよく部屋を飛び出す。私は呆気にとられたまま、レグラス様の腕に抱かれていた。
***
「どうして分かったの?」
「ん?」
「婚約破棄の理由――――私が嘘を吐いているって」
ようやくレグラスの腕から解放された私は、彼と二人、何となしに庭園を歩いていた。レグラスはほんの少しだけ目を細めて私を見つめ、その場にゆっくりと立ち止まる。私も彼に合わせて歩を止めた。
「姫様が国を大事に思っていることは分かっています。けれど、本来のあなたは国益のために自分の幸せを諦める方じゃありません。陛下と王妃様の仲睦まじい様子を側近くで見てきたあなたが、温かい家庭に憧れているのは知っていましたし。初めに王妃様の妊娠の報告をしてくださった時も、そんな様子はおくびにも出していませんでしたから。
だから、あなたがそんなことを言い出したからには、唆した人間が存在するに違いない――――ジェニュイン様が俺に懸想していることは知っていましたし、状況から判断して彼女に間違いないだろうと、そう思ったんです。姫様は純粋ですから、言われたことをそのまま信じたんだろうと」
そう言ってレグラスは私の手をギュッと握る。途端に心臓がバクバクと鳴り始めた。対するレグラスは実に涼し気な表情で、何だかとても腹立たしい。先程の告白は嘘だったんじゃないか――――ついついそんなことを思ってしまう。
「俺は感情を表に出すのが苦手だから――――コロコロと表情の変わるあなたに惹かれたんです」
まるで私の頭の中を覗いたかの如く、レグラスはそう口にする。ボンと音を立てて身体中の血液が沸騰する気がした。
「姫様が王位を継ぐために並々ならぬ努力をなさってきたこと、俺は知っています。苦労を見せず、弱音も吐かず、いつも素直で明るくて優しい姫様が、俺はずっと好きでした。あなたが王位を継ぐところを隣で見たいと、ずっとそう思っていました。
けれど、それと同じぐらい、俺は女の子としての幸せを手にしたあなたが見たい。俺の手であなたを幸せにしたいと、そう思ったのです。
国益がどうだとか、俺が誰にも言わせません。その分、俺が頑張ります。だから、あなたはただ、幸せになって良いんです」
そう言ってレグラスは、私の左手薬指に唇を寄せる。ほんのりと温かい口付け。春が訪れたかのように、心の中が穏やかで幸せな気持ちで満たされた。
「――――レグラス」
「はい」
「これからはもう少し小出しに――――情報過多で、頭が付いて行けてないから」
彼の表情が移ろうのも、こんな風に言葉を贈られるのも、全部初めての経験だもの。正直言って容量オーバーだ。そう思っていたら、レグラスは小さく声を上げて笑った。
「はい。そう致します」
目尻に涙を浮かべて笑うレグラスなんて、これまで全然見たことがない。優しくて穏やかで、愛情に溢れていて――――でも、それこそ、私が知っているレグラスだ。気づいたら私は、彼の胸に飛び込んでいた。
「ねぇ……今度は、私の話を聞いてもらえる?」
レグラスの背に腕を回しながら、私は尋ねる。彼はほんのりと首を傾げ、私のことを真っすぐに見つめている。その表情が堪らなく愛しい。
「レグラスのことが好き!」
言えば、レグラスは花が綻ぶ様に微笑み、私のことを力強く抱き締めるのだった。
この度は本作を読んでいただき、ありがとうございました。
もしもこのお話を気に入っていただけた方は、ブクマや評価(下方☆☆☆☆☆)にてお知らせいただけると、今後の創作活動の励みになります。
また、新連載『死に戻り皇帝の契約妃』のリンクを下記に貼っております。こちらの方もどうぞ、よろしくお願いいたします。