一歩踏み出してしまったがために、僕は溺れた
会がお開きになると、僕は楊達と彼の家へと皆で歩いた。
気づけば山口の足取りが悪い。
「かわちゃん、少し、あの、少し、淳平君と、あの、少し二人で歩きたいけどいいかな。」
「百目鬼に叱られないように、ちょっとだけだぞ。」
夜道で顔に影が降りているけれど、山口が微笑んでいるのが分かった。
僕達は楊達を見送ると少し歩いて、外灯の照る歩道の縁石に仲良く腰掛けた。
僕はそっと隣に座る山口の膝に右手を置いた。
僕の手のひらに彼がビクッとした感触が伝わり、嫌なのかと右手を引くとギュッと手を握られた。
けれど彼は僕から顔を背けたままだ。
「淳平君。僕は君の顔に惚れた訳じゃないから。いい加減にこっちを見てよ。」
彼はびくっとして、ゆっくりと僕に顔をむけた。
僕に隠していた右の顔半分は赤黒く腫れて、痛々しいほどに片目の瞼が腫れて垂れ下がっている。
その瞼の下の右目は真っ赤だった。
常人よりも強い死人の力をモロに受けたのだ。
顔面骨折や眼球破裂が無かったのは幸いだ。
僕はそっと彼の頬に、彼に捕まれていない左手を当てた。
そのせいで抱き合っているかのように向き合ってしまったが、仕方が無い。
山口は僕の手にしっかりと顔を寄せてゆっくりと瞼を閉じ、そんな彼の顔は幸せそうだ。
ツっと僕の手から腕へと彼の血が伝う。
そして、僕が手を外した時、内出血の腫れが少しだけ引いて、顔から赤黒さが薄くなっていた。
瞼の腫れはかなり引いている。
右目の充血はなくなり綺麗な白目と褐色の瞳だ。
「まだ痛いでしょうけど、少しは楽になったでしょう。」
喜ぶどころかハっと自嘲するような笑い方をすると、山口は僕を立たせることもなく一人で立ち上がってしまったのだ。
「じゃあ帰ろうか。」
僕はガッカリした気持ちで、彼に抗議の声を上げた。
「楽になったらキスをしてくれると思ったのに。」
山口はピクっと止まり、グルっと振り向いて僕を見下ろし、今日初めて僕をしっかりと真正面から見つめた。
それはもうまじまじと。
「せっかく皆と離れたのに残念です。キスが出来るようにって、それで痛みも取れるだけ取ったのに。」
僕も立ち上がろうとしたが、上から体を押さえつけられた。
僕を抑えている両腕はかなりガクガク震えている。
山口はむせるようにして笑っているのだ。
「僕はそんなに変なことを言いました?」
山口は頭を振りながら再び僕の隣に腰を下ろした。
隣に座った彼は、赤黒い痣を僕にしっかり見えても真正面から僕を見つめ、そしてそっと目を瞑った。
僕も目を瞑り、そっと彼に近づいた。
柔らかい彼の唇があたり、そしてぎゅっと抱きとめられると、何たる事、彼の舌が僕に侵入して来たのだ。
どうしよう。
脅えて逃げる前に、彼の舌が僕の口中を探り、その感触に僕の背骨というか横尻から腰に掛けて感電したみたいにびりびりとしてしまった。
彼は僕から唇を離した。
それから僕からすっと顔を上げて僕の様子を確かめてきた。
たぶん僕は目を見開いて固まっているはずだ。
そんな僕の頬や唇を優しく手の甲や指先でなで上げて、山口はふっと笑みをつくると再び僕の唇を塞いできた。
僕は力が抜けてしまって、山口に両腕でしがみ付く。
溺れる人間が必死に助けに縋るようにして!
どうしよう。
僕はここから動けない!
僕は楊が以前に言った「普通はご飯よりも恋人を取る。」の意味を知ってしまったのだ。
どうしよう。
お父さんごめんなさい、だ。 (終)




