祈りをあげても十月は神無月
急に病室が僕にとって怖いところとなった。
僕に優しかった髙も楊も恋人でさえ、僕をじっと凝視しているのだ。
そして、帰り支度をしていた父親が、全部話すまで帰らない、とまで宣言した。
僕に何を話せと?
「すいません。期待されている話さないといけない全てって、何でしょう?」
僕の返答に一瞬ポカンとした良純和尚は、え?、と彼らしくない返しをした。
彼は髙でペースをずいぶん乱されているなぁ、と髙をみると彼もそんな、え?という顔つきをしていたのだ。
「ねぇ、淳平君。警察官を媒介にしてばら撒かれた呪いで町中が呪い一杯な事以外で、他にも何かある感じなの?」
僕は自分と同じように見える恋人に尋ねてみた。
山口は僕を見てハハっと乾いた笑い声を立てると、パシっと軽く僕の頭を叩いた。
どうして!え?
「僕、言いませんでしたっけ?だから最初は署に絶対に行かないで相模原市からも出ましょうって、危険だからって。え?」
すると、珍しく髙と良純和尚が同時に、あー!と大声をあげて、顔を覆ってしゃがみ込んだのである。
「そういえばそうでしたね。玄人君が来たがらない説明がそんな話でしたね。」
両手で顔を覆った髙が、向かいでしゃがんでいる良純和尚に呟いた。
「畜生、忘れていた。」
良純和尚は片手で自分の顔を拭うと、さっと立ち上がった。
「え、何の話?ヤバイの?凄いヤバイ感じ?」
ベット上の病人は警部と思えない口調で二人に問いかけ、答えたのは山口だ。
「署は平穏に戻りましたが、そこかしこで乱闘や夫婦喧嘩などの軽微な騒乱、軽微な接触事故などが多発しています。加瀬の行方を追うよりもそちらの方で人員が割かれてしまいました。署長は特対課も加瀬の追跡を一旦停止して、所轄内の騒乱を抑えろって。それでかあ。あの町中の騒ぎ。」
自分でも納得したように最後の言葉を言うと、彼はトスンと椅子に座った。
そして、僕を見上げて、ごめん、と謝ってきた。
「本当にごめんね。まさか、髙さんや良純さんが抜けているとは思わなかったんだ。」
「抜けているのはいつも僕の方だと?」
彼は、あ、という表情になり、僕から目をそらして顔までも背けた。
ぶっと、よくこんなに笑えるなぁと目の前の男を見直すと、噴出していたはずの楊は真面目な顔付きになり、その顔のまま僕をじっとみつめてきた。
「どうすればいいと思う?ちび。」
僕は瞼を瞑り、町を見通した。
僕の瞼の裏に映る映像は、まだ殺人という陰惨な事件を起こす者はなく、理由もなく胸にわき出す憤懣にどうしていいのかわからず右往左往する人々の姿だった。
「小さな呪いでイライラが募っている状態ですから、何か気分転換か意識をそらせればいいと思います。」
僕の答えに、楊が悪戯な表情をしてプスっと軽く吹き出した。
凄く悪いことを思いついたようで、彼の両目はキラキラと煌めいている。
「ちび、町中を放電出来るかい?軽く。誰も怪我しない家屋も壊れないくらい。それで雨を降らそう。」
「雨ですか?」
「そう、大雨。お前のヘビ神様なら降らせられるだろ。」
楊は僕のオコジョを町中に放って、ショバ荒しに怒った神様に雨を降らせようと考えたようだ。
僕の周りのオコジョ達は楊の発言を聞きつけて仲間を呼び出し、いつの間にか数十匹くらいが楊の周囲に集まって来たのである。
そして彼の体にまとわり付いてワクワクしている。
彼も見えればいいのに、……見せようか。
できるかな?
「うえ。」
小さな叫びは見える僕の恋人であり、僕の隣でオコジョ風呂状態に引いていた。
僕は再び楊に向き合うと、期待顔の楊に彼の提案について答えた。
「無理ですよ。」
オコジョ風呂に浸かる男を見下ろして断言した。
するとオコジョ達は、主人の僕に対して、えぇー!という不満顔を一斉に見せつけてきたではないか。
でもダメなの!
「雨は無理です。ヘビ神様のこちらの陣地は、以前白波が建てた祠の半径一キロだけです。それにこの土地の神様もいないから、水神だとしても雨は降らないでしょうね。」
「どうして神様がいなくなっちゃったの?」
楊に僕が答えるまでも無かった。
博識の禅僧が答えたのだ。
「神無月だろ。神様は皆出雲に出張中だ。」
「え、でも、クロトのヘビ神様はいるでしょう。ほら、お使い様が来ている。」
山口の指した方向には、いつのまにか小さな蛇がとぐろを巻いて僕を期待している目で見つめており、僕はガクッとしながらその場に膝を付いた。
チクショウ、ヘビめ。
母の実家が守る神社のヘビ神様はとても古いのか出雲の神様と契約していない。
無名の神様だからこそ出雲に行かない。
今回は人間の思惑を利用して、弱った土地神に恩を売るのか、陣地を奪うつもりなのか。
あの神様はヤバイ。
明治維新の波に乗って神社の整理が日本各地で行われ、白波神社にも新しい神様の看板と神主がやってきたが、新しい看板は一夜にして黴塗れの真っ黒に染まり、神主一家は全員病気か何かで次々と亡くなったと祖父から聞いた。
何度も言うが、あれはヤバイ神様なのだ。
淳平君、どうしてあんな神様の氏子になっちゃったの?
「どうした?ちび。」
僕は嫌々ながら楊に答えた。
「大雨、いけます。」




