紅蓮(ぐれん)という名の男
楊は自分が閉じ込められた隠しスペースについて、本気で全く知らなかったようだ。
あれは何だ、何のためだ?と彼は言いながら頭を抱え始めた。
「意味なんて無いですよ。電動の隠し棚を作りたかっただけでしょ。あの人はかわさんに似ている所がありますから。」
病室の戸口に髙が立っていた。
「え、もう?早かったね。」
髙の姿に楊は目を丸くしている。
何しろ彼が犯人を追うと姿を消してから二時間も経っていないのだ。
いくらなんでも早すぎだろうと俺も彼を見ると、彼は疲れ切っていて、三十五歳よりも二十は年老いて見えた。
狭い個室で三つ目の椅子が置けそうもないからか、玄人は椅子から立ち上がり、髙に自分の椅子を勧めた。
「良いよ。君こそ怪我が完治していないでしょ。座って。」
玄人にしか見せない父親のような優しい笑顔を彼に向けた後に、髙は俺専用らしき共犯者の視線を俺に送ってきた。
髙の裏家業に付き合うのは骨が折れる。
勘弁してくれよと、俺は思ったまま髙に言っていた。
「ここで話してくださいよ。楊はもちろん、そして、うちの子供も大丈夫でしょう。」
「いえ、椅子が羨ましいなぁなんてね。」
俺がチッと舌打ちをして立ち上がると、ひょいっと髙がそこに座り込んだ。
横を向いてしまった楊は、体を小刻みに震えさせている。
「それで、どうしたのです?」
俺の口調が乱暴なのは仕方が無いだろう。
が、髙から返事が無いと見れば、彼は玄人が冷蔵庫から出した紙パックのお茶をおいしそうに飲んで寛いでいた。
「やめて、髙、やめようよ!百目鬼が可哀想。めちゃ可哀想!」
楊は髙の振る舞いに大爆笑だ。
「葉山さんは大丈夫ですか?」
くすくすと笑う玄人は、それでも心配そうな顔を作って髙に尋ねていた。
葉山は署の混乱が収束した後、自宅を確認に行ったそうだ。
彼が自宅に戻った時には彼の部屋の内部はかなりの被害だったそうで、かなり落ち込んでいたと連れて行った水野から玄人にメールが入っていた。
そこで、楊のせいで俺の車の中は葉山家の荷物で一杯なことを、葉山に伝える事を忘れていた事を思い出した次第だ。
「あいつはかわさんの家に暫く居候で、姉の方も今日はかわさんの所ですけど、明日には姉の方は勤め先の寮に移動するそうです。」
「葉山さんは家族のいない念願のルームシェア生活ですね。」
「そう考えれば良いか。」
髙はハハっと笑って、玄人の頭を幼子にするように撫でた。
「それで、あなたが言いたくない何が起きているのです?」
髙は鼻だけでふーと強く息を吐き出し、唸るように告白した。
「加瀬が完全に姿を消しました。」
楊は髙の報告に、そうか、とだけ答えた。
「あいつが遠峰紅蓮だって?」
「僕にはそう名乗りました。本当の名前だってね。両親の死後に養子になった先で名前を変えられたそうです。まぁ、紅蓮はちょっとね。」
「聖に輝くのまさきも字面がちょっとと思うぞ。錦織は普通は使う事も無い蒼に煌くでそうせいだったし、こいつは玄人と書いてくろとだろ、名前が悪いんじゃねぇか?」
玄人は俺を見上げて、ヒドイ、と呟いた。
「え、でもさ。こいつらはキラキラネーム世代だろ。こんなもんじゃねぇ?」
玄人は楊の言葉にガクッと頭を下げた。
それから、ああ~と、何かの符号が合ったという風な声をあげたのである。
「どうした?クロ?言ってみろ。」
「……あの、思い出したんですけどね、僕の小学校のクラスは長男長女一人っ子が多くてキラキラネームが多かったんです。」
何か重要な事かと俺達は耳を澄ました。
「それで?」
「それで、でも、下に弟妹がいる子の弟妹の名前が皆まともで、親達はキラキラネームの格好悪さに気づいたんじゃないかって。今、思い出しました。家族の中で一人だけ変な名前って、歪みますよね。」
虐めをしていた子達の歪みは名前のせいかと続けて、玄人はハハと笑う。
「どうでもいいよ。」
楊が玄人に酷い言い方をするが、馬鹿な子に期待した俺達が馬鹿だったんだ。
「あの加瀬が犯人で確定か?」
楊も髙も加瀬を気に入って可愛がっていたからこそ辛いだろう。
そんな俺に答えたのは二人のどちらでもなく玄人だった。
「加瀬さんは変容しちゃったのですね。」




