病室にて
「間抜け。」
楊は俺の罵倒を受けて、とても嬉しそうに笑った。
ようやく人心地がついたらしき楊は、病院の狭い個室のベットでだらりと病院支給品の病衣姿で転がっている。
左腕には点滴が刺され、一晩の強制入院には訳がある。
狭い空間におかしな格好で長時間閉じ込められていたために、今は元気そうでもかなり体は衰弱していたからだ。
山口が心配していた通りに、脱水症状に陥っており、さらに同じ姿勢で半日以上閉じ込められていた事により、エコノミー症候群の恐れありの経過観察の入院だ。
俺は背もたれのない丸い座面のパイプ椅子を二客並べると、ベッドに横になる楊を動物園のパンダを見る様な感じで玄人と隣同士に座った。
「リンゴの皮でも剥いてやろうか?それとも餌はあげないでください状態か?」
「うっさい。リンゴは葉山に剥いてもらうからいらん。でさ、ちびさ。俺が生きているのが判っていたなら、みんなに最初に言えば良かったじゃん?」
「生きているのは判っていたけど、髙さんからかわちゃんの死んだ姿しか見えなかったんです。それに実際に署長室にいるのはわかっていたけど、どこかまではわからないから、下手な動きができないなって。」
「後さ、変なヤツがいると思っていたんだったら、尚更全員連れて来ても良かったじゃん?どうして選択が水野?」
「犯人の悪意が凄いかなって。悪意が全員に貼り付いたら大変だなって。みっちゃんは感情を表に出せるから悪意が貼り付き難いでしょう。それと、葉山さんは本当に狙われて恨まれていましたからね。あぁ、そうだ。葉山さんが恨まれていたのはどうしてですか?」
玄人の問いに、楊は大きな目玉をぎょろりと回して見せた。
「お前も俺も真っ当な人間でしょう。そんなロクデナシの考えなんか判るわけ無いじゃないの。」
「そうですよね。」
玄人はそう言ってから俺を見上げた。
「俺だってわかるかよ!ろくでなしはお前こそだろ!」
「酷いです。僕はろくでなしとかでなく、良純さんは何でも知っているからって。」
「ああ、悪かった。今晩はお前の好きなものを作ってやるから。」
俺は玄人を宥めるために抱き寄せたが、そこでハッと気が付いて楊を見返した。
……奴は、楊は、俺と玄人のいつものやり取りに大爆笑をしていた。
「煩いよ、かわちゃん。お前のせいで髙がボロボロだったんだからな。」
髙は楊の死体らしきものを目の当たりにして、一切自分で考える事を放棄してしまったのだと自嘲していた。
あんな髙は初めてだった。
病院に運ばれた時点での楊は、見た目以上に危険な状態であり、救助時に山口が楊が死ぬと大騒ぎしていたその通りだったのである。
髙は楊が病室に落ち着いた姿を見て、犯人確保にようやく動き出した。
「ふふ。署長は無事でよかったよ。」
「そうなのか。ベッドのお前がよく知っているな。夢か?」
「違うでしょうよ!僕ちゃんはベッドに縛り付けられた身の上だからこそ、安楽椅子探偵に任命された輝ける課長さんなんです。」
楊はそう言いながら業務用のスマートフォンを俺に翳して見せた。
それは一般人に見せちゃ駄目な奴じゃね?
彼にそう言ってやりたいが、楊が本気で窓際になりたがっている事も知っているので、俺はそれを見なかった事にして、署長について話せと言うに留めた。
楊の話の内容では、島流れ署の署長は、人知れず切れ者だった模様である。
彼は早朝に暴漢に襲われた後、自力で脱出して人質も助けだしたそうだ。
その後は何事もなく署に戻ると、署内の出来事を一般人を交えた抜き打ちテロ訓練と近隣と本部に説明し、倒れた死人の肉芽を植え付けられた十五名を違法薬物の集団摂取に片付けて病院送りにしたそうである。
「何事も無かったにするには、署長室の遺体は問題だろ。どうするつもりだ。」
楊はハァと溜息をつくやごろりと俺に背を向けて、そのまま寝たフリをしはじめた。
俺は立ち上がって楊の耳元に囁いた。
「いい寝顔だ。キスしてやろうか。」
パッと目を見開いて、俺に脅えた顔を向けた楊には俺も玄人も大笑いだ。
俺は悠然と椅子に座り直し、楊はそんな俺を頬を膨らまして睨んでいる。
「で、なんだ?」
「もう!あのさ……外で言わないでね。」
「俺にはお前以外の友人がいないから大丈夫だ。」
「ばか。」
楊は俺を軽く睨んでから呟くように罵倒し、それからいつもの調子で答えた。
「遺体安置室にそ知らぬ顔で運んで、自宅で自殺したものとして処理でしょ。署長室は綺麗にお掃除。あの隠し棚の大穴はどうするのかな、って言うか、あれは何のための棚だ?なんであんなのが署長室にあったの?」
楊は俺に説明をしながら、自分の署の設備が良くわかっていなかった事実に気が付き、悩み始めたようである。
確かに、あの棚は何のためだったのだろうな。




