奥底からの呼び声
楊が殺されていた署長室。
俺と髙を楊の遺体から視線を動けなくさせているこの事態に、玄人と山口だけは室内で蠅を追うようにして視線を動かしていた。
そんな玄人の視線は、今や一点に留まって動かなくなった。
縦長の広い部屋は、ドアを開けて前面には窓という教室か会社の一室の様な作りであり、その部屋の左側のスペースに本棚や署長用デスクが、右側に来客用の応接セットが置かれている。
右側の廊下側の壁には警察の署長室らしく大き目の棚が置いてあり、小学校の校長室のようにして何かのトロフィーや賞状らしきものや、この署の歴史的な何かの写真などが展示されていた。
また、小学校の教室と違う所は、室内の壁には壁紙というものが貼られており、その壁紙が白一色どころか薄緑色の落ち着ける色合いの凹凸加工のあるものだったところだろう。
そして、右側の廊下側ではなく隣部屋との境となる壁には、窓側となる場所にドアがあり、署長室の隣の資料室と繋がっているのだと気が付いた。
楊が倒れているのはデスクと応接セットの間の空間であり、玄人が見つめているのは右側の応接セットがある側の、資料室と署長室を隔たたせている壁である。
壁に向かって左側、廊下側に近いがドア一枚分は隔たっているだろう、そこ、だ。
それに山口も気づき、彼は玄人に鼠を返した。
それから山口は、なんと、署長席のデスクから椅子を引き出した。
山口が引き摺り始めた椅子は一本足のもので、下部にはキャスターが付いているというただのオフィス用品だった。
背もたれや座面は少しは高級そうでもあるが、使い勝手の良さそうな品を愛用している所に、俺は姿の見えない署長に少しだけ好感が湧いた。
そして山口は椅子を引き摺りながら、玄人が見守る壁へと動き始めたのだ。
あの、いつものスマイルマークの顔つきで、だ。
彼は何だって攻撃できる、公安の人間兵器に戻っているのだ。
「かわさん、絶対に動かないでね!」
掛け声とともに、彼は背もたれを掴んで待ちあげた椅子を、大きく勢いをつけてキャスターのある金属部分を壁にぶつけた。
バキャっと大きな木が折れる音が響いたとおり、山口が叩きつけた椅子の足はかなり深く壁にめり込んでいる。
髙も水野も俺もあっけに取られている間に、山口は椅子を引き出し、そして、壊れた壁の壁紙を剥がしながら、その下の板をも剥がし始めたのだ。
板か?
コンクリ製の建物だっただろうに?
俺は彼の行動に希望を感じながらそこに急ぎ、彼と一緒に板を剥がそうと手をかけた。
手に触れた板は安っぽく、近所のホームセンターで簡単に買えるだろうものだった。
それでも素手で破れるはずもなく、俺が山口を見れば、彼の手のひらが真っ赤に染まっているではないか!
俺は山口を背中から抱き締めていた。
「この馬鹿!」
「ちょっと!俺が死んじゃうって。まじやめて!なんかスイッチあるはずでしょ!」
俺が山口の後ろから彼の両腕を掴んで押さえたと同時に、壁の奥にあるらしい空間から聞き覚えのある声がくぐもって聞こえた。
俺は足の力を一瞬だが失った。
力を失った俺は山口の両の手首から手を離した代りに、倒れる代わりに彼の二の腕の辺りの自分の両腕を回してしがみ付いた。
つまり俺は彼を後ろから抱き締めている格好となっていた。
しかし自分が格好悪いと考えるどころか、山口を後ろから抱き留めていて良かったと、俺は彼を自分を支える柱にしながら楊が生きていた事に安堵の感謝を捧げていた。
俺の腕の中の山口も俺に感謝していた事だろう。
彼は俺の胸に寄りかかっているのだ。
「おーい。思いっ切り助けるの中断してるけどさ、早く出して!」
「悪いな。俺と山口はお前のせいで人の字の造りを実感中だったんだよ。なあ、山口。互いに支え合うって本当だな。」
俺の腕の中で山口は震えていた。
安堵からによる泣き笑いをしていた彼は、すんと鼻を啜り、板で裂けた手の平でなく、手の甲で涙を拭いた。
その素振りが小学生ぐらいの子供にしか見えなかった。
俺は玄人にするみたいにして、山口の頭を軽く撫でた。
「この馬鹿がよ。」




