玄人という俺の子供
迎えは要らないと山口に連絡した。
直接葉山の所に行くから気にするな、とも。
先日の事件で行方不明だった赤ん坊の行方の追跡と、自殺した女の妹が起こした事件で相模原東署は大わらわなのだそうだ。
丁度いい。
子供がこれ以上山口にのめり込まれても困るのだ。
玄人は小学校時代の虐めの後遺症か、同年代とは付き合えない。
その為、ほんの少し前まで、友人が一人もいない身の上であった。
そこに一途に「愛している。守る。」と付き纏い、遊び相手もしてくれる同性愛者が現れれば、彼がほだされるのは当たり前だ。
玄人はちゃんとした友情も知らない馬鹿な子供なのだ。
恋愛の進み具合を管理するのは、子を想う親として当たり前だろう。
「ふわっとしました。」
足の痛みで動けなくなった玄人を風呂に入れていたら、彼が急に語りだしたのだ。
全身を泡塗れの全裸の美女にしか見えない姿で、洗ってやっている俺を仰ぎ見るようにして、唇をキスを強請るようにほんの少しだけ突き出して、ふわっとしました、だ。
「良純さんにキスされた人達がヘロヘロになるって言っていた理由がわかりました。皆あんな感じに、ふわっとなってしまうのですね。」
指を絡めた両手を口元に当てて、夢見がちに馬鹿は呟いた。
この状況でその話題は止めようよといなしかけ、俺は気になっていたことを聞いた。
「潔癖なお前が舌を入れられても大丈夫だったのかよ。」
彼はげっと蛙の様な声をあげ、蛙のように顔を歪めた。
「淳平君はそんなキスはしません。」
偉そうに玄人は答え、俺は心の中で山口の忍耐力に拍手を送ってやった。
だが、そこまでだ。
唇が触れた程度の接吻でこんなにフワフワする馬鹿ならば、次はパンツを脱がせるぐらい簡単だろうと俺は気づいたのである。
俺はまだこの子供を子供のままにしておきたい。
「明日は俺も葉山に会いに行くよ。真砂子は誕生日よりも葉山の様子に心配している節があったからな。」
玄人は反対すると思いきや、俺を尊敬するように仰ぎ見た。
「さすが良純さんです。優しいです!」
それから、てへっという感じで右手の拳で自分の頭をこつんと軽く叩いた。
誰もが苛つく素振りであるが、俺は玄人ならば可愛いと思ってしまった。
「なんかあるのか?」
「ええと。淳平君のお迎えじゃなくなって良かったなって。僕はあの、もう少し進みがゆっくりな方がいいなって思っているので、明日の淳平君と一緒の時間は、あの、ちょっとどうしようかなって。実は不安だったんです。」
そう言って俺を見上げている彼の両目どころか顔じゅうには、俺に全幅の信頼を置いているとでかでか黒々と書いてあった。
泡だらけで物凄くいやらしく見える美女の肢体で。
俺は玄人の頭に乱暴にお湯を掛けてやるのが精一杯だった、と思い出す。
「良純さん、自殺した人の妹の事件って、一体何があったのですか?」
玄人の質問が俺の昨夜のもの思いを破った。
俺は運転する車のハンドルを握り直し、玄人がこの事件を気にするのは仕方が無いと溜息を吐いた。
俺が最近手に入れて言い値で売ることも出来た物件は、賃貸者に自殺されたがゆえに事故物件となってしまったマンションの一室だった。
その他人の家で自殺したはた迷惑な女は、自分には予知能力があると思い込み、危険から呪われた人を救おうと自分で編み出した呪術とやらを施していた。
それが他人の呪いを被害者に繋ぐだけだったと知らずに。
いや、知ったのだろう。
知ったからこそ彼女は自殺したに違いない。
俺は以前にその女の遺書ともいえるビデオレターを髙に見せられ、その動画の中では彼女は自分がしてしまった行為を嘆き悲しんでいた。
その悲しむ彼女の後ろでは、虫ピンで壁に刺された虫達が体液を迸らせながら――。
「大したことじゃねえよ!」
俺は思わず大声を出していて、助手席の玄人がびくっと震えた。
「悪い。考え事をしていた。死んだ女が自前で製作していたおまじないが気味が悪かったものでね。まあ、だから他人の呪いを成就させる手助けにもなったのだろう。」
「あの部屋はそんな状態だったのですね。」
玄人は軽く目をつぶった。
この状態の時は、霊的な何かを探索している時のものだ。
彼の唇は、誰かと話し合っているかのように、細かく動いている。
「何か見えたか?」
「ふふ、見えました。素人臭い思い付きが。」
玄人はぱっと両目を開けた。
その顔は悪辣そのものだった。
彼は普段は世界にビクビク脅えている癖に、その世間の人達が脅えている呪術に関してはかなりの自負があるらしく、呪術者として振舞う時は普段には無い自信に溢れる。
彼は今の自分が、どれほどに魔人めいて美しく見えると、知っているのだろう。




