決まった日付が祝日の方が良かった
十月十日は何の祝日だったっけ?
「何のイベントですか?」
「馬鹿、体育の日だって。もともと十月十日だったのが、十月の第二月曜日に設定されちゃったの。十日がちゃんと旗日ならば遊びたいと思わない?」
魅力的な男が空のちゃぶ台に身を乗り出して、朝刊の隅にある記事を指差して僕に見せつけた。
彼が指すそこにはオリンピック公園で行われるスポーツイベントの記事だった。
プロサッカー選手に教えを請うイベントは申し込みの上の抽選であったが、それ以外のスポーツは当日参加が可能で、何よりもそれぞれ引退した有名選手の名前がある。
僕はスポーツもスポーツ選手も興味が無いので、楊から初めて聞いた単語を尋ねていた。
「ハタビって?」
「祝日のことでしょう。昔は祝日には国旗を車や家の玄関に飾ったんだよ。それで祝日の事を旗日って呼んだりするの。」
「それでかわちゃん家は時々玄関にロシア国旗と日章旗が飾られるのですね。でも、どうしてロシア国旗?千代子さんがロシア文学の教授だから?」
楊の祖母はロシア語が堪能なロシア文学の教授であるからか、以前に彼が育てていたロシアンブルーの子猫を「お前じゃ育てられない。」と取り上げた人でもある。
こしあん色のネズミにしか見えなかった子猫は、今や命の恩人の楊に出会うと威嚇するほどたくましくなったらしい。
「うーん、ロシア国旗はだからなのかなぁ。昔はいろんな国旗が飾られていたんだよ。そもそも自分の国の国旗を飾れないから嫌だと声があがったのが、日本が旗を飾らなくなったきっかけでしょう。ばあちゃんがね、だったら他の国の国旗も一緒に飾ればいいでしょうってね。旗を飾るのが好きな我が実家は、それでいろんな国の国旗を一緒に飾るようになったんだけどさ、ソビエト崩壊からロシア国旗一択になったのだよねぇ。」
「それでかわちゃんはロシアのパワーメタルバンドが好きなんですね。」
僕がかわちゃんと呼ぶ、僕よりも十は年上の男はそっぽを向いた。
「どうしたの?」
「うるせぇよ。俺はクサメロが好きなだけでロシア語なんかひとっつもわからないの。大体よ、アルファベットじゃない文字で、それがようやく読み取れるようになったところで、手に入れたCDを開けてみりゃ歌詞カードが筆記体じゃん。読めないって。俺は十年近くあのバンドを愛しているけどね、歌詞どころか曲名の意味も何一つ未だにわからないからね。いいんだよ。音楽は世界共通語だろ?」
僕はそれなりに努力はしたが挫折した人を目の前にして、音楽は世界共通と語ったバッハはメタル音楽の無い時代の人だからと、つっこむ事が出来なかった。
「おばあちゃんに訳して貰ったら?」
彼は再びそっぽを向いた。
「どうしたの?」
「俺はさ、第二外国語にフランス語を選択してばあちゃんと大喧嘩したからね。役に立たないロシア語よりもフランス語だろうって言っちゃってさ。俺が幼い頃にね、我が家に居候していた変な外国人がさ、女をレストランに誘ってメニューを読めないと格好悪いって言っていたからかな。鵜呑みにして育って馬鹿みたいでしょう。」
「変な外人って、どんな人だったのですか?」
彼は目尻に笑い皺を作って僕ににんまりと笑った。
ごまかす気満々の笑顔だ。
僕をちびと呼んで弟のように接してくれるが、そこまで親しく付き合えたからか、彼の表情には嘘が多いと見破れる事が出来るようになっている。
彼は周囲のためにいつでも微笑む人なのだ。
「まぁいいからさ。行くぞ!オリンピック公園!世界各国の屋台も出てるらしいじゃん。一度参加してみたかったんだよね。」
あぁ、彼は騒がしいものがとりあえず一番の人でもあった。
先週の水曜日に僕が左ふくらはぎを銃撃された事を知っていながら、僕をオリンピック公園に誘う祭り好きの男の名前は楊勝利。
三月生まれの三十一歳と言う若輩ながら彼は神奈川県警の警部で、「特定犯罪対策課」の課長でもある。
刑事である彼は、僕が巻き込まれた事件の報告だと、我が家に昨夜突撃して泊ったのである。
彼の部下で僕の恋人である山口淳平を手土産に。