掃き出し窓のむこう
玄関ドアは解錠されており、葉山と加瀬は手袋を嵌めて足元にビニールを被せると、身分と目的を叫びながら挙がりこんだ。
まず彼らが目指す場所は、通報で遺体があるという庭に面した一階の居間である。
居間は玄関から一直線に伸びている廊下の先だ。
屋内に人気を感じられない事に、葉山は救急隊員が逃げたのは両親までも死んでいる心中現場であったのかもと薄ら寒い想像が芽生え始めた。
葉山の足は早足となって廊下を進み、開け広げたリビングの扉の中に一歩踏み入れた。
葉山が受けた第一印象は、これは何の冗談だ、だ。
普通はリビングにソファを置く場合は、壁際などのコーナーに設置して、フロアに空間を出来る限り取るようにするものだ。
高瀬家のソファは、掃き出し窓から一メートルも離れていない場所に、座った人間に庭を見せつけるようにして置かれていた。
よって葉山が最初に目にしたのは、掃き出し窓によって逆光になったソファの後ろ側であり、そのソファには大人の頭部が二つ見えたという、彼でさえびくりとした情景だ。
「じ、自分で動かしたのでしょうか。」
「何のために?」
加瀬に葉山は聞き返しながら、加瀬が答える代わりに指さしたそれを、目の前のソファに座った高瀬家の人達が眺めているという考えは受け入れられないと首を振った。
そして、葉山はソファへと近づき、ソファに座っている大人二名の見下ろした。
高瀬家の家族構成で言えば、世帯主とその配偶者となる二人であり、彼らはベッドから出て来たばかりというパジャマ姿であった。
彼ら二人の眼はうつろでありながらも、顔は庭にしっかりと向けている。
肩からだらっと下げているだけの両腕の先の両手は、泥と切り傷で汚れていた。
被害者を救助しようとした時によるものか。
パジャマはところどころが破れており、被害者か彼らの血によるものであるのか、そこいらじゅうに赤いかすれを作っていた。
葉山は庭に振り返った。
「あそこに倒れていらっしゃるのが、あなた方のお嬢さんですね。」
葉山の言葉は呟く様なものでしかなかったが、ソファに座る二人がなんの反応もせずに座っているだけだと葉山は二人を再び見下ろした。
先ほどは気が付かなかったが、リビングのフローリングは濡れそぼっていた。
それだけでなく、葉山の革靴を覆ったビニールに黄色の液体のしっぱねがついており、その液体はソファの周囲を濡らして水溜りを作っているそのものだった。
葉山は水溜りに今も雫を落とすのがソファからであり、ソファに座る高瀬夫妻の二人の股の辺りをぐっしょりと濡らしたそのものだと認めた。
「おっと。高瀬さん。高瀬要さん。大丈夫ですか?私の声が聞こえますか?」
「葉山さん。ああ、瞳孔が開いていますね。意識も無いみたいです。」
「ああ、状態がおかしい。急いで救急車を呼ばないといけないね。」
「どうしてあの隊員達はこの人達を放って行ったのでしょう。」
「そうだね。」
「こんなひどいものを見せつけられた人を放っていくなんて!」
葉山と加瀬が居間の窓から庭を眺めて対面することになった娘の遺体は、娘だった肉塊でしかなかった。
珍しくオープン外構ではなくアルミ製の目隠し塀がある庭だったために、芝生の上に横たわる遺体は、遠目では赤茶色の大きめの犬が寝そべっているように見えた。
しかし、犬だろうと、全身から水晶の結晶のようにガラスの棘を生やして生きていけるはずは無いだろう。
身体前面、上半身を集中的にガラスの破片が突き刺さり、被害者の顔も判別できないほどであったのだ。
赤黒い遺体は死後硬直も終わって柔らかそうにぐんにゃりとしている。
遺体に刺さっているガラスは、既に空高くあがった太陽光に煌めき、遺体に刺さっている無数のガラスが剣山のようにも見えた。
その不気味な遺体の姿に、大昔にダイビングして見つけた不気味なウミウシの姿を、葉山は重ねて思い出すだけだった。
異常過ぎる遺体の様に感情が動くことを拒否して、可相想も何も感じなくなっているのだと葉山は自分に言い聞かせていても、声の中には哀れみや憤りをしっかり覗かせている加瀬のようでは無くなった自分に空しさが押し寄せて来ていた。
「水だって留まっていれば腐るんだよね。」
「葉山さん?」
「外に出させてもらいますよ。」
居間の掃き出し窓を開け、葉山はウッドデッキに出た。
ウッドデッキと言っても洗濯ものを乾かすバーを設置できるだけのスペースしかなく、三歩ぐらいで庭に降りる階段があった。
葉山は庭の地面に降り立つと、哀れな遺体の方へと進んだ。




