悪魔は純粋だからこそ
葉山は四角っぽい輪郭でも目鼻立ちが整っているからか、誰が見ても美男子の部類であると俺は思う。
けれど、葉山は黙っていれば堅物にしかみえず、まじめな顔で突っ立っているときなど、顎を少し上げただけで恐ろしいくらいの威圧感を醸し出せるという怖い人にもなれる。
実際はそんな振る舞いなどした事など無いばかりか、他者には気配りばかりの優しい彼は、玄人には竹林に佇む武士などと称されて尊敬されている。
確かに玄人が竹林を想像するように、葉山は涼やかさとしなやかさを兼ね備えている。
俺も玄人の葉山への評価には、焼餅を捨てて素直に頷くしかない。
葉山の美点は、どんな時も他者を貶めずに真っ向から敬意をもって接しようと試み、さらに人に寄り添おうしてくれるという、高尚どころでない点だからだ。
「君を前にしてそんなに嫌な奴でいられるなんて、その隊員は頑なだね。」
「何を馬鹿な事を言い出すの。俺みたいな小物を見たら、誰だって威丈高になりたがるものでしょう。」
「またまた君は。君の清廉潔白な所に誰もが嫌な奴でいられなくなるって言っているの。」
「君は!」
葉山達に苛立ちを隠すどころか八つ当たりの様な格好になっている救急隊員の態度だったようだが、それでも葉山がいつものようにして、ピシッと彼らに頭を下げたのは俺には簡単に想像がつく。
悔しいけれどね、実は俺よりも人間が出来ているんだよ。
そしてやっぱり人間が出来ている葉山は、俺に自分が頭を下げたなど言わなかったが、救急隊員に言い訳はしたと笑った。
「自殺と聞きましたので、まずは僕達だけで現場検証をと思いましたので。ってね。」
「確かに、だね。」
もともと救急隊員の言い分がおかしいのだ。
自殺と通報されているぐらいに確実に自殺の場合は、形式的に刑事立会いの下に医師が簡単な検視をした後に、遺体を収容してお仕舞いである。
しかし、救急隊員と警察無線係の間にはかなりの齟齬があったようだ。
「あれが自殺なんて誰も言っていないですよ。被害者は残念ながら我々が到着する前に確実に亡くなっておりました。そういうことで、我々は戻らせていただきます。」
憤慨したままの救急隊員はそう言い捨てるや、彼らは状況の詳しい報告などもせずに、さっさと車に乗り込んで葉山達の前から立ち去ってしまったのである。
猛スピードで逃げ出して見える救急車の小さくなっていく影を、葉山と加瀬は唖然と見つめるしかなく、音程の変わったサイレンの音だけが彼らに付き纏っていた。
「何ですか?あれは?」
「まあ、彼らは生きている人しか救急車で運べないからね。ウチの鑑識を呼ぶか。」
「現場を見てからにしましょう。ウチの鑑識は怖い。」
「そうだね。」
葉山達がようやく敷地内へと足を運ぶと、最初に目に入ったのは玄関扉に細かくマジック書きされた金色の文字群であった。
ミミズ文字で書き殴られたフランス語の文章は、内容から言っても恐怖よりもただの悪戯書きにしか見えないものである。
ただし、右斜めに殴り書きされた金文字の落書きのある家に、救急車も逃げ出した遺体があるというのであれば話は別だ。
安っぽいB級ホラーの世界へと葉山達を誘う小道具となっている。
「これは何?」
葉山が素っ頓狂な声をあげた横で、加瀬は目を輝かせて、心なしか声も弾ませて葉山に答えを与えてくれたのである。
「コクトーの名言の一つですね。」
「あぁ、コクトーか。悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である。知っている気がしたのはそういう事か。」
葉山はそこで言葉を切った。
彼は俺を真っ直ぐに見つめ、恐らく正確なフランス語でその時の文字を諳んじて見せた。
悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である。
「俺にはフランス語はわからないよ?」
「わからなくてもさ、君はこの言葉に誰を想像した?」
俺は以前に自分に酷い事をさせた百目鬼を想像し、それは百目鬼以外にいないと冗談めかして言おうとした。
ところが、葉山が先に言葉を続ける方が早かった。
「クロがまたターゲットなのかなって俺は思った。クロは愛されたがりでしょう。愛してもらえるなら、何だってする子なんだよ。それが一般的に悪手でしか無くてもね。」
俺は胸にとても痛いものを喰らった気がした。
俺が望むように玄人が振舞っているだけなのだと、昨日の俺と玄人とのキスを知っているかのようにして、葉山は恋敵の俺に突き付けたのである。
「俺は百目鬼さんだと思った。クロトは自分が嫌な事は絶対にしないし、嫌な事をさせる人には意外と酷い仕返しをする事を知っているでしょう。さあ、友君。俺に続きをきかせてくれ。そのいかにもな悪戯書きがある家の中の惨劇の事を!」




