我が武本を侮るなかれ
「どうしたの?クロト?」
僕はあの男の残像を思い出した恐怖で、知らず知らずのうちに僕は山口にしがみ付いていたようだ。
しかし、左腕にぶら下がる感じでしがみ付いている僕を嫌がるどころか、山口の目には喜色と好色が浮かんでいた。
僕は反射的にぞくっと怯えて、ぱっと彼から離れてしまった。
喜色だけなら大丈夫だが、好色はあの男の目にあった輝きだもの。
けれども、僕のその振る舞いが山口を傷つけてしまったのか、彼は瞳の輝きを一瞬で消し去ってしまった。
「いいのよ。あたしの前で仲良くしても。友紀の前でもね。あいつを傷つけたくないかもしれないけれど、しっかり見せ付けて諦めさせた方が先に行けるから気にしないで。可愛いクロちゃんが妹にならないのは残念だけど、あの萌ちゃんも素敵じゃない。あんなに綺麗なのに素直で楚々としている女の子なんて、今時いないわよね。」
佐藤萌の真実の姿を知っている僕達は、乾いた笑い声を同時に上げていた。
それから大人の山口は何事もない顔を作ると、真砂子に彼女が求める答えを口にした。
真砂子の言葉に甘えてか、僕達は仲良しだと見せびらかすようにして、僕の肩をぎゅっと抱いてからだったが。
「友君の誕生祝いに、明日必ず、何があってもこの二人は伺います。」
「良かったわ。それじゃあ、明日。二人とも必ず顔を見せに来るのよ。」
「駄目よ!明日は私につき合ってもらうんだから!」
口を挟んだのは、僕達に完全に存在を忘れ去られていた梨々子だった。
彼女は不貞腐れた幼稚園児の顔つきで、綺麗なアーモンド型の瞳をカシューナッツ型にして僕をじとっと睨んでいる。
「え、どうして梨々子に。君は明日も明後日も学校がある平日でしょ。」
内弁慶の僕は、仲良くなった相手には強く物を言える。
言い過ぎだと、あの良純和尚様に窘められることだってある。
「煩いわね。明日結婚するの、そう決めたの。あんたそういうの手配できるんでしょ。」
まぁ、確実に出来る。
祖母はハナフサフードという大きなグループ会社の経営者一族の令嬢で、母方祖父は社名はしょぼいが世界展開している酒造会社の経営者だ。
武本物産には無理でも、どちらかのコネだけで式場の一つや二つは用意できるであろう。
「でも、急だといくら僕でもドレスや披露宴を良いものに出来ないよ。」
口にしておいて、出来ると、自負している自分がいた。
披露宴を盛り立てるドレスに花や飾りと引出物こそ、武本にとっては得意分野そのものであり、我が武本ならば最高のものを用意できると当主として言い切れるのだ。
もちろん、法外な、否、労力に見合った金さえ支払ってくれれば、だが。
「リリコ、いくらまで払える?」
「だから違うって。結婚だって言ったでしょ。教会でいいんだって。」
彼女は披露宴ではなく、結婚式で良かったらしい。
僕の中の武本が一気に熱情を失った。
「それ、無理。ウチは神道だから。おまけに親戚に神職とっているのがいないから、神前式も無理だよ。良純さんなら仏式の結婚式も出来るだろうけど、僕は仏式よくわからないからなぁ。それにね、元ミッション系大学の人間として言わせてもらうと、結婚予告をしないと教会は結婚を許可してくれないはずだよ。」
僕がクドクド言っていると、梨々子はわっとしゃがみ込んで泣き出してしまった。
その様子に帰るに帰れなくなった真砂子が体を屈めて、幼稚園児のようにしゃがんで泣いている梨々子の肩を優しい手つきで撫で始めた。
「どうしたの。婚約者が物凄い年上って嫌なものよね?それでクロちゃんと結婚したいのでしょう?わかるわ。」
「それ違う。」
僕と山口は、二人同時に真砂子に右手を突き出して突っ込んでしまっていた。
「あら、だって、いくらハンサムでも十代の女の子が三十代の男なんて嫌なものでしょう。父親同然の年齢差じゃない。全く。三十代が十代の女の子に執着しているなんて。」
「えと、おねえさん?」
「淳君、あなたも気をつけるのよ。老いなんてね、あっという間。気がついたら枕が臭いの。」
山口は目を点にしながらも我らが楊を庇おうと思っても二の句が継げず、僕は彼女が葉山の姉だったと再認識していた。
なんて情け容赦ない鬼畜だと。
そして偏差値は高いが基本馬鹿な子の梨々子は、真砂子の言葉などお構い無しどころか全然聞いていなかったのか、涙でぐしゃぐしゃの顔をがばっと上げて大声もあげた。
「どうしたら私はまさ君に愛してもらえるの!クロトはどうやったのよ!いっつもいっつもまさ君はクロトばっかりじゃない。」
「あら、この子の方がご執心だったのね。」
真砂子が「あら納得」の顔つきに変わっていたが、僕はこのままご近所迷惑な少女をなんとかしないと大変だと慌て始めていた。