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うずくまる女

作者: 木戸森新木

頬に冷たい感触があり、驚いて目を覚ますと、彼女がビールを二つ手に持って、いたずらな笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。

「はい。引っ越し祝い、にしてもキミ不用心すぎ!鍵くらい閉めなよ」

「こんな安アパートに泥棒なんか入るかよ」

礼を言いビールを受けとり、側にあった目覚まし時計を見ると、もう22時になろうとしていた。

引っ越し作業に疲れて、つい眠ってしまっていた。今日は、仕事終わりの彼女と宅飲みをする約束をしていたのだった。

乾杯をして、良い感じに酔いも回ってきたところで、「怖い話をしてよ」と赤ら顔の彼女が目を輝かせる。

そう言えばこいつはそんな話が好きだったな。とは言え、急にそんな話を振られても、怪談話などすらすらと出てくるはずもない。酔った頭で何か無いかなと考えていると、ふと、記憶の片隅にしまっていたエピソードを思い返した。


昔、週末になると近所には移動式のラーメン屋の屋台が来ていた。日が落ちる頃になると、軽快なチャルメラ音が鳴り渡り、親に500円玉をもらっては屋台に駆け出して、豪快によく笑うおっちゃんが作るラーメンを食べるのが週末の楽しみになっていた。

だがいつの間にかチャルメラ音はならなくなり、屋台が近所にくることはパッタリと無くなってしまった。

おる日俺は近所のスーパーでおっちゃんを見かけた。俺はもう屋台はやらないのかと、久しぶりに会ったおっちゃんに聞いた。すると、おっちゃんは眉間にシワを寄せ。辺りを怯えるように見渡すと「夜になぁ、あそこはもう通りたくないんだ」とだけ答えた。


屋台がいつも通っていた通りは俺の家の裏手にあり、別に何か曰く付きのものがあると言うわけでもなかった。ただ今にも消えかかりそうな光を放つ街灯が一つ、ポツンと立っているだけであった。

ある夜、俺は親に、週刊紙を買ってきてくれないかと頼まれ、裏手の通りに出た。コンビニはそこを通るのが近道となっていた。

俺は屋台に行くとき以外で夜に、この通りに来るの初めてであり、それこそ屋台があったときは、その軽快なチャルメラ音と屋台の光でその通りの雰囲気は別段なんとも思わなかったものの、暗闇と誰もいない空間、そして今にもこちらを覗き込んできそうな不気味な街灯の雰囲気も相まって、子ども心に嫌な汗をかいたことを覚えている。早く週刊紙を買って家に帰ろう。俺は真っ直ぐ前だけ見て、コンビニまで走った。

お使いを済ませ、再び俺は走って家まで戻っていた。「あそこはもう通りたくない」というおっちゃんの言葉が不意に頭をよぎる。なんでこのタイミングで嫌なことを思い出すかなと泣きそうになりながら家路を急ぐ。街灯付近までくると母親と幼稚園くらいの女の子が手を繋ぎながら、前方から来るのが見えた。俺はドキリとしてその場で立ち止まった。だが、その親子は楽しそうに先程食べた夕食のことを話しており、なんだかホッとして俺は歩きだし、親子とすれ違った。後方で女の子が不思議そうに話す。

「ねえねえ、お母さんあの女の人お腹痛いのかなあ、ずっと三角座りしているよ」

油断していた。その言葉に俺は街灯の明かりの下を、誘われるかのように見てしまった。

女だ。真っ赤なワンピースを着た女が、三角座りでうずくまっている。街頭に照らされたその皮膚は生きている人間のものとは思えないほど青白く、蛇のように長く、真っ黒な髪を地面に垂らして、いつの間にかそこにうずくまっていた。そしてその女は頭をゆっくりと上げようとしていた。

心臓の鼓動音が一気に跳ね上がるのが分かる。俺は脱兎の如く、何も考えずに家まで走りだしていた。その後、俺はどのように帰ったのか、その日はどうしたのかは覚えていない。あれ以降夜にその通りに行くこともなくなった。

これが俺が生きてきて、唯一起きた心霊体験だ。


エピソードを言い終えると同時に、いやなことを思い出したなと

後悔していた。だが、彼女の表情を見ると、満足げにニヤニヤしている為、ご機嫌は取れたかなと思う。

「その女の人の顔は見たの?」

「いやあ、俺も必死だったし、しかもそいつを見たのもその日だけだったから、夢だったのかも知れないな」

瞬間、携帯に誰かからメールが届いた。タイミングがタイミングなだけにドキッとした。何も考えずにメールを開く

「ごめん、仕事終わるの遅くなっちゃって。起きてる?キミの部屋、何号室だったっけ?」

差出人は、彼女。

頭がぐわんぐわんする。酒を飲みすぎたか。

どういうことだ。

そうだ、俺は彼女にまだ部屋番号を教えていない。

じゃあ何で俺の部屋が分かったんだ。

ちがうそうじゃない、じゃあ俺の目の前にいるこいつは

なんであんなこと思い出したんだ

「ゆ め じ ゃ な い よ」

聞き慣れた彼女の声から、目の前のそれはノイズのようなおどろおどろしいものとなっていた。

震えが止まらない。目の前がぐるぐると回り出す。

携帯を思わず落とした。その目の先にあの時と全く同じ光景が広がっている。金縛りにあったように身体が動かない。目も瞑れない。

俺の部屋にうずくまるその女は、血のように赤いワンピースを纏い、黒々とした長い髪を床につけ

ゆっくり

ゆっくりと

顔を上げた


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