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タヌキのちゃんちゃんこ

 梅雨あけの日暮れどき。

 暮れなずむ空のすみっこに、上弦の三日月がポツンと浮かんでいました。


 裏山からふもとへの山道。

 紅花屋の利助さんは、ひどく疲れた足どりでトボトボとくだっていました。一日じゅう野山を歩きまわったのですが、目当ての紅花がどこにも見つからなかったのです。

 山道が雑木林から野原へと出ます。

 夕空に目を向けると、わずかに残っていた陽の光もいつしか山のかげに追いやられていました。

――こうまで見つからんとはな。

 利助さんはフゥーとひとつ息をはきました。

 そのときです。

「紅花屋さん!」

 自分の名前を呼ぶ声がしました。

 足を止め、まわりを見まわすも……どこにも人影はなく、草の葉が風にゆれているばかりです。

――たしかに聞こえたんじゃが。

 利助さんが首をかしげていると、足もとの草むらがカサカサと音をたて、そこから子ダヌキがひょっこり顔を出しました。

「ごめんなさい、呼び止めて」

 子ダヌキが利助さんを見上げます。

 これまでもここらあたりで、利助さんは幾度となくタヌキの姿を見かけていました。

 けれど、声をかけられたのはこの日が初めて。しかもこの子ダヌキは、自分が紅花屋だってことまで知っています。

 利助さんは不思議に思い、その子ダヌキに向かって聞きました。

「タヌキのオマエが、どうしてワシが紅花屋だってことを知っておるんじゃ?」

「染物の草、いつもここらあたりにとりにやってくるでしょ。だから紅花屋さんだってこと、みんな知ってるよ」

 子ダヌキはこわがるふうもなく、草むらから出てくると利助さんの前に立ちました。

 小さな手になにやらかかえています。

「タヌキというもんは、人前にあらわれるときは人間に化ける、そう聞いておったんだが」

「あたし子供だから、まだ人間に化けることができないの。それにどうしても、紅花屋さんにお願いしたいことがあるの。だから……」

「それで、お願いとはなんじゃな?」

「これ、紅花で赤く染めてほしいの。あたしがぬったんだよ」

 子ダヌキが手にしたものをさし出します。

 利助さんが広げてみると、それは麻布のちゃんちゃんこ。粗末ではありますが、ていねいにぬわれていることがわかりました。

「これを、オマエがぬったとはのう。なんとも器用なもんじゃ」

「じいちゃんのために一生けんめいぬったの」

「そうか、じいちゃんのか……」

 ちゃんちゃんこをしみじみと見てから、利助さんは背おっていた竹かごをおろしました。

「染めてやりたいんだがな、うちには紅花の染料がないんじゃよ」

「どうしてなの? 紅花屋さんは、紅花で染物をするから紅花屋なんでしょ」

「そうなんだがな。だがこのとおり、紅花がひとつも入っとらんだろう」

 竹かごの中をかきまわし、入っている草木を子ダヌキに見せてやりました。

 それらに紅花の黄色い花はひとつとしてなく、青や緑の色の染料にするものばかりです。

「ここらは、すっかり紅花がなくなってのう。だからな、紅花の赤い染料が作れんのじゃよ」

 わずかに残っていた紅花の染料は、去年の秋に使いきってしまいました。お祭りのハッピを染めたのが最後だったのです。

「だったら、だいじょうぶだわ。だってあたし知ってるんだもん、紅花がたくさんあるところ」

「ほんとか?」

「今ね、花がいっぱい咲いてるよ。そこに紅花屋さんを連れていったら、このちゃんちゃんこ、その紅花で赤く染めてくれる?」

「もちろんじゃよ」

「紅花屋さん、これからすぐに行こうよ」

 子ダヌキがはねるようにかけ出します。

――ついていってみるか。

 紅花があると聞いては、どうにもじっとしていられません。

 利助さんはあわてて、走る子ダヌキのあとを追ったのでした。


 山の上にお皿のような月が出ています。

 利助さんは子ダヌキのあとについて歩きました。

 青い草をふみ分けて野原を進みます。

――ここらにゃ、紅花はないはずなんじゃが……。

 季節のおりおり。

 ここらの山や野原はくまなく歩いています。どこにどんな草木があり、いつごろ花が咲くのかまで知っていたのです。

――だまされておるのかも……。

 利助さんは立ち止まって、前を歩く子ダヌキに声をかけました。

「おい、まだなのか?」

「もうすぐよ」

 ふり向いた子ダヌキの目がキラキラと輝きます。

――もうちょい、ついていってみるか。なくてもともとだからな。

 そう思い直した利助さんは、ふたたび子ダヌキのあとについて歩き進みました。

 それからほどなく……。

「ほら見て!」

 子ダヌキが山のふもとを指さしました。

 その場所だけ小山を描くように、ぼんやり山吹色の光でつつまれています。

「おっ、あれは?」

 利助さんは足を速め、遠くに見える光の山に向かって進みました。

 子ダヌキがあとを追います。

 月が道案内するように、あわい光を野原に投げかけていました。


 そこは一面、紅花の花でうめつくされていました。

「こいつはすごい」

 利助さんは竹かごに入っていた草木を捨て、足どりも軽く紅花の中に進み入りました。

「あたしも手伝ってあげる」

 子ダヌキもあとに続きます。

 利助さんは夢中になって紅花の花をつみました。

 竹カゴはまたたくまに、紅花の花であふれんばかりになりました。

「これだけあれば、当分こまることはなかろう。オマエのおかげじゃ」

 利助さんは子ダヌキにほほえんでみせました。

「あたしのを一番に染めてね」

「ああ、もちろんじゃ。ひと月たったら、店まで取りに来るがいい」

「ひと月って、そんなに?」

「紅花の染料を作るにはな、たいそう時間がかかるんじゃよ」

「そうなの……」

 子ダヌキの瞳がみるまにくもってゆきます。

「いそぐのか?」

「うん」

「なにかわけがあるんだな?」

「じいちゃん、ひどい病気なの。だから……」

「そうだったのか。じゃあ、できるだけいそいで作ってやろうな」

「ありがとう、紅花屋さん」

 子ダヌキに笑顔がもどります。

――孫にこんなに思われて、なんと幸せなんじゃ。

 子ダヌキのおじいさんのことがなんともうらやましく思われました。

 利助さんの一人息子は都会で働いており、孫を連れて帰ってくることはめったにありません。この町でいっしょに暮らせたらと、いつも思っていたのです。

「じいちゃん、いっしょに暮らしてるのか?」

「ううん。じいちゃんはね、遠いところにひとりでいるの。だから、なかなか会えないの」

「そうか、オマエのところも別々に暮らしておるんだな」

「紅花屋さんもひとりぼっちなの?」

 子ダヌキが利助さんの顔をじっと見つめます。

「ああ、ひとりになって二十年になる。染物屋のような古い商売、息子は気にいらんようでな。それで都会に出ていったんじゃ」

「さびしいでしょ」

「年をとると、とくにな。それにワシが死んだら、紅花屋はなくなってしまうんじゃ。そのことがなによりさびしくてのう」

 利助さんはそこまで話すと、小さく首を振り、くちびるを強くかみしめました。

「紅花屋、なくなっちゃうんだね」

「しょうがない。だがな、こんなに紅花がとれたんじゃ。紅花の染料があるかぎり、がんばって店をやっていくつもりじゃよ」

 自分を元気づけるように言ってから、利助さんは子ダヌキに向かってにっこりほほえみました。

「紅花屋さん、いつまでも長生きしてね」

「ありがとうよ。オマエといると、なんだか孫といるみたいじゃ」

 利助さんは子ダヌキを抱き上げました。

 ぬくもりがじんわり両腕に伝わってきます。

 それはとうに忘れかけていた、なつかしい家族のぬくもりでした。


 ひと月が過ぎました。

 つまれた紅花はムシロにくるまれ、あれから倉庫でじっくり蒸されていました。

 この日。

 利助さんは朝早くに起きました。いよいよ紅花の染料作りにとりかかるのです。

 仕事場を忙しく動きまわり、灰の入った木箱や梅酢の入ったビンなどをとりそろえます。最後に、水を入れた木の桶と、からのタライを床に並べました。

 それらがいちだんらくすると……。

 ムシロの紅花を倉庫から仕事場へと運びます。これで紅花の染料作りの準備がすべてととのいました。

――よし!

 材料や道具のすべてに目を配り、利助さんはひとつ大きくうなずきました。

 まず水の入った桶に灰を入れ、よくかきまぜて灰汁を作りました。それからその灰汁に、蒸してあった紅花をひたしていきました。

 赤い染料になる元だけを取り出すのです。

 利助さんはなれた手つきで作業を進めました。

 赤い染料になるものだけが木の桶の中で少しずつ集まってゆきます。

 ここからは仕上げです。

 集まった染料の元を何度もすくっては、木の桶からタライに移し替えました。

 続いて慎重に梅酢を注ぎこみ、それから竹の棒でゆっくりかきまぜると、紅花の染料がほどよくかたまってゆきます。

 紅花の染料のできあがりです。

――一番に、あれを染めてやらなきゃあ。

 さっそく利助さんは、子ダヌキのちゃんちゃんこを取ってきました。それから紅花の染料の中にゆっくりひたしました。

 ちゃんちゃんこが赤く染まってゆきます。

 それは秋の夕日のような、とても暖かみのある紅の色でした。

――いい色ぐあいじゃ。

 利助さんはうんうんとうなずきました。

 たいそう満足そうです。

 紅色に染まったちゃんちゃんこは、さっそく軒下の日かげに干されました。

 日暮れまで……。

 それは夏の風にゆれていました。


 夏がすぎ、季節は秋から冬へと移りました。

 裏山は紅葉した服をすっかりぬぎ捨てています。

 しかしなぜだか、このときになっても、子ダヌキは紅花屋にやってきませんでした。

――どうしたんじゃろう? あんなに楽しみにしておったのに。

 利助さんは心配でなりません。

 居ても立ってもおられず、いく度となく野原にも出かけてみました。

 けれども……。

 子ダヌキには会えなかったのでした。


 そんなある晩。

「紅花屋さん、紅花屋さん」

 表の戸をたたく音といっしょに、あの子ダヌキの声がします。

 利助さんはいそいで戸をあけてやりました。

「なかなか来ないんで、どうしたのかと、ずいぶん心配してたんだぞ」

「ずっと、じいちゃんのうちに行ってたの」

「そうか、それで来れなかったのか」

 子ダヌキを家の中に入れてやると、さっそく赤く染まったちゃんちゃんこを広げて見せました。

「どうじゃ、いい色に染まったじゃろう」

「うん」

 子ダヌキがコクリとうなずきます。けれど、その顔はあまりうれしそうでありません。

「どうしたんじゃ、気にいらんのか?」

「ううん、とってもきれい」

「なら……」

「そのちゃんちゃんこ、紅花屋さんにあげる」

「なんじゃと? こいつはじいちゃんのためにぬったもんじゃろう」

「じいちゃん、死んじゃったの」

「そうか、それで……」

「あたしね、ずっと看病したんだよ。一生けんめいやったんだよ。なのに、じいちゃん死んじゃったの」

 子ダヌキの両目から涙があふれ出ます。

「それはつらかったのう」

 利助さんは子ダヌキを抱いてひざに乗せました。それからあやすように背中をなでてやりました。

「もっと早く行けばよかった。じいちゃんね、ずっと待ってたんだって」

「そうか、そうか」

 胸が熱くなり、利助さんは何度もうなずきました。

「だからね。じいちゃんのかわりに紅花屋さんにもらってほしいの」

「ありがたいことじゃ。これはオマエだと思って、ずっとだいじにするからな」

 仕事場のよく見える壁に、利助さんは紅色のちゃんちゃんこをかけました。

 その晩。

 時間はゆるゆると流れました。

 泣きつかれた子ダヌキは、利助さんの腕の中でいつしか眠っていました。

 利助さんは自分の孫を抱くように、いつまでもいつまでも子ダヌキを抱いていたのでした。


 紅花屋は今も店を開いています。

 利助さんは裏山へ行くたびに、紅花の咲いていた野原に行ってみました。

 けれど、どこを探しても……。

 あの紅花畑は見つかりませんでした。

 そして二度と。

 あの子ダヌキに出会うこともありませんでした。

 最後までお読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 人間と動物たちの不思議な縁。 それで繋がってく物語、堪能できました。 面白かったです!
[一言] 子ダヌキの小さな胸の中にある悲しみと、利助さんが長らく抱えている寂しさをしみじみと感じました。でも、ただ切ないだけではなくて、お話を通じて、自分の心の奥底に閉じ込めてあった感情に触れることが…
[良い点] 最終話は寂しさが心にじんわりくる切ないお話でした。一生懸命縫ったちゃんちゃんこ、子ダヌキのおじいさんの手に渡らなかったのが残念に思えましたが、赤いちゃんちゃんこのお陰で利助さんが長生きして…
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