野ネズミの結婚式
大気がどこまでも澄み渡った夜。
町はずれを流れる川が、天空にちりばめられた秋の星たちを映しています。そして川原では、ススキの穂が風にそよそよとゆれています。
智子さんは土手ぞいの道を速足でアパートへと帰っていました。道には街灯がなく、片方は広い畑と、ひどくぶっそうなのです。
今日はアルバイト先で急ぎの仕事が入り、いつもより帰りが遅くなりました。
智子さんはいっそう足を速めます。
畑の間の小道に進み入り、アパートの明かりが見えたときでした。
「待ってください」
背後から声が聞こえました。
――イヤだわ、だれかしら?
足を止め、おそるおそるふり返ってみましたが、どこにも人影らしきものはありません。闇に目をこらすも、人の気配すら感じられません。
「待ってください。智子さん、待ってください」
またしても声がしました。しかも今度は、はっきり智子さんと名前を呼びました。
声はずいぶん近くのようです。
けれど、声の主はあいかわらず見えません。足音も聞こえません。
「やっと追いつきました」
それからすぐに足もとから聞こえました。
――えっ?
なんとそこには野ネズミが三匹いて、智子さんを見上げていたのでした。
「こんばんは」
三匹そろってちょこんとおじぎをします。
「あら、こんばんは」
つい、智子さんもおじぎを返していました。
体が一番大きく、ヒゲも一番長い野ネズミが一歩前に進み出ました。
「呼び止めて申しわけありません」
「わたしの名前、どうして知ってるのかしら?」
ひざをおってしゃがみ、智子さんは首をかしげてみせました。
「わたしらはもの知りでして。ですから名前だけじゃありません。智子さんがデザインの勉強をしたってことも、ちゃんと知ってるんですよ」
野ネズミの言うとおりでした。
この町に暮らし始めて二年半。今年の春、智子さんは町のデザイン専門学校を卒業していたのです。
「申し遅れましたが、わたしらはそこの川原に住んでおりまして。で、こちらが妻と娘です」
野ネズミは自己紹介をしてから、あらためてふかぶかと頭を下げました。
「智子さんに、おりいってお願いが……。じつはこのたび、娘が結婚することになりましてね。そのウェディングドレスを作っていただきたいんです」
「わたしが?」
「はい。智子さんの腕を見こんで、こうしてお願いしております」
「でも……」
智子さんは自信なさげにつぶやきました。
専門学校を卒業したやさき、ひとり暮しの父親が急に入院。看病のためデザイナーの仕事をあきらめ、この町でアルバイトをしていたのです。
「結婚式はあさっての夜でして。仲間では、それまでに仕上げるのはとても無理なんです。ぜひ、ぜひともお願いします」
「この子が急に遠くに行くことになり、式の日どりが早まったんです。ぜひぜひお願いします」
母親ネズミもとなりで頭を下げます。
「お願いします。わたし結婚式で、どうしても白いドレスを着たいんです」
娘ネズミは涙ぐんでさえいます。
ここまでお願いされると、智子さんもむげに断われなくなりました。
それに小さな野ネズミのドレスです。布地は少しあればいいし、ぬうのだってそんなに時間はかからないだろうと思いました。
「わかったわ。でも、あまり期待しないでね。がっかりされてもこまるから」
「ありがとうございます。ではあさっての晩、智子さんのアパートへ受け取りにまいります」
父親ネズミがかしこまって頭を下げます。
星明かりのもと。
河原へと帰っていく野ネズミの背中は銀色に輝いていました。
アルバイト先の広告会社。
そこは社員が五人と小さなもので、新聞のおりこみチラシなどを作っていました。大きなデパートから小さな靴屋まで、さまざまな店から注文が入ります。
智子さんは図案の担当をしていました。絵や文字のイラストを描くのです。
――うーん、どれにしようかな?
机の上には数枚の絵が並んでいます。夕べのうちにアパートで、遅くまでかかって描いたドレスのデッサンです。
「智子さん、これを持って、これから魚丸さんに行ってくれないか。あさっての朝刊に入れなきゃならなんのでね」
社長が席からチラシをかかげて見せました。
智子さんはドレスの絵を重ね、それを机のすみに置きました。
智子さんが出てまもなく、社長の古くからの友人が会社を訪れました。
この友人。
都会でブティックを経営しているのですが、今日は近くに来たついでに遊びがてら立ち寄ったのです。
「おう、よく来たな。すぐに用をかたづけるんで、すまんがそこらに座っててくれないか」
社長は仕事の手を動かしながら迎えました。
「じゃあ、ここで待ってるんで」
友人はあいていた智子さんの席に座ると、机の上のドレスのデッサンを手に取りました。
それからしばらくの間。
友人はウンウンとかってにうなずいていました。
「やあ、待たせたな。ここでもなんだ、応接室でコーヒーでも」
仕事にケリをつけた社長が友人を手招きします。
「忙しいところをすまんな」
なぜかこのとき友人は、智子さんの机の上にあったデッサンを手にしたまま応接室に向かいました。
そしてソファーに座るなり、
「なかなかいいな」
デッサンをテーブルの上に広げました。
「いいって、これがどうしたんだ?」
「なんだ、知らないのか? オマエんとこの社員が描いたんだぜ」
「うちの?」
「ああ、さっきオレが座っていた机にあったぞ。センスのある社員がいるじゃないか」
「その子ならアルバイトだ」
「バイトって、そいつはもったいないな。なあ、どうだい、うちの店にくれないか?」
「おい、本気か?」
「もちろんさ。センスのある子を探してたんだ。うちの店に、ぜひ連れて帰りたいね」
「そいつは社員の引き抜きだぞ」
「さっきはバイトだって、そう言ったじゃないか。本人もバイトよりはいいだろう」
「それもそうだが……。ちょっと考えさせてくれないか。それに本人にも聞いてみないとな」
考えておくと言いましたが、社長は心の中ではたいそうこまっていました。智子さんのイラストは、得意先にたいそう人気があったのです。
智子さんはバイトから帰るやいなや、手にある紙袋からドレスの材料を取り出しました。
ピンクのリボン。
レースつきの白いハンカチが三枚。
それに赤や青をはじめ、緑、紫、黄色のビーズ玉がたくさん。
仕事帰りに小物店で買ったのです。
――ビーズがにあうのは?
ドレスのデッサンを並べ、智子さんは長い間にらめっこをしていました。
でも、なかなか決められません。
――気にいってもらえるといいんだけど……。
夕食を作るときも、そして食べるときも、どれにしようかとずっと迷っていました。
夕食後。
やっとデザインが決まり、さっそくドレス作りにとりかかりました。
まずデザインに合わせてハンカチを切り、ていねいにドレスをぬっていきました。そしてドレスができあがると、ビーズのひとつひとつの色や位置を考えながら飾りつけました。
次の日の夜。
トン、トン。
玄関のドアをたたく音がしました。
智子さんはドレスを入れた小箱を持って、いそいでドアを開けてやりました。
今日の父親ネズミは、黒のタキシードに白のチョウネクタイ姿。それはそれはりっぱなものです。
「こんばんは。ドレスはできあがっておりますでしょうか?」
「ええ、これに入ってるわ。気にいってもらえるといいんだけど」
智子さんはリボンで飾った小箱を渡しました。
「ありがとうございます。それでじつは、今晩の結婚式に智子さんも出席してほしいんです」
「わたしが?」
「はい、ドレスのお礼です。ぜひ招待したいと、娘が申しております」
「そう……」
「それに仲間も、智子さんが来るのを楽しみにしておりますので」
「じゃあ、ちょっと待ってて」
智子さんはすぐさま、とっておきのおしゃれな服に着がえたのでした。
澄んだ夜空。
星々のなか、白銀の天の川が流れています。
父親ネズミのあとについて、智子さんは結婚式の会場へと向かっていました。
星明かりのもと。
広々とした畑のあぜ道を歩き進みました。キャベツの苗がいくえにも整然と並んでいます。
畑を過ぎ土手を越えると、川原一面にススキの穂がゆれ、川が星の光を映して流れていました。
「ほら、ここです。さあ、どうぞ、どうぞ」
父親ネズミにみちびかれ、智子さんはカヤのしげみに分け入りました。
そこには小さなあき地があって、たくさんの野ネズミが集まっていました。どの野ネズミも、はおりはかま、タキシード、それに色とりどりの着物やドレスといった、はなやかな衣装をまとっています。
あき地には白い布が広げられており、その上に季節の果物や川魚がふんだんに並べられてあります。ジュースやワインといった飲み物もあります。
――なんてすてきなの。
智子さんはおもわず息をのみました。
「智子さん、あなたの席はこちらです。なにしろ特別招待のお客様ですからね」
そこは一番前の来賓席でした。
カヤの穂を束ねて作られた大きな席に、智子さんはてれくさそうに着席したのでした。
満天の星が夜空を飾っています。
やがて……。
父親ネズミに手を引かれ、ウェディングドレス姿の花ヨメが登場しました。花ムコが前に進み出ると、花ヨメはこぼれんばかりの笑顔になりました。
純白のドレスにリボンのついたピンクの帽子。色とりどりのビーズがキラキラときらめき、それらは花ヨメにとても似合っています。
――あんなウェディングドレス、わたしもいつか着てみたいな。
自分が作ったドレスだということも忘れ、智子さんはうっとり花ヨメに見とれていました。
「すてきなドレス、ありがとうございます」
花ヨメがやってきて笑顔でお礼を言います。
「とってもきれいよ。おめでとう」
智子さんも笑顔でお祝いしました。
結婚式が進みます。
――なんてすばらしいのかしら。
智子さんは感激するばかりでした。
えらい野ねずみのあいさつが終わると、みんなでお酒を飲んで、ごちそうを食べました。なかには、歌っているもの、おどっているものもいます。
そんななか……。
父親ネズミが花ヨメの前に行きました。
「もうオマエと、会えないのかと思うと……」
父親ネズミの目から涙がポロポロとこぼれます。
「お父さん……」
花ヨメも父親ネズミの手を取って涙ぐみます。
そんな親子を見ながら、
――嫁入り先が遠いところなんだわ。お父さん、これから淋しくなるんだ。
父親ネズミの姿をしらずしらず、智子さんは自分の父親に重ね合わせていました。
カヤに陽があたり、朝露が葉の上を転がり始めるまで、野ネズミの結婚式は続いたのでした。
その日の朝。
智子さんは応接室に呼ばれました。
「まあ、座ってくれ。じつは昨日、きみが魚丸に行ってるときのことなんだがね」
社長は話しにくそうにきり出しました。
智子さんの将来のことを考えると、やはり友人のブティックで働いた方がいいのではないか……そう考えたのです。
「昨日、ここに来た友人がね。きみを自分の店のブティックで働かせたい、そう言うんだ」
「どうしてわたしなんかに?」
「机にあったドレスの絵を見て、それがえらく気にいったようなんだ。きみのセンスを高く買って、ぜひ自分の店にとね。どうだね、そのブティックで働いてみないかね?」
「その方、どちらでお店を?」
「T市だよ。ちょっと遠いが、きみにとって悪い話じゃないと思うがね」
「どうしてもなんでしょうか?」
「いや、きみがイヤなら断ればいいさ。でもね、ここより給料はずっといいし。それにきみも、ブティックで働きたいだろうと思ってね」
「じゃあ、ここで働かせていただきます」
「えっ?」
社長が口をぽかんとあけます。
「ここならいつだってお父さんと……それに淳太郎さんにも会えますし」
そう言ってから、智子さんはおもわずほほを赤らめたのでした。
次の年、桜の花の咲くころ。
智子さんは淳太郎さんと結婚式をあげました。
その花ヨメ姿。
ウェディングドレスは、娘ネズミに作ってやったものと同じデザインでした。