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後編 -これから一緒に-


「あら、マーサ! どうしたの?」

「あっ、いえ。何でもありません」


 謁見を終えて部屋の外に出るまではなんとか堪えられたのだが、下女の宿舎へと戻ったときには私はぼろぼろ泣いていた。同僚に心配されて、誤魔化すようにへらっと笑った。


 今日は殿下に謁見するために休日をもらっていた。だから謁見を終えても掃除をする必要はない。私は自分の所属している相部屋に入り、部屋の隅にうずくまった。



 殿下は、ハルカ様を愛していらっしゃった。


 殿下は、私を愛してはくださらなかった。


 やっぱり、私の片思いだった。


 婚約者だったのに、愛してたのに、捨てられた。


 ハルカ様が見つかったら、殿下はハルカ様を花嫁に迎えるのかしら?


 あの子が妃になるのかしら?


 考えても仕方ないと分かっていても、涙が止まらなかった。


 恋文を読んで、その上で婚約破棄したのだ。私の思いを知った上で、別れたのだ。


 いっそあの手紙も送らない方が良かった?


 でも……好きだから……





 泣き疲れて眠りについて、次の日の朝。


 私は同僚に叩き起こされた。


「マーサ! 起きて! 大変なの」

「ん……何ですか……?」

「ちょっと、目が腫れてるじゃない。どうしたの――いや、今はそんなことはいいわ。あのね、異動命令だって」

「異動……命令? どなたがですか?」

「あんたよマーサ! ほら、これ。女官様から預かってきたのよ」


 ぴらりと見せられたのは、一枚の紙切れ。


 そこに綴られた文言を見て、私は目を丸くした。


「王太子殿下直属の……女官?」

「そう。あんた昨日殿下に証言したんでしょ? あの、聖女様とお嬢様の行方不明事件の。あんたのが有力な情報だったから、その褒美だって。凄いじゃん」


 あの証言が有力? 頭のおかしい女の戯言と思われたのではなく? それに殿下直属って?


 私の頭の中は疑問符でいっぱいだった。


「女官様が外でお待ちよ。早く支度しな! 見た目だけなんとなく整えて、荷物は後で良いって」

「……はい」


 私は急いで顔を洗って服を着替えて、宿舎の外に出た。そして外にいた女官の後を付いていくと、城で風呂に入れられた。


 何が何やら分からないまま下女にはとても着られないようなドレスを着せられ、連れていかれたのは殿下のお部屋だ。





「こんにちは、マーサ。いや……ロズと呼んだ方が良いか?」

「殿下、これは一体どういうことなのでしょう……?」


 ロズと呼んだ方が良いか、ですって? 


 殿下は混乱している私をよそに、楽しそうに笑っていた。


「突然のことに驚いたようだな。君は……紅茶を淹れたことはあるか?」

「あります、が」

「淹れてみよ」

「はい……」


 何故突然紅茶を? 飲みたい気分だったのかしら?


 私はそんなことを思いながら、目の前に用意された茶器で紅茶を淹れた。


 緊張で震える手と、紅茶の香り。


 初めて殿下に紅茶をお淹れしたときもこんな感じだったなと、ふと思い出した。


「……どうぞ」

「ありがとう」


 震える手で液面をふるふると揺らしながら、私は殿下の机の上に紅茶を置いた。


 殿下がカップの縁に唇を付け、ゆっくりと傾けて紅茶を口に含んで嚥下する。


 その一場面(ワンシーン)が、とても長く感じられた。


「……うまいな」

「ありがとうございます」


 良かった。うまく淹れられたみたい。


 不味い紅茶にならなくて良かったと、安堵した。


「ロズの味だな」

「え……?」

「なあ、ロズ。僕らが初めて会った日を覚えているか?」

「……勿論でございます」


 殿下は先程から私を、「ロズリーヌ」として扱ってくださっている。


 まさか、私の話を信じたの?


「ロズと初めて会ったのは、王城の庭園でのお茶会だった。あのときの茶もうまかったぞ。成長するにつれてもっとうまくなったよな。ここ数年は飲んでいなかったが、また腕を上げたようだ」


 初めて殿下にお会いした日。


 殿下は幼い私の淹れた紅茶に、「美味しいね」とおっしゃって笑みを見せてくださった。


 それが嬉しくて、殿下にもっと美味しい紅茶を飲んでいただきたくて、練習した。


 私の紅茶の味を、覚えていてくださったの?


「その後のことは、覚えているか?」


 私はこくりと頷いた。


 殿下との思い出を、私が忘れるはずがない。

 

「殿下と一緒に、庭園のお花を見ました。私の黒い髪に似合うからと、殿下が赤い薔薇を手折って髪に挿してくださって……」

「その後は?」

「それが王妃様のお気に入りの薔薇でしたので、王妃様に怒られてしまいました。二人で『悪いのは僕だ』、『いや私が悪い』などと庇い合っていたら……王妃様はお笑いになって、『仲のよろしいこと』とおっしゃって許してくださいました」

「……懐かしいな」


 殿下はまた笑った。


 私の大切な思い出の一つを、殿下も覚えていてくださった。嬉しかった。


「僕は……後悔していることが、二つある。聞いてくれるか?」

「はい」


 殿下の後悔とは、一体なんだろう。


 私はしっかりと殿下を見つめて、殿下のお言葉を待った。


「一つは、ロズと婚約していながら他の女性を恋人にしたことがあったこと。すまなかった。僕は、馬鹿だったんだ」

「……はい」


 きっとハルカ様のことだ。殿下とハルカ様が恋人同士だという噂は本当だったのだ。

 

 ずきりと胸が痛くなった。落ちそうになる涙をぐっと堪える。


 殿下が他の女性を愛していても、受け入れないと。


「二つ目の後悔は……君に、思いを告げていなかったことだ。僕は最近ようやく君への恋心を自覚して……でも、君にそれを告げていなかった。告げられずにいなくなってしまったから、とても後悔した」


 心臓が、止まるかと思った。


 驚いて目を見開いたら、一粒の涙が落ちた。


 恋心。殿下が、私に?


 殿下の(あお)い瞳が、私を真っ直ぐに見つめた。


「君のことが好きだ。ロズ。ロズのことを愛している」


 信じられなかった。


 まさか、殿下からそんな言葉を聞くことができる日が来るとは思ってもみなかった。


「私も……殿下のことが好きです。そして私も……後悔していたことが、ございました」







◇◇◇◇







 僕は迷った末に、あの下女を自分のそばに女官として置くことにした。


 あの下女は姿形はロズリーヌでなくともどこか彼女の面影が感じられたから。


 もしかしたら本当にロズかもしれないと期待して、呼んだ。


 下女が着るには贅沢過ぎるが、公爵令嬢が着るにはお粗末なドレス。それを着たら彼女がどうなるのか見ものだった。


 やってきた彼女はそのドレスを着こなしていた。その立ち居振る舞いは明らかに、令嬢の着るようなドレスに慣れている。


 下女のお仕着せを着ていたときよりも、(あふ)れ出る気品が増したようにも思えた。



 彼女の淹れた紅茶は、ロズの味だった。


 彼女は僕とロズの馴れ初めを覚えていた。


 まだ、分からない。確証はない。


 だが、彼女がロズであるという思いの方がかなり大きくなってはいた。


 だから僕は、彼女をロズだと思って接してみることにした。 


 後悔を打ち明けた。浮気のこともはっきりと言った。


 僕は、彼女に正直にならなければならないと思ったのだ。


 そして僕が恋心を打ち明けたら、彼女はそのありきたりな茶色の瞳から一粒の涙を零した。





「君の後悔とは、何だ?」

「殿下に、私の思いをお伝えしていなかったことです。離れることになるのなら、自分の声で、貴方様のお顔を見て、きちんとお伝えしておけば良かったと……後悔いたしました」


 彼女は堰を切ったように、ぽろぽろと涙を(こぼ)した。


 ずっと言いたかった思いの吐露。そんなふうに感じられた。

 

「うん。他にはあるか?」

「……殿下の前で、笑えなくなったことを。……殿下に嫌われるのが、怖くて、不安で、恋心を知られるのも、怖くて……。緊張もして。でも……どうせなら、もっと笑って過ごせば良かったと、後悔しました」


 ああ、そうか。そうだったのか。


 ロズが僕の前で笑わないことを知っていたのはきっと、僕と彼女だけだろう。


 ロズは僕の前でなければ、完璧な笑顔を見せていたから。


 僕はようやく、彼女が僕の前でだけ笑えない理由を知った。彼女が僕をとても好きだったことも、ようやく分かった。


 ロズは僕に恋をしていたんだ。その思い故に、笑えなかったのだ。


 もっとちゃんと話していれば、彼女の声を聞いていれば、こんなに(こじ)れなかったのかもしれない。



 そうだ、僕らにはもっと話す時間が必要だったんだ。


 もっとお互いを知らなければならなかったんだ。


 「エドモンド王太子」と「ロズリーヌ公爵令嬢」の婚約は解消された。ロズリーヌ公爵令嬢は失踪した。


 二人の関係は終わった。


 本当にそうだろうか?


 彼女の心がロズなら、また僕は彼女に恋をする。


 今までの僕らの歩いた道のりの上に、新たに関係を築き上げていくことはできないだろうか。


 もっとロズと話したい。もっとロズを知りたい。


 もっと僕の声を聞いて欲しい。もっと僕を知って欲しい。


 僕らはこれから会話をすることで、お互いを知ることで、もっと愛し合うことができると思うんだ。



 僕は席を立つと、泣いている彼女をそっと抱きしめた。ロズリーヌ公爵令嬢より背が低く、薄い体だ。


 それでも見た目より何より、僕はロズの心が欲しかった。


 見た目が変わっても、身分が変わっても。


 僕はロズが好きだ。


「で、殿下……?」

「僕が君に異動命令を出したのは、君をそばに置くためだ。僕は君がロズリーヌだと信じているが、一日二日で判断するのは早計だと思う。だから、これからもっと話をしよう。もっと一緒にいよう」

「……はい」

「僕はこれから君を『ロズ』と呼ぶし、君をこれからはロズだと思って扱う。大変なことがあっても、一緒に乗り越えていこう。僕は……ロズを、愛している」

「私も、エドモンド殿下を愛しております」


 僕はそっと、彼女の唇に口付けた。 


 彼女に口付けたのは、これが初めてだった。



 これから、また新しく始めよう。


 僕とロズの恋を。


 これから、愛を育んでいこう。


 そして、いつか――……







 ――数年後。


 平民出身の下女が紆余曲折を経て王太子妃になるという恋物語がとても人気になった。貴族も平民もそれを楽しみ、老若男女を問わずに大人気の物語だ。


 しかしその物語のモデルとなったエドモンド王太子とロズ王太子妃は、物語以上に国民から絶大な人気を博していた。


 かつて行方不明になった聖女と公爵令嬢はまだ見つかっておらず、ほとんど皆探すことを諦めている。


 現在ロズ王太子妃は第一子を身ごもっていて、エドモンド王太子の溺愛っぷりがさらに増していてもう甘々過ぎて直視できないとまで城では言われている。


 最近のエドモンド王太子は生まれてくる子どもへの贈り物を国内だけでなく世界各国から熱心に集めており、使者が来たりしていて今は城も国もたいへんにぎやかである。


 

 王太子夫妻の第一子誕生でもっとにぎやかになるまで、あと少し。


 エドモンド王太子とロズ王太子妃は今日も仲睦まじく、お腹の子に声を掛けたりして幸せに暮らしています。

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