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中編 -一方そのころロズは-

 私はロズリーヌ・ヴェンガルテン。公爵家の娘――の、はずだった。


「嘘……」


 目覚めたら外見が別の人間になっていた。


 記憶も人格もしっかり私なのに、容姿やいる場所が違う。


 いつの間にか、城勤めの下女になっていた。


 美貌を誇る公爵令嬢から、平凡以下の平民の下女に。

 

 かつて持っていた漆黒の髪と紫紺色の瞳は影すらない。地味な茶髪と茶色い瞳で、貧相な体になっていた。


 周りにいた同僚に聞いたところ私はどうやらマーサという下女の体に乗り移ってしまったようで、マーサは城の掃除係の下女だった。


 私は何をしたら良いのかよく分からないまま見様見真似で掃除をした。


 

 マーサになってから数日経つと、とある噂が耳に入った。


 ロズリーヌ公爵令嬢が、エドモンド王太子にパーティーの日に婚約破棄されたという噂だ。私はとても悲しくなった。


 私はパーティーの日の朝に、エドモンド殿下に恋文が届くように送っていた。


 勇気を出して必死に綴った私の思いは、殿下に届かなかったのかもしれない。そもそも形だけの婚約者からの手紙なんて、読まれてもいないのかもしれない。



 殿下は学園に入ってからハルカという聖女と仲が良く、昨年からより一層仲を深めた二人は恋人同士だという噂もあった。


 私との婚約を破棄して彼女と結婚するのではという噂もあった。


 また、パーティーの数週間前に私は不吉な夢を見た。


 パーティーの日に婚約破棄されて、その一ヶ月後に冤罪で処刑されるという夢だった。


 私は怖くなって夢を見た日に、殿下に泣きながら捨てないで欲しいと願ってしまった。殿下は私の頭を優しく撫でてくれた。

 

 きっとあれは悪い夢で殿下は私のことを捨てたりしないと思った。そう、期待した。


 けれど婚約は破棄されたらしい。



 ああ、そうか。私の片思いだったのか。


 好きだったのは、恋をしていたのは私だけだった。


 でも、ちゃんと好きだと言っていれば良かったのかもしれない。


 幼い頃は無邪気に笑えたのに、いつの間にやら彼を前にすると笑えなくなった。


 思春期というものだったのかもしれない。


 嫌われたらどうしようという不安。


 笑った顔が変だったらどうしよう。


 緊張もして、表情が動かせない。


 彼の瞳に見られていると、ドキドキしてしまう。


 王太子である彼に恋をするなんて、馬鹿だった。


 将来は王になる彼は、いずれは(めかけ)を迎えるかもしれない。


 王太子妃に、そして王妃になる者として、愛されることは望んではならないと教わった。


 彼が他の人を愛しても、受け入れるようにと教わった。


 恋心なんて抱いても惨めになるだけだと。


 それなのに、抱いてしまった恋心。


 それを隠すためにも無表情は必要だった。


 でもどうせ別れることになるのなら、そんなことは気にしないで思いを告げていたら良かった。


 もし夢が本当になったら。あの日の殿下は優しかったけど、もしかしたら婚約破棄されるかもしれない。


 せめてその前に、私の思いを知って欲しい。


 そう思って書いたあの恋文。


 手紙に逃げたりなんかしないで、直接言えば良かったかしら。


 ……なんて、今考えてもどうしようもない。


 ロズリーヌ公爵令嬢とエドモンド王太子殿下との婚約は解消された。


 私は何故か、マーサという下女になってしまった。


 もうどうしたって、私と彼は結ばれない。



 私は殿下を忘れようと、下女としての仕事に専念した。掃除は今までやったことがなかったが、意外と楽しいものだった。



 また少し日が経つと、今度はハルカが襲撃されたという噂が回った。そしてその次は、その犯人がロズリーヌ公爵令嬢だという噂が回った。


 私という人格はマーサの体の中にいるが、きっとロズリーヌの体の中にも別の人格がいるのだろう。別の人が、ロズリーヌとして生きているのだ。


 もしもロズリーヌの体に会えたら、元に戻れたりはしないだろうか。そんなことを思いつき、馬鹿みたいに期待した。


 しかしそんな期待も無様に(つい)えた。体の方のロズリーヌがいなくなった。


 聖女ハルカとロズリーヌ公爵令嬢が失踪したから探せという、殿下からの命令が出された。


 殿下は必死に彼女らを探しているようで、目撃したと言えば直接殿下とお話する機会も与えられるかもしれないと、下女たちの間で噂になった。


 ハルカの居場所も、ロズリーヌの体の居場所も私は知らない。


 けれどロズリーヌの人格なら、ここにある。


 下女の仕事に専念しても、やはり私はエドモンド殿下が好きだった。


 幼い頃から好きで、初恋だった。諦められなかった。


 今更どうにもならないのかもしれない。


 でも、一度だけ。彼にもう一度会いたい。


 私は殿下に謁見する申請を出した。それが受理されて実際に彼に会うことができるのは、それから二週間後になった。


 私はその間、どうやって彼に説明するかを必死に考えた。







◇◇◇◇







 ロズリーヌとハルカがいなくなってから、もうすぐ三週間が経つ。


 ロズリーヌがいそうな場所に出向いてみたり、証言をいろんな人に聞いてみたりしているが、一向に見つからない。


 今からここに来るのは城の掃除係の下女で、名はマーサというらしい。


 僕と話してみたいだけの女の子かもしれないが、もしかしたら有用性のある証言をくれる可能性もある。


 謁見の申請書の文字に馬鹿みたいな既視感を覚えながら、僕はマーサの到着を待った。


 申請書に綴られた文字は、ロズリーヌの筆跡にそっくりだった。そんなはずないのに。



 やがて扉が開かれると、小柄な少女が入ってきた。


 特に特徴のない顔に、ありきたりな茶色の髪と瞳。


 しかし下女にしては姿勢がよく、纏う衣服は質素なのにどこか気品を感じさせる少女だった。


「よく来た、マーサ。さて、証言をしてみよ」


 マーサはとても緊張しているようだった。申請書に従い、人払いはしてあるので部屋には二人きりだ。外には騎士がいるし事前に身体検査はされているはずだからさほど心配する必要はないだろうが、警戒心は持っておく。


 マーサはゆっくりと口を開いた。


「私は……ロズリーヌ……様の、居場所について申し上げに参りました」

「申してみよ」


 ロズリーヌの居場所を言いに来た人は、これまでに何人もいた。しかしその何処にもロズリーヌはいなかった。


 この下女の証言もきっと他と同じだ。そう思いながら僕は、彼女から発せられる言葉を待った。


 彼女は何度か深呼吸をしてから、真っ直ぐに僕を見た。


 そして、はっきりとした口調で述べた。


「信じていただけるか分かりませんが……私が、ロズリーヌ・ヴェンガルテンです。容貌は異なりますが、私の人格はロズリーヌ・ヴェンガルテンです」

「は……?」


 ふざけているのか、気を引きたいのか、何にせよ本気ではないと思った。あるいは狂っているのか。


 しかし彼女の瞳は本気のようだった。


「今更お会いしても、殿下と私はもう婚約者ではないのだと風の噂で聞いております。ですがもし私の恋文が殿下に届いていなかったらと思い、お伝えしたいことがございます」

「何だ」

「……私は、幼き頃より殿下をお慕いしております。何よりも、貴方様のお幸せを望んでおります。もし叶うなら、殿下と共に歩みたいのです。面と向かっては恥ずかしく申し上げられませんでしたが……殿下のことを心から愛しております」


 ロズリーヌから送られてきた恋文に綴られていた、告白の文言。


 一字一句違わぬ文章を、彼女は読み上げた。


「そなた、あの手紙を読んだのか?」


 彼女は僕の問いに、寂しげに笑った。


 うっすらとその瞳に涙の膜ができた。


「あの手紙とおっしゃったということは、殿下は読まれたのですね。その上で婚約を解消なさったのですね」

「僕は、そなたを信じられない。そなたがロズである証拠がないだろう」


 彼女が本当にロズリーヌだったらどんなに良いだろう。


 あの恋文の返事もできないままに、消えてしまった彼女。


 もしも会えたら今度こそ、彼女に自分の思いを告げたいと思っていた。


「はい、証拠はございません。馬鹿な女の戯言(たわごと)と思われても仕方ありません。私が申し上げられることは、私の心はロズリーヌ・ヴェンガルテンであることと、殿下を心から愛しているということだけにございます。以上が、私の証言です」

「それだけ、か?」

「はい。お伝えしたかったことは、申し上げました。殿下が他の女性を愛していらっしゃることも、分かりました。もう、未練はございません。……どうか、お幸せになってくださいませ。エドモンド殿下。それでは、これにて失礼させていただきます」


 下女は優雅に礼をして、静かに部屋を出ていった。


 証言にしてはもの足りない情報量で、興味本位で僕と話してみたいだけにしては短い時間だったその会話。


 もう一度、謁見申請書に視線を落とす。


 ロズリーヌに似た筆跡。綺麗な文字。


 十二歳の下女、マーサ。その歳にしても、下女という身分にしても、綴られた文字はあまりにも綺麗過ぎた。


 そして他の下女からは感じなかった、あの気品、威厳。下女にしては優雅な洗練された所作。

 

 あの下女も、僕を見ても笑みを見せなかった。媚びへつらうような笑みも、愛想笑いの一つも見せず。


 どこか不安そうな、緊張しているような、ロズリーヌと同じ面持ちで、僕を見た。


 本当にロズリーヌなのか? いや、そんなことあり得るか?


 僕はしばらく悩んだ末に、一つの命令を出した。

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