兵四〇〇〇を連れて又兵衛を支援せよ。
才蔵がまいっております。
「よし、通せ」
「はっ」
「報告いたします」
「伊達の様子はどうだ」
「伊達軍の戦意は非常に高く、駿府城は包囲されました」
「……かなり早い進軍だな」
才蔵の報告では、先発した伊達政宗率いる部隊が東海道を下り、駿府城攻略を開始。駿府城主池田輝政は五〇〇〇の兵力で篭城した。伊達は大軍であり、比較的小さな駿府城は力攻めも不可能ではなかったが、城内に降伏・開城するよう働きかけたところが、応ずる様子はない。だがこのような城を攻めあぐむのもあまり意味がないように思われたのか、それを裏付けるように、家康より通り過ぎるようにと指示が出されたようだ。
そのため伊達は一部の隊を封じ込めに置いただけで先に進み始めたということであった。
城主池田輝政は伊達の帰順勧告には徹底した籠城策を取り、討って出ようとはしなかった。しかしながら次にやってきた徳川の大軍の前にはついに抵抗を断念、家康の説得に応じ降伏・開城した。
「という事は、伊達軍はもう掛川に着いている頃か」
「そのように思われます」
「幸村」
「はっ」
「又兵衛を呼べ」
「かしこまりました」
「殿」
「又兵衛、数は分からぬが伊達軍の一部が二俣城前を通ってくると思われる。先発隊としてまっすぐその方面に向かってくれ」
「承知しました」
「大軍とは見せぬために、幸村の兵を後から行かせる。単独では討って出るなよ。敵が居たらいったん引け」
「分かりました」
「幸村」
「はっ」
「兵四〇〇〇を連れて又兵衛を支援せよ。二俣城まで目印になるようなものは無いので、集合場所も決めにくい。又兵衛隊を見失わないようにしろ」
「承知しました」
「勝永はおるか」
おれは家臣たちを見まわし声を掛けた。毛利勝永、史実では道明寺や天王寺の戦いで、徳川の大軍に果敢に立ち向かうと、縦横無尽の活躍をした若武者だ。あの勇猛な黒田長政を感嘆させたという。
「はっ、これに」
「そなたは三〇〇〇を引き連れ、幸村と行動を共にせよ」
「かしこまりました」
一度戦に出てしまえば、あとはその軍の指揮官の裁量に任せることになる。豊臣全軍が到着するまでにはまだ時間が掛かる。ここは三人の力量を信ずることにしよう。
その後、長曾我部殿には左翼から、義弘殿には右翼からの支援をお願いした。こうして押していけば敵は天竜川を背にすることになる。まだどうなるとも分からないが、状況の優劣を少しでも確かなものとしておきたい。
「才蔵」
「はっ」
「伊達軍は二俣城前を通ったか?
「まだ一部の隊だけのようです」
「伊達全軍が川を渡り終える前でも逐一報告せよ。その後は二俣城方面の戦況報告もだ」
「かしこまりました」
「ふう、腹がへった」
「殿、握りが出来ております。佐助!」
「はい」
「殿に握りと汁を用意せよ」
「かしこまりました」
「…………」
食事を運んできた佐助に聞いてみた。
「そなたの名は佐助なんだな」
「はい」
「男のような名前なんだが……」
「わたくしは生まれてすぐ男の子として育てられました」
「そうか」
よくみれば佐助は端正な顔立ちをしており、化粧もしてないが綺麗な顔ではないか。おれは初めて佐助の顔をまじまじと見た。
だがおれの視線にうつむく佐助の様子をみて、これ以上の詮索はしない方が良いと感じた。この戦国の世だ。女の子として生まれ、どんな目に遭っているか分からないからな。