「若君はなかなかの策士では御座りませぬか」
主人公の鶴松なんですが、史実では天正十七年五月、豊臣秀吉の嫡男として生まれ。長寿を祈って「棄」と名付けた後、「鶴松」と改名したようですね。当時は単に若君などと呼ばれていたという事です。
だけど病弱な鶴松は三歳で亡くなり、五三歳というあの時代としては高齢な秀吉の落胆はそうとう大きかったのではないでしょうか。
おれは鶴松、江戸城を攻撃したのだが、その途中撤退する際に、秀忠の軍と思われる一群が追撃してきた。
一方豊臣方しんがりとして待ち受けているのは二段構えの鉄砲隊。十分引き付けたのち一斉射撃して後退。そして後ろにまた二段構えの鉄砲隊が居る、という具合に次々と新手の銃口が並んで、向かってくる敵は散々に撃ち倒され、結局逃げ帰って行った。
「秀忠め、懲りない奴だ。何度家康殿から雷を落とされたら分かるんだ」
だが家康を江戸城まで追い詰めておきながらの撤退に、幸村、秀家らは不満気な様子であった。たとえ駿府や掛川、浜松などの諸城を手に入れたとはいえ納得いかないようだった。
しかし十五万の豊臣軍と、離脱した者がいるとはいっても、まだ多くの軍勢を抱えているだろう徳川軍が最後までやりあったら、悲惨な結果になるのは目に見えている。国元に家族や田畑を残してきた農民兵、城内に逃げ込んだであろう町人たちが、家康一人のために犠牲になるのは避けたかった。
おれはそんな無駄な殺生はしたくなかったのだ。これからゆっくり考えていけばよい方法が見つかるだろう、急ぐことはないと……
だがそんなおれの考えは甘かったという現実をすぐ思い知ることになる。
大阪に帰ると、豊臣の主だった重臣達が広間に集まった。
もちろん、ただ一人家康殿の姿はない。
「この後はどうなさるおつもりですか?」
体調不良もあって、今回の戦では大阪城にとどまっていた前田利家が聞いてきた。
「他の皆も一番聞きたがっている、家康殿の処遇です」
下を向いている者から目をつぶっている者など、皆一様に思いつめた顔をしている。
「この戦国の世に、そこまで追い込んでおきながらの撤退は納得のいくものではありません。やらなければ次はこちらがやられるのかもしれないのですぞ」
利家は苦虫を口にありったけ放り込んだような顔で言い続けている。
おれはゆっくり周囲の顔を眺めた。口には出さずとも、皆同意見のようだった。
「皆さんの気持ちはもっともだと思います。ただ、もう少し時間を下さい」
と言ってはみたが、おれにもなかなかいい案が浮かんではこない。ただあそこで悲惨な殺戮戦だけは避けたかっただけなのだ。
一同はおれの顔を穴のあくほど見つめた。
「家康殿には書簡を出しましょう。大阪への出頭と謝罪です」
「それは無理だ、応じないでしょう」
おれの言葉に、がっかりした様子の利家が首を振りながらつぶやいた。
「とにかく今はそれ以上の事はしないつもりです。皆さんも心得ておいて下さい」
おれは言い切った。
「若君がそう仰られるのなら、仕方ありません」
重鎮利家の声に、皆仕方なく引き下がった。
「これまで何度も異才を感じた若君だったが、やはりあの若さでは無理なのか」
それが皆の偽らざる意見だったようだ。
「幸村」
「はっ、これに」
「鏑矢を用意せよ」
「鏑矢ですか?」
「そうだ、出来るか」
「それはご用意出来ますが、一体何をなさるおつもりですか?」
鏑矢は射放つと音響が生じることから合戦開始の合図に使われた時代がある。鎌倉時代フビライ軍が来襲したおり、迎え討つ侍大将が大声で名乗りを上げ、戦始めの鏑矢を放ったという。
もっとも元軍の将兵は無害なその音を聞いて大いに笑ったらしい。
「それと騎馬武者を集めろ」
「いくさ……!」
「そうではない」
「しかし――」
「何処か近くで広い野原のような処はないか?」
「それは御座いますが……」
「よし、面白いことをやるのだ。武者以外もできるだけ大勢の者らを集めろ。城下の衆も百姓も皆だ」
「はっ?!」
「それからな、出店が必要だぞ」
「は~~?」
「多量の食べ物と飲み物を用意せよ」
「…………?!」
当日が来た。
用意された出店の前には近在の百姓から城下町の衆まで大勢が群がっている。
「うひょう~~、食いもんだ!」
「なんか怖いような」
「そげんなこたあ、いまさら気にするでねえ」
「言われて来ちまったものしかたあんめえ」
「そうだ」
「そうだ!」
先の戦で中途半端な終わり方をしたと、大名や武士、略奪も出来なかった下々の者まで不満が高まっていたのは承知していた。
ガス抜きが必要だろうと企画したものだった。
「幸村」
「はっ!」
「鏑矢を射れ」
「かしこまりました」
幸村の合図で最初の矢が放たれると、広場に集まっていた騎馬武者の中ほどに矢は落ちた。
たまたま近くにいた者がそれを掴んだのだが、どうしていいのか迷っている。
若君の所までもって来るようにと指示が出され、初めて動き出した。
「ほめてとらす、これを」
おれはその矢を持参した者に小判を渡した。
「――!」
驚愕する騎馬武者。
「幸村、続けろ」
「はっ!」
第二の鏑矢が放たれた。一人の若武者が落ちてくる矢を素早くつかむとその手を高々と上げ、馬に鞭をあてた。
いつの時代も若者が新しい流れをリードする。周りの武者達はまだそれを眺めているだけだったのだが、目の前で小判を手にして喜ぶ姿を見た!
これで第三の矢が放たれる時には状況が一変した。
鏑矢に群がる騎馬武者どもで広場は阿鼻叫喚のありさま。
遂に事情を察した者達が狂気に走ったからだ。
矢を得ようと、殴る蹴る、突き落とす、ひっかく者、落馬する者、鏑矢なんぞ何処にあるのか、もうこうなると何のために殴りあっているのか分からない。中には地面に下りて取っ組み合いを始める者どもまで現れる始末。
「刀を持たないようにと言っておいて良かったですな」
幸村が胸をなでおろした。
数十本の鏑矢を射終わるころには、殺気立った者共の熱気と馬のいななきで広場はうだるような暑さとなっていた。
夕刻、負傷者には見舞金を出すことにし、広場の周囲を埋め尽くした一兵卒の者どもの前には酒樽が並んだ。
小判を得た武者の所属する大名には矢の本数によってそれなりの報奨金を出すことにしたので、次の開催はいつ頃なのかと早くも問い合わせがくるほどだった。後々この催しの話は大名の間でももちきりとなった。
もう先の戦の不満や家康の話題など持ち出すものが居なくなったという。
「若君はなかなかの策士では御座りませぬか」
おれの家臣達の間ではそういった会話が交わされたようだった。