「走れ、走れ、走れ!」
浜松から東京まで約二六〇キロだから、一日三〇キロ歩けば八日か九日くらいで着ける。だけど数千を超えるかもしれない兵がぞろぞろ歩いたら、ペースが落ちて二〇キロくらいか。すると一〇日以上はかかる計算になる。それに後から追いかけても同じ方向だから、なかなか追いつけないと考えるのが妥当だ。
徳川軍が時の為政者である豊臣に立ち向かい、敗走したという事なら、逃げている家康殿は落ち武者ということになる。謀反人として法の外に出てしまった者。「落ち武者は薄の穂にも怖ず」と言うほど、周囲の何でもないものにまで恐怖を感ずるほどになってしまったということなのだ。もちろん、いまだ豊臣側と同程度の兵力を有しているのならそうはならない。
いずれにせよ、家康殿が江戸城に入る前に捕らえなければ……
しかし、戦闘が終わってからさほど時は経っていないようだ。すると退却中の徳川軍は、まだ二俣城にまで着いていないのかもしれない。念のため聞いてみた。
「才蔵、徳川軍はもう東に渡河したのか?」
「先頭の早い集団は二俣城前を通り始めているようです」
しめた!
この機会を逃がしてなるものか。頭を槍でぶん殴られた後の痛みも忘れて叫んだ。
「幸村、急げ。まだ間に合う、全軍で追うぞ。徳川軍が渡り終える前に叩くんだ!」
「はっ!」
今追いかけないでどうするんだ。
信長の活躍する辺りからやっと職業軍人が出てきたようだが、まだまだ農民兵が主力の時代。稲刈りだの田植えだのと、戦以外に気の散る事も多く、とにかく現代の感覚からしたらのんびりした時間の流れだったのだろう。
「走れ、走れ、走れ!」
家臣どもに叫び続けた。
二俣城の前には天竜川とそこに流れ込む二俣川があり、大小二つの橋が渡されている。逃げる大軍が一度に集中すれば、大混乱となるはず。天竜川で討ち取れなければ、次は大井川の手前だ。日が落ちるまでには決着をつけたい。
先に行く者の後を息が切れるほど追いかけて行くと、橋に近づく前から徳川軍の旗が無数に見えてくる。なにしろ大軍が狭い橋で押し合っているのだから、先に進めないどころか、ほとんど止まっている。
そこに南から殺到した豊臣軍。もうこうなったら命令も何もない。早い者勝ちに撃ち掛かるだけだ。銃声のとどろく中に、統制の取れていない兵卒は次々に撃ち倒されていく。徳川軍の中にも撃ち返そうと、片膝を着いて鉄砲を構える強者も居たが、逃げ惑う味方の兵に踏みつぶされる始末。
それは殺戮以外のなにものでもなかった。
天竜川の橋を埋め尽くした徳川軍兵の屍を乗り越えていくと、さらに二俣川の橋が見えてくる。ここでも同じ状況が展開した。
先の戦闘で徳川軍兵の半数が倒れたとすれば、これでさらに半数ほどになったのではないか。
二俣川を渡ったところで、やっと豊臣軍の動きが止まった。日没となり兵を休ませることにしたのだ。夜間の攻撃は危険だ。同士討ちにもなりかねない。
翌朝早く豊臣軍は出立した。向かうは大井川だ。
途中の村々では徳川軍の略奪跡が残っている。おれは家臣の者どもに、村人に手を出すなと厳命させた。それしか今は出来ない。
掛川城に居ただろう留守居兵は逃げ去った後で、残されていた兵糧を確保した。
大井川に近づいたのだが、さすがに今度は徳川の逃げ遅れた兵は余り残っていなかった。橋が無く徒で渡る川だからだ。
豊臣軍も皆腰まで浸かって渡り終える。ただほとんどの者は急流に足元をすくわれ、押し流されてぬれねずみ状態だ。
「幸村、川を渡ったら一日休み、濡れた服を乾かすんだ」
「分かりました」
「それから若い元気な者を選んで先行隊を組織し、急いで江戸に向かわせろ」
「…………」
「兵糧など持たず、金だけ持ってな。徳川軍に兵を増やさせないよう妨害するのだ」
「かしこまりました」
「才蔵」
「はっ」
「そなたも江戸に向かい、徳川の増兵に協力する者は、豊臣政権に仇をなす者として処罰されると触れてまわれ」
「分かりました」
濡れた服を脱いで乾かす……
佐助は、……まあ、……何とかするだろう。