1-03.朝食での出会い
フゲンが岩沙漠の活動拠点を出て数時間後。
彼は朝食の最中で、忙しなく口を動かしていた。
テーブルの上には幾つもの料理が並んでいて、その分量は三人分以上だ。
ここは冒険者組合に付属する食堂。客層は体力至上主義の冒険者たちだ。
なので、ここの料理は量を優先している。さらにいえば、“価格が安い”という条件も不可欠なので、どうしても味は落ちてしまう。
そんな食堂の料理だけれども、フゲンは機嫌よく食べていた。
「うまい、うまい」
彼は大きな肉の塊にカブリつく。この肉、元がどんな動物かわからない正体不明のものだ。しかも、切り分けておらず大きな塊のままである。調理方法は少量の塩と香草をまぶして焼いただけの簡単なもので、わざわざ注文して半生焼きにしてもらった。
軽く火で炙っただけなので、ナイフで切り分けると肉の色は赤い部分のほうが多いくらいだし、血が滴るかと思うほどだ。朝食にしては、あまりにも重た過ぎる一品である。
フゲンが次に口にしたのはスープ。これは野菜と鶏肉がゴロゴロと入っている具沢山のポトフで、味は薄味だが肉料理と合わせて食べるにはちょうど良い味加減である。
テーブルの上には別の料理も並んでいた。まずは、こんもりと盛られた野菜炒め。葉物野菜や根菜と正体不明の肉を炒めたもので、まさに“ドカン”といった感じで大きな皿に乗っかっている。
別の皿には塩ゆでしたジャガイモの山。単純で素朴な料理だけれど、暖かげな湯気が立ちのぼっていて実においしそうだ。
他にも、籠いっぱいに載せたパンやリンゴなどの果物がところ狭しと並んでいる。
フゲンの食事する姿は注目を集めていた。
というのも、彼が心底からおいしそうに食べているせいだ。次々に料理を口に放り込み、一心不乱に咀嚼しては飲みくだす。
そんな彼の表情は実に幸せそうである。次に何を食べようかと品々を眺める目つきは楽しそうだし、料理を頬張ればニコリと笑みを浮かべる。食べることが愉快で仕方がないといった風情。
一所懸命に食べるフゲンの様子には不思議な“力”があった。
なぜか、周囲の客たちの気持ちをほっこりさせるのだ。ひたむきに料理を楽しむ彼の様子は、冒険者たちに“食べるとは幸せなこと”なのだと感じさせる。
「おーい、この料理を追加で」
「こっちも、この肉を焼いたヤツを頼む」
「もう一皿、ポトフを持ってきて~ 」
他の食事客たちが追加注文をし始めた。料理の量を割り増してほしいだとか、もう一品つけ足してもらいたいだとか要望する者が続出する。
彼ら冒険者は皆、フゲンの上機嫌な食事姿に影響を受けて、食欲を刺激されてしまったのだ。
客たちは、なぜか幸せな気分になっていた。
ここの料理は量が多いだけのモノのはずなのに、今朝の食事はおいしい。おまけに、朝から幸先が良さそうだ。きっと、今日はなにか良いことがありそうな予感がする。
いつも間にやら、食堂にいる連中すべてがハッピーな気分になっていた。
調理室では料理人が大量の注文に応えるべく、忙しく調理をしていた。
「おい、今朝はやけに注文の数が多いな。いったい、何があったんだ? 」
「さあ、訳がわかりません。なぜか、お客さんが追加を頼み始めたんです」
「ふ~ん、まあいいか。理由は分からんが、商売が繁盛するなら大歓迎だ。さあ、次の料理が出来上がったから持っていけ」
今朝の食堂はいつも以上の賑わいになっていた。客たちは次々に追加注文をしては、気分よく料理を味わう。店員たちはお皿を運んだりして大変だし、料理人は調理に奮闘する。
この賑わいの中心はフゲンだ。
ただし、本人は周りの変化に気づいていない。彼はただひたすらに飯を食べるのみ。わき目もふらずに料理を愉しむだけなのに、周りの者たちに影響を与えている。
まったくもって不思議な男である。
「失礼ですが、フゲンさんでしょうか? 」
歳若い女性がフゲンに声をかけてきた。
頭からすっぽりと外套を被っているので、顔はよく見えない。ただ、フードの切れ間から革鎧が見えており、それは身体の急所だけを守るもので動きやすさを重視したもの。しかも、片手には短槍をもっているので、彼女は軽戦士系の槍使いだとわかる。
「ああ、確かに私はフゲンだが。君は? 」
「初めまして。わたしの名前はラン・ラムバー。この度、当地に赴任してきました」
ランと名乗った女性は外套をはずした。
見た目は二十歳半ばの若い娘である。端正な顔つきで美人なのだが、大きな瞳に愛嬌があって可愛らしい印象のほうが強い。さらに、彼女の眼はクリクリとよく動いており、その様子から好奇心が強そうな感じがする。
引き締まった身体つきとショート・カットの髪型から推測するに、活発に動くタイプの娘であることが窺い知れる。
フゲンは料理を頬張りながら、
「ああ、君がランだね。堅苦しい挨拶はいいから、とにかく座ってくれ。それと、君は朝食を済ませたかい? もし、食べていないなら一緒にどうかね」
「……、はい」
彼女は少しばかり躊躇いながらも着席した。背筋をピンと伸ばして姿勢よく座るその姿は少しばかり硬い。しっかりと礼儀を守る性格のようだ。
「ラン君。朝食ぐらい奢ってやるから遠慮することはない。それとも何か、君は朝食を食べない派かね? 体形が気になるとか言って、朝食を抜く輩がいるが、そんな真似をしちゃあ駄目だよ」
フゲンは食事の重要性を力説し始めた。
朝食は絶対に食べるべきだし、その日を積極的に活動するために欠かせない大切なエネルギー源であると。
エネルギーがなければ身体は調子よく動いてくれない。そもそも体力がもたないし気力も湧いてこないから、朝食を食べないなんて悪習慣は即刻やめるべきだと、フゲンは主張する。
フゲンには自己中心的なところがある。
初対面の人物を相手に朝食の重要性を話題にするのは、あまり適切ではない。ましてや、相手は年若い女性だし、その彼女が戸惑っているのに気づきもしない。
まあ、空気を読まないというか、我が道を征く感じだ。
ただし、悪気があってのことではない。相手を思いやってのことであり、彼の心根は善良なのが救いだろう。
そうこうするうちに、注文していた料理が運ばれてくる。
皿の数も多いが盛られている量もすごい。フゲンは運ばれてきた皿をランの前に並べた。
「さあ、ラン君。遠慮せずに食べたまえ。我々の仕事は体力勝負だから、しっかりと朝食をとって体調を万全にするべきだ」
「はぁ、フゲンさんがそこまでおっしゃるなら……。では、遠慮なくご相伴させてもらいます」
ランはにこりと笑って、フゲンの食事の誘いに応じる。
彼女の態度は落ち着いたものだ。初対面の人間と食事を共にするような場面になっても、警戒する様子はまったくない。
おまけに、奇人変人の部類にはいるようなフゲンを相手にしても、まったく物怖じすることなく堂々としている。
「では、いただきます」
彼女は行儀よく肉を切り分け始めた。慣れた手つきで料理をさばくのだが、その行儀作法はしっかりとしており、彼女の姿は様になっている。品良く食事する様子から彼女の育ちの良さがわかる。
「ああ、どうぞ遠慮なく召し上がれ。ここが高級料理店ではなくて、冒険者組合付属の食堂なのが残念だがね。
それと、改めてあいさつを。私はフゲン・バドラだ。よろしく」
「わたしはラン・ラムバーと申します。しばらくの間、フゲンさんについて仕事を学ぶようにと指示を受けました。何も知らない若輩者ですが、何卒ご指導のほどよろしくお願いいたします」
「ああ、教導役の件については了解している。ただ、私には教師役というのは似合わなくてね。そこでお願いなのだが、あまり畏まった態度はやめてほしい。具体的には私のことを上司と思わないでくれるとありがたい。まあ、君の先輩役だと思ってくれるとうれしいかな」
「ええ、分かりました。フゲンさんがよろしければ。それとも“フゲン先輩”とお呼びしたほうがよろしいですか? 」
「どちらでも構わないよ。君の好きにしてくれたまえ。それよりも、まずは朝食を楽しもう。そのあとで、今後の活動方針やら“この地”についての説明をするから」
「ええ、わかりました」
二人は会話をしながら食事を続ける。フゲンは相変わらず上機嫌で料理を平らげているが、同時にランが食べる量は尋常なものではなかった。
ランはひたすら食べ続けるのだ。
彼女は行儀よく料理を口にするけれども、その手は全く休まることがない。ずっと同じペースで肉を切り分けて口に運び、スープを飲みくだし、野菜を咀嚼する。
彼女の身体は見事なボディ・ラインを保っているのだけれど、その身体のどこに大量の料理が納まるのだろうかと疑問を感じるほどである。
「おう、ラン君。見ていて気持ち良いくらいに、すばらしい食べっぷりだ。全くもって見事なものだね」
「恐れ入ります。フゲンさんの仰るとおり、わたしも食事はきっちり取る主義なので。こう見えても、自分は肉体労働派です。
あっ、お姉さん。この肉料理をもう二皿追加してください。ついでに、芋を茹でたヤツも頼みますね。それと、堅パンもおかわりで。面倒くさいから籠ごともってきて」
フゲンとランのテーブルには既に大量の料理が並ぶ。
ついでに言えば、空になった皿が幾重にも積み重なっている。それだけでも凄いのに、ランはさらに追加注文するのだ。
料理が次から次へと運ばれてくる様子は周りの注目を集める。
「おい、あそこの二人の食べる量がすごくねぇか? カラっぽの皿だけでも二十人分以上はあるのに、さらに追加を頼んでいるぞ」
「ああ、俺もそう思っていた。やたら機嫌良く喰らう男も半端ないけど、女のほうがもっとヤバイ。いったい、あれだけ大量の料理が細っこい身体のどこに入るのか謎だ」
「アタイ、なんだか気分が悪くなってきた……。ごめん、ちょっと席を外すわ」
食堂にいた冒険者たちは呆気にとられていた。
彼らはランの食事姿から眼を離せないでいるのだ。彼女は一定のペースを保ったまま食べ続けており、ひと時も手が止まらない。
まるで深い井戸にモノを放り込んでゆくようなもので際限がない。料理が次から次へと吸い込まれてゆく。
しかも不可解なことに、彼女の腹部はまっ平なままである。
あれだけの料理を食べれば、お腹はパンパン膨れて当然なのに、彼女の見事なボディ・ラインは変化していない。
そのせいで、ランが奇術を演じていると、勘違いする者まで出る始末だ。
男性店員がフゲンとランのテーブルにやって来た。
すこしばかり挙動がおかしい。店員が決してランに視線を向けようとしないのは、彼女を恐れているからだ。
そんな店員が言いにくそうにフゲンに告げる。
「お、お客さま。た、大変申し訳ないのですが、もう料理を出すことができません。これ以上の注文はご勘弁願えないでしょうか。食材が残っていないのです」
「おや、そうなんだ。材料がないなら仕方がないね」
フゲンは素直にオーダーストップを受け入れた。
彼は朝食をたっぷりと食べたので充分に満足している。
一方のランは品よくナプキンで口を拭きながら、
「あら、もう終わりなの? いま少し食べ足りないし残念だわ。また来るから、もっと食材を準備しておいてね」
「は、はい」
男性店員はランの台詞を聞いてブルリと身を震わせてしまった。
ランの口調は穏やかなものであったが、店員には彼女の声が悪魔のように聞こえたのだ。しかも、店員が返事をした際にランに視線を合わせたのだけれど、彼の眼にはランの姿は悪鬼羅刹のごとく恐ろし気なものに映った。
これ日からしばらくの間、男性店員は悪夢に苦しむことになる。