1-02.早朝の騒ぎ
『ふあぁ~ 』
ニャン助は口を大きく開けて欠伸をした。
さらに眠気を振り払うために、前方に前脚をつきのばして全身を使って思いっきり伸びをする。
周囲は薄暗い。天井近くにある小窓から仄かに月明かりが差し込んでくる。窓からみえる空の様子だけでは、真夜中なのか夜明け前なのか判別できない。
でも、ニャン助は明け方近くであることを知っている。
彼の体内時計は正確無比なのだ。寝る前に起床したい時刻を強く意識すれば、そのとおりに目覚めることができる。
これは彼の特技であり、機械仕掛けの時計などは不要なくらいだ。まあ、この特技といっても自然と身につけたものである。
毎朝毎朝、寝起きの悪い同居人を起こしているうちに、自然と正確な時刻が分かるようになったのだ。
『ねえねえ、あるじぃ~。起きる時刻だよ』
「ンゴ~」
ニャン助は声をかけるが返ってくるのはイビキだけ。
再び目覚めを促すが、相手はシーツに包まるばかりで目覚める気配はない。
『ハァ。いい加減にしてほしいなぁ』
ニャン助はフゲンの眷属だ。
その役割は主を補助すること。彼の主人は“この世界”の生き物すべてを完全消去するための準備を行っており、ニャン助はその手伝いをしている。
手伝いといってもその内容は非常に高度だ。
例えば、魔法陣設計情報の管理、進捗状況の把握と予測など、魔法陣設置に関わる作業支援が中心である。
他にも大切な仕事があった。それは主人のお世話だ。これがなかなかに苦労する。主は大変に優秀な人物なのだが、その一方で多くの欠点を抱えた問題児なのだ。
彼の主人の欠点のひとつ。
それは朝の寝起きが非常に悪いことだ。ニャン助が目覚めを促してもなかなか起床してくれない。二度寝は当たり前だし放置しておけば二十四時間連続で眠り続けたりする。まったく困ったものだ。
さすがに、本人も問題だと認識していた。自分を目覚めさせるためには少々過激な手段を使っても良いと、ニャン助に許可している。
『起きてねぇ。優しい言葉はこれで最後だよ~。これでダメだったら、どうなっても知らないからねぇ』
ニャン助は主の顔を猫パンチで叩く。
普段ならもう少し寝かせてあげるのだが、今日は約束があって遅刻は許されない。待ち合わせの時刻に間に合わせるためにも、絶対に目覚めさせる必要がある。
ニャン助の仕事は主人を補助することだし、自分の職務を果たすことに何の躊躇いもありはしない。
『仕方がない。実力行使しかないかぁ~。装備JGSDF〇二番を着装! 』
ニャン助は“仕方がない”と言っているが、その口調は実に楽しそうだ。
眼はキラキラと輝いているのが何よりの証拠である。おまけに、尻尾がピンと天高く伸びている様子からして、感情が高ぶっているのは間違いない。
さらに、ニャン助の気分を高揚させるもの。
それは魔法で召喚した戦闘服だ。これは日本国陸上自衛隊の迷彩服で彼のお気に入りの装備である。
さらに、彼は頭に繊維強化プラスチック製ヘルメットを被り、肩から弾帯用つりバンドを掛けている。コスプレにしても本格的すぎるくらいだ。
身体は小さくてもニャン助は男の子。かっこいい戦闘服を着込めば気持ちも高ぶるというものである。
ただし、はたから見れば誠に可愛らしい。
まるでぬいぐるみである。小さなニャンコが勇ましい戦闘服を身につけているなんてギャップ萌え過ぎる。カワイイもの好きの女の子たちの心臓を射抜くこと確実であろう。
『これより、“星一号作戦”を開始するぅ』
ニャン助は高らかに宣言した。
ただし、作戦なんて言っているが単なる思いつき。なんとなく語呂の響きが良くて勇ましい感じがすれば良いのだ。要は気分が高ぶればなんだって構わない。
ちなみに、この“星一号作戦”の出元は機動するスーツを着込んだ兵士たちの物語である。“白いヤツ”とか“三倍速い朱の機体”なんて人型兵器が戦ったりする。なぜにニャン助が宇宙世紀時代の作戦を知っているのか不思議だ。
『砲弾の装填準備、【水塊浮遊】』
水塊がプカリと宙に浮かんだ。
それは水瓶に溜めた飲料水を利用したもので直径三センチほどの大きさ。どうやら、ニャン助は水塊を砲弾に見立てて、敵を“攻撃する”つもりのようだ。
『戦闘支援術式起動。目標、寝台に横臥する人物の顔面中央部。攻撃方法、魔法形成弾による曲射射撃を選択。
測定を開始。……距離七二二センチメートル、風速ゼロメートル、風による影響はなし。観測諸元を基に弾道計算を…… 』
ニャン助は実戦さながらの雰囲気を漂わせて準備を始めた。
いや、なにが実戦なのか知らないけど、ちょっと大袈裟にすぎないか? たかが人ひとりを目覚めさせるだけに、ここまでする必要があるのか問い詰めたいところである。
『準備完了。射撃よう~い、てっ! 』
ポヒュ!
かわいらしい音が響く。
なんと、ニャン助は射撃音までも魔法で再現していた。だが、それはハッキリ言って魔力の無駄使いだ。水塊を飛ばしているのは魔法なので火砲の発射音なんてしない。にもかかわらず、大砲の音までさせたのはニャン助のこだわりである。
小さな水塊は空中をフワフワと移動してゆく。
その速度は非常にゆっくりしたものだが、きれいな放物線を描いていた。さすがに、正確な測距やら緻密な弾道計算をしただけあって、水塊は正確に目標へと向かっている。
ニャン助は測量器を覗きながら、
『目標到達まで三、二、……、弾着~、いまぁ! 』
ピッシャ!
水塊は目標に命中した。
攻撃対象は情けない声を出して起き上がる。
『対象の撃破を確認! これをもって本作戦の終了とするぅ~ 』
こうして、ニャン助は今朝一番目の仕事を完了させたのである
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「フガッ! 」
フゲンは小さな悲鳴をあげて跳び起きた。
突然、水塊が無防備な口腔に入り込んでしまったからだ。しかも運の悪いことに水が気管支のほうへと侵入したのだから堪らない。
まともに呼吸ができなくて息苦しい。思わずゲホゲホとむせるわ、鼻水が垂れ流れてシーツに染みをつくるわで非常に情けない状態である。
「ゲフゲフ……。ああ、びっくりした。ニャン助、おはよう」
フゲンは涙目になりながらもニャン助に挨拶をした。内心では小さな黒猫の起こし方は手荒だなと思っているが、それを言葉にすることはない。
というのも、己の目覚めの悪さを自覚しているのだ。どんな手段を用いても良いから起こしてくれとニャン助に頼んだりもしている。
かわいらしい相棒はその言葉を信じて自分を起床させてくれた。仕事を忠実に果たしてくれる眷族に感謝こそすれ、文句なぞ言えるはずもない
『おはよう、あるじぃ』
フゲンはニャン助がご機嫌であることに気づいた。
どうやら、この小さな黒猫は己の仕事をやり遂げたことに、大変な満足感をおぼえているらしい。
「起こしてくれてありがとう。それにしてもニャン助はカッコいい迷彩服を着込んでいるんだね。なんだか凄く勇ましいよ」
ちっちゃな猫が戦闘服を着込んでいる姿は愛らしい。
勇ましいというよりは可愛い印象が優っている。まるでヌイグルミのようだ。ちなみに迷彩服は彼の小柄な体躯に合わせたミニ・サイズである。いったい、どこでこんなものを仕入れてきたのか不思議だが、細かいとこは言わないでおこう。
『ありがとうございます~。しかしながら、本官は己の任務を果たしただけなので、お気遣いは無用でありますぅ』
ニャン助は敬礼する。その口ぶりは軍隊調でどこぞの兵隊さんを真似ているのだろう。本人はキリッとした軍人さんを演じているつもりのようだ。でも、無理して背伸びをした雰囲気だし、とても微笑ましい。
しかも、ニャン助は満面の笑みをうかべていた。
勇ましいと評されたことがよほど嬉しいのだろう。黒いしっぽが天を突かんばかりにピンと伸びているし喉がゴロゴロと鳴っている。喜んでいるのは間違いない。
全身から出てくる“もっと褒めて”の雰囲気が凄い。それを感じたフゲンは“見栄えがして惚れ惚れするぞ”とニャン助を褒めたたえた。
そんな他愛ないやり取りの後、フゲンは寝室を出る。
大きなあくびをしながら、キッチンの収納庫をゴソゴソと漁って、堅パンをふたつ取り出した。
「ニャン助。とりあえず、これを食べて。ちゃんとした朝ご飯は街でとるから、それまではこれで我慢しておくれ」
『うん、わかったぁ。話を変えるけれど、物資の在庫が少なくなってきたよ。主に食料と生活消耗品だね。購入リストを作っておいたから確認しておいてね』
「ああ、分かったよ。いつも面倒な在庫の管理をしてくれてありがとう」
フゲンがいる場所は岩沙漠の活動拠点だ。
彼は岩山のひとつを選び、その内部を掘削して居住空間をつくった。普通の人間なら道具なしに掘削するなんて不可能だが、フゲンは強力な魔法を使えるので問題ない。
室内はなかなかに快適である。
岩沙漠の気候は寒暖差が激しいが、この活動拠点のなかの温度は変動しない。分厚い岩石の壁のおかげだ。井戸の水温が季節に関係なく一定なのと同じで、岩山の内部は適温が保たれている。
フゲンはテーブルの上に備品類を並べ始めた。
硬貨がジャラジャラと鳴る小さな布袋、護身用の短剣が二振り、大小二種類の工作用ナイフ、その他雑貨類をつめた麻袋などだ。
さらに、大量の【術 符】を別のテーブルに並べる。
これは魔導回路を描き入れたもので、これに魔力を注力すると魔法が発動する。予め仕込んでおけば、あらゆる属性の魔法が使用できるので、非常に便利な魔導具だ。
欠点は準備に手間がかかることと、使い捨てなので費用が高いことの二つだ。ただ、フゲンは【術 符】を自作するので制作費は無視できる。
「…は背嚢に入れるものだな。財布よし。護身用短剣よし。記録用筆記具一式よし。調査器具一式…… 」
フゲンは物品ひとつひとつを指差してゆく。
この動作は【指差呼称】というもので、安全の確認や人為的失策を防止する手法だ。
彼はこれを頻繁に使っている。戸締り確認はもちろん、仕事や日常生活のことでもいちいち指で差して声を出さずにはいられない。
無意識に【指差呼称】を行うほどで、それはもう信奉者と表現しても良いだろう。
「持ちもの全て、よし。ではニャン助、出発しよう」
『わかった~ 』
フゲンたちは階段を登った。
向かう先は活動拠点がある岩山の頂だ。
空は未だ薄暗くていくつもの星が輝いている。
ただ、東側の地平線近くは明るい薄紫色へと変化していた。あと数十分もすれば太陽が地平線から姿を現すだろう。
早朝の気温は肌寒く、フゲンが吐く息は白い。
この地域の寒暖差は激しい。夜明け近くの気温は氷点下にまで下がるし、日中になると五十度以上にまで上昇する。岩沙漠地帯は厳しい自然環境なのだ。
ニャン助も寒そうにブルブルと身体を震わせていた。
彼は小さくひと鳴きすると、フゲンが担いでいる背嚢の口を器用に開いて入り込んだ。しばらく中でモゾモゾとした後、頭をヒョコリと出す。
『あるじぃ~、準備完了だよぉ』
フゲンは了解と返事して、小脇に抱えていた板状の物体を地面に置いた。
それは【風乗り板】という飛行用の魔道具だ。片足をのせて魔力を通すと、中央部に刻まれていた魔法陣が淡く光りだす。
「じゃあ、出発だ」
フゲンは勢いよく岩山の頂から飛びだす。
そのまま、岩沙漠地帯特有の乾いた風をうまく捉えて一気に上昇した。高度百メートルほどの辺りで岩山を中心にして旋回、辺りに異常がないかを確認すると、さらに高度を上げて目的地へと向かった。