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00-05.階梯の昇格


 我が上司の雰囲気がガラリと変わった。

 先刻までの彼女は柔らかな表情であり、気軽に冗談を交わせる様子であった。しかし、今は全身から放たれる圧力が強烈だ。

 “威風”という言葉があるが、まさに彼女から放たれる威厳は“風”のように、私にむかって吹きつけてくる。


「では、本題にはいる前にあなたの意識を調整します。少しばかり精神に圧力がかかるので意識をしっかりと保つように」


「はい。わかりました」


 彼女はパンッと音をたてて両手を軽く合わせた。

 それと同時に私の内部に圧力がかかり始める。私の魂は彼女と接 続(コネクト)されていて、そこを通じて精神エネルギーが流れ込んできたのだ。


 それはまるで氾濫した河川のようであった。

 荒れ狂うエネルギーの奔流(ほんりゅう)轟々(ごうごう)と音をたてながら、私のなかに入り込んでくる。激しい流れは()く手の途中にあるすべてのものを押し流し、行き着く先にあるもの一切合切(いっさいがっさい)を沈めてしまう。

 そんな恐怖を感じた私は思わず身を(すく)めてしまう。とてもではないが平静ではいられない。


「クッ! 」


 私は意識をしっかりと(たも)とうとした。油断すると精神エネルギーの激流に飲み込まれて、意識が吹き飛んでしまうからだ。

 もし、そんなことになったら致命的な事態に(おちい)ってしまう。濁流に翻弄されたうえに、バラバラに分解されて魂が消失すること間違いなしだ。


 ただひたすら耐えるしかない。ヤセ我慢でもいいから、この苦しいひとときを(しの)げばなんとかなるはずだ。

 私は歯を食いしばり(こぶし)を強く握りしめる。いつの間にか身体中の筋肉を強張(こわば)らせて、全身をブルブルと震わせていた。


 そんなヤセ我慢が(こう)(そう)したのか、徐々に精神エネルギーの流入に慣れてくる。

 

 しばらくすると、先刻までの苦痛が嘘のように遠のいた。

 理由は私と彼女を繋ぐ魂の接続部が拡張したからで、今では精神エネルギーの流れは滔々(とうとう)と流れる大河のようだ。

 幅の狭い山岳の渓流では水の勢いは急だが、平野部の大河ではゆったりしたものになる。大河の河幅は格段に広くて、その流れは穏やかにみえるけれど、流入する水量は格段に多い。それと同じだ。


 自分で思う以上に魂の容量があるのだろうか。我ながら感心するが、こんな膨大なエネルギーを流し込まれても意識を維持していられるのが不思議だ。


 私の身に起きている現象は【階梯昇格クラシス・プロモーティオ】。

 目的は“存在格”、つまり“私自身の在り方そのもの”を引き上げることだ。これを行うために、我が上司は精神エネルギーを私に流し込んだのである。


 そもそも、私と我が上司との間には途轍(とてつ)もない階梯差がある。

 存在としての“格”が違いすぎるのだ。

 私は彼女と東屋(ガゼボ)相対(あいたい)しているが、本来なら(あお)ぎみてもその天辺を見定めること(あた)わない。


 相手は“神にも等しい”と称される存在である。

 私と彼女の差を例えるなら、“コップ一杯の水”と“果てしなく広がる大海原”を比較するようなものだ。並び比べること自体が馬鹿らしい。


 私ができることといえば、渇き苦しむ者に“コップ一杯の水”で(いや)しを与える程度でしかない。

 一方の彼女は“果てしなく広がる大海原”のように、数多くの生き物を産み育てる偉大な存在なのだ。

 ついでに言うと、私の魂は彼女とは不可分の関係である。私という存在自体が彼女に組み込まれている。


 我が上司は数多(あまた)の天使たちの集合体であり統括意識体でもある。

 さらに言えば、私たち天使ばかりではなく、彼女の統括下にあるすべての世界が彼女の内部に包含されていた。数多くの世界群を内包する彼女の在り方は“創造する者()”のミニチュア版なのだ。


 そんな彼女と私が会話できているのは、彼女がわざわざ存在格を下げているからだ。彼女は己の一部を矮小(わいしょう)化して、この場に(のぞ)んでいる。言葉を換えれば“降臨”しているのだ。


 で、私と彼女の階梯差を縮めるための作業が【階梯昇格クラシス・プロモーティオ】なワケだ。まあ、私の階梯が上がったといっても(たか)が知れている。

 会社の役職でいえば、ペーペーの平社員が課長職についたようなもので、ちょっとした権限を与えられた程度。しかも一時的な処置でしかなく、今の状態が永続しないので少し残念なかな。


「どうですか。あなたの階梯は予定通りに昇格しましたか? 」


「は、はい。問題はありません」


 周囲に広がる景色が一変していた。

 深く透き通るような群青色の空間が広がっているのだ。先刻まで、私は大理石製の東屋ガゼボにいたはずなのに、今は屋根や石柱など視界を遮るようなものはない。

 ただ、遠くまで見通せる空間があるばかり。


 果てが見えない空間には小さな光の粒が無数に漂っている。

 それら光粒の群れは動いていて、ひと(とき)たりとも静止しておらず、無数に集まって幾筋もの流れをつくっていた。

 ゆっくりと動きながら大きな渦を形成するものがあれば、別の箇所では滝のように流れ落ちてあたりに光の飛沫を散らばせている。

 合流や分岐を繰り返す光の筋は幾本もあって、それらは空間の彼方まで延々と続いていた。

刻一刻と変化する(さま)は万華鏡にも似ていて見飽きることがない。


 驚くべきことに、光粒の一つそれ自体がまるまる一個の世界である。


 ―――これは“神の視点”だ。


 我が上司は“神にも等しき者”と称されているが、その彼女が常日頃から眺めている景色がこれだ。

 彼女の役目は世界たち(・・・・)を維持管理すること。

 この勤めを果たすために、世界の群れ全体を把握する必要がある。そのための“神の視点”だ。彼女は、この無限ともいえる光粒の群れを多元な階層構造として全体認識している。


 私はクラクラと眩暈(めまい)がしてきた。

 “神の視点”から流入する情報量に圧倒されたからだ。我が上司によって私の存在格は上がっているはずだが、それでも津波のように押し寄せる情報は簡単に処理できるものではない。ちょっとやそっとの昇格では対応しかねるくらいだ。


 その圧力に負けないよう意識圧を高める。しばらく頑張っているうちに状態に慣れてきたのか、あたりを観察する余裕がでてきた。



「よろしいですか。わたくしが指し示す“あの世界”へ意識を向けてください」


「はい。わかりました」


 彼女が示した世界に意識を集中させる。


 そこは、私が今まで仕事をしていた地球に似ていた。

 大きさは直径約十三万キロ弱、陸地三割に対して海洋七割。気候もそっくりで熱帯から亜熱帯、温和帯、両極部は寒冷帯になっている。


 自然は豊かなようだ。青々とした草が生えた高原。

 穏やかな波が打ちつける海岸。

 赤茶けた荒野。

 白い雲を(まと)わせた険しい山脈。

 地上では群れをなして走る草食動物。空にはきれいなV字の列をつくって飛ぶ鳥たち。

 海には尾ビレをゆっくりと振って優雅に泳ぐ海洋生物がいる。


 人間も住んでいた。その種族の多様さが目立つ。

 標準タイプの人 間(ヒューマン)をはじめ、犬型人や猫型人に代表される獣人系人種。森精人種エルフ岩窟人種(ドワーフ)などの亜精霊系人種と変化に富んでいる。


「うん? “あの世界”はなんだか変だな」


 私は妙な違和感を覚えた。人間種の雑多さが不自然すぎるのだ。その疑念を解決すべく情報を収集することにした。


 天使が持つ権能のひとつ、【念信接続】を使用する。

 接続先は【天界の記録保管庫パラディシアック・ビブリオ】で、ここにはあらゆる情報が格納されている。

 天使たちが仕事上知り得た知識や各事業の計画と実績、各種ノウハウなど、すべての情報をここに納め続けているのだ。

 そのため、格納されている情報量が膨大すぎて、誰も全体像を把握することは不可能とされるくらいである。


 また、閲覧の制限がある。天使の階梯ごとに接続可能領域が決まっているためだ。しかも、閲覧者自身の情報処理能力にも左右されるので、下っ端天使の私なんかでは、解読できる情報量は限られていた。


 しかし、今の私は特別な状態なのだ。

 我が上司による【階梯昇格クラシス・プロモーティオ】のおかげで、閲覧制限は大幅に解除されている。さらに、情報処理能力も上昇しているから全く問題はない。


 【天界の記録保管庫パラディシアック・ビブリオ】を適当に(あさ)ってみた。

 “あの世界”に存在する国家やら言語、文化風習などひと通りの情報が格納してあるが、あまり整理されていない。とりあえず放り込んだという感じだ。おまけに一次情報ばかりで、分析や考察など情報加工したものは数えるほどしかない。


 他の世界と比較すると“あの世界”の情報量は極端に少ない。

 人口は少ないし文明や科学技術の程度も低いからだろうか? あるいは、現地の天使が人手不足なのかもしれない……。ちょっと妙な感じがするな。


 結局、私が【天界の記録保管庫パラディシアック・ビブリオ】から抜き出したのは、現地住人の遺伝子情報だ。これで人間種の雑多さの理由が分かるだろうし、住人たちの相関関係も把握できるだろう。


 遺伝子情報の解析を始める。

 ふむ、他の世界でもよく見かける標準型人間種だな。核酸はデオキシリボ核酸(DNA)リボ核酸(RNA)の二種類。塩基物質はアデニン、グアニン、シトシン、チミンの四種類。現地住人の染色体は四十六本で、遺伝情報は塩基配列にコードされている。


 ここまでは普通だな。特に異常を感じさせるものはない。


 よし、遺伝子の系統樹図(けいとうじゅず)を作成してみよう。

 確認できるかぎりの人種―――つまり標準的な人 間(ヒューマン)型から獣人系人種、亜精霊系人種などだが―――のサンプルを集めてみる。

 合計すると一万人分になってしまった。人間ひとりの遺伝子数は約二万個、塩基対六十億個にも及ぶ。それを一万人分も解析するのだから、その作業量は大変なものになってしまう。


 しかし、今の私なら楽勝だ。

 いやぁ、“【階梯昇格クラシス・プロモーティオ】万歳! ”って感じだ。私の情報処理能力は格段に上昇しているので、一万人分の遺伝子情報の解析や、系統樹図(けいとうじゅず)の作成なんて簡単なものだ。


 しばらくして、解析結果がでた。


「ん? なんだ。これは妙だぞ」


 私は解析データをみて思わず声をだしてしまった。



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