2-16.異天
今回の裁判には政治的配慮が必要とされている。
幸いなことに、裁判員役の議員は、きわめて上質な現実主義者の集団だ。彼らは市民感情に配慮しつつ、時間をかけて丁寧に審議を重ねた。
政治の要諦は利害調整だ。
対立する者たちが集まり、その利害を調整して折り合いをつける作業だともいえる。妥協点をみいだして、皆を納得させる落とし処に着地させるのが、一流の政治家というものだ。
ただし、なにかを決定すれば、必ず多少の不満が残るもの。
協議結果が、関係者全員を満足させるなんてことは絶対に“ない”。
ゆえに、理想主義者が政治家になるのは無理だ。
あるべき理想的結果だけを主張して、妥協することを許さないのだから。仮に政治家になったとしても、口やかましく騒ぐだけの三流で終始する。
彼らイデアリストの理論は二元論になりがちだ。
絶対的な善や悪があって、正義が為されるべきだと考える。一方的に自分が信じる正義を主張し、他者にも言い分や理があることを認めない。
とどのつまり、夢見がち頭の中がお花畑な人間が、政治的主導権を握ると碌なことにならない。
これは異世界でも地球世界でも共通する真理であろう。
政治に関わる者は現実主義者でなければならない。
今回、裁判の議論を主導したのは現実主義者であった。
彼は森精人種であるが、雑多な種族で構成されている都市国家エストムの市民感情をしっかりと認識している。他の審議官とて同じであり、市民たちの心情に配慮した結論をだした。
判決の主要な点は三つ。
その第一点は、被告人は無罪ということ。
集会所への攻撃命令のタイミングは早すぎたきらいはあるが、被害拡大を防ぐためにはやむを得ない判断であったとした。
これは、『小を犠牲にして、大を生かす』に間違いはないと示したのだ。
第二は、議会の宣言。
これは、一般市民に対する和解のメッセージだ。
内容は、指揮官は安易な犠牲を強要しないと明言したこと。今後は貴族階級の者は率先して犠牲を負担するであろうとも付け加えた。
単純にいえば、安直に『小を犠牲』にしないと誓ったものである。
第三点目は、多額の謝礼金を支払うこと。
対象は、攻撃に巻き込まれた被告人、つまりフゲンだ。あくまで魔物撃退に対する『謝礼』であって『謝罪』ではない。
なお、謝礼金の半額を被告パティナクスが負担することになったが、これには彼に対する懲罰の意味が暗に込められていた。
こうして、裁判は終わる。
フゲンは公会堂の外にいた。
横には軍団長ライオネルがいて、互いに愚痴などを言い合っていると、ひとりの男が近づいてくる。
裁判被告人の魔導師長であった。
ライオネルが用心深く言葉をかける。
「ふむ、パティナクス殿。なに用か? もし、判決内容に不服があるとしても、フゲン殿に物言いするのは筋違いというものだぞ」
「そう警戒するな、ライオネル殿。私は、フゲン殿と少し話したいだけだ。つけ加えるなら、裁判の結果がどうであれ、自分の判断に間違いはないと自負している。戦場の指揮官として、あの場では攻撃することが正しかった。
それについて考えを変える気はない。誰にも謝るつもりもない。
ただ、私人として感謝を伝えたいだけだ。
フゲン殿は、我が息子を助けてくれた。少々遅れてしまったが、父親として貴君には礼を述べたい。愚息を助けてくれてありがとう」
「わかりました魔導師長。その感謝を受けさせていただきます。でも、私はこの国との約定に従い、対魔物戦に助勢しただけのこと。特定の誰かを助けたのではなく、目の前にいた負傷者に手を差し伸べたのです。
まあ、感謝の印を受け取るのに拒否はしませんがね。というか、いつでも歓迎ですよ」
「なるほど、ならば感謝の印は言葉ではなく、形あるものにして示そう。貴君はライオネル殿の屋敷に滞在するのであろう? 明日にでも、特上の酒を届けさせよう」
「ええ。期待してお待ちしています。
話のついでなので、魔導師長殿にお尋ねしたいことがあります。
あなたは、裁判で祖国エストムのためであれば、少々の犠牲があっても構わないと仰いましたね。犠牲にはご自分を含むのでしょうか?
また、対象者の数が『少々』から『多大』に増えても、その判断は変わりませんか。極端な例ですが、国家のためであれば、世界中の国々を犠牲にしても是とするのですかね? 」
パティナクスは、フゲンの問いに対して顔色ひとつ変えない。
それどころか、傲然とした態度で返答をした。
「それは愚問というもの。私は、エストムの栄えある議員である。議員たるもの、国家と国民に対して責任を一身に背負う。国のためであれば、我が身を犠牲にするのは当然のこと。
さらに、他国に犠牲を強いることに、まったく痛痒を覚えない。たとえ、『世界すべての国を犠牲に』しても、【エストム】が生き残るのであれば、断固として実行するだろう。
私が議員でいられるのは、国民が私を信任してくれたからだ。その職務を全うする覚悟がある」
「なるほど。責任と覚悟があるのですね。では、あなたが議員ではなく単なる一般市民であれば、どう判断しますか? 」
「ふむ、その場合は別の判断になるであろうよ。公人を離れれば、一介の市民ということになる。
ならば、多大な犠牲をだすことは反対するであろう。
なんら義務を負わず、ゆえに権力をもたない。しかも、発言に責任をもたずに済むのだから、気楽に思うことだけを言えるであろう。なんとも、うらやましいことだ。
だが、その例え話はありえまい。
私は祖国エストムにこの身を捧げた。あり得ないことを前提した仮定の質問など無意味であろうに」
「それは失礼いたしました。お答えいただき感謝します。魔導師長殿のお考えはよくわかりました。ご指摘のとおり、『世界すべてうんぬん』は荒唐無稽な例え話でしたね。
追加でもうひとつ、お尋ねします。犠牲になる者に対して思うことをお聞かせいただきたく」
「犠牲になる者か……。その多くは弱き者であり、罪や落ち度はない人たちだろう。しかし、残念ながら“力”がないが故に犠牲になることを強要されてしまう。なんとも哀れな立場だ。
私は支配者階級に属するが、いつも犠牲を強要するつもりはない。誰が好き好んでそんな無理強いをするものか。
だが、必要であればためらわず、その判断をする。
言い訳するつもりはない。犠牲となる者からの批判や恨みは甘んじて受けよう。つけ加えるならば、あの世で犠牲になった者たちに詫びようさ。それが政治的責任を負う者の覚悟であろうよ。
ふむ。埒もない話をしすぎた。礼を伝えるだけで終わるつもりであったのにな。では、私はこれで失礼する」
パナティクスは所用があるからと言い、その場を去った。
フゲンは、魔導師長の背中を見つめる。
ちょっと間をおいて、ライオネル軍団長に散歩してから屋敷に帰ると伝え、ひとりでブラリと歩き始めた。
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数千年後。
【神の視点】から眺める景色。
清浄で透きとおったデープブルーの空間が広がるばかり。そこには、無数の光粒が漂っていた。
小さな光の粒たちは常に動いている。
離散集合を繰り返して、一瞬たりとも静止することはなかった。
星々が集まってできる銀河星雲のごとく渦巻くもの。
あるいは、河川のように流れており、ときに分岐したり合流するもの。
別の場所では、荒波が磯にぶつかって水しぶきが飛散するのに似た動きをするもの。絶え間なく変化を続ける様は、まことに美しい。
淡く光を放つ粒ひとつ。
それ自体がまるまる一個の世界だ。
そう、ここは数多の世界を一望にできる超上位空間であった。
“彼女”が静かに語りはじめる。
この人物は【神にも等しき者】であり、フゲンを含む多数の天使たちを統括する存在だ。
「“異天”が、我々の領域に侵食し始めておよそ五千年。連中の侵食をくい止めるべく、我らは努力を重ねてきましたが……」
【異天】。謎の空間で魔物たちが群れ為すところ。
【神にも等しき者】たちが接触や交渉を試みたが。すべて失敗に終わっている。そもそも意志があるのかも不明。
現在では、まったく意思疎通ができない存在として認識されていた。
フゲンたち天使からすれば、完全な異物であり排除すべき対象だ。
“彼女”が指し示した先。
そこは、もともとは透明で清らかであるべきなのに、今ではすっかり赤黒く変色している。近くにある光粒=世界たちも悪影響を受け、醜い魔物どもが巣くう場所へと変質してしまった。
そこに意識を集中させるだけで、異臭が漂い吐き気がするほどだ。
「残念な報せがあります。わたしの同僚が管轄する領域ですが、完全破棄されることが決定しました。そこを管理していた彼とその眷属は、遊撃軍として動く予定です」
【神に等しき者】のひとりが完全撤退したのだ。
この事態が意味すること。フゲンが属する領域でも同じ状況に追い込まれる可能性がある。強力な神や天使でも防ぎきれないほどに、異天の侵食力は恐ろしいものなのだ。
「以前から、現状を挽回するための作戦計画を準備してきました」
計画の前段階は焦土作戦であった。
敵の侵攻をくい止めるために、自領地を焼き払って不毛の土地にする。今回の場合、相手が侵食して占領する場所そのものを、あらかじめ消滅させておくのだ。
焦土化の下準備をしてきたのがフゲンである。
最初のころは、彼ひとりで任務をおこなってきた。当時、世界ひとつを完全消滅させるノウハウは皆無。自分たちが維持管理するものを破壊する必要なんてなかったからだ。
彼は試行錯誤して惑星破壊用の大規模魔法陣を設置。
幾つも作成していくうちに、作業工程は短縮されてゆく。最終的に天使ひとりで、半年間の工期で設置完了できるほどになった。
この時点で、同僚の天使たちが作戦準備に参加。
もちろん、彼らの上司である”彼女”からの命令であり、フゲンは構築ノウハウを伝授した。
以降、焦土作戦の準備は順調にすすむ。
反対に、作業に従事する天使たちの心は徐々に鬱屈したのだが、それは些細なこと。異天に対抗するためには、必要なことなのだから。
「皆もすでに承知しているでしょうが、我々の領域は危機的な状況にあります。こと、ここに至っては多大な犠牲をだしてでも、異天からの侵食を止めねばなりません。いや、それ以上に反撃する必要があります」
こうして作戦が発動された。
フゲンが属する領域陣営による乾坤一擲の軍事行動である。
光粒たちが強く輝き、ゆっくりと消えてゆく。
キラキラと瞬く様は、夜空を彩る花火のように華やかで美しい。
ただし、その実態は世界の完全消滅。
ひと粒の光が消えるたびに惑星上の巨大魔法陣が起爆したことを意味する。結果、その地に住まう生物が滅亡していた。
消去対象の数は膨大であった
異天によって変質した世界だけでおよそ一万個。
その周辺に位置するものが約十万。
外科手術で癌を切除するのと同じで、転移している可能性のある周辺部位をも除去対象となっていた。
フゲンは湧きあがる強烈な感情を、無理やり抑え込む。
内心で荒れ狂うのは、怒りや悲しみ、哀れみなど。あらゆる気持ちが入り混じったもので、言葉では言い表すことができない。
ただ、マグマのように熱いものが心の奥底から押しあがってくる。
まわりにいる天使たちも同様であった。
誰も声をあげていないけれど、代わりに無言で放つ怒気が周囲に吹き荒んでいた。
彼らが激怒するのも当然だ。
天使の仕事は数多の世界を維持し管理すること。
誇りと愛情を持っておこなっていたのだ。義務や苦役などのように嫌々な気持ちで為していたのでは“ない”。
我が子を慈しみ育むのに似ていて、思い入れタップリに勤しんでいた。
手塩にかけた者たちを、自らの手で壊してゆく。
怒りの対象は、己の不甲斐なさ。もちろん、ことの元凶である異天を憎んでいるし、絶対に撃退する気でいる。ただし、それと同じくらいに自責の念が強い。
フゲンは怒りながらも、別のところで過去の記憶を蘇らせていた。
それは、上司に命令されて降り立った世界でのこと。
試行錯誤をしながら世界破壊用の巨大魔法陣を制作していた頃、とある都市国家の裁判に出席した。
被告人は魔導師長パナティクス。
その人物の信条は、じつに単純明快。議員として、国家の利益を最優先にすると明言した。公人であるが故に国益第一を考えて行動するとも語っている。
フゲンは戯れ半分に質問をした。
祖国のために、世界中の国々を犠牲にしても是とするのかと訊ねたのだ。
魔導師長は小揺るぎもせずに言葉を返す。
断固として実行するし、他国に犠牲を強いても痛痒を覚えないと。信任してくれた国民に対して責任があり、自分は己の職務を全うするとも。
魔導師長の発言は、しょせん田舎豪族の戯言だ。
所属する国は弱小で支配範囲は狭く、周辺への影響力は小さい。彼自身とて知識は偏っており、視野は狭くて柔軟性のかけらもなかった。
政治家としてみても、せいぜいが二流どまり。けっして一流の域に達することはない。
ただし覚悟だけは本物であった。
なんとも評価に苦しむところだが、朴訥かつ単純であるが故に力強い。田舎者特有の頑固一徹さだと表現しても良かろう。
当時、フゲンは迷いや躊躇いを感じていた。
『この世界のすべてを消去する』作業の準備中をしていのだけれど、納得して仕事をしていたワケではない。必要なことだと理屈では分かっていても、感情的に反発していたのだ。
そんな中途半端な心理状態であったがゆえに、彼は、魔導師長の気概を羨ましいと思った。
結局、フゲンは覚悟に欠けていたのだろう。
自分の心を騙しながら、巨大魔法陣の設置に勤しんできたのだ。
そして、今まさに数多の世界たちが消滅する現場に立ち会うことになってしまった。
「ふん、最後は開き直るしかないか。犠牲者からの恨みは甘んじて受けようさ。死んだ者たちには、あの世で詫びるしかあるまい」
彼がつぶやいた台詞。
これは、件の魔導師長が語ったものと同じだ。
今になっておもうこと。あの裁判被告人も、内心では罪悪感を持っていたのだろう。だが、それを表に現すことなく、傲岸不遜にもみえる態度を取り続けていた。
ただし、ヤツは本気で謝罪する気持ちを持っていたはず。
確信をもって言える。いや、分かってしまう。
なぜなら、いま現在のフゲンが同じ心理状態であったから。
彼は、同僚の天使たちと共に消滅する世界群を見続けた。
怒りの感情は鎮まることなく、次から次へと湧きあがってくる。もう、昂るエネルギーは圧力を増してゆき、しまいには身体が内側から破裂しそうだ。
ポッカリとなにもない空間ができあがる。
つい先刻までは、花火のような輝きが華やかに大輪を開かせていた。ただし、それは光粒、つまり世界が一斉に爆発して消滅した跡だ
中央部に、ガラスがヒビ割れたような亀裂があった。
【異天】である。正確に表現するなら、その裂け目からこちら側の領域と入ってくる進入路みたいなモノだ。
“彼女”が淡々と語りかける。
その口調は静かなのだけれど、実際にはとんでもない熱量が秘められていた。
「これより反攻作戦の後半を開始します。
我々は、はじめて向こう側世界へ潜入ことになります。今回の目的は敵情を把握することであって、敵を撃破することではありません。
かならず情報を持ち帰ってくるように。けっして無理をせず、能うことなら全員無傷で帰還してください」
「はっ! 」
フゲンは、同僚たちと共に声をあげる。
彼は異天への強行偵察に自ら志願した。
まわりにいるのは、各地で世界破壊用の巨大魔法陣を設置する任務をこなした者たちであった。共通するのは、ある種の罪悪感をもち、その罪を贖う機会を求めていること。
ぶっちゃけ、自分がどうなってもかまわないと思っている連中だ。
名称は偵察部隊であるが、実際は己の命を顧みず敵陣に突入するバカの集まりである。
部隊長が配下にむかって叫ぶ。
「いくぜ、野郎ども。俺たちのシマを荒らしまくる連中にひと泡吹かせてやろうぜ! 」
「おう! 」
フゲンは肚の底から大声だして同意する。
仲間とともに、未知の領域である異天へと突入した。