2-15.法廷論争
フゲンは公会堂の傍聴席にいた。
この建物は、都市国家エストムで最も重要な施設である。
その外観は美しい。壁は大理石で覆われていて、白亜の石柱が何十と規則正しく並ぶ景観は幾何学な“美”を感じさせる
内部は、幾層もの石段が大きな半円を描いており、すり鉢状に広がっている。半円の反対側は広めの壇上となる構造。
中央壇上には、都市防衛隊長のライオネルがいた。
身なりの良い男たちを前にして、張りのある声で報告している最中である。
「……というわけで、私は部隊を動かすべきだと判断した。
これまでの経緯を聞けば、防衛隊はできるかぎりの速さで対応したと、諸君には理解できたはずだ。
次に、問題の村の被害について話をしようと思う。
現時点での推定犠牲者は、およそ百五十名。村民は約五百人なので二割以上が殺害され…… 」
現在、臨時の議会が開かれていた。
参加者は、選挙で市民から信任された議員たちで、仕立ての良い長衣を身につけている。人種は様々で、普人種や獣人系人種、森精人種や土精人種などの精霊系人種など。
フゲンは議場の片隅で小さくボヤいてしまう。
「今回の契約とは関係ないのに、どうしてこんなところに呼び出されたのやら」
先日、彼は対魔物戦に備えての請負仕事を受けていた。
この種の契約関係は、どの都市国家でもおこなっており、戦闘能力が高い傭兵や魔導師が主な対象になる。
議長役の森精人種が議事を進める。
「次の議案にうつりたい。魔物撃退戦において、不適切な命令がなされたとの訴えがあった。原告は第一歩兵隊長、第三飛行小隊長、空中偵察班長の三名。
被告は魔導師長パナティクス。魔導師長は魔物を撃退するために、集会所ごと攻撃する命令を出した。
その時点で集会所には味方がおり、民間人救出の行動中であったにもかかわらずだ。これは事実誤認などの過失ではなく、意図的に行われたもので、味方の殺害を目的とした行為である。以上が、原告の訴えである」
訴訟内容からいえば、軍事法廷で争うべき性格のもの。
ただ、この異世界では法律体系も司法制度も未熟だし、そもそも裁判の専門機関は存在しない。
代わりに、議会が裁判所の機能を兼ねていた。
つまり、議員たちは裁判員であり、弁護士や検事の役割をこなすのだ。
いま、この国では貴族と市民との関係は緊張状態にある。
市民感情に鬱屈しており、貴族階級への怒りを募らせていた。たとえば、『我ら市民は犠牲を強いられる側である』だとか『貴族、安全な場所で命じるだけ』といった具合だ。
そんな背景があって今回の裁判だ。
訴訟したのは平民階級の部隊長たち。彼らは、魔物撃退戦において貴族が味方を攻撃したと騒いでいた。その主張は、あっという間に広がり、街中では抗議デモが発生。
最終的に、市民兵たちが中心になって議会へ訴えを出すことになった。フゲンは被害者としての扱いである。
当の本人は、小さな声で独り言を吐き出した。
「いや、私にはどうでも良いのに。裁判なんて大げさすぎる」
彼には、さほど怒りは“ない”。
味方からの攻撃に気分を悪くしたが、一方で魔導師長の攻撃判断に一理ありだと思ったぐらいだ。
事実、魔導師たちの攻撃でも身の危険を感じなかった。あの程度の攻撃は脅威ではないのだし。
それ以上に、彼の真の目的である【この世界のすべてを消去する】ことを思えば、魔導師長の行為などカワイイもの。はっきり言って、どうでも良かった。
原告側の弁護士が、法廷論争の口火をきった。
「事の発端は、集会所に魔物と化した老人の出現。
コレを撃退するため、被告人は建物ごと焼き払うように攻撃命令を出しました。この判断に間違いはない。
ただし、建屋内部に人間が残っていれば話は別です。
室内には、契約していた魔導師を含め、負傷した兵士や村人がいました。私が指摘をしたいのは、被告人はその事実を知っていたことです。これは、問題ある判断ではないでしょうか? 」
被告側の弁護人が受けてたつ。
「たしかに、被告人は攻撃命令をだしました。複数人が残っていることも認識しています。ただし、命令には正当な理由があり、それは被害を最小限にするためなのです。
皆さん、思い出していただきたい。
今回の魔物襲撃において、村での犠牲者はおよそ百五十名。なんと村民の二割以上が死亡したのです。
それでも被害の数は少ないといえるでしょう。
なぜなら、迅速な軍隊派遣が功を奏したからです。軍団長の的確な判断がなければ、村は全滅していても不思議はなかった。
私は指摘したい。
当時、重装歩兵たちはバラバラであり組織的な行動はできなかった。被告人を含めた魔導師六名だけが連携して対応することができたのです。
もし、集会所から魔物が逃げればどうなったでしょうか?
被害がさらに拡大するのは確実でしょう。場合によっては、ここエストム市内に侵入したかもしれない。
それらの可能性を考慮すれば、少々の犠牲を覚悟してでも、攻撃命令をくだすのは止むを得ない判断であった。責任ある立場にある方々であれば、同様の決断をしたはずです」
対して、原告側の弁護士が冷笑を浮かべながら立ち上がる。
「弁護人の弁舌は大変に立派なものです。その言い分も納得できる点があることも認めましょう。
ただし、それは話の表面を取り繕った建前論でしかない。
なぜなら、被告人は、集会所内部に残されていた人物に対して良からぬ感情をもっていたからだ。それゆえに、被告人は攻撃命令を発したと私は考えています。この意見が根拠あるものであることを示すため、証言者を呼びたい」
証言者は、市民兵のひとりであった。
彼は軍団長付きの従士として上司の身の回りの雑事をこなしている。
「私は、軍団長と魔導師長が会話していた場にいました。
パナティクス様が次のような発言をしたことを覚えております。フゲン殿に対して、どこの馬の骨とも判らぬ輩に助力を求めるなど恥だと。冒険者は不逞ふていな連中の集まりにすぎない。忠誠心や遵法精神など持っていないとも、述べております。
その言葉を聞いた軍団長は魔導師長をたしなめて、その場を収めました。以上が、私が直接に見聞きした内容です」
被告側の弁護人は、この証言に反論を開始する。
「その話については、私も聞き及んでいます。たしかに、被告人は口が悪く、欠点も多い人物でしょう。ただし、その会話の真意は契約冒険者の悪口を言いたいのではありません。別のところにあります。
主旨は、この都市の魔導師だけで魔物撃退の戦力は充分だということ。被告人は、安易に外部戦力の利用するのは控えるべきと主張したかったのです」
原告側の弁護人は手をあげ、発言許可を議長に求める。
「被告弁護士の主張は同意できません。証言者の話を聞くかぎり、被告人は原告人への悪意があると私には思えます。今回の攻撃命令は、冒険者の殺害を狙ったものではないでしょうか」
「それは、まったく違います。なぜならば、あの集会所のなかには被告人の息子がいたのです。彼は負傷しており動かすこともできず、集会所に取り残されていた。
被告人もそのことを知っております。
いったい、誰が好き好んで、自分の子供を殺そうとするでしょうか。それでも、被告人は被害拡大を防ぐために、やむなく攻撃命令をくだしたのです。改めていいますが、特定人物を狙い撃ちにしたものではありません」
双方の弁護士が、それぞれの主張を戦わせる。
そんななか、魔導師長パティナクスが発言を求めた。
彼は静かに立ちあがり、議員たちに静かに語り始める。
「原告弁護人の言は、まったくもって聞くに堪えないものだ。だが、そんな些細なことはどうでも良い。
さて、この場にいる議員の方々に知ってもらいたいことがある。
それは、私が我が祖国に感謝をしているということだ。
我が一族は流浪民の出自にもかかわらず、魔導師として国に尽くす機会を与えてくれた。さらにありがたいことに、地位と名誉と富すら与えてくれたのだ。
私はいつもこの恩義に応えたいと考えている。
栄光ある祖国から得た恩に報いるためならば、この身を犠牲にしてもよい。それが、身内の者であっても同じことだ。
今回の私の指揮についての批判を甘んじて受けよう。
非才非力な私としては、今回の戦闘指揮が精いっぱいであった。私よりも有能な者であれば、もっとうまく立ち回れたろう。
ただ、それは無いものねだりでしかない。
あの場には、私しか判断をくだせる指揮者がいなかったのだから。私は、単なる私人はなく公人として、国家のために最善の行動したに過ぎない。
そのことを理解して頂ければ、他に言うことは何もない」
魔導師長の態度は立派であった。
まさに責任ある貴族を象徴している。
ある者は誉めそやし、反対意見を持つ者は傲岸不遜だと非難した。
ひと通りの意見陳述が終わる。
以降、裁判員役の議員たちが有罪無罪の検討にはいるのだ。
けっこうな時間がかかるので、それ以外の者は休憩となる。傍聴席にいる人々や証言者、参考人などは公会堂から外に出たりもしていた。
ランが声をかけてくる。
彼女は、フゲンの隣にいてずっと裁判の様子を眺めていた。
「なんだか、面倒ごとに巻き込まれちゃったわね。私たちが、あの程度の魔物で怪我するワケないのに。こんなことに時間を取られたくないわ」
「まあ、そう言うな。これも現地世界の実情を調査できる良い機会だ」
彼は、判決結果に関心があった。
今回の件は、立場が違えば判断基準が変わるという典型的な事例だ。
諍いの根底にあるのは『小を犠牲にして、大を生かす』こと。意見は真っ二つに割れるであろう。
被告を無罪だと考える側。
それは、『小を犠牲にして、大を生かす』ことを当然と考える者たちが中心である。現実的な問題として、対魔物戦闘で犠牲者ゼロはあり得ない。
犠牲を少なくするために、あえて犠牲者を差し出すことも、ときには必要になる。それを実行するのが指導者の務めであると、無罪派は主張するはずだ。
国を守る立場にいる者は常に厳しい判断をせねばならないのだから。
被告を有罪と判断する意見。
それは、被告人の攻撃命令は不適切であったと考える人々だ。
その心情は『犠牲にされる小』に同情的であること。この派の者たちとて、『小を犠牲にして、大を生かす』には一理あるのは認めている。
とはいえ、犠牲になるのは自分かもしれない。
そんな命令に対して反感を持ち、抵抗するのは普通の反応であろう。誰だって命は惜しいのだから。
『大』のために命を差し出せと言われても、易々と同意できるものではない。安直に組織の正義を個人に押しつけるべきではないと、有罪派は主張する。
意見が割れるのも当然だ。
双方の主張はそれぞれに正しい。
どちらかが間違いで、もう一方が正解とはならない。というか、この問題に正しい答えがないともいえる。
「さて、判決はどうなるのだろうか? 」
フゲンは小さくつぶやいた。