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2-13.堕ちた老人


 人々が集会所から逃げだしていた。

 誰もが必死で叫んで、周辺は騒然とする。

 なかには転倒する人もいたけれど、それを助けるどころか、踏みつけても(かえり)みない者までいる始末。


「ん、なにが起きている? 」


 フゲンは顔をしかめてしまった。

もう、トラブルの臭いがプンプンする。徹夜明けなうえに、朝食も食べていない。正直いって、厄介事は勘弁してほしかった。

 しかし、目の前の騒ぎを無視できそうもない。


 逃げる農夫を捕まえて事情を尋ねてみる。

 返ってくるのは意味不明な単語だけ。

 男は非常に興奮していて、なにを言っているかわからない。大声で(わめ)くばかりで、この場から少しでも離れようともがいていた。


 相手の頬を平手で叩いて、相手を落ち着かせた。


「少し冷静になってくれ。なにがあった? 」


「魔物だ。山羊飼いの爺さんが“堕ちて”しまった。なかで暴れて、たくさんの人を殺しまわっているんだ」


 改めて見ると、集会所を中心にパニック状態になっていた。

 無理もない。突然、街中に魔物が現れたら誰だって驚いてしまう。なかには、急激な状況の変化に対応できない者いるはずだ。実際、ショックで動けない者、泣き崩れて座り込む者もいた。


 そんな状況でも、冷静に行動する者はいる。

 歩兵隊長が右往左往する人の群れに指示を出していた。

「みんな、落ち着け! 我々がアイツを押し止めるから安心しろ。

 おい、そこの従卒兵。軍団長にすぐに連絡をしろ。魔導師長にもだ。近くにいる重装歩兵はここに集まれ! 所属の違いは気にせず、隊列を組むんだ」


 隊長の命令に従って近くにいた軍団兵が集まってきた。

 突入するまで少し時間がある。

 今のうちなら集会所内部にコッソリと侵入しよう。


 フゲンは中の様子をうかがう。

 室内の惨状に、思わず()()ってしまった。

 ムッとむせかえるような生臭い血の臭いが充満しているからだ。四方の壁や天井には飛沫血痕がベチャリと張りついている。建屋内で最も目立つ色彩は“赤色”と断言しても良いほど。


 重傷者が多い。

 若者の膝から下がなくなっていて腕だけで這いずっている。ご婦人が壁にもたれているが、背後には血痕が放射状に広がっていた。

 腹部が裂けて腸がはみ出し、それを必死で押し戻そうとしている壮年男性。


 異様な老人が、うずくまっていた。

 小さく丸めた背中をこちら側に向けたまま。

 何かを両手で抱えて喰っている。そして、小さく呟くのだ。


「おう、ワイはなんということを。取り返しのつかんことをやらかしてしまったのか」


 ソレは、魔物へと堕ちてしまった者であった。

 上半身が(あら)わになっており、肌は毒々しい赤と黒色のまだら模様だ。

 身体には半透明のミミズ。

 非物質的なソレは、老人の肉体の中に出たり入ったりしている。身体をくねらせる動きは、吐き気がするほど不気味であった。


 フゲンは用心深く問いかける。


「そこのお爺さん。あなたは何者かね。ついでに、ここで何があったか教えてくれ」


 老人はビクリと身体を震わせた。

 ピチャピチャと舌を鳴らせていたけれど動きを止める。丸めた背中をさらに小さくしながら、背中越しに答を返してきた。


「ワイは、ただの山羊飼いじゃ。ほんに、どこにでもいるような、しがない爺ぃよ。ただなぁ、喉が渇いただけなんじゃ。

 ひもじいだけなんじゃよぅ。ワイはなんも悪くないがのぅ」


 相手がゆっくりと振り向いた。

 その顔は、あまりにも異様な様相。

 目が大きく膨らんでおり、口元からは犬歯がはみ出している。

 それ以上に目立つのは頭部にある“角”であった。

 天頂部から伸びており、表面には脈打つ血管状のモノが浮かんでいる。


 両手には赤い肉の塊。

 ソイツは、食いちぎった肉片を差し出しながら、語り始める。


「なあ、この娘はワイの孫なんだよ。ほんに、(いと)おしくてなぁ。食べたいと思うほど可愛らしかったのよぅ。

 それでのぅ、我慢ができなくなって喰らってしまったわい。血も肉も()も喰らってしまったのじゃぁ。まっことに、エエい娘なのになあ」


 老人はケヒケヒと笑った。

 目じりから血涙を流しながら、それでも口端を上にあげている。肉塊を(いと)おしそうに抱きしめ、舌を長く伸ばしてペロペロと舐めだした。


 フゲンは目を細めながら言葉をかける。


「そうか、ご老人。孫を喰らってしまったのか。

 完全に“堕ちた(・・・)”な。」


 コイツは危険過ぎる。

 魔物に変行したうえに、“アチラ(・・・)側”に完全に堕ちた。昨夜のバケモノと同じだ。

 穢けがされた魂魄は、輪廻転生から外れて最終的には消滅してしまう。しかも、この異常現象は伝染する。

 早いうちに、始末をつけないとマズい。


 大きな音が響いた。

 重装歩兵たちが扉や窓から乱入してきたのだ。

 彼らは右手に両刃剣を持ち、左手に大盾をかかえ、板金鎧で胸部を守る完全武装の屈強な男たちだった。


「そこの君、だいじょうぶか。ここは我らに任せて、早くここから逃げろ! 」


 先頭に立つのは、兜の天辺に飾りをつけた歩兵隊長。

 ゴツい体躯の隊長がフゲンの肩をつかみ、逃げるように促す。


「おっ? おぅ……。分かった、兵隊長殿。私は後退させてもらうよ。だが、あの老人には気をつけて。魔物化して自分の孫娘を喰らってしまった」


「わかった。魔物を相手にして、よく踏ん張ったな。その勇気は誇っていいぞ」


 隊長の台詞は見当違いのものであった。

 どうやら、フゲンが魔物相手に防戦していたと勘違いしている。まあ、住人たちが逃げ出すなか、彼が騒動の渦中に飛び込んだとは思うまい。


 間違いはともかく、歩兵隊長はかなりデキそう。

 死線を幾度もくぐった者だけが持つ独特の雰囲気を放っていた。


「第一列、前へ! アイツを、ここで抑え込むだけでいい。生き残りを逃がす間だけ、隊列を持たせろ。従卒兵は一般人を外に逃がせよ」


 兵士たちの動きに無駄はない。

 重装歩兵は五人で横列隊形を組み、魔物化した者の前に立った。後方にも控えの兵がいて、いつでも入れ替わりができるように準備している。


「アイツを大盾で部屋の隅へ追い詰めろ。単独で当たろうとするなよ。押し負けるからな。交代要員はいるから無理をするな。

 剣を振り回す必要はないぞ。すこしの間、アイツをこの場に止めるだけで良い」


 やはり優秀な指揮官だ。

 彼の指示は実に的確であった。手元にいる人数で実現可能なことを、ちゃんと見極めている。


 ()老人がケヒケヒと笑い声をあげた。

 凶悪化しており、もう完全に人間ではない。魔物化した肉体は驚異的な力を発揮できるので、迂闊に近づくのは危険だ。


 ヤツが、歩兵の大盾に殴りかかてきた。

 その打撃は、人間にはあり得ないほどに強力。

 実際、金属製の盾をボコボコに変形させてゆく。


「アハハ、どうした。ワイにおヌシらの血を飲ませい。その美味そうな肉を喰わせろ! 」


 兵士たちは負けずに対抗する。

 彼らの強みは組織で戦うことだ。最前列が崩れる前に、後列の者が入れ替わり、戦線を維持した。

 強打を受けて腕が折れた者がいても、命を落とした兵はいない。誰も諦めることなく、(たが)に支援し合いながら戦い続ける。


「右三番、無理せず後ろへさがれ。そのまま、控えの者は前へ移動。左右の者は、入れ替わりの隙間を埋めるように動けよ」


 しばらく拮抗状態が続いた。

 ただし、重装歩兵の()は悪い。隊形が崩れるのも時間の問題だ。理由は単純で、狭い室内では多数の有利を生かせないため。

 隊列を維持できているのは、隊長の指揮の的確さと兵士の奮闘による。とはいえ、その頑張りも限界が近い。


 ついに、戦列の一角が崩れた。

 前衛と後列の入れ替わりで、ほんの一瞬、タイミングがズレてしまったのだ。この隙間に、()老人が強引に突っ込んでくる。

 開いた穴を塞ごうと、重装歩兵たちは()ん張るが押し込まれてしまう。


 爆発がおきた。


 魔人が()()り、壁際へ後退する。

 フゲンが【火弾】で援護したのだ。


 歩兵隊長が驚いて振り返る。

 

「うおぉ。さきほどの君か。魔導師なのか? 」


「大丈夫ですか? 私はフゲン。

ライオネル将軍と契約している者です。ここは抑えますから、はやく負傷者を外へ連れ出してください」


「助かった。感謝する。ほんの少しで構わない。時間をかせいでくれれば、すぐに応援を寄越す」


 重装歩兵たちが後退してゆく。

 彼らは、逃げ遅れた村人や負傷兵を担いで建物を出た。


 フゲンは化物と対峙した。

 先刻の戦いぶりを観察して判ったことがある。

 老人は、魔物へと変質してパワーアップしているけれど、その“力”を効果的に使えていない。

 戦闘センスも技術も皆無だ。元々が運動神経も悪く、戦いの経験がない人物だったのだろう。事実、敵の攻撃は、力任せに腕を振り回すだけの単調さであった。


 体術だけで対応できる。

 横殴りで迫る腕に対し、左手を柔らかく当てて、動きの流れ(・・・・・)をズラした。相手の中心軸を崩して、前方向によろめかせる。

 さらに、隙だらけの身体に右手を添え、地面に向かって導いてゆく。

 ()老人は頭から下に突っ込んでしまった。


 これは柔法の技。

 脱力した(ゆる)やな(さば)きだけで、相手を投げ飛ばせる。双方が接した面積は最小限だったうえ、あまりにも柔らかい接触なので、相手は反応できなかったのだ。


 老人は、何が起きたのか分からなかった。

 自分の腕が、相手を殴り飛ばしたと思った瞬間、その姿が消えていた。次に気がついたときは、視界の上下がひっくり返り、頭から床に叩きつけられていたのだ。

 取るに足りない弱小な人間にあしらわれてしまった。

 身体へのダメージは小さいが、精神的なショックは大きい。


「お、おめぇ、いったい何をしただ。んでも、ワイには効いとらんぞ」


「あたりまえだ。こんな程度でくたばってもらっては困る。おまえは幼子(おさなご)を喰らった。その罰を与えてやるから覚悟しろ」


 フゲンは、コイツを滅殺することに決めた。

 昨夜、退治した魔物は狂暴化し、多くの人々を殺戮している。

 だが、他者の魂を(けが)していなかった。魂の奥底で懸命に抵抗していたのだろう。すぐにアチラ(・・・)側に堕ちることはなかったのだ。


 だが、この老人は違う。

 いとも簡単に自分の孫を喰らい、その魂を(けが)した。

 人間として、あまりにも不甲斐ない。


 彼は、腰のバインダーから【術符】を引きちぎった。

 魔法攻撃をしかけようとした瞬間……。


 ゾワリと悪寒を感じた。

 間髪入れずに、部屋の隅へと後退する。


 火球が着弾して大きく()ぜた。

 その場所は直前まで彼が立っていたあたりだ。

 さらに幾つもの火球が飛び込んで来る。

 周囲に火炎が舞い上がり、衝撃波が室内のものをなぎ倒した。


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