2-12.将軍と魔導師長
「やれやれ、ようやくひと息つける」
フゲンは軽くボヤきながら空を見上げた。
太陽は中天高くにまで位置していて、キラキラとした陽光を地上に降り注いでいる。徹夜明けで睡眠不足な体調には少々眩しすぎるくらいだ。
ここは大火事の跡地。
倒れている柱や崩れた石壁、倒壊した家屋などが無秩序に散らばっており、周囲は雑然としていている。
あちらこちらから煙が昇っているのは未だに小さな火が燻っているせいだ。
チロチロと赤い炎が燃えているけれど、もはや拡大する恐れはない。なにせ木材のような可燃物は既に消失してないからで、放置していても燃えるものがなければ火は消えるだけだ。
「ラン、ごくろうさま。喉が渇いてないか? 」
「ありがとう。もらうわ」
フゲンは水筒をランに手渡す。
彼女は彼の横に腰かけてコクコクと水を飲んだ。フウと大きく息を吐くその様子はややお疲れ気味である。
それも当然のことで、彼らふたりは徹夜で働いていたのだ。
倒壊した家屋から住人を救助するために、無事な村人たちを集めて瓦礫を撤去。あるいは、負傷した人々に応急処置を施す。意気消沈しがちな村人を励まし、泣き叫ぶ子供をあやす。
救援部隊が到着するまでの間、フゲンとランはリーダーシップを発揮して救助活動を続けた。
ようやく休憩できるようになったのが、つい先刻のことである。
ちなみに、村落を襲った魔物たちは全滅している。
ライオネル将軍が率いる軍団が十数頭の魔物を退治したのだ。
将軍の指揮は見事なものであった。
歩兵を中心にして騎兵や魔導師が魔物を完全包囲。逃げ場をなくしたえうで情け容赦のない撃滅戦をしかけた。四百名以上の歩兵たちが壁をつくり、騎兵たちが駆けまわって、魔導師たちは強烈な攻撃を浴びせ続ける。
足が速く頑強な狼型の魔物といえども包囲網を突破することもできなかった。
ヤツらは一方的に押し込まれたうえに、大した抵抗も為せないままに次々と倒れていった。
フゲンとランは攻撃には参加していない。
彼らの任務は誘導するまでであり、魔物撃退の仕事はライオネル将軍のものだ。将軍から請われれば攻撃陣に加わったであろうが、それとて補助的な役割に徹していたであろう。
なにせフゲンとランは天使であり、人間社会への積極的な干渉は控えるべきなのだ。
ランが水筒を返したついでに小さな麻袋を差し出した。
「救援部隊の人から堅パンをもらったの。お腹すいたでしょう? 」
「おお、感謝するよ。食事抜きでずっと働いていたから腹ペコだ」
フゲンは倒れた柱に腰かけて、堅パンに喰いつく。
それは軍用の食料品なので味よりも保存性重視のものだ。マズいうえに硬くて咬むのに力が必要だから顎が痛くなってくる。食すには手強い堅パンであったが、それでもグウグウとなるお腹を満たすことができた。
フゲンの背後から威厳のある声が聞こえてきた。
その声の主はライオネル将軍。彼は虎人種の壮年男性で都市防衛の役目を担う人物だ。獅子頭の将軍は歩きながら兵士たちから報告を聞き、次々に指示を出している。
「休憩が終了した歩兵部隊から順次行かせろ。瓦礫を掘り起こして魔物の死骸を確認させるんだ。万が一にも“生きていました”では洒落にならんからな。見つけた魔物の死骸は念入りに燃やし尽くせ。残った灰は地中深く穴を掘ってそこに埋めるようにしろよ。灰になっても、魔物の瘴気がどんな害をもたらすか分からんからな」
ライオネル将軍は士官に指示を出しながらも、フゲンたちに近寄ってくる。
「フゲン、ラン殿。良くやってくれた。たった二人で魔物を押さえ込んだうえに、攻撃部隊への誘導まで行ってくれて感謝する。おかげで、ヤツらを楽に始末できた。それに飛行部隊の連中がお主を褒めていたぞ。小隊長が礼を伝えたいと言っていたから、あとで会ってやってくれ」
「ありがとうございます」
フゲンは礼を言いつつも活躍したのは有翼人種の兵士たちだと告げた。
今回の殊勲賞は彼らなので報奨をはずんでやって欲しいとも付け加える。彼はあくまで契約にしたがってお手伝いをしただけだ。
最後に、もう一回やれと言われてもしばらくは勘弁して欲しいと軽口をたたく。
そんな言葉を受けるライオネル将軍も“その意見には賛成する”と笑う。
彼は、何度も魔物に襲撃されてはたまらないようなと、ランにも同意を求めた。彼女は、徹夜仕事はお肌の大敵だと笑みを浮かべながら訴えたりする。彼ら三人はそんな戯れの言葉を応酬し合う。
他愛ない会話を強引に中断させる者がいた。
その人物は都市国家エストムの魔導師長で名前はパナティクス・クラウディウス。古くから続く名門貴族であり大きな権力を持つ男だ。
「探したぞ、ライオネル殿。魔導師たちの配置について相談をしたい。まもなく、休憩が終わるので周辺警戒に参加させるべきだと思うのだよ」
魔導師長パナティクスが話しかけてきた内容。
それは、騎兵が周辺警戒をしているところに魔導師たちも同行させようという提案で、きわめて真っ当なものであった。
ライオネル将軍としては断る理由もない。他に魔物が潜んでいた場合、騎兵たちに魔導師が同行していると心強いからだ。
ただし、魔導師長のその後の言葉がいけなかった。
「それと、将軍にひと言忠告をしておこう。国家の重鎮が野良の魔導師なんぞと談笑するなど控えるべきであろうに。まあ、根無し草な魔導師は良い仕事をしてくれたから、労いは必要だがな」
「パティナクス殿、周辺警戒の件は了解した。魔導師長のご提案には感謝する。ただし、このフゲン殿とラン殿への無礼な物言いはやめてもらいたい。彼らを侮辱することは、戦友を蔑ろするのと同じこと。いくら魔導師の長といえども、共に戦った者には敬意を示すべきであろう」
「勘違いするな、ライオネル殿。ワシはこの者の戦いを褒めただけだ。それに、この程度の魔物どもであればワシら魔導師だけで充分に対応できたよ。まあ、ここは将軍の面子をたててお前にも感謝の意を示そう。そこな魔導師、名をなんといったかな? 」
「私の名はフゲンと申します。こちらはランです」
フゲンは感情を隠して受け答えする。
昨夜、出撃の前にライオネル将軍が紹介したのだが、魔導師長は覚えていないらしい。それ以前に覚える気もなかったのだろう。
「おお、そうか。その名は以前に聞いたような……。まあ、覚える必要もない程度の小物であろう。実際、魔物たちを仕留めることもできず、囮役として働くのがやっとであったな。その程度の力量で魔物と戦う度胸だけは見上げたものだ。流れ者で無名の魔導師にしては良くやった。褒めてつかわすぞ」
その言葉を聞いたライオネルが割って入る。
さすがに魔導師長の台詞は、無礼を通り越して喧嘩を売っているとしか思えないものだったからだ。
「パナティクス殿、いい加減にせよ! 」
ライオネル将軍は強い口調でたしなめた。
そのうえで、この場から立ち去るようにと魔導師長に告げる。獅子頭の将軍は離れ行くパナティクスの後姿を見やりながら、詫びの言葉を口にした。
「すまんな。フゲン。パティナクスはよそ者の魔導師が活躍したことが気にくわんのだよ。あ奴は都市国家エストムへ貢献したい気持ちが強すぎて、心に余裕がない。ワシに免じて許してやってくれまいか」
「気にはしませんよ。まあ、貴族階級の人間は気苦労も多いのでしょうね。とはいえ、あまりお近づきにはなりたくないタイプの人物ですが」
獅子頭の将軍は複雑な人間関係にはウンザリだと軽くボヤいた。
将軍職は様々なタイプの人間と接触する必要がある。国家防衛の責任者ともなれば政治的な判断も要求されるし、一般兵士たちの陣頭に立って指揮をするだけでは務まらない。彼は軍人であるとともに政治家でもあるのだ。
そんな苦労人のライオネル将軍がランにも詫びの言葉をかける。
「ラン殿。昨夜から夜通しで働き詰めだし、碌な食事もしていないだろう? もうすぐ、村中央の集会所で炊き出しをする予定だ。あそこなら、多少はゆっくりと休めるはずだぞ。いかがかな? 」
「わかりました。でも、徹夜なのは将軍も同じですわ。よろしければご一緒に食事をするのはどうでしょうか。ご相伴させていただきますが」
「申し訳ない。せっかくのお誘いをお断りするのは残念だが仕事が山積みでな」
将軍は“若くて美人さんと食事する機会をフイにするなんて”と嘆く。
お世辞でなく本気で思っているようで、後日改めて食事をしようと提案してきた。ランにしても断る理由もないので、これを受けることにする。フゲンは、自分にも食事に同席する権利があると言い張り、ライオネル将軍が渋るといった喜劇が発生。
じゃれ合いみたいなものだが、魔導師長が原因の気まずい雰囲気は吹き飛んだ。
フゲンとランはライオネル将軍と別れ、村の集会所へむかった。
そこは、数時間前まで村人が魔物に抵抗して立てこもった場所だが、今では臨時の救援拠点になっている。建物の前では簡単な食事を提供しており、室内では怪我人の手当が行われていた。
無事な村人たちも集まりつつある。
家族の安否を確かめようとする父親。知人を亡くして泣く中年女性。懸命にお粥をすする子供など、さまざまな人々がいた。
彼らには魔物が撃退されたと伝えられており、危機は過ぎ去ったことを知っている。皆に共通しているのは“助かった”という思いであろう。
フゲンはそんな人々の表情を眺めていると、
「ギャー 」
突然、集会所の内から悲鳴があがった。
安堵の雰囲気が、一気に緊張したものに変わる。