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2-10.異天の忌みモノ


 ランは室内を見やった。

 ここは火事で燃えている家屋のなかだ。壁やら家具やらがバチバチと音を立てて燃えている。焼け焦げる木材からは水蒸気や可燃性ガスが発生し、煙は部屋に充満しつつある。


 このまま、この場に(とど)まっていては危険だ。酸素がどんどん減り、二酸化炭素が増加しているので、やがては呼吸困難な状態になる。

 それ以前に建物が崩壊するかもしれない。

 炎が柱や(はり)を包んでいて建材の耐久性を急激に低下させている。脆くなった柱は屋根の重量を支えきれず、建物全体が崩れ落ちるのは時間の問題だ。


 煙る部屋には横たわる魔物が一体。

 身体の至るところに裂傷があって、そこから血液やら体液が流れ落ちている。かろうじて生きているだけの状態だ。普通であれば完全に絶命していても当然な容態なのだが、しぶとく生きている。


 魔物はブルブルと身体を震わせながらも立ち上がった。

 四肢は傷を負っていて無傷なものはない。それでも相手が攻撃圏内に入れば強烈な一撃を与えるべく、身を構える。

 さらに、魔物は牙をガチガチと鳴らす。敵が隙をみせれば、必ずや咬みつくつもりなのだ。


 魔物は戦意を失っていない。尽きることのない闘争心は未だ健在だし、憎むべき敵を前にして退却するなぞありえない。すべての生き物に対する憎悪だけが魔物を支えていた。


 半透明のウネウネも活発に(うごめ)く。

 魔物の執念に呼応するかのようだ。幾つもある傷口を覆って出血を止め、あるいは傷そのものを修復しようと蠕動(ぜんどう)している。

 その動きは気味悪くて生理的な嫌悪を感じさせた。


「フン、汚らわしい魔物め。さっさと、消え去るといいわ。【炎塊】」


 ランは(てのひら)に小さな青炎を浮かべた。

 クイと手首のスナップを()かせて炎の(かたまり)を放つ。魔物は避けようとするが、全身傷だらけで機敏には動けない。

 青白い炎は魔物に命中し、(ごう)とする音と共に膨れ上がった。

 魔法の炎が持続するのはごく短時間だが、その超高温は対象物すべてを焼き尽くす威力がある。しかも、爆発するのではなくて限定空間にだけ影響を及ぼすものだ。


 青白い炎が消え去った跡には、真っ黒焦げの物体が残った。

 魔物の剛毛は金属製の刃をも防ぐのだが、いまは見る影もなく完全に炭化している。太くて頑丈な骨は高温に(さら)されたせいで脆くなっていた。ちょっと触ればボロボロと崩れそうなくらいだ。


 半透明のウネウネも消え去っている。

 つい先刻まで、青炎に対抗するように激しく動いていたが、さすがに超高温には耐えきれずに蒸発してしまったのだ。


「どう、フゲン。課題の成果としては充分ではないかしら? 」


 ランは振り返って背後に声をかけた。

 彼女にしてみれば、魔物を苦労することなく退治できるだけの能力を示したのだ。それなりに評価されても良かろうと思っている。


 フゲンは無言で魔物の残骸に近寄った。

 じっくりと検分するまでもなく、その黒焦げ死体はボロボロなのが一目瞭然だ。


「ああ、ランの戦闘能力の高さはたいしたものだ。良くやったと言いたいところだが……。

 でも、君は課題内容を勘違いしていないか? 」


 フゲンが提示した課題、それは魔物の生体サンプルを確保すること。

 その条件は生死こそ問わないと()うものであったが、対象物がこんな状態ではさすがに問題である。


 真っ黒に焦げた死体は無価値だ。

 生体サンプルとしては用を()さない。普通の死体であれば生体組織やら血液などが採取できるし、それらを分析すれば有用なデータも収集が可能だろう。たとえ焼死体であっても通常の火事が原因の場合、多くの知見を得られる。

 だが、この黒焦げ死体は無理だ。

 体組織は完全に焼き尽くされて、細胞が変質している。これでは分析用データを採取しても意味がない。


「あちゃ~、まずっ。わたし、やりすぎた? 」


 ランは思わず頭を抱えてうずくまってしまった。

 彼女は屈んだ状態から上目遣いにフゲンを見上げるのだが、その目つきは“見逃して”といった感情がこもっている。


 フゲンは不憫(ふびん)に思いながらも、正確な評価をくだす。


「ああ、やりすぎだ。黒焦げの遺骸なんて生体サンプルとして不適格としか言いようがない。このまま破棄するしかないな。

 まあ、擁護するならランは“異天の()みモノ”の影響を受けてしまった。簡単に表現するなら“当て(・・)られた”んだな。新人天使が犯しがちなミスでもある」


 フゲンの()う“異天の()みモノ”。

 それは、魔物に取り憑いていた半透明のウネウネのこと。半透明であったのは物理的な肉体を持っていないためだが、かと()って非物質ではない。霊的な面を併せ持つ、いわば半霊半物質の存在だ。


 そして“異天”とは“この世界”のモノではないことを意味する。

 ヤツらは未知の領域からやって来たと、フゲンたち天使は推測していた。

 天使たちは数多(あまた)の世界を維持管理しているが、“()みモノ”のような

異質異常なモノは存在しないし、あってはならないモノなのだ。

 多くの天使がその由来や出元を調べているが未だに不明のままであり、この“異天の()みモノ”には謎が多い。


「“当て(・・)られた”られた? それって、どういう意味かしら」


「具体的な反応として、異常なほど感情が(たかぶ)ったりする」


 フゲンの説明によると、生物は“異天の()みモノ”に対して強烈な嫌悪感を示す。

 それは、生き物の本能由来のものではなくて、もっと根源的な、それこそ魂や心霊といった次元からの反応である。人間や動物ばかりでなくランたち天使であっても例外ではない。

 ヤツらを絶対に駆逐して消去せねばならないと、あらゆる生き物が示すリアクションだ。


 ランはその説明を受けて納得する。

 実際に彼女が半透明のウネウネを見たとき、異常なほどの敵愾心を感じていた。戦っている最中に、なぜか不倶戴天(ふぐたいてん)という言葉が脳裏に浮かび上がったくらいだ。

 

 “異天の()みモノ”に対して相容(あいいれ)れること(あた)わぬ存在だと感じたゆえに、超高温の炎塊魔法を使用した。

 彼女は後先を考えずに相手を完全消去するつもりで攻撃魔法を放ったのである。


「そっかぁ。わたし、自分ではけっこう冷静なつもりだったのに違ったのね。ちょっとヘコむわぁ」


「そんなに落ち込むことはない」


 フゲンはランが失敗するのを予見していた。

 彼は、彼女がミスを犯すのを止めようと思えば止められたが、それをしていない。生体サンプルを確保するよりも、彼女が仕損じることを優先させた。その理由は、失敗経験から学ぶものに価値があるとからだ。


 彼は独特の失敗論をもっている。

 以前、彼はランに彼はスキーの上達法になぞらえて説明したことがあるが、その内容は“上手な転倒のしかた”を覚えよというもの。安全で怪我をしない(ころ)び方を身につけるべきだと、彼は語った。


 人生には失敗がつきものだ。なにか物事を()そうとしても、すべてを成功させるなんて不可能。

 誰でも必ずミスを犯すし、思いどおりにならないのが普通であって、強大な権能を持つ天使であっても例外ではない。


 フゲンが考える失敗への対処法。

 それはミスによる負の影響を小さくすること。

 スキーの例えで表現すると、“上手な転び方”を習得していれば、大怪我をしなくて済むというものであった。


 ランは新人天使であり、いまは研修を受けている最中だ。

 いわば、スキー初心者用のゲレンデで練習しているようなもの。ゲレンデの斜面は緩やかで転倒しても大怪我の心配はない。

 それと同じで、彼女への課題は簡単なものばかり。少々の失敗は見逃してもらえるし、教導役のフゲンがついているのだからリカバリーだって完璧である。


 だからこそフゲンは思うのだ。

 ランは失敗を恐れずにどんどん挑戦するべきだと。

 良かれと思えば積極果敢に行動しろ。

 試行錯誤を繰り返せ。たくさんの失敗を経験しろ。

 懸命に動いているうちに“上手な転び方”を覚えるのだから。


「まあ、気にするな。生体サンプルの確保なんていくらでも機会がある。今回の経験から学んで次に生かせば良いさ」


「わかった。次はもっとうまくやるわ」


 フゲンは絶命した魔物の(かたわ)らで膝をついた。

 腰のポーチから六角柱の透明な物体を取り出して床に置く。それは格納結晶体で彼ら調査官には必須のアイテムだ。


「不憫だな。(みず)ら望んで魔物になった訳ではなかろうに…… 」


 この魔物とて、元々は普通の生物であった。

 ただ、なにかのきっかけで魔物に()したのである。フゲンたち天使の定義では、魔物とは魂魄を(けが)されたモノを意味する。魂魄が不浄に()ちたのだ。


 通常なら、魂は消滅することはない。

 生き物としての肉体が活動停止しても魂魄(こんぱく)は存在し続ける。魂は不滅なものであり、“輪廻転生の原理”が機能して“生と死”を行き来するのだ。

 だが、魂魄を(けが)されたモノは違う。

 最初に肉体が変質し、魂が輪廻転生から外れてしい、最後には消滅するという異常現象に(おち)いってしまうのだ。


 たちの悪いことに、この異常現象は伝染する。

 まるで性悪な病原菌に感染したようなもの。健常であった魂魄(こんぱく)(おか)されると、その在り方は変質してしまう。


 この黒焦げになった魔物とて、元は普通の生き物であった。

 何ごともなければ、仲間たちと共に暮らし野山を駆け回っていたであろう。


 フゲンは死体に優しく手を添えてやる。

 小さな声で、しかし(おごそ)かな口調で彼は弔いの言葉を口にした。


「汝、その生き(ざま)は立派なものであった。汝の魂が初源の海へと帰りて、安らかにあらんことを(こいねが)う。新しき命を受けしとき、その“生”に幸あらんことを祈るものなり。

 暫しの間、ここで眠っておくれ。【封魂陰睡(インクルズム・アニマ)】」


 小さな光粒が宙に漂いはじめる。

 その光は淡く柔らかい。ひとつひとつは小さいけれども、次から次へと湧きあがってくるので、あたりは穏やかな光で満たされた。

 しばらくすると、魔物の死体にまとわりついた光粒は格納結晶来へと集まってゆく。


 魔物の様相は変化していた。死体から発していた禍々しい瘴気が消え去っているのだ。先刻までは陰惨な雰囲気であったのに、今は心なしか穏やかな感じへと変わっている。


 ランはそれを見て、つい溜息をついてしまう。

 それは安堵からくるものであった。


「この子は完全に()ちていなかったのね」


「おそらく。回収した魂のサンプルを詳しく調べないと断定できないがな」


 ランは“よかった”と小さくつぶやいた。

 先刻まで、彼女はこの魔物を消滅させることばかり考えていた。

 だが、フゲンの行為を目にすると、自分も天使の(はし)くれであることを改めて認識させられる。

 

 彼女は右手に魂が入った格納結晶体を握り、左手で黒焦げの遺骸に触れた。


 周囲は火事の炎でつつまれている。

 火の手は柱や(はり)にまで及び、今にも天井が崩れ落ちそうな状態だ。とてもではないが悠長にしている余裕はないし、さっさと退避すべきである。


 だが、ランは祈りに時間をさいた。

 還りゆく魂にせめてもの手向(たむ)けを捧げたかったのだ。

 それは単なる言葉ではない。慈愛の念をこめた言霊(ことだま)で、その内容はごく簡単なもの。


 やすらかにお眠りなさい。



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