00-04.組織運営は大変だ
私は“神にも等しき者”の直属部下だ。
自分でも信じられないが本当のことである。どこをどう間違ってこんな立場になっているのか謎であるが。
幸いなことに、私はペーペーの下っ端だ。
せいぜいが使い走りで、重要な役を担うことはない。任されても困るけどな。
ちなみに、私以外の【彼女】直轄メンバーはどいつもこいつも優秀だ。
連中は難易度の高い業務を軽々とこなしてゆく。天使としての格が違いすぎて、それはもう笑うしかないくらいに差が歴然としている。
だから、私は無理せずに己のペースで仕事をこなすしかない。自分は自分、他人は他人だと割り切っている。
“我が上司”は、そんな私に対して静かに語り始めた。
その口調はゆっくりとしていて言い含めるような感じだ。
「よいですか。あなたは、わたくしの直属部下のひとりなのです。然るべき理由があって大事な仕事を任せているのですよ。その辺をしっかり自覚しなさい」
「は、はい」
「言うまでもありませんが、我々天使は大切な役目を担っています。
それは、“創造する者”から任された世界群の維持管理です。その期待に応えるべく、我ら天使は全力でこの仕事に取り組んでいるのですよ」
天使の仕事は大変だ。
なぜなら、維持管理すべき世界の数はあまりにも多すぎるため。世界たちは物質領域界から意識領域界まで幾重にも連なる階層に存在する。その数は無限と表現しても良いほどに膨大だ。
「しかも、“創造する者”は今も世界たちを創り続けています。
それに対して天使たちは常に不足気味です。それゆえに、わたくしは効果的に動くべく組織を構築しました」
彼女は、天使たちの働きは大変にすばらしいものだと語った。
階級や部門を問わず創意工夫を凝らし、効率的な組織運営を続ける姿勢は賞賛に値するとも。
だが、ここで彼女は言葉をきる。
その態度から、天使たちの働きを褒めるばかりでないことが窺い知れる。
「しかしながら、組織的対応には問題が発生します。機能を分割し、専門別に動くことは、ややもすれば組織の硬直化を招くからです」
彼女のいう“組織の硬直化”。
それは、“お役所対応”といえばわかりやすい。
融通が効かず柔軟な対応ができないことを意味している。
「あなたは、組織硬直化の原因は何だと思いますか? 」
「いろいろと理由がありますね。たとえば、組織そのものが巨大すぎるのは問題となります。
組織の構成員が多ければ、その対応能力は鈍重になる。現場情報が意思決定者にあがるまでに時間がかかりすぎるからです。」
脳裏に浮かんだ情景。
それは私が人間であった頃のできごと。
当時、新規事業の立ち上げをしたのだが、その際に問題になるのが法律の壁であった。海外のビジネス・モデルを日本国内に持ち込んでも、法的規制の対象になっているからと認められなかった。
社会の変化に法律が追いついていなかったのだ。
公務員たちが意地悪をしている訳ではない。
時代遅れになった法を改めるのは立法府の役目なのだけれど、その立法府が鈍重すぎて、なかなか変革が進まなかった。
まさに、組織硬直化の典型的事例といえるだろう。
彼女は、私の返答に対して頷いた。
それも原因のひとつだと肯定するが、次に続く台詞は意外な内容であった。
「組織が硬直化する原因。ひとつ挙げるとすれば、それは皆が真面目で責任感が強いことです」
彼女がいうには、責任感が強い者ほど陥りがちな罠がある。
それは、自分の守備範囲外には手を出さないことだ。
責任感がある者は自分の守備範囲を明確化したがる。
理由は責任をもってキッチリと働くため。責任感が強いがゆえに彼らは“無責任”なことをしない。守備範囲外のことに手を出さないのは責任を負えないからだ。
「彼らは有能であり真面目に役目を果たします。しかしながら、責任範囲が明確化できない事象は常に起こる。結果として、それらの問題への対応は遅れがちになるのですよ」
「なるほど。責任感が強い者ほど柔軟性に欠けた対応しますね。でも、それを非難できないのでは? 」
私は異を唱える。
なぜなら、天使たちはみんな責任を果たすべく懸命に働いているからだ。組織硬直化の問題は運営の問題であって、個人に責を負わせるべきではない。
「私の同僚たちは誰も彼も本当に労を惜しまず仕事をしています。
私自身だってそうですよ。もし、人間のままであったなら絶対に過労死しているでしょう。それほど超過勤務を延々としています。ですから、たまに長期休暇をくれませんかね? 」
「あら、わたくしは誰も非難するつもりはありませんよ。真摯に働く天使を褒めるだけ。同様に、あなたに長期休暇を認める気もありませんけどね」
―――くそ、休暇申請を却下されてしまった。
さりげなく会話に織り交ぜたつもりなのに……。この手のやりとりでは彼女には叶わない。しかし、あきらめるつもりはない。なんとしてでも、南国リゾートで贅沢三昧の休暇を楽しむのだ!
彼女は非難するように私を睨んでいた。
余計なことに気を逸らさずに、話に集中するようにと私に注意する。
そのうえで彼女が語ったのは組織硬直化への対策のこと。
構成人員の配置替えをはじめ、組織改編や部門横断型のチーム編成など。他各種の対応策を講じているのだと説明した。
「わたくしの直轄部門も対策のひとつです」
彼女は一芸に秀でた者たちを集めている。
例えば、絶望的な環境下でもしぶとく強かに立ちまわれる者。閉塞した状況を個人の力量だけで打破できる者。あるいは周囲に惑わされることなく物事の本質を見極められる者など。
ただし、招集された人材は非常に個性的だ。
尖がった才能ゆえか、組織に馴染みにくい性格をしている。規格に嵌らない一風変わった者と表現しても良い。
「わたくしは意図してそんな逸脱者たちを集めました。たとえ性格や態度などに難点があっても構わない。弱点を補って余りある才能や力量があれば、わたくしの直轄部門に招き入れています」
彼女はいったん口を閉じる。
フゥと息を吐いたうえで、私に当てつけるように話を再開した。
「まあ、ときには人選を失敗したと思うときもありますけどね。能力や異能などを優先しすぎたせいで忌々しいと思ってしまう人物を選んだときです。
たとえば、わたくしの前では従順な振りをしていても、内心では別のことを考えているような者ですよ。
いけしゃあしゃあと、三百年間もの長期休暇を求めるなんて。本当に図太い性格していますね。ねぇ、わかっていますか? あなたのことですよ」
「ええっ、そんな心外な! 私は素直な心根をもつ天使ですってば」
私は懸命に弁明をした。
“神に等しい”と称される彼女を尊敬しているし、不遜な思いなんて持つはずもないと強く訴えた。それはもう必死に自己弁護を繰り返す。
「私の態度を面従腹背みたいに言わないでください。思ったことを口にしないだけですよ。裏でコソコソと立ち回っての裏切り工作や悪口を言いふらすような真似は絶対にしていませんから」
確かに私は長期休暇が欲しいと訴えた。
これは至極まっとうな要望だと思う。というのも、数百年単位で休みなしに働いているのだ。そのせいで身も心もボロボロである。
馬だって目の前にニンジンをぶら下げれば走るというもの。
長期休暇は私の切実な願いであり、それを夢見て私は頑張ってきたのだ。ご褒美をもらえると思えばこそ難行苦行に耐えてきた。それくらい妄想したって罰はあたらないだろうに。
彼女は、私の必死な訴えを軽く聞き流す。
ウフフと笑う表情は艶やかなのだが、いまの私にはそれを認める余裕はない。
「そんなにムキになる必要はありません。軽い冗談です。あなたに伝えたかったのは“自覚を持て”ということです。あなたはわたくしの直轄部門の一員なのですから。
あなたには自覚がないかもしれませんが、わたくしなりの基準で招集した精鋭なのですよ。もっと自信を持って己の務めを果たしなさい」
「……はい。自覚せよとのお言葉は承ります。まあ“精鋭”というのは過大評価だとは思いますけど。
でも、先刻のお言葉は冗談になっていませんから! “神にも等しい”あなた様から忌々しいとか言われると心臓が止まりそうになります。そんな洒落にならない冗談は勘弁してください」
私は、彼女に対して無意識に身構えてしまう。
自分は眼前にいる“我が上司”を敬愛している。しかし、同時に何かあるのではないかと警戒もしているのだ。
というのも、彼女はいつも厄介な仕事ばかりまわしてくるせいだ。
彼女から直接に声をかけてもらえるのは栄誉なことだと思っていた時期もあった。今ではそんな初心な気持ちは既に無い。
ここ最近の私の態度は“敬して遠ざける”で一貫している。みみっちいけど、己の身を守るための処世術だ。
それより、マジで長期休暇をもらえないかな。
たまにはゆっくりさせろと主張したい。魂が擦り切れるような仕事が百年単位で続くなんて、悪徳企業も真っ青な職場だと思う。
相手は敬うべき存在だが、それでも訴えるべきことは訴えたい。その程度のことは許してもらおう。
彼女は可愛らしい鼻をフンッとならした。
私の思考を読み取ったからだ。やっかいなことに、私の魂は彼女に直接接続されているので、絶対に隠しごとはできない。しかも、彼女への一方通行だから質が悪い。
「その神経の図太さはいつものとおりですね。本当に感心しますよ。まあ、あなたが何を考えようが長期休暇はなしです」
「いや、勘弁してください。これだけ仕事をこなしているのですから、少しくらい休暇を頂けませんかね。心底からお願いしているのですが」
「うふっ。それは却下です」
彼女は一言で私の要望を退けた。
まったくもって情け容赦のない上司である。“あなたの仕打ちは鬼のようです”と私は悪態をつく。まあ、彼女が楽しんでいるようだから不敬にはあたらないと思うけど。
「他愛ない話はこれまでにしましょう。そろそろ本題に入りたいのでね」
ついに、彼女が私を呼び出した理由が明らかになる。