2-02.魔法陣の模擬実験(前編)
フゲンの眼前には惑星が浮かんでいた。
光のない真っ黒な空間を背景にして浮かぶその星はまるでブルーに輝く宝石のようである。
惑星の白い部分、それは雲だ。
姿形はさまざまで、渦巻きを形成しながら移動するもの、あるいは羊のようにモコモコとした形の雲が浮かんでいる。
また、雲の在り様に変化をつける要素に高低差もある。地表すれすれに位置するのは雨雲でその色は濃い灰色だ。高度一万メートルもの高度にある雲は薄い白色で、それらはジェット気流に流されて帯をひいていた。
惑星の青い部分、それは表面積の約七割を占める海洋だ。
ただ、青色と言ってもその色調は複雑で多様性に富んでいる。たとえば、海底の深さによって濃淡ができるし、海流によっても微妙に色目が違っていたりする。さらに太陽光を反射してキラキラと輝く様子は息をのむほどに美しい。
惑星の白や青以外の部分は陸地である。
大陸や群島だったりするのだが、それらの色彩は海洋以上に千差万別だ。赤茶けた箇所は剥き出しの大地や砂漠だし、濃い緑色が広がる部分は森林やジャングル、青い筋は河川だったりする。
フゲンが見ている景色、それは惑星周回軌道からの眺めだ。
地上から約二〇〇〇キロ上空に到達した者だけが見ることができる風景であり、“この世界”の住人では決して見ること能わない。
ここの住人たちの科学技術の程度は低いためだ。魔法という摩訶不思議なパワーを使う文明ではあるが、人間を宇宙空間に運ぶことまでには至っていない。
「では、最終確認を始めようか。ニャン助は実験環境のチェックをしてくれ。私は消去魔法陣の状態を点検するから」
フゲンの周囲には大小様々な形状の物体が浮遊していた。
黒曜石のような肌合いの正六面体や淡い光を放つ真球体、あるいは透明な六角柱などだ。それらはひと時も停止することなく動いている。クルクルと回転していたり、緩やかな円弧を描いて移動していたりする。
ニャン助は半透明の円盤の上に鎮座している。
その周囲にも立方体や宝珠が浮かんでいて、彼は前脚を器用に動かして浮遊する物体を操作した。
『了解~。確認用プログラムを起動。チェック・リスト群との連結、照合を開始しま~すぅ』
彼らがいる場所は亜空間だ。フゲンが模擬実験用に用意した世界である。
ここは閉じた空間なので誰も認識できないし侵入もできないし、ここで生じる現象は外部に漏れることもない。
ちなみに、宙に浮かぶ惑星は模造品である。
本物ではなく魔導技術によって造られた模型世界だ。ただし、電脳空間上に構築した仮想現実のようなチンケものではなく、質量があって実際に触ることもできる。
模造惑星の大きさは直径にして約十二キロ。フゲンが活動している“この世界”の千分の一縮尺のサイズで、地形や気象などを忠実に再現している。馬鹿馬鹿しいほどに大規模なジオラマと言っても良いだろう。
「確認プログラム第一系統を起動。チェック対象、魔導炉心および管理系システム。確認作業開始。進捗率二、四、八……」
フゲンは作業項目をひとつひとつ指差して、さらに言葉を重ねる。
これは“指差呼称”というミス防止のためのテクニックだ。四つの動作、つまり(一)注意すべき対象を目で視認し、(二)それを指差す動作をつけ、(三)わざわざ言葉にして発声し、(四)自身の声を耳で聞くということを重ねる。この単純で簡便な動作の効果はすばらしく、ミス発生がなんと六分の一にまで激減する
彼はこの指差呼称に慣れ親しんでいる。第二の本能と言っても良いくらいに習慣化していて、なにかにつけてこの動作を行う。彼はこのミス防止法の信奉者であると自認しているくらいだ。
ただし、良いことばかりではない。
というのも、彼は指差呼称で後輩のランを激怒させたことがある。具体的には、彼女のスリーサイズや体重の数値を大声で叫んでしまったのだ。
女性に対してあまりにもデリカシーに欠ける行いである。彼は意識を失うほどに蹴り飛ばされたのだが、これは当然の報いだ。
「確認プログラム第一系統完了、問題なし。続いて確認プログラム第二番を起動。対象、魔力貯蔵タンクおよびエネルギー伝達系回路。確認作業開始。進捗率三、六、十二……」
フゲンが確認しているのは模造惑星に設置した魔方陣である。
この魔法陣は今回の実験の主役であり、これを起爆してその影響や破壊力の範囲を実測することが目的だ。
ちなみに、模造の元になっている魔方陣は現実世界にある。
その役割は、この世界の生き物を完全に消去すること。フゲンの上司である“神にも等しき者”から命令された内容を実現するためのものである。
本物の魔法陣は非常に巨大なものだ。そのサイズは直径五十キロメートルと“この世界”でも最大規模を誇る。複雑さは他のものと比較すると雲泥の差だ。幾つもの小型魔法陣を内包する積層型立体構造で、無数の魔導回路が複雑に絡み合い、まるで巨大プラントのよう。
この魔法陣の構築に二十年以上の年月を費やしている。
それだけの時間を要するのも当然だ。なにしろ、円周部をグルリと一周するだけで百五十キロ以上にもなる。さらに魔導回路の総延長ともなれば数十万キロと、この世界を何周もするほどの長さになるのだから。
超強力な天使権能を駆使しても魔方陣構築には時間がかかってしまうのも仕方がない。
フゲンとニャン助は黙々と確認作業を続けた。
幾万幾千もあるチェック項目は次々に問題なしと判断され、彼らの眼前に広がる半透明画面は確認完了を示す緑色が表示されてゆく。
「確認作業完了。すべて問題なしだ。これより模擬実験を開始する。ニャン助、始めてくれ」
『りょうか~い。魔法陣起爆のカウントダウンを開始しますぅ。五、四、三、二、一、爆破』
魔法陣を中心に光が広がった。
大陸中央部にある岩沙漠地帯に眩い光が半球体状に膨れ上がってゆく。その輝きは幻想的なまでに美しくてこの世のものとは思えない。
ミルク・クラウン現象というものがある。
これは、牛乳のような粘性を持つ液体のうえに同じ液体を一滴落とすと、その反動できれいな王冠の形ができる現象だ。名称のとおり、その形状は美しく可愛らしい。
これと同じ現象が模造惑星の表面で発生していた。
ただし、王 冠を形成するのは固形物質である。それらは細かく砕かれた岩盤や土砂、さらに大地の奥底から噴き出すマグマなど。
元々は硬く安定していた大地だったものがゴチャゴチャに入り混じって王冠状に盛り上ったのだ。
また、その規模はけた違いの大きさだ。
縮尺を現実世界に換算しなおすと、直径で約二百キロ、中央部分の凹み部分の深さは約四十キロもの深さになった。盛り上がった王 冠の頂点部分の高さは百キロ以上、つまり大気圏を突き抜けて宇宙空間にまで達する。
ここまでのスケールになると、美しく可愛らしいミルク・クラウンとは違う。まったく違う別もののなにかである。
「ふむ、実際に見てみると凄まじいな」
大地が水面のように揺れていた。
魔法陣があった場所を中心にして、硬く安定していたはずの地殻が波打つ。その様子は水たまりに小石を投げ込んだかのようで、丸い波紋が幾重にも広がってゆく。
ただし、地表を伝わる波紋は“土砂の津波”である。高さは数百メートルにまで及び、地上にあるすべてのものを押し潰してゆく。不動であった大地が津波のように迫ってくるなんて悪夢以外のなにものでもない。
“土砂の津波”の外側では爆風が広がっていた。
たかが空気といえども、充分なエネルギーを得れば物理的な凶器と化してしまう。圧倒的な“力”を得た空気は山脈を削り、湖や河川の水を吹き飛ばし、岩石をめくり上げてゆく。
これは爆風というよりも衝撃波と表現するほうが正しい。
というのも、これが地表のもの全てを吹き飛ばしたあとで、ようやく“音”が追いつくくらいだから。
気づいたときには既に手遅れだ。爆発の“音”が後からやってくるなんて、もう逃げようがない。まあ、それ以前に“気づく”ことすらできず、衝撃波にやられてあの世行きのものが大半であろうが。
海岸近くの被害も甚大である。
高さにして数百メートル、横幅にして数百キロメートルという空前絶後の津波が襲いかかたためだ。
これは海が隆起して山岳が造成されたようなもの。それらが延々と連なる様は“海水の山脈”とでも表現すべき規模のものである。そんなものが海辺ばかりではなく内陸部奥深くにまで到達して暴虐のかぎりを尽くした。
この“海水の山脈”を前にした生き物は助かる術がない。
地上で生活する生物だけでなく、空を飛ぶ鳥類や翼竜の類とて無事では済まないのだ。なぜなら、津波の前にやってきた猛烈な衝撃波で地上に叩き落とされるから。
ちなみに、津波での死因は溺死ばかりではない。
むしろ打撲による死のほうが多いくらいだ。原因は、波のなかには瓦礫やら樹木やらが入り混じっているからで、これに巻き込まれた生き物は物理的に殴殺されてしまう。
例えるなら、極大のミキサーに放り込まれて粉々に粉砕されるようなものだ。結局、この巨大津波を前にした生き物はすべからく死へと至るしかない。
「第一次消滅領域のおおまかな範囲は半径一千キロといったところか。まあ、予定どおりかな」
フゲンの言う第一次殲滅領域。
それは魔法陣が発する超高熱と衝撃波がすべてを消し去る範囲のことだ。この範囲内では地形はまったく違ったものになってしまうし、生き物は完全に消滅する。
余談になるが、半径千キロメートルの距離感について補足しよう。
理解しやすい事例だと、東京を中心にして南は鹿児島の種子島あたり、北は北海道根室市あたりまでを含む。
つまり、この範囲は日本列島がすっぽり入る大きさである。魔法陣が発動すると、ほんの数分で日本列島圏内にあるものが消滅するのだ。
ニャン助は宙に浮かぶ画面を見ている。
彼は魔法陣爆発の影響を計測していたのだ。
『魔法陣発動による地震の暫定値が出たよ~。マグニチュードに換算して最低値で一〇、最大値で一二となりますぅ。測定値の幅が大きいのは熱波で観測機器が蒸発したためだよ。正確な情報はいましばらく待ってくださ~いぃ』
マグニチュード一〇。
その地震規模は途轍もなく大きい。東日本大震災の原因となった東北地方太平洋沖地震でマグニチュード九.〇でしかない。数値では“一”の差しかないが、エネルギーは約三十二倍もの差が生じる。
さらに、マグニチュード十二ともなると空前絶後と言って良いだろう。
計算上では長さ一万キロもの断層が動くことになる。地球の直径がおよそ一万二千キロ強なので、地球の端から端までの長さで亀裂ができるようなものだ。この規模だと地球が真っ二つに割れると云う者がいるくらいだ。
とにかく、マグニチュード十二級の地震ともなれば大陸プレート全体が大きく揺らぐほどのエネルギーがある。
それに匹敵するほどの破壊力を魔法陣は発動させたであった。




