表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/46

2-01.ニャン助のお楽しみ


 時刻は夜明け前。

 空には星々が(またた)き、太陽は未だ姿を見せていない。それでも、東の空は薄っすらとした紫色に染まっていて、あと数十分のうちに()が昇ってくるだろう。

 早朝の空気は冷えきっているが、そのぶん塵や埃がなくてまことにすがすがしい。


 フアァ~。


 ニャン助は小さな口を開けて欠伸(あくび)をした。

 冷たい空気を身体に取り込み、新鮮な酸素を全身に行き渡らせる。体躯を弓なりに反らした。固まっていた筋肉がほぐれると同時にぼんやりとした意識もハッキリしてくる。


 ここは岩沙漠の活動拠点(ベース・キャンプ)だ。

 巨大な岩山を掘削してつくった居住空間で、ニャン助たちが利用している。

 つい最近、知り合いになった新米天使のランもこの場所は知らない。というか、誰であれ活動拠点(ベース・キャンプ)に立ち入ることを許されない。ここは秘密にすべき場所なのだ。


あるじぃ()、もう朝だよ。起きてってばぁ』


 フガァ~。


 間抜けなイビキが響くばかりで起きる気配はない。


 フゲンの寝相の悪さは相当なものだ。

 ベッドのシーツは乱れ、そこから手と足がはみ出している。頭がズレ落ちて今にも床と接触しそうだ。おまけに、鼻穴からは鼻ちょうちんが出ていて、それが大きくなったり小さくなったりしている。

 まるで昔の漫画みたいな姿だ。こんな寝相をする人間が本当にいるのかと、感心するくらいである。



『ねぇ、起きよ~。そろそろ、いい加減に目覚めてくれないかなぁ 』


 ニャン助は前脚で軽く叩く。柔らかな肉球を(フゲン)の頬に押し当て、何度も鼻のてっぺんを猫パンチする。

 しかし、相手は起きる気配がない。重低音のイビキが室内に響くばかりだ。


 フゲンには欠点が多い。

 彼は優秀な天使だが、その一方でどうしようもない弱点を抱えている。寝起きの悪さもそのひとつだ。いったん熟睡すればなかなか目覚めない。それこそ条件さえそろえば、彼は何日間もぶっ続けで睡眠するくらいだ。


『しかたないなぁ~。こうなったら実力行使するよぉ』


 ニャン助は楽しそうである。

 言葉では“しかたがない”と言っているが、内心ではこうなることを期待していた。もっと正確に言えば楽しみにしていたのだ。

 その証拠に、眼はランランと輝き、尻尾が天を()かんばかりに伸び立っている。もう、やる気満々だ。


『【装着】! 』


 ニャン助は魔法で軍服を着こんだ。

 それは日本帝国海軍の軍装で、濃紺色の軍衣に軍帽と黒革靴の組み合わせである。随分と古めかしいデザインなのは日露戦争当時の軍装だから。


 その姿は妙に可愛い。海軍制服そのものはキリリと(いさ)ましいのだが、彼の小柄さを強調してしまうのだ。

 まあ、一種のギャップ萌えだろう。どうしてもかわらしいイメージのほうが強くなってしまう。


 まわりの景色も変化していた。

 ニャン助が投影魔法を展開したのだ。三百六十度どこを見ても海と空ばかり。視界の下半分は大きな三角波が連なる海原。上半分は突き抜けるような青空と薄く広がる雲だけ。

 ここは岩山をくり抜いた部屋であったはずなのに、今では外洋のど真ん中にいるとしか思えない。


『【召喚】。対象は千九〇〇番台の戦闘艦! 』


 幾隻もの軍艦が光と共に出現する。

 それらは精巧に再現された七百分の一縮尺(スケール)の模型艦船だ。ニャン助が丹精込めて一隻一隻を作り上げた傑作である。丁寧に着色を(ほどこ)しただけでなく、魔導的な加工も行った優れものだ。


 艦隊の先頭に位置する戦艦は三笠。

 日露戦争で活躍した艦船で日本帝国海軍の連合艦隊の総旗艦である。主な武装は主砲四〇口径三〇.五センチ連装砲二基四門の他、砲十四門や魚雷発射管四五センチ発射管四門などを搭載している。


 召喚した戦艦は三笠、朝日、敷島、富士の四隻。ほかに巡洋艦を含め、総合計十二隻からなる模型艦隊が出現した。



『ふむ、日本海の風は冷たい』


 ニャン助は艦隊総司令官になりきっていた。


 小柄な身体が強風に(あお)られる。

 ビュウビュウと音をたてて吹きつけてくる風は肌寒い。吹き飛びそうになる海軍制帽を片手でおさえ、襟を立てて冷たい空気が服内に入りこむのを防ぐ。威厳を持たせるための付け髭は風圧で剥がれそうになる。

 それほどに吹き(すさ)ぶ風は強烈であった。


 ただし、風の出元は扇風機。


 ニャン助が用意した小道具である。いったいどこから調達したのかは不明だ。

 しかも、この活動拠点(ベース・キャンプ)には電源となるコンセントなんてものはない。にもかかわらず、扇風機の羽根がウィ~ンと回転しているのだから不思議である。

 いろいろと突っ込みたいが、話が進まないのでここは軽くスルーしておこう。



『敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し! 』


 ニャン助は日本戦史で有名な台詞を口にした。これは日本海海戦が始まる前、海軍参謀の秋山真之が本営に打電したものだ。


 軍艦たちが荒波を立てて進む。

 第一艦隊の六隻は総旗艦の三笠を先頭にして、きれいに一列に並んで前進。第二艦隊は戦艦出雲を先頭に六隻で、単縦陣のまま攻撃目標にむかってゆく。


 ニャン助は双眼鏡で標的(フゲン)を確認した。口を真一文字に結んでおり、その表情は真剣そのもの。深く被った海軍制帽の陰で眼がキランと輝いたのは、次の台詞を発するため。


『Z旗を掲げよ! 皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ』


 Z旗。

 それは総旗艦(フラッグ・シップ)に掲げられた特別な旗(スペシャル・フラッグ)だ。

 目的は兵士たちの戦意高揚をはかるため。旗の意味は“もう後には退けない最後の戦い”というもの。


 ちなみに、日本海海戦において連合艦隊は不利な状況にあった。ロシア軍のバルチック艦隊は戦力的に優位に立ち、それを迎え撃つ日本海軍は数量的に劣っていたのだ。

 そんな劣勢な状態で、この特別な旗(スペシャル・フラッグ)が掲げられたのである。


 ただ、ニャン助に問い(ただ)したいことがある。


 Z旗を掲げる必要があるの? 

 寝汚(いぎたな)く眠りこける人間に対して大袈裟すぎやしないか。

 それに“皇国の興廃”ってなんだよ。人ひとりを目覚めさせるのに国家の命運がかかっているのかい? ちょっと大袈裟に過ぎると思うんだが……。



 総旗艦の三笠は煙突から黒い煙を立ち昇らせている。

 その姿は本物そっくりだ。ただのプラモデル模型であったものを、ニャン助がいろいろと加工したせいだ。当然、他の軍艦も手の込んだ細工がされている。


 緻密な加工は武装にも及んでいた。主砲だけでなく副砲や対水雷艇砲も忠実に再現されているのだ。これらは飾りではない。ほんとうに敵を撃滅するための火力を有しているのだから。


『各艦、砲撃開始ぃ! 』


 艦砲射撃が始まった。

 砲撃の光は薄暗い部屋を明るく照らし、射撃音は朝の静寂を打ち破る。爆煙が大砲から吹き出て、幾つもの煙の塊がモワモワと浮かび上がってゆく。

 七百分の一縮尺(スケール)のプラモデル軍艦とはいえ、十二隻の艦船が一斉射撃をしたのだ。


 見るも凄まじい光景が浮かびあがる。たかが、おもちゃの艦隊と馬鹿にできない。現実の戦場ではないかと錯覚するくらいに、リアルな艦砲射撃が行われたのだ。


 真っ赤な火柱が立ち昇る。

 攻撃目標に砲弾が集中するが、それは幾つもの小さな爆炎の集まりだ。火花のひとつひとつは爆竹ほどの小さなもの。しかし、それらがまとまれば大きな破壊力となる。多少の防御力など突破して、敵に甚大な被害を与えること間違いなしだ。


 グホッ。


 一瞬、攻撃目標(フゲン)が跳ねた。

 次に対象は沈没船のようにベッドから沈みゆく。

 その様相は船体の中央部が爆発して“く”の字に折れ曲がり、海中にブクブクと沈没するのに似ていた。事実、目標(フゲン)は断末魔の音を立てて床下へと落ちゆく。


『目標、完全に沈黙! 敵の撃破を確認。これをもって作戦完了を宣言するぅ~ 』


 ニャン助は高らかに宣言した。

 その口調は満足な感じであり、いかにも己の仕事を完了させたといった態度である。


 しかし、言いたいことがある。


 目標を完全に“沈黙”させたっていうのは問題だよね? 

 対象が軍艦なら轟沈させたって意味だけど、相手は人間なら別の意味になると思うんだ。それに、目標なんて表現しているけど、あれ(・・)は君の主人(マスター)なんだけどさ。

 まあ、この程度でくたばるようなヤツではないけど。さっさと目覚めないのは自業自得なのだろう。なんだか疲れるからこのへんでツッコミはやめておくよ……。






■■■■■


「ああ、もう朝か。ニャン助、おはよう」


 フゲンの口からは煙が出ていた。

 顔や身体も煤で真っ黒になっている。着ていた寝着には焦げ目が焼きついているし、小さな穴が幾つもできていた。

 鼻穴からはひと筋の血が流れ落ちている。身体中のいたるところに青痣ができていた。


 彼の髪型はアフロヘアに変わっている。

 爆発の熱に当てられたためで、すべての頭髪がクルクルの巻き毛になったのだ。しかも、頭部には熱がこもっていて妙に焦げ臭い。


「起こしてくれてありがとう。それにしても今朝は過激だったね」


 彼は感謝の意を伝えた。内心では“もう死ぬ”と思ったのだが、さすがにそれは言葉にしない。

 というのも、彼はニャン助にお願い事をしていたからだ。その内容は“いかなる手段を用いても目覚めさせて“というものである。


 フゲンは朝が弱い。他人の手助けがなければ、すっと眠り続けているだろう。自分ひとりであったなら起床できる自信はない。だから、彼は眷族のニャン助にお願いしたのだ。


 礼を受けるニャン助は実に嬉しそうだ。

 眼を細め、喉をゴロゴロと鳴らしており、いかにもご機嫌な様子である。


『どういたしましてぇ~ 』


黒猫(ニャン助)が満足げなのも当然である。

 自分の役目を立派に果たしたのだから。些細な仕事であっても大切なお勤めである。たとえ、寝起きの悪いご主人を起床させるといった瑣末(さまつ)な内容であってもだ。

彼にとって、仕事は疎かにできない大切な使命なのだ。


 フゲンはニャン助の頭を撫でた。

 ありがとうと礼を述べながら、しげしげと黒猫(ニャン助)の姿を眺める。


「それにしてもカッコいい制服を着ているね。どこの軍服なのかな? 」


『これは日本帝国海軍の第一種軍装なの。特注品なんだよぉ』


 ニャン助は自慢げに制服を見せびらかす。

 仕立てはしっかりしているし、誠に丁寧な造りだ。おまけに、階級章や軍刀も忠実に再現されている。

 ただ、そのサイズは非常に小さくて彼の身体に合わせたものである。非常にカッコいいのだが、小柄な黒猫が着るとヌイグルミのようで可愛らしい。


 フゲンは首を(かし)げた。

 いったい、どこでこんな制服を(あつら)えたのだろう? いろいろと質問したいが、答えを聞くのは拙い気がする。

 彼の勘は悪いことほど良く的中するのだ。第六感が“黙っていろ”と(ささや)くので、彼は別のことを話題にした。


「今日の予定は魔法陣の起動実験だったね。さっさと朝ごはんを済ませて準備を始めよう」


 フゲンは大きな欠伸をしながら両手を伸ばす。未だ眠たいし、できることなら二度寝をしたいところなのだが、ニャン助の働きを無にさせるわけにもゆかない。

 内心で面倒くさいなぁと思いながらもベッドから這い出た。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ