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00-03.上司との面談


 私は猛烈に緊張していた。

 心臓が早鐘のように激しく動く。鼓動はバクバクと大きな音をたてていて、外部にも漏れ聞こえるのではと思うほどだ。

 全身からは冷や汗が噴き出している。同僚のメイドさんが用意してくれたスーツは汗まみれで台無しになりそうだ。


 緊張の原因は“我が上司”である。

 その人物は私をここまで呼びつけた張本人であり、天使たちは親愛を込めて【彼女】と呼んでいる。

 【彼女】は遥か格上の存在なのだ。

 よほどのことがなければお目通りすら(かな)わない。私のような下っ端天使は直接に話をする機会は滅多にない。


 そんな人物から私は呼び出しを受けた。

 なにか大失敗をやらかしたのかと心配になってしまう。胃の辺りが痛い。できるなら、この場から逃げ出したいところである。


 気をつけないと右手右足が同時に出そうだ。

 思わずブルッと身体が震えてしまった。これは武者震いなのだと自分に言い聞かせる。


「落ち着け」


 大きく息を吸って呼吸を整える。いったん立ち止まり、努めて深呼吸を繰り返して心を静めた。

 “我が上司”には無様(ぶざま)な姿はさらせない。

 意地でも冷静さを維持して、何ごとにも動じない態度をとらねば。しっかり対応できるはずだと己に言い聞かせる。


 私は右腕を胸にあて、頭を深々とさげて最敬礼する。


「お呼びとのこと、参上いたしました」


「よく来ましたね」


 “我が上司”には強烈な存在感があった。

 相手は静かに座っているだけなのに放っている圧力が強すぎる。こちらの意識をしっかり保持していないと吹き飛ばされそうだ。


 あたりの空間はビリビリと細かく振動している。

 まるで東屋(ガゼボ)全体が帯電しているかのよう。私の頭髪や産毛(うぶげ)が逆立っているのは、彼女から発するエネルギーに影響を受けているせいだ。


 改めて判るのは、“我が上司”は遙か格上の存在だということ。

 もちろん事前から分かっていたことだが、こうして直に相対すると、あまりにも次元が違い過ぎる。真に偉大な存在を前にすると、ちっぽけな虚栄心や反抗心など軽く吹き飛んでしまう。

 それほどに彼我(ひが)の差は隔絶していた。


「待っていました。こちらへお入りなさい」


「はい」


 “我が上司”は神秘的な雰囲気のある女性だ。

 顔の造りは()ぶりで大きな瞳はキラキラと輝いている。唇はふっくらと柔らかそうで、その両端は軽くあがっていた。所謂(いわゆる)アルカイック・スマイルというやつだ。


 一見すると彼女は二十歳前後の歳若い女性にみえる。

 ただし、単なる小娘ごときには絶対にない威厳が漂っていた。見た目の若さと貫禄がアンバランス過ぎる。そのせいで彼女の年齢はよくわからない。


―――美しさと威厳は同居できるのだなぁ。


 私の脳裏に場違いな考えがプカリと浮かんでくる。

 なんとも不思議なことなのだが、彼女の威風にあてられて身が震えているくせに、その一方で相手の姿形や雰囲気を冷静に観察する自分がいるのだ。

 

 己のなかには多重人格というか幾つもの個性がたくさんあったりする。

 私がこんな複数思考を自覚するのは、危地に(おちい)ったときや今回のように精神的余裕を失ったときだ。まるで緊急対応用の人格が備わっているみたいだ。


 “我が上司”は大理石の椅子に腰かけていた。

 軽く顔をあげてまっすぐと私を見つめてくる。


「久しぶりですね。元気にしていましたか? 」


 彼女が笑顔で言葉をかけてきた。

 たったそれだけのことで近寄りがたい雰囲気が消え失せる。同時に、やわらかな空気があたりに漂う。


 それほどに彼女の言葉には“力”がある。

 発する声に親愛の“情念”を()めるだけで、春風のようなあたたかさを(あふ)れさせるのだ。


 彼女の言葉は、私に絶大な影響を与えた。

 私は天にも昇らんばかりの幸福感に包まれてしまう。先刻までの自分は恐れ(おのの)き息を忘れるほどに緊張していたはずなのに……。

 

 自分でもチョロすぎると思う。

 もし、私が犬であれば尻尾を千切(ちぎ)れんばかりに振っているだろう。それほどに猛烈に喜びと嬉しさを感じていた。


 しかし、私はその感情を出さない。

 表情をピクリとも変えず、礼儀をわきまえた立ち振る舞いを続けた。どんなに格上の相手でも物怖じすることなく相対する。これこそが“私”という個性なのだから。


 彼女はニコリと笑いかけてくる。

 その眼差(まなざ)しは柔らかく優しげだ。


「任務地では活躍していると聞いています。そのせいでしょうか、精神領域界(こちら)側に戻る機会は少ないようですね。無理をして体調を崩したりしていませんか? 」


「ハッ、お陰をもちましてつつがなく過ごしております。長い間、ご挨拶に(うかが)うこともせず誠に申し訳ございません。

 業務に追われているため、こちらへ来る時間をつくることができませんでした」


 私は注意深く言葉を選ぶ。

 普段から忙しいことに愚痴をこぼしているが、彼女の前では決して口にしない。

 

 実のところ、私を多忙にさせている元凶は彼女だ。

 現場での私は同僚や部下に(わめ)き散らすことが多い。その内容は、休む暇もないほど忙しいのは鬼のような上司のせいというもの。

 

 さすがに、この場では言えない愚痴だ。

 なにせ、自分は分別を(わきま)えている常識人だからな。まあ、小心者と言い換えても間違いはないが、そこは突っ込まないでくれ。


「私は何分(なにぶん)にも非才非力な身です。いま少し要領がよければ、斯様(かよう)にバタバタと忙しくせずに済むものを。ただ恥じ入るばかりでございます」


「自分を卑下する必要はありません。さあ、頭をあげて。そちらの椅子に腰かけなさいな」


 私は、彼女の言葉に素直にしたがって着席した。

 ここで無用な遠慮はしない。彼女は無駄な謙遜や過度な儀礼を嫌うからだ。

 彼女はさっぱりした性格をしている。

 他者を圧するような威厳があるが、その一方で部下の身分や階位に関係なく声をかける気軽さがある。不意に現場へ(おもむ)くくらいにフットワークが良かったりもする。


 私は丁寧に挨拶をした後、気になっていたことを口にする。


「和服をお召しだとは驚きました。よくお似合いです」


 その着物は非常にすばらしいものであった。

 基本色調は淡い空色だ。(がら)は草花文様で加賀友禅か京友禅のはず。帯は白地で草文様の織りがある。


「うふふっ、ありがとう。お世辞でも褒められるのは嬉しいものですね。興味半分の洒落(しゃれ)ではありますが、あなたの生まれ故郷の民族衣装を着用してみました。

 わたくしの着物姿に違和感はありますか? 」


「いえ、たいへん似合っています。お世辞を抜きにして和服姿が馴染んでいますよ。

 というか、突き抜けた美しさがあって怖いくらいです。よくもまあ、そんな希少な着物を入手できましたね? 」


 ひと目で、彼女の着物は最高級の品だと分かる。

 伝統工芸の粋を極めた歩く美術品と表現して良いほどのものだ。

 値段をつければおそらく一千万円以上はする。好事家(こうずか)ならそれ以上の値付けをするかもしれない。

 もっとも、そんな最高級の和服に位負けしない彼女も尋常ではないのだが。


「褒めてくれてありがとう。でも、この着物の価格だとか美術品だとか変な思いを巡らせているようですが、あなた寝ぼけていませんか? 

 ここは精神領域界、物質的な制限とは無縁な世界ですよ。和服であろうと食べ物であろうと、なにを望んでも想念で構成できるではありませんか」


「……はい。すみません。まったくもって(おっしゃ)るとおりです。地上世界の感覚が抜けないようです。

 長い期間、あちら(物質領域界)で過ごしていたせいかと」


 私は取り(つくろ)いの言葉を返した。

 内心ではドキドキして余裕はないのだけれど、それを表情に出すようなヘマはしない。


 それに対して、彼女は私を見栄っ張りだと指摘した。

 さらに、()まし顔で言い訳するのはどうかと追い討ちをかけてくる。


「ついでに言い当ててみましょうか? あなたは急な召還命令に驚いて、こちら側(精神領域界)に慌ててやって来た。そのせいで、意識調律(チューニング)に失敗。

 おそらく、受入れ担当者(メイドさん)に調整の手間をかけたのでしょうねぇ」


「いや、なんというか……。見てきたかのように私の行動を的中させるのは勘弁してくれませんか。内心で動揺しているのも見ない振りしてもらいたいです。

 これでもすごく緊張しているのですから」


 私がこうも緊張するのには理由がある。


 彼女は“神にも等しき者”なのだ。

 我が上司は世界を管理している。しかも管理対象は一つではなく、数多(あまた)の世界を統括しているのだ。


 しかし、彼女は自らを“神”ではないと明言している。

 自分は中間管理者でしかないのだとも。

 その言葉は正しい。実際に彼女と同格の者や、さらに高位の階梯者が複数存在しているからだ。


 とはいえ、私には【彼女】以上の存在は皆おなじに見える。

 自分のような矮小(わいしょう)な存在からすれば、どちらも格上すぎて区別がつかないのだ。


 例えるなら、星々を比較するようなもの。

 夜空に浮かぶ星を適当に二つ選んで、どちらが遠い距離にあるかを言い当てるなんて不可能だろう? 光年単位で測る距離など桁が違いすぎて判別などできなるはずもない。


 ハッキリいって体感できるレベルを超えている。

 結局、彼女やそれ以上の存在はすべて“神にも等しい”という範疇(はんちゅう)でひと括りになってしまう。


「いえ、緊張するなと言われても無理です。普段は伝令役を通じてのご命令を(うけたまわ)るばかりですし、滅多に貴女様に御目通りする機会はありません。

 それが今回の急な呼び出し。ましてや、余人(よじん)を交えずふたりだけでの面談などと、通常ではありえない状況です。緊張するのは当然と思います」


 私は今回の会談が尋常なものでないと主張した。

 妙な例えだが、世界動向に絶大な影響力を与える米国大統領が、しがない日本の地方公務員を呼び出すようなものだ。そのような出来事は起こるわけはない。あっても困る。

 何が言いたいかと言うと、直接に会話するなどあり得ないほどの階梯差があるということだ。


「なにが、大統領と地方公務員ですか。あなたは(あい)も変わらず突拍子もないことを考えますね」


 私の思考は筒抜けだ。

 絶対に彼女には隠しごとはできない。

 なぜなら、魂が彼女と直接に接続されているから。

 私自身が彼女の下層存在のひとつとして組み込まれている。私の考えや経験したことすべてが上位存在である彼女に伝わってしまうのだ。


 しかも私から彼女への一方通行だ。

 ポーカーなど賭け事をしたら、ケツの穴の毛までむしり取られてしまうこと間違いなし。情けないったらありゃしない。


「うぅ、思考を読み取らないでください。お願いですから」


「繰り返して言いますが、過度な緊張はいりません。先ほどから階梯差を気にしているようですが、そのような考えは不要です。

 あなたは、わたくしの直属の部下なのですからね。しっかりしなさい」


 そう、私は“神にも等しき”彼女の直属部下なのだ。

 自分でも信じられない。

 というか、こんな扱いは間違っていると思う。




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