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1-21.透明な水に潜むモノ


「ち、ちょっと、なにこれ。なんで、湖で人が死んでいるのよ! 」


 ランが見つけたのは女性の遺体であった。

 湖の底に沈んでいる女は両手で膝を抱えて丸まっているのだが、見るからに異常な状態だ。


 というのも、その死体は半固体のゲル状の物質で覆われていたからだ。

 透明でブヨブヨした柔らかな物質で、なぜか水中に漂うカエルの卵を連想させる。

 このゲル状のモノは防腐能力があるのかもしれない。理由は、それに包まれている遺体が異様なほどに生々しいため。


 一見するかぎり、その女性は眠っているように感じる。

 顔や手などは普通に肌色で水死体特有の青白さは全くない。それどころか妙に色つやが良いくらいだ。他の部位にしても腐った様子はないし、ましてや腐敗ガスが体内に溜まって膨らんでいるなんてこともなかった。


 そんな妙に生々しい遺体の数、およそ三百体。

 フゲンから聞かされていた村人の数と一致する。驚くべきことに消えた住人たちはすべてこの湖の底にいたのだ。


 ランはあまりにも異常な光景に混乱していた。数百もの遺体が水の底に積み重なっている眺めには一種異様な迫力がある。鬼気迫る威圧感というか見る者を怖気づかせる雰囲気があって、眼をそむけることを許さない。


「ラン! 少年をとめろ! 」


 突然、彼女を叱咤する声が響いた。

 その厳しい口調は彼女に正気を取り戻させる。ハッとすると同時に視線を巡らせると、フラフラと歩く人影を見つけた。

 彼女は迂闊にも意識散漫な状態に陥っていて、レンドが目を覚まし、湖へと向っていることに気づかなかったのだ。


 レンド少年の動きは異常なものであった。

 歩き方はぎこちなくて、手の動きと足の進め方がバラバラで連動していない。ガクガクと頭を揺らしているのは頭部を支える首に力が入っていないせいだ。

 その様子は子供が遊ぶ操り人形のようでもあるし、彼以外の第三者が無理やり彼の身体を動かしているようにも思える。


「ち、ちょっと、レンドくん。なにするつもりなのよ。止まって、とまって! 」


 ランは慌ててレンドを抱きかかえて彼を止めた。

 少年はまったく抵抗することなく、彼女に導かれるままに地面に腰をおろす。


 彼は正気を失っていた。前後に身体を揺らしながらブツブツと意味不明な台詞を口にしている。おそらく、彼は自身のことも周囲の状況も認識できていないはずだ。


 ランの背後に近づく者がいた。

 フゲンだ。先刻、声をかけてきたのは彼である。


「とりあえず少年を眠らせたほうが良い」


「ええ。そうするわ。ちょっと前に薬剤を飲ませたのだけど効きが弱かったのかしらね」


 彼女は再び丸薬をレンドに飲ませる。

 しばらくの間、少年は身体を揺らせていたがやがて静かになった。


「ようやく眠ったわ。それにしてもフゲンが警告してくれて助かった。止めるのが遅れていたら、レンドくんは湖で溺れていただろうし」


「どうということはない。たまたま、彼が湖岸へ向かってゆくのを見つけただけだ。ところで、きみはどうしてこの湖までやってきたんだい? 」


 ランはこれまでの経緯について説明した。

 地下道からの移動に始まって、村の避難場所で死体を見つけたことやレンド少年の異常な行動、湖の底に沈む数百もの遺体のことなどだ。


「フゲンはなぜこの湖にやってきたの? 」


「村の共同水場から水路をたどって来たんだ。【混沌素子(カオストロン)】の濃度が高い場所を見つけてね」


 【混沌素子(カオストロン)】、それは魔物が発し続ける物質。

 魔物は魂魄が変性した生物であり、彼らには輪廻転生の原理が機能せず、最終的に魂魄は消失する。この魂魄消失の過程で生じるのが【混沌素子(カオストロン)】だとされている。そのメカニズムは不明であり、フゲンたち天使はその謎を解明すべく調査を重ねている。


「その場所が村の共同水場でね」


 彼は水そのものが汚染されていると考えて水質検査した。しかし、異常値は検出されないし、水そのものは正常である。不思議に思い、あれやこれやと調べているうちに、水のなかに隠れているモノを発見したのだ。


「この中を見てごらん。ランに見せようと思ってわざわざ持って来たんだ」


 彼が差し出したのは木桶で、なかには氷があった。

 それは木桶の底に三センチほどまで汲んだ水を凍らせたもの。きれいに透きとおっていて桶の底までしっかりと見えるくらいだ。


 ただし、氷のなかに異物があった。

 その形はミミズ状のもので長さ十五センチほど直径五ミリ程度の大きさ。決して氷の濁りやヒビではなく、明らかに生物を凍結したものである。


「なにこれ? なにかの生き物が凍っているのかしら」


「これは魔物だ。水妖の一種で水に溶け込んでいて見つけるのは困難だ。凍らせてようやく姿をみることができる」


 フゲンによると、元はミミズのような環形動物の一種で水中に適応した生物である。

 これが魔物化して水に溶け込むように変化したらしい。彼はこの水妖を見つけるのに苦労したんだと語った。その顔は自慢げで、研究バカな性格がにじみ出ている。


「この水妖が共同水場に潜んでいた」


「ええっと、水場ってことは飲料水や生活用水に使っているのよね。もしかして、コイツが村人の身体の中に入りこんだの? 」


 ランは身体をブルリと震わせてしまう。

 彼女が人間であった頃に見たSF映画を思い出したのだ。そのストーリーは地球外生物が人間を襲うというもので、宇宙船という閉鎖空間を舞台にしていた。

 地球外生物の幼生体が乗組員に寄生して、やがては人間の腹部を突き破って出てくるのだが、このグロテスクなシーンは強烈であった。作り物とはいえこの衝撃的な場面を思い出しただけで、彼女は全身の毛が逆立ってしまうほどだ。


「ま、まさか、わたしの身体のなかにもいるの? 」


「いや、だいじょうぶだ。我々は村落の飲料水も食料品にも口をつけていないからね。調査官の行動規範では安全確認してないものは飲み食いしないことになっている。規範には感謝すべきだね」


 行動規範や手引書(マニュアル)(たぐい)(ないがし)ろにする者は多いがそれは間違いだ。

 実際のところ、これらは使用者を守るためのものである。先人たちが試行錯誤の末に編纂したものであり、彼らの知恵が詰まっているのだ。

 知恵のひとつが“指差呼称”だとフゲンが主張するにいたって、ランを辟易とさせた。


「すまん、すまん。“指差呼称”の偉大さを伝えたくて思わず熱くなってしまった。話を戻すけれど、過去の記録にはこの水妖によく似た魔物の記述がある」


 記録によると、その魔物は水に溶け込み、寄生する機会を待つ。水妖は、寄生した生物を水場へと誘導して水死させたのち、その死体に卵を植え付けるのだ。やがて、卵が孵化して幼虫となるが、そのエサとなるのが動物の遺体で、これを長期保存するために防腐機能をもつゲル状物質で包むらしい。


「過去の記録ではエサとなっていたのは野鳥だし、その被害は三羽のみ。だが、今回の件は前代未聞だ。コイツは人間をエサにしたうえに、被害者数が三百人以上という大惨事だよ」


 ランはフゲンの説明を聞いて納得できることがあった。彼の推測が正しのであれば、レンドの不可解な言動にも合点(がてん)がゆく。

 少年は意識を乗っ取られていたのだ。彼の歩みはぎこちなかったし、出来の悪い操り人形のようであった。自身の身体を掻きむしっていたのは、体内に入りこんだ水妖への抵抗だったのかもしれない。


「ねえ、レンドくんはどうなるのかしら? 水妖に寄生されたままだと問題よね。身体だけでなく魂魄まで変質するだろうし、いずれは輪廻転生の原理から外れてしまうわ。なんとかして、あの子を助けてあげられないかな」


「う~ん、ちょっと難しいかな。寄生した魔物は新種だから治療法は確立されていない。第一、施術うんぬんの前に事前にクリアすべき条件がある。それができないかぎり彼を助けるのは許されない」


「わかってる。【禁戒律則】のことね」


 【禁戒律則】とは禁止行為をまとめたものだ。

 フゲンたち天使は物質世界の住人に対して積極的な介入はできない。影響が大きすぎるからだ。天使は強大な“力”を保持しており、人間からすれば正に“奇跡”と表現しても良いほどである。天使は無分別な“力”の行使を許されないし、そのための【禁戒律則】だ。


 ランもそのことを良く認識している。だから、彼女はレンド少年の傷を治療するのに一般市販薬である治療薬(ポーション)だけを使ったのだ。決して、【禁戒律則】に違反するようなことはしていない。


 だが、レンドは水妖に寄生されており、非常に危険な状態だ。

 治療薬では彼を助けることはできないだろう。もっと強い力、それこそ【天使権能】のような別次元の施術が必要となる。

 

 しかし、ランからすればフゲンの言葉はまったく前向きではない。彼の態度は、命の瀬戸際にある少年に対して冷たすぎる。


「もういい。フゲンには頼まないから。わたしが(じか)に調査局本部にかけあう。レンドくんに治療できるように許可をもぎ取ってみせるわ! 」


「ち、ちょっと待て」


 ランは会話を強引に打ち切った。彼女は見捨てるなんてできないと語気を荒げ、何がなんでも少年を助けるのだと息巻く。

 (なだ)めようとするフゲンを無視して、ランは魔法の【念話】で調査局本部へと通話を始めた。


『こちらは第三級調査官のラン・ラムバー。現地住人に対する治療許可の申請を……』


 彼女は考えるよりも先に行動するタイプだ。ことわざの“案ずるより産むが(やす)し”を地でゆく性格である。下手に時間をかけるよりもさっさと動くほうが良いことを実体験で知っている。

 だが、そんな方法ばかりでは問題解決できないことも多い。


『……、そんな。なんとかならないですか! いえ、そういう意味でなく……お願いします。わたしだって規則の重要性は認識して……』


 彼女は調査局の管制官を相手に粘った。懸命に治療許可の必要性を訴え、ときには泣き落としを試みる。しかし、本部からの回答は彼女が望むものではなかった。


「なによ、管制官の石頭! あんなふうに官僚的な対応するなんて信じられない。人の命がかかっていんだから、少しばかり親身になってくれたっていいじゃん。ああ、腹が立つ! 」


「まあ、そりゃそうなるだろう。君は工夫がなさすぎる。いきなり【天使権能】を使わせろだとか、理由はかわいそうだからなんて無理だろうに。そんな申請はなんて却下されるにきまっている」


 フゲンは呆れるばかりだ。ランは碌な理論武装もせずに治療許可を申請したけれど、その行為はあまりにも直情的にすぎる。いくら新人天使であり経験不足とはいえ、もう少し工夫があっても良いだろうに。

 彼は“手間のかかる後輩だなぁ”と思いながらも彼女に助言することにした。


「そもそも、ランの間違いは目的と手段を混同しているよ。君の“目的”はレンド少年を助けることだろうに。【天使権能】の使用は“手段”のひとつにすぎない。

 それ以外の方法を考えるべきだ。まったく、ランの無策な行動には唖然とするばかりだね」


「えー、そんな言い方ってないんじゃない。それに、【天使権能】以外の治療法なんて聞いてないわよ! 」


 ランは“自分は悪くない”と言い張ったが、その主張はあえなく封じられた。強引に会話を打ち切ったのは彼女であったことをフゲンが冷静に指摘したからだ。実際のところ、彼女の態度は一方的であったし、聞く耳を持っていなかったと断定されて当然である。


「じゃあ、わたしはどうすれば良かったのよ! 」


「治療許可を得るためには、相手を納得させる建前が必要だ。本音はどうであれ、今回の申請は調査官の業務として必要なことだと思わせないと。それを前提にして相手を説得する論理を構築すべきだった」


 フゲンがランに説明したのは次の三つ。

 第一のアドバイスは目的の設定だ。これは先刻もランに伝えたとおりで、レンド少年を助けることが目的となる。


 第二のアドバイスは、交渉相手の許容範囲を見極めること。

 相手方である調査局本部が認めないのは、【天使権能】による治療行為だ。天使が振るう力は影響が大きすぎるので、現地住人に対して積極的な介入はしないことが原則である。逆に言えば、【天使権能】を使わなければ、調査局本部が認める可能性はある。


 第三のアドバイスは、大義名分を用意すること。

 ようするに少年を助けるための口実や建前があればよい。フゲンが考えた口実は、レンド少年を治療の実験体にするというものであった。

 

 ランたちは魔物の新種である水妖を発見したが、その水妖は人間に寄生する。

 その被害者で唯一の生存者がレンドであり、彼をこのまま放置していても数日後には死亡するだけ。この機会を有効活用するために、彼を被検体として臨床試験することを本部に提案するのだ。もちろん、治療では【天使権能】を使用せず、この世界で流布している技術だけに限定する。


「まあ、助言としてはこんな感じかな。じゃあ、私が話したことを自分なりにまとめてみてくれ。そのうえで、再び治療許可の申請をしてみよう」


「うん、わかった」


 ランはアドバイスを受けて、彼女なりの交渉内容を組み立ててみた。

 次にフゲンと想定問答を行い、不備な点を明らかにしたうえで修正を加える。彼から大丈夫だと判断してもらえるまで、彼女は申請内容を練り続けた。


『こちらは第三級調査官のラン・ラムバーです。現地住人に対する治療許可の申請を行います。まず、これまでの経緯ですが……』


 彼女は言葉に詰まりながらも、申請要件を調査局本部に伝える。

 先刻とは違って、具体的な経緯説明や被害者治療の有用性などを述べた。また、前回との大きな違いは彼女の口調が冷静である。決して感情的にならずに、あくまでも業務遂行する調査官としての態度を維持していた。


『……はい、了解しました。……では、結果についてはレポートにまとめて報告いたします。ありがとうございました』


 ランは【念話】を終えて、フウと大きく息を吐いた。

 親指を上にたてながら嬉しそうにフゲンに言葉を投げかける。


「えへっ、やったよ。治療許可をもらえた」


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