1-20.異常な行動
ランは暗い地下道を急ぎ足で歩いていた。
姿を消したレンド少年を探すためであったが、無闇やたらと走ることはしない。
どこに彼がいるか分からないからだ。
この地下道は天然の洞窟を利用してつくられたものであり、通路の途中にはいくつかの分岐路がある。枝分かれした先に少年が迷い込んでいるかもしれないのだ。
消えた少年のことを思うと気が急くが、ここで焦っても問題は解決しない。
しばらく進むと、ランは地面に落ちている布切れをみつけた。
「これはレンドくんの服よね」
薄汚れた服を調べてみると血痕が点々と付着している。
血の跡といっても大した出血量ではないので、怪我をしているとしてもその傷は小さいであろう。
ただ疑問なことがふたつある。なぜ傷を負ったのかということと、上着をここで脱ぎ棄てた理由だ。
どうにも嫌な予感がする。できるだけ早いうちにレンド少年を捕まえるべきだが、焦ってはいけない。逸る気持ちを無理やり抑え込む。
改めて周囲を見渡すと気になる箇所をみつけた。
それは地下道の壁中央部、高さにして二メートルほどにある窪みだ。周りの黒々とした岩壁と比較すると、わずかに明るい。
調べてみると、窪みの奥には一メートルほどの穴が続いていて、そこから風が流れてくる。
どうやら外部に通じているようだ。
思うに、レンドがここから出た可能性は高い。
ランは狭い穴を潜り抜けて、地表に出た。
そこは急な斜面の中ほどで周囲には背の高い草々や樹々が生い茂っている。
「おーい、レンドくん。いたら返事をしてくれ」
数度呼びかけたが、応える声はなかった。重なり合う枝葉のせいで視界は悪く、レンド少年が近くにいたとしてもその姿を見つけるのは難しい。
レンド少年がこの出口から外に出たのであれば、なんらかの痕跡があるはずだ。
注意深く地べたを観察すると、不自然な箇所を見つけた。そこはこんもりと茂る草むらで、その一部が不自然に倒れている。近くに寄って調べてみると地面に足跡が残っていた。
「痕跡の主はレンドくんとみて良いかなぁ」
足跡から判ることは多い。
例えば、足の大きさから体躯の大きさ、地面に沈み込む深さから体重だとか荷物の有無だって推測できる。歩幅や体重のかかり具合で体調や運動神経の良さまで言い当てることも可能だ。
どうやら、レンド少年の体調は悪いようだ。
足跡は左右にふらついていてまっすぐに歩けていない。しかも、所々で転倒してできた窪みや、四つん這いになって動いた形跡まであったりする。かなり不調なはずなのに、無理をして移動する理由は不明だ。
「足跡からすると、南のほうへ向かって移動しているわね。なにがあるのかしら? 」
『小さな泉が幾つもあるよ。そこには薬草がたくさん生えているのぉ』
ニャン助が周辺の地理や村の特産物について説明してくれた。
このあたり一帯には幾つもの湖や泉が点在していて、貴重な水生薬草が群生している。その薬草を採取して“神隠しの村”は出荷していたらしい。
ランとニャン助は周辺を警戒しながら追跡を開始する。どんな危険が潜んでいるか判らないため、脇目もふらず一直線に駆けるような行為はしない。
いかに彼女が天使で強靭な肉体と膨大な魔力をもつ戦士であっても油断は禁物だ。
しばらくして、森の中に動く人影を見つけた。
それはレンド少年であった。
上着を脱ぎ棄てて上半身は裸であり、身体を左右に揺らしながら歩いている。いまにも転倒しそうな頼りなさだ。
「レンドくん、だいじょうぶ? その傷はいったいどうしたの? 」
彼の身体には無数の引っ掻き傷があった。傷口はかなり深く、真っ赤な血がダラダラと流れおちている。そんな筋状の傷が胸部やわき腹など体表の至るところにあって、見るからに痛そうだ。
「ア、アアッ、たす……、たすけて。か、身体のなかに……、む、虫がいるんだ。皮膚の下で、ムズムズ、う、動くんだよ~」
レンドは泣きながら助けを求めてきた。
彼はガリガリと胸元を掻き毟っている。その動きは力加減をしておらず、手が動くたびに体表には赤い筋が増えてゆく。彼の指先は血にまみれていて、幾つかの爪は剥がれ落ちていた。
ランは優しく声をかけて少年を座らせる。
「とにかく、落ち着いて。自分の身体を傷つけるは止めようね」
彼女は腰のポーチから治療薬を取り出し、瓶の中の液体をハンカチに垂らした。
それを傷口に押しつけて流れ出る血を止めてやる。筋状傷は上半身ばかりでなく頭皮や大腿部など身体のいたるところにあったので、ランは薬液をハンカチに含ませては傷に当てる作業を何度も繰り返した。
使用する治療薬は低位のものだ。効能は限定的なので怪我が完全に治るワケではないが、止血するには充分である。
「なぜ、わたしたちから離れて、ひとりで外に出たの? 」
「こ、こえが、きこえてくるんだ。こっち、こっちへ来いって……、頭のなかで声が響くんだ」
レンドの声は小さく聞き取りにくい。そのうえ、彼の言葉は何度も途切れるので聞き取りには時間がかかった。
彼が言うには、頭のなかで声が聞こえるらしい。
始まったのは二日ほど前の頃からで最初は気のせいだと思い、これを無視していた。ただ、今日になって謎の声は大きくなり、地下道に入った時点でハッキリ聞こえるようになったという。
声には強制力があって、とてもではないが逆らえないそうだ。
ランは彼の言動から統合失調症を疑った。
皮膚の下で虫が這いまわるなどという妄想は精神疾患の典型的な症状だ。あるいは、重度の麻薬中毒者がみる幻覚にも類似するものがあったりする。
普通であれば、精神疾患だとか統合失調症と判断してよい。
だが、いまのレンドをみるかぎり統合失調症と違う気がするのだ。むしろ、村人たちが消えたことと関連があると思うほうがシックリくる。
とはいえ、確信はない。ただの勘だし何よりも判断材料が少なすぎる。ヒントを得る必要があるので、いま少し彼に質問をするべきだ。
「君が呼ばれている場所はどこにあるのかしら? 」
「あ、あっちだ。ず、ずっとむこう……来いって、こ、こえがする」
ランは少年が示した方角を眺めた。そちら側には樹々が生い茂っているばかりで他にはなにも見えない。もっと先へと進んだ奥に何があるのか確かめるべきだ。
その前に少年の手当を済ますことを優先しよう。
彼女は腰のポーチから黒く小さな丸薬をひと粒とりだした。
それを薬液が半分ほど残っていた治療薬の瓶に放り込み、さらに水筒の水を注ぐ。中身が混ざるように軽く瓶を上下に振り、それを少年に飲ませた。
しばらくすると薬の効果がでてくる。荒かった少年の呼吸は落ち着き、緊張していた身体は弛緩してゆく。血走っていた眼はとろんとして最後には寝てしまった。
次に、ランは薬液を含ませていたハンカチを二つに裂く。
それを少年の手首から上を包むようにして巻きつけた。見た目はまるで指先のない手袋のようだが、それは少年が再び己の身体を引っ掻いて傷をつけるのを防ぐための処置だ。
「ねえ、ニャン助。レンドくんが示した方向って小さな湖があるのよね? 」
『そうだよ~。でも、薬草が生えているくらいで他にはなんにもないのぉ』
「そっか。でも、その湖は怪しいのよね。とにかく調べるべきだわ。でも、彼をどうしようかなぁ」
ランはレンド少年の扱いをどうするかで悩む。
彼をこの場に置いてゆくほうが彼女としては楽だ。万一でも戦闘するような状態になれば、少年の身を守る必要がある。そんな面倒は勘弁してほしいし、ラン単独で身軽に動けるほうが都合よい。
なによりも、危険がありそうな場所に子供を連れてゆくのは気が進まない。
とはいえ、このまま放置もできない。
野犬などに襲われるかもしれないからだ。特に人間に慣れた野良犬は非常に質が悪い。人を恐れないどころか舐めてかかってくるし、ときには悪戯半分に人間を甚振ることだってある。
さらに、魔物の類にでも見つかれば確実に少年の命はない。
結局、ランはレンドを連れてゆくことにした。
とはいっても、彼は薬が効いて眠ったままなので少年を肩に担いでの移動となる。
人間が立ち入らない森林は非常に歩き辛い。
そもそも道がないうえに、木々の根っこやらゴツゴツとした岩やらがあって地面はデコボコしている。
さらに中天には太陽が照り輝いているにもかかわらず森のなかはうす暗い。というのも、背の高い樹木たちが太陽光を精一杯に受けようとたくさんの葉を広げているせいで、地面にまで届く陽光は少ないからだ。
それでもランは足場の悪さをものともしなかった。さらに、少年とはいえ体重五十キロ弱の人間を肩に担いでいるにもかかわらず、彼女の歩みは力強い。
ランの身体は強靭なのだ。人間種としては最高位級の機能を保持するように、彼女は自身の身体を調整している。強大なパワーをもつ魔物と真正面からぶつかり合っても負けはしない。それどころか押し勝つだけの筋力を持つ驚異的な性能を保持している。
しばらく歩いているうちに、視界の先が明るくなっているのに気づいた。
どうやら、森の切れ目まで到達したらしい。並び立つ樹木々の隙間からキラキラとした輝きが見える。それは太陽光が水面に反射した光であった。
「ふう、ようやく湖に到着か」
彼女は肩に担いだ少年の身体を地面に横たえる。
ニャン助には少年を見守ってほしいと告げて湖を眺めた。
ゆらゆらと揺れる水面は穏やかである。湖は奥行き約八十メートル、横幅百十メートルぐらいとやや小さい。
ニャン助の説明によると、ここら一帯には数多くの湧水点があって、そこから湧き出す水が元になって湖や泉を形成している。
遠くに山脈が連なっており、その頂には万年雪が積もっていた。おそらく、山の雪解け水が地下を通ってこの辺りで出てくるのだろう。
湖の水は透明だし、陽光が反射してキラキラと光る湖面は美しい。
ランは気持ち良さげな景色に誘われて湖岸に近づいた。
水中はどうなっているのだろうと、湖のなかを覗き込む。
女性の遺体が一メートルほどの湖底に沈んでいた。
「うわっ! 」
ランは想像もしていなかったものを見つけてしまい、思わず声をあげてしまった。




