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1-19.消えた村人を探して


 フゲンとランは村中央の広場にいた。


「ふむ。結局は何も見つからないか」


「そうよねぇ。家の中も丹念に調べてみたけど、消える直前まで普通に過ごしていたみたい」


 午前中いっぱいの時間を使って村中を調べてまわった。

 消えた人間を探したのではなくて、その他の痕跡、つまりは異常現象を解明するための物証を探したのだ。


 しかし、なにも異常を感じさせるものはなかった。

 仮に、魔物が襲ってきたのであれば、村人たちと争った形跡があるはずだ。村人が無抵抗であったとは考えられない。

 辺境部に暮らす者ならば鉈や弓などの武器に接する機会は多いし、なによりも自分たちの開拓地を守るという意識が強いからだ。

 しかし、彼らが武器を使った様子もないし、家屋や壁には破損どころか血痕すらなかった。


 村落のなかを調べて判ったこと。

 それは、辺境部の開拓村の住人三百人ほどの人間が忽然と姿を消したということだけ。その理由や原因はまったく不明のままである。


 ランは仕方ないといった風情で息をはき、これからの調査方針について提案した。


「こうなると、村の外で探すしかないわ。最初に調べるべきは地下の地下道と避難場所、次は村の特産品である薬草の群生地よねぇ。それで駄目なら森の中まで範囲を広げるしかない」


「ああ、そうしよう。ランが挙げた候補の順番で探してくれ。

 ただ、私は別行動をしたい。ちょっと気になることがあるので、もう少し村内を調べるつもりだ」


 彼らは二チームに分かれることにした。

 フゲンは単独で村落内を引き続き調査し、ランとニャン助は村外を担当する。コソ泥くんことレンド少年の扱いだが、地下通路と避難場所への案内役ということで、彼はランについてゆくことになった。



 フゲンはランたちと別れ、ひとり広場にたたずむ。


「じゃ、はじめようか」


 彼は腰に留めていたバインダーを手に取った。それは幾枚もの術符を閉じたもので、彼は紙束をぱらぱらとめくり、三枚の術符を引きちぎる。

 彼は人差し指で術符に軽く触れて、魔力を流し込んだ。


「術式起動。【混沌素子感知カオストロン・センチエンティア】、および【視覚連結】、【聴覚連結】」


 フゲンは使用する三つの魔法の名称を口にした。

 そんなことをせずとも術式は起動するのだけれど、彼はいちいち言葉に出して確認せずにはいられない。

 理由は習慣のせいだ。作業過程を確認するためのテクニックである【指差呼称】が第二の本能といって良いくらいに身に沁みついている。


 重ねた術符が燃えると同時に、三つの魔法陣が中空に浮かび上がった。直径十センチくらいの小さな円環状のもので、それらが三段に重なってクルクルと回転している。


 彼は己の胸に魔法陣を押し当てた。淡い光を放つ円環は吸い込まれるように身体のなかへと入ってゆく。

 彼は眼を閉じて己にかけた魔法が正常に機能しているかを確かめ、やがて周囲を見渡した。


「ふむ、やはりな。微弱だけれど【混沌素子カオストロン】の反応がある。村人が消えたことと関連するのかは不明だけれど、やはり気になるところだなぁ」


 【混沌素子(カオストロン)】、それは存在してはならない物質だ。

 少なくとも、フゲンたち天使が維持管理する世界において、あるいは【創造神】が生みだした数多(あまた)の世界では皆無の物質である。

 だが、困ったことに他世界と隔離された“この世界”には、【混沌素子(カオストロン)】が存在する。


 これが発生するのは、生き物が魔物化したときだ。

 正確には、輪廻転生の原理が機能せず、魂魄そのものが消失する状態に陥ったときに、【混沌素子(カオストロン)】がでてくる。

 どういったメカニズムでこの物質が生じるのかは不明であり、それを調査することも、フゲンたち調査官の任務のひとつになっていた。


「さて、【混沌素子】の出元はどこだ? 」


 フゲンの視覚と聴覚は魔法で強化されていた。

 通常では見えないはずのモノが視えており、聞こえないはずのモノが聴こえている。通常の状態では【混沌素子】を認識することはできない。

 そこで、彼は魔導を用いて“存在してはならない物質”を感知できるようにしたのだ。


 彼は【混沌素子】の濃度が高い場所を求めて歩き回った。感覚を強化しているとはいえ、異常を感じさせる痕跡はごく僅かである。微弱な手がかりをたどって問題の箇所を見つけるには、根気よく丹念に調べるしかない。


 三十分ほどの時間をかけて彼が行きついた場所は村の共有水場であった。

 三メートル四方の大きな煉瓦製の貯水槽が鎮座しており、そこには満々と水が溜まっている。水の出元は小さな水道橋で、一メートルほどの高さにある排出口から水が流れ落ちていた。わざわざ水源地から村まで水を引き込んでいるようだ。


「ふむ。反応がいちばん高いのはこの共同水場か。もしかして、この水は汚染されている? とはいえ、この程度の【混沌素子】の濃度なら人体に影響があるとは思えないしなぁ。ちょいと調べてみよう」


 フゲンはどれがいいかなぁと(つぶや)きながら、バインダーをパラパラとめくり、一枚の術符を引きちぎった。

 次に木製バケツに水を汲んで、起動させた魔方陣を近づける。


「検査開始……、有害細菌類の検出はなし。その他細菌類数、規定値以下。有害化合物、反応なし。PH値七・五、問題なし色度と濁度は共に許容範囲内。全有機炭素、規定値をややオーバー。ふむ。この程度の値なら飲料水としても普通だな」


 彼が行ったのは簡易な水質検査なのだが問題がなかった。ただ、村落のなかで【混沌素子】の濃度がいちばん高いのがこの共同水場だ。村人が消えてしまったことと何らかの関係があるかもしれない。


「他に手がかりもないし、もう少し詳しく調べてみようか」


 フゲンは共同水場を中心にして周辺の調査を始めた。






■■■■■


 ランは村長宅の地下室にいた。

 彼女の背後には、泥棒くんことレンド少年とニャン助が付き従っている。


「なるほど、この扉の奥が地下道に繋がっているのね。で、レンドくんはここから村に入ってきたので間違いないよね? 」


 レンド少年の説明によれば、この地下通路は村人たちの避難用のもの。

 村落の外延部まで続いていて、道の途中には大きな空洞があるらしい。そこは緊急の避難場所になっていて、魔物や野盗に襲われれば、ここに女子供を中心にして非戦闘要員が隠れることになっているそうだ。


「うん。そうだよ」


 レンド少年は言葉少なく返事をした。いまの彼は少しばかり元気に欠けている。

 今朝の食事時では減らず口をたたくだけの活力があったのだが、午後が過ぎるあたりから調子が落ちてきており、彼の顔色はあまり良くない。

 ただ、地下室が暗いせいもあって、ランはレンドの体調変化に気づいていない。


「じゃあ、レンドくん。避難場所まで行こうか」


 ランの最初の目的地は非難場所。村内には誰もいなかったのだから村外を調べるしかない。

 彼らが(ひそ)み隠れるとすれば、避難所である可能性が最も高いのだが、レンド少年によればそこには誰もいなかったという。

 彼を疑うわけでないが、ランは自身の目で調べる必要があると思っていた。人間はいなくとも、何らかの痕跡がある可能性があるからだ。


 地下通路は天然の洞窟を利用してつくられたもの。ところどころ人間の手で加工された箇所もあるが、通路の大部分は自然のままである。

 そのため、道はまっすぐではなくグネグネと曲がっているし、高低差もあって昇り降りをせねばならない。場所によっては天井が低くて、身をかがめて中腰にならないと通れないところもあったりする。

 さらに、ここの気温は低くて吐く息が白くなっているほどだ。


 レンド少年はランの背後について歩いていた。彼は黙って進んでいたのだが、奥にゆくにしたがって時おり首を傾げる動作を繰り返す。

 なにやら気になることがあるようで、ついには躊躇いながらもランに声をかける。


「ねーちゃん、なんか音がしない? 誰かが呼んでいるみたいな感じがするんだ」


「あら、そうなの? わたしには何も聞こえないけど、どこから音がするのかしら」


「ええっと、この先かな。ずっと奥のほうから聞こえてくる」


 レンド少年が指さしたのは地下道の奥。この先には避難場所があるはずだ。

 ランには少年のいう音は聞こえなかったが、わざわざ彼の言葉を否定する必要もない。彼女は進めば判るだろうと割り切って、このまま道なりにまっすぐに進むだけだ。


 やがて、彼女たちは広い空間にたどりついた。

 奥行約十五メートル、幅三十メートルほど、天井も約五メートルもあって、かなり広々とした場所である。


「なるほど、ここが避難場所なのね。ざっと見たかぎり、レンドくんの言うとおりで誰もいないわねぇ」


「もちろんさっ。オイラは嘘なんかついちゃあいないぞ」


「別に疑っていた訳でもないし、そんなにムキにならなくても良いわ。でも、君は“誰かが呼んでいるみたい”と言ったよね? もしかしたら、村の人間が岩陰とかに隠れている可能性もあるし、手分けして探してみましょう」


 ランは【燈火】を幾つも起動して避難場所を隅々まで明るく照らした。

 彼女は、レンド少年とニャン助に空間の奥側を調べるように指示する。


 この非難場所は面積こそ広いが、平らな場所は少ない。

 大小の岩石がゴロゴロところがっているし、壁には大きな割れ目や窪みがある。そのため、見通しが効かないのだ。いちいち陰になっている場所を探しては、人間やその他の痕跡を探す必要があった。


 しばらくすると、奥のほうにいたニャン助が声をあげた。


『ランお姉さん、こっちに来て。誰かいるよぉ~ 』


 ニャン助が示した場所は壁と岩石に挟まれたわずかな空間。

 ランが向かうと、その隙間にだらしなく横たわっている人物がみえた。粗末な衣服を身につけた大柄な男性で、おそらく村落の住人であろう。


 ランは大丈夫かと声をかけて揺さぶるが、男からの反応はない。

 念のため、彼女は相手の首筋に手を当てた。


「だめだ、脈がない。もう死んでいる」


 ランは男の遺体を確かめてみる。着衣には乱れた様子はないし、身体を調べても裂傷や打撲のような目立った外傷はない。

 周囲を探すと、空になった酒瓶が数本と食べ物のカスが散らばっていた。


「深酒をして寝込んでしまったのね。ここの気温は低いから、体温を奪われて多臓器不全が生じて死亡に(いた)る、といったところかしら。なにもこんな場所でひとり酒盛りをするなんて不注意すぎるわ」


 この男の死因は判ったが、死亡時期の判定は難しい。

 というのも、地下道の低い気温が遺体の死後変化に影響を与えるためだ。常温であれば、遺体の体温変化や角膜の混濁、死後硬直の程度から死亡時刻の推定ができる。

 だが、この場の気温はかなり低いので、その判定方法が当てはまらない。せいぜいが、死斑と腐敗の進捗具合から推測するしかない。


 ランの見立てでは、死亡時期は二十四時間以上前から二週間以内ぐらい。彼女の中途半端な知識では、この程度の推測しかできなかった。


「うん? この男の死亡時刻は最低でもまる一日以上経過しているわ。だとすれば、誰かを呼ぶなんて不可能よね。なら、レンドくんが聞いたという“声”はいったい誰かしら? 」


 ランは少年に質問しようと立ち上がる。周囲を見渡すが彼の姿は見当たらないので大きな声で呼びかけた。

 だが、どこからも返事はなくてランの声のみが避難場所に響くのみ。


 レンド少年は消えていた。

 

 ランは悪い予感に(とら)われて、つい不安の言葉を口にしてしまう。


「これじゃあ、まるで消えた村人と同じじゃない」


 彼女は姿を消した少年を探すべく地下道を駆けだした。



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