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1-17.コソ泥


 ランが侵入者相手に槍を振るう前のこと。


 フゲンは村落でいちばん大きな道を移動していた。

 彼の歩みはゆっくりしているのだが、その理由はランが決めた挟撃のタイミングに合わせるため。数分後に作戦開始の予定で、相手は【術 符(マーカム)】の警戒網を突破してきた侵入者だ。

 フゲンが囮役となって相手の注意をひきつけ、ランがその背後を突くことになっている。


「ああ、この世にも珍しいミズタマアシガラアゲハを見失うとはなんたる失態。いま少し見つけるのが早ければ捕獲できたというのに、まさに残念至極とはこのこと。アレと出会えるチャンスは滅多にないというのに…‥ 」


 フゲンはぶつくさと独り言を呟いている。

 先刻まで希少種の蝶々を捕獲すべく森の中に分け入っていたのだが、最終的には逃してしまった。彼はそれを悔いて愚痴をこぼしているのだ。

 その態度は数分後に戦いを控えている者がとるべきものではない。まったくやる気がなくて、ランが彼の様子を見たなら(たる)んいると非難するだろう。


 注意散漫な彼が向かう先は村の備蓄倉庫で、侵入者が隠れ潜んでいる場所だ。

 トボトボと歩いて時間調整した甲斐もあって、彼女と示し合わせた時刻にピッタリとあっていた。

 さすがに作戦開始時間に遅れるようなヘマは許されない。いちおう彼はランの教導役なので、それなりにお手本を示さねばならない立場なのだ。


「さて、どうしたものやら。侵入者を捕えるにしても、荒事(あらごと)は面倒くさいよなぁ」


 彼は自分に都合の良いことばかりを考えていた。

 侵入者が(みずか)ら申し出て捕まってくれるとか、相手が寝入っていれば捕獲も楽なのにとか、実際にはありそうにない展開を願っている。まったくもって、いい加減な教導役である。


 そんなフゲンの眼前で、不意に備蓄倉庫の扉が開く。


 建物から出てきたのは小柄な少年だ。

 身長は百四十センチぐらいで、パッと見た目の年齢は十四~五歳といったところ。ボロボロの布を頭からスッポリと被っていて、そこからはみ出している手や脚はやたらと細い。


 この少年は盗人であろうと、フゲンは判断した。

 というのも、相手は両手いっぱいにパンや干し肉を抱えていたからだ。肩にかけたボロ布のカバンはパンパンに詰まっていて、ハムやら野菜やらはみ出ている。おまけに、頬が大きく膨らんでいるのは食べ物を口に含んでいるため。

 どう見ても食べ物を(あさ)りに来たとか思えない。


「や、こんばんは」


 フゲンは片手を挙げて軽くあいさつした。

 少年を安心させるように、なるべく穏やかな口調を心がける。この“神隠しの村”で初めて見つけた貴重な人間である。

 怖がらせるつもりはないし、できることなら穏便に話をしたいところだが、フゲンの思惑は無駄に終わった。


 少年が逃げ出したのだ。盗んだパンやソーセージやらを放り投げての逃走。

 わき目もふらずに走る姿は“脱兎のごとく”という言葉がふさわしいくらいである。


「ち、ちょっと待って“コソ泥くん”。そっちの方向は拙いから」


 フゲンは慌てて少年に止まるように呼びかる。

 彼が走る先にはランが待ち伏せをしているからで、いまの彼女は少々危険なのだ。侵入者が手練れの者であり強敵だと思い込んでいるし逃げる相手に手加減するか微妙なところ。


 フゲンのランに対する評価は真面目な性格だ。

 向上心もあるし、根が素直なので助言や忠告にはちゃんと耳を傾ける。しかも、盲目的にアドバイスに従うのではなくて、自分なりに吟味したうえで取捨選択するだけの用心深さもある。

 たまに凶暴化してフゲンを蹴り飛ばすこともあるが、それは彼女を怒らせた側が悪いのであって、彼女に非はない。まことに優秀であり将来有望な新人天使だ。


 ただし、フゲンからみてランには新人特有の危なっかしさがある。

 特に、今は初任務ということもあって気負っている感が強い。おまけに、何らかの方法で魔法警戒網を突破してきた侵入者を危険視している。

 ランは侵入者を強敵だと判断しているので、“コソ泥くん”に対して過剰な攻撃をする可能性があった。


 フゲンは慌てて“コソ泥くん”を追いかける。小柄な身体にもかかわらず、彼の逃げ足は早い。ガリガリにやせ細った体躯のどこにそれだけのパワーがあるのかと不思議に思うほど。問題なのは逃げる先で待ち構えるランに気づいていないこと。


 フゲンが危惧したとおり、物陰からランが攻撃を仕掛けた。彼女が振るった槍はヒュッと空気を切る音をたてながら、地を這いながら半円の軌道を描く。

 槍刃の向かう先は“コソ泥くん”の足首辺り。

 その狙いは足先を切り飛ばして逃走力を奪うこと。たしかに効果的な方法なのだが、年端もいかない少年を相手するには苛烈すぎる攻撃である。


「あぶない」


 フゲンは手を伸ばして、“コソ泥くん”のえり首を掴んで宙に放り投げた。

 その動作は間一髪のところで間に合って、ランの槍は空を切るだけで終わる。もし、槍刃があたっていれば少年は大怪我をするところだ。


 とりあえず初撃を避けられたが安心できない。

 ランが二撃目の攻撃をすべく短槍を振るおうとしていたからだ。奇襲に失敗はずなのに彼女は微かに笑みを浮かべている。その表情はやたらと好戦的な感じがしてほんとに怖い。


「ラン、そこまでだ」


 フゲンは短槍を突き出す寸前のランを止めようとした。なんとか彼女を落ち着かせようと同じ台詞をもう一度繰り返す。しかも言葉だけでなく、大きく手を振って押し留めようとするゼスチュア―付きで。

 そこまでしないと、彼女は攻撃を止めそうになかったのだ。


 ランは一瞬だけ戸惑うような表情をする。その後でようやく“そういうことね”といった感じで戦闘態勢を解いてくれた。遅まきながらも、彼女が槍を振るった相手が少年であることに気がついたためである。


 一方、“コソ泥くん”は地べたにうつ伏せになっていた。

 周囲には堅パンや干し肉、乾燥果物(ドライフルーツ)などが散乱しているが、それらは備蓄倉庫から盗み出したもので食べ物ばかり。


 フゲンはチラリと“コソ泥くん”へ視線をむけた。

 少年は(したた)かに背中を強打して苦しそうに呻いている。フゲンに襟首をつかまれて宙に放り投げられたうえに、受け身もとれなかったのだから、当然の結果だ。

 とはいえ手加減したので骨折など大きな怪我はしていないはず。単に打撲の痛みがあるだけ。この様子だとはしばらく動けそうにないと、フゲンは判断する。


 フゲンは“コソ泥くん”の状態を確認した後、ようやくランに声をかける。


「ラン、ちょっと気負い過ぎ。相手はズブの素人なのだから、もうすこし加減しようか」


「え~、そんなの判るワケないじゃん。だいたい、魔法の警戒網を突破してきたヤツなんだから、高度な技術を持つ者だと判断するのは当然よ。強敵を相手に手加減なんてしたら、こちらが返り討ちにあってしまうわ」


 ランは自分の対応は正しいしと主張する。これまでの状況から判断すれば、侵入者は手練(てだ)れの者だと想定するのが普通である。侵入者の正体がこんな年端のいかない少年であると予測できるほうがおかしい。彼女はそう反論した。


「うん、ランのいうことはもっともだ。油断は禁物だし、慎重に対処しようとする姿勢は評価に値するね。

 でも、変な思い込みは禁物だ。相手をよくみれば素人の動きだと判ったはずだ」


 フゲンは、いったんランの意見を認めたうえで、次のことを指摘した。

 “コソ泥くん”の走る姿は素人丸出しの動きである。戦闘訓練や格闘術を身につけたものの動きでないことは、一見しただけで判別できる。

 少なくとも、ランにはそれを見極めるだけの鑑定眼を持っているはずだと、フゲンは冷静に意見した。


 ランは内心でフゲンの指摘が正しいことを認める。

 指摘されたとおり、彼女は優れた鑑定眼をもっていたからだ。事実、彼女は人の歩く姿を観察するだけで、その人物の身体操作の程度はもちろんのこと、どんな系統のスポーツをしていたかまで推察できる。

 

 それどころか、相手が習得している格闘技の種類まで言い当てることだって可能だ。

 たとえば、突き蹴りを主体にした剛法(空手など)と、投げ極めを中心にした柔法(柔道や合気道)とでは身体操作に違いがある。足の運びや正中線のあり方、体重移動など多岐にわたる。

 それらの体捌きは高位者高段者になるほど自然と現れてしまうものだし、そのわずかな差異を見極めるだけの鑑定眼をランは持っている。

 そんな彼女なら、今回の侵入者が素人であることを判別できて当然だ。


 実際のところ、ランはコソ泥くんの走る姿を見て違和感を覚えていた。ただし、敵は強敵でありなんとしてでも捕獲せねばならないと気負っていたから、その違和感を無視したのだ。

 

 ただ、ランには彼女なりの言い分がある。

 さらに、どうしても()に落ちないことがあるので、フゲンに抗弁した。


「このコソ泥くんが素人なのは認める。でも、そんな人物がどうやって【術 符(マーカム)】の警戒網を突破できたっていうのよ? 

 その原因が判明しないかぎり、この少年は要注意人物として扱うべきだわ。一般人のフリをしていたり洗脳されている可能性だってあるんだから油断できない」


「あ~、それか。たぶん、“コソ泥くん”は無自覚なまま警戒網の隙を突いたと思う」


 フゲンは【術 符(マーカム)】の警戒網は完璧ではないと告げた。

 この村の周囲に設置した警戒網の術式は、移動体感知と熱源探査、さらに精神波感応の三種類。それら感知方式ごとに死角や盲点はあるし、【欺瞞】や【隠蔽】などの魔法などは幾種類も存在している。


「私が思うに、この“コソ泥くん”は地下道を使って村落に入り込んだはずだ。警戒網の探知範囲は地表のみで地下の移動には反応しないからね」


「え~、そんな死角があるなんて聞いてないわ。いや、それよりも何故フゲンは自信ありげに言えるのかしら。その根拠はいったい何なのよ? 」


 ランの疑問に対して、フゲンはこの村には地下道があるのだと告げた。

 彼は消えた村人たちを探して村長宅を調べた際に、地下の避難場所を発見している。その地下室はカラッポで誰ひとりいなかったし、手掛かりもなかった。


「地下室には隠し扉があったんだよ。その奥は天然の洞窟に繋がっていてね。たぶん緊急時の避難路になっているんだろうな。

 でも、扉前の床にはホコリが積もっていて、ここしばらく使用した形跡がなかったから、それ以上は調べなかったんだ」


 ランは、彼が語る内容を聞いてムッとした。

 そんな大事な情報を伝えてくれなかったことに腹が立つ。さらに言えば、地下道という抜け穴を残したまま警戒網を設置するなんて意味がない。

 手間暇をかけて【術 符(マーカム)】を村落の防壁に貼り付けたのに、その労力は無駄であったなんて思うとイラっとしてくる。


 ランは苛立ちを覚えるが、それを抑え込んだ。感情に流されて相手を詰問するのは良くない。つい先刻も“侵入者は手練れ”という思い込みで少年であるコソ泥くんに大怪我を負わせる寸前であったのだ。

 何ごとにつけ、状況を見極め正しく対処するためには冷静になる必要がある。

 なので、彼女はなるべくゆっくりとした口調で、フゲンにどういうつもりで、警戒網設置をしたのかを尋ねてみた。


 それに対してフゲンは“罠を仕掛けるつもりだった”と言葉を返してきた。

 警戒網は見かけの上の囮、地下通路の出口である村長宅を(おさ)えておけば良い。ただ、本当に侵入者が来るとは思わなかったけどと、彼は軽く言う。あくまで仕掛けを用意しただけで、何かが引っ掛かるとは期待していなかったとも。

 “どうせ捕まえるならミズタマアシガラアゲハのほうが良かった”と、余計なひと言をつけ加えるのがフゲンらしい。


「でも、フゲンの言うことは推測でしかないわ。それは仮説でしかないし、やっぱり“コソ泥くん”は厳重に縛り上げるべきよ」


「まあ、詳しい話は直接訊ねてみたほうが良いね。この少年は貴重な証言者だし、尋問をはじめよう」


 フゲンとランは揃って、地面にうずくまって(うめ)いている“コソ泥くん”に目を向けた。


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