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1-16.侵入者


 ランは驚いた。こうもやすやすと魔法の警戒網が突破されるとは思わなかったからだ。

 彼女とニャン助で完成させた魔法の結界は大変に優秀であり、それを突破するのは難しい。


 警戒網の元になっているものは、フゲンが提供した【術 符(マーカム)】だ。

 それを使って魔法の結界を構築しているのだが、ランは術式の内容を知っている。移動物体を感知するものと熱源探査、さらに精神波感応の三種類の感知方式の組み合わせだ。


 仮にどれかが機能しなくても他のチェック機能が働くので、忍び寄るものを見逃すことはない。さらに欺瞞魔法への対策も組み込んでいるから、大概(たいがい)の偽装を見破ることができる優れものである。

 フゲンの説明では、提供したものは簡易術符なのだが、それでも普通の者なら突破するなんてできやしない。それどころか、相手が上級冒険者であっても発見するはずだ。


「まさか、幽霊とかじゃないよね? 」


 ランは、侵入者が“この世でないもの”ではないかと疑った。

 警戒網は三つの探知方式を組み合わせたものだけれど、それらはすべて対生物仕様だ。相手が幽体で肉体を持たないなら、彼女たちに気づかれることなく警戒網を突破できるのも納得できる。


 それに対してニャン助が(こた)えた。


『ううん、これは生き物。熱源探知に反応があって、その温度は三十七度ぐらい。だから、非生物体の幽霊なんかじゃあないよ』


 ランの懸念をニャン助が否定してくれた。

 彼の見た目は小さな黒猫だけれど、後方支援役としてたいへん優秀であることを、ランは知っている。その彼が“幽霊ではない”と自信をもって断定するのだから、そのとおりなのだろう。彼の言葉を疑う理由なんてありはしない。


 ランはニャン助の判断を聞いて“問題ないわね”とひと安心する。

 彼女が心底から嫌う幽霊や物の()(たがい)でなければ、恐れる必要はない。生き物なら槍で突くこともできるし、魔法の攻撃だって有効だ。物理的に殴れる相手であるかぎり、やりようは幾らでもある。


「さあ、フゲン。とっとと立って」


 ランはフゲンに再起を(うなが)した。

 さすがに、こんな状況ではのんびりもしていられない。たかが蝶々ごときのことで、彼にいつまでも惚けていられては困るのだ。さっさっと侵入者への対応をしなければ、職務怠慢の(そし)りは(まぬが)れ得ない。


 ランとしては今回が初任務になるのだし、この程度のアクシデントでケチがつくのは避けたいところ。だから、フゲンには立ち直ってもらわねばならない。


 ランに()き立てられて、フゲンはようやく立ち上がった。

 ただし、彼の視線は虚ろなままだし、身体には芯が通っていなくて全体的に虚脱した感じがする。

 おまけに、意識は散漫としていてしており全く“やる気”がない。正体不明の者が村内に侵入してきたのだから、いま少し本気になっても良いだろうに、彼には緊張感が欠けている。


「ちょっとフゲン、しっかりしてよね」


 ランは彼を殴り飛ばしてやろうかと本気で考えたが、それを思いとどまった。

 優先順位を間違えてはいけない。こんな阿呆を相手にするよりも、今は正体不明の侵入者に対応すべきだ。貴重な時間を浪費して、敵を捕らえ損ねるようなヘマはしたくない。


「ねえ、フゲン。忍び込んできたモノの正体は不明だけれど、できるかぎり捕獲するわよ。相手の殺傷は最後の手段だからね。それでいい? 」


 ランは基本方針を決めた。本来であれば教導役のフゲンが対応策を考えるべきだろう。だが、肝心の彼は腑抜け状態でまったく頼りにならないのだから、ランが基本方針を決定するしかない。まあ、いまの状況では誰が考えても同じような対策を選ぶはずだ。


 ちなみに、基本方針として捕獲優先としたのは情報収集のためである。

 侵入者が何者であるにせよ、この“神隠しの村”で何が起きたのか聞き出す必要がある。現状、彼女たちには有用な情報がなにひとつないのだから、この機会をのがしてはならない。


 侵入者が野盗の(たぐい)でこの異常状態の元凶であるなら、話は簡単だ。

 そいつを捕まえて、この村で何をやったのかを白状させれば良い。村人が囚われているなら、監禁場所を急襲して村民たちを救出すれば問題は解決する。最悪、村人全員が死んでいたとしても、野盗どもにそれ相応の報いを受けさせるだけである。


「でも、今回の侵入者は粗野な野盗じゃないのよね」


 ランは、侵入者がかなりの手練(てだ)れだと判断していた。

 というのも、村の周りに設置した警戒網は高機能なのに、それを相手は簡単に突破してきた。敵は高度な技術を有している者、例えば優秀な魔導師であるか、専門訓練を受けた人物であろう。場合によっては魔物の可能性だってある。


 だから、侵入者が無知蒙昧な賊徒であるはずがない。とにかく(したた)かな敵であるのは間違いないし、決して舐めてかかってはいけない相手だ。


「ねえ、フゲン。あなたはここから村長宅までまっすぐ進んでちょうだい。私は背後を(まわ)り込むから。攻撃開始は今から五分後よ」


 ランは挟み撃ちすることを提案した。フゲンには囮役になってもらい、ランが敵の背後を突くかたちだ。

 フゲンはいまひとつやる気がないままに軽くうなずく。

 そんな彼とは対照的に、ニャン助は元気よく返事したうえに、自分から調査局本部へ現状報告をかってでてくれた。

 ランはニャン助の好意に感謝しつつ、いまひとつやる気のないフゲンの尻を叩き、作戦開始を宣言した。

 


 ランは正面の門を出て、村の外周を駆け足で移動する。

 この経路なら、村の中にいる侵入者から彼女の姿は見えない。ついでにいえば、彼女は【隠蔽】魔法をかけているので、彼女以上の能力を持つものでないかぎり、見つかる可能性はない。


 さほどの時間をかけずに、ランは村の正面門と反対の場所に到達した。

 眼前には村の防壁が建っているが、彼女からすれば、たかだか三メートルほどの高さなんて障害にもならない。


 右足で地面を蹴り、左足のつま先を防壁の中ほどあたりに軽く当てた右手を伸ばして防壁の天辺に指先をかけ、一気に身体を引き上げる。その勢いを利用して身体を宙で一回転させて壁を飛び越えて、壁の天辺から垂直に落ちて着地する。


 この一連の動作で彼女はまったく音を立てていない。

 特に地面に足をつけた際には、足腰のばねだけで落下の衝撃を吸収して音を消し去ったのだ。ここまでの動きでは魔法的な補助を使っていないし、

 その必要もなかった。それほどに彼女が念入りに調整(チューニング)した身体は高性能なのだ。


 ランは着地すると同時に身構えつつ周囲を見渡す。

 

 村のなかは非常に明るかった。夜になる前に、彼女があちらこちらに添着した【燈火】のおかげだ。ただ、明るいのは良いのだけれど、出歩く者がいないため、妙に寂しさが強調されている。

 村中を照らす魔法の(あか)りなんて、こんな辺鄙な場所ではもの珍しいはずなのに、騒ぐ者が誰ひとりいない。やはり、この村の状況は異常だ。


 彼女は静かに歩き始めた。事前に挟撃のタイミングを決めているので、時間調整する必要がある。油断することなく、彼女は物陰を利用しながら前へすすんだ。


「ニャン助が指定した場所はここね」


 そこは村のなかは比較的大きな建物であった。

 石造りの土台と頑丈な木材で組み立てた建築物で、村共有の食料品や薬草類が貯蔵されている備蓄倉庫である。


 正体不明の侵入者がこの建物のなかにいる。

 ニャン助の説明によれば、【術 符(マーカム)】の警戒網に引っ掛かった影はひとつだけ。ランは【探知】魔法で確認したけれど、周辺に隠れている敵はいない。


 どうやら、敵はひとり(あるいは一匹)で忍び込んできたのだ。

 よほど見つからないか、発見されても切り抜ける自信があるのだろう。事実、ランたちが設置した警戒網を潜り抜けて村内まで入り込んできたのだから、たいしたものである。 やはり敵はかなりの実力者であり、けっして舐めてかかってはいけない相手だ。

 ランは緊張しながらも、事前に示し合わせた挟撃開始の時間を待つ。


 そうこうするうちに、フゲンが備蓄倉庫の前までやってきた。

 彼の歩く姿はのんびりしたもので、まったく緊張していない。その表情はのほほんとしたもので、ランが強敵を前にして神経を張り詰めているのとは対照的であった。


「なに、あの気の抜けた感じ。敵を舐めていりのかしら。ちょっと信じられない…… 」


 ランはフゲンの姿をみて困惑した。彼のお気軽な雰囲気が単なる擬態なのか、本当に緊張していないのか判断に苦しむところだ。


 侵入者が相当な実力を持っているのを、彼は認識していないのだろうか? 

 それとも、判っていながらワザとあんな素振りをしているかもしれない。

 あるいは、どんな敵であってもねじ伏せるだけの“力”がある故の余裕なのか、ランにはどうにも判別がつかなかった。

 とにかく、いまの彼には緊張した様子はまったく見受けられない。


 そんなフゲンがニッと笑みを浮かべて片手をあげる。


「やっ、こんばんは」


 フゲンは備蓄倉庫から出てきた人物に声をかけた。

 彼の口調は軽くて、まるで道端ですれ違ったご近所さんにあいさつでもするかのようだ。緊迫した感じは全然なくて、いまから相手を攻撃するような気配は皆無である。


 ただし、声をかけられた側の反応はすばやかった。

 侵入者は、フゲンの気安げな挨拶を気にすることなく、すぐさま身を(ひるがえ)して走り出したのだ。

 躊躇する素振りすらみせずに、的確に逃走を選んだ判断力はあっぱれといっても良いだろう。


 ただし、ソイツが選んだ逃走経路は悪かった。

 ランが待ち伏せしていたからで、彼女は己が立案した作戦が見事にはまったのを確信してほくそ笑んだ。敵が手練(てだれ)れであっても、意表を突く彼女の奇襲には対応できないだろう。


 ランは侵入者を確認しようとしたが、建物の陰のせいで相手の姿は良く見えない。

 身の丈は百五十センチぐらいの小柄な体躯、全体的にほっそりした感じがする。ボロボロの布を外套(フード)のようにして頭からスッポリと被っているので、相手の正体は不明。

 それでも走る様子からして人間種かそれに近いモノで、魔物や獣の(たぐい)ではないのが判る。


 ランはタイミングを見計らって、短槍の刃をたてて横なぎに振るった。

 狙いは相手の足首。侵入者の逃走を防ぐために足先を切り飛ばすつもりだ。有能な敵を相手にしているのだから手加減は無用である。

 変な情けをかけて手抜きをすれば、逆に返り討ちにあってしまうのだから全力でぶつかるべきだ。


「くっ! 」


 ランの攻撃は当たらなかった。

 敵の足首を切り裂くはずの槍刃は、何もない空間を通りすぎて半円の軌道を描いただけ。


 彼女は軽い失望感を覚えたが、まだ終わったわけではない。

 初撃は外したけれど、二の手、三の手の攻撃を繰り出せば良いのだ。とにかく侵入者を逃がさず取り押さえれば目的達成だ。追撃の手をゆるめてはならない。


 ランは追撃すべく槍を突き出そうとした寸前、(かたわ)らから声がかかった。


「ラン、そこまでだ」


 彼女の攻撃を止めさせた声の主はフゲンであった。



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