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1-15.無人の村落にて


 フゲンは村落の外周を歩いていた。

 警戒用の【術 符(マーカム)】を防壁に張るためで、これらを起動展開すれば外から村落内に侵入する者がいても察知できる。

 さすがに、この村で宿泊するのに無警戒というワケにはいかない。この集落は村人全員が消え去るという謎の現象が起きている。何があっても対応できるようにすべきだ。


 ランは、フゲンの後ろにくっついて歩いていた。

 彼女は少しばかり気分がよろしくない。というのも、彼女はこんな村に宿泊するのには反対だからだ。できることなら、こんな“神隠し”の村よりもそこら辺の原っぱで野営するほうが何倍もマシだと思っていた。

 ただ、この村の異常な状況を調べるために、ここで一泊するのは必要なのも認識している。だから、ここに滞在するのを渋々ながらも同意したのだ。


「……に逃げるべきよねぇ。本当にオバケとか出たらイヤだなぁ~。どろどろした怨念の塊みたいなヤツだったら最悪。想像しただけで身の毛もよだつわ~。もし、なにか起きたら…… 」


 ランは幽霊や物の()といった(たぐい)のものが大の苦手だ。

 彼女が人間であった頃に、説明のつかない奇怪な現象を体験したせいである。普段は勝気な彼女であるけれど、こと怨霊などの話になったとたんに腰が引けてしまう。本気で怯えてしまって、小娘のようにキャーキャーと悲鳴をあげるくらいだ。


「なぁ、なんでそんなに弱気になる? ランだって天使なのだから霊的存在なんて慣れているはずじゃないか」


 フゲンの指摘はもっともである。本来、天使の本質は高次元意識体なのだから。

 いまのフゲンやランは物質世界で活動するために受肉して身体をもっているけれど、もともとの彼らは霊的存在である。しかも、数多(あまた)ある世界を維持管理する役目を担う天使であり、その存在格は非常に高い。

 そんなランが、幽霊のごとき低階梯のモノを恐れるなんてどうかしている。


 ランは顔を赤らめながらも反論した。


「そんなのは判ってるって! でも、怖いものは怖いんだからしかたないじゃない」


 彼女が説明するには、肉体を得てから再び恐怖心を持つようになったという。

 “この世界”に赴任する以前、彼女が天使であったときは何も感じなかった。どうやら、意識が肉体に影響を受けているらしい。

 人間であった際の心的外傷(トラウマ)が蘇ったというのが、彼女の推測だ。


 ランは、これは不可抗力であって自分は悪くないと訴える。フゲンは、彼女の言葉を適当に聞き流す。そんな彼らは他愛ない会話を続けながらも、【術 符(マーカム)】を防壁に張りつけて廻っていた。


「ムッ! 」


 突然、フゲンが緊張して遠くを見やる。

 視線の先は村の外側近くにまで迫っている森だ。夕刻ということもあって、森林の奥のほうは暗くてよく見通せないのだが、何かがいるらしい。


 彼は緊張した面持(おもも)ちで、ベストから幾つかの小道具を取り出した。

 それは細い棒状の金属が数本と網目の細かな布。彼はそれらをすばやく組み立て始めた。手慣れた感じでパーツをつなげてゆくが、手元を一切見ることはない。視線を森のほうへ固定したままだ。


「ちょ、ちょっとフゲン。なにか出たの? 」


 ランは、張り詰めた様子のフゲンに慌てた。

 彼女も探知系魔法を展開しているのだが、脅威となりそうなものを感知できていない。にもかかわらず、フゲンがなにかに反応しているのだ。

 何者かが彼女の探知系魔法をすり抜けて近づいてくるのかと、ランは戦闘準備を整える。


「ラン、そのまま警戒網を完成させてくれ。ニャン助はそのサポートを頼む。私は森の奥へむかう。ちらりとだけど、ミズタマアシガラアゲハの姿がみえたんだ。ちょっと、行ってくるよ」


 ランは困惑した。フゲンの言葉は聞こえたのだが、その意味することを理解できなかったのだ。彼が言う“ミズタマ何某(なにがし)”が何を意味するのか判らない。警戒網を完成させるよりも、そちらを優先させる理由も不明である。


 ランはフゲンに詳細な説明を求めようとした。だが、既に彼は虫取り網らしき小道具を片手に森の(きわ)まで進んでいる。ランが問いかけても彼は戻ってきそうにない。


 一方で、ニャン助が“いってらっしゃ~い”とのんきに見送っていた。

 呆気にとられていたランは黒 猫(ニャン助)に尋ねる。


「ねぇ、ニャン助。フゲンはなにを慌てていたのか教えてほしいんだけど」


『あるじが追いかけているのはミズタマアシガラアゲハ。とても珍しい蝶々なの』


 ニャン助の説明によると、それはアゲハ蝶の一種でとても貴重な種らしい。

 捕獲するどころか目にすることすら滅多にない昆虫で、フゲンはこれを二十年以上も探しているとのこと。彼はこの辺境部の村落を定期的に訪れて環境調査しているが、この蝶々を捕獲するのも目的の一つのようだ。


 さらに、ニャン助が言う。あの状態のフゲンは他人の話をきかないと。自分の興味を最優先にして動くから、誰が言葉をかけても耳に入らないらしい。


「なによ、それ。信じられない! 警戒網設置よりも虫一匹を優先してるってことぉ? アイツなにを考えているのよ」


 ランは思わず大声をだして悪態(あくたい)をついてしまう。

 彼女にしてみれば、今夜は恐ろしい“神隠しの村”に滞在するのだ。宿泊に同意したとはいえ、それは不承不承(ふしょうぶしょう)のことであり、決して本意ではない。

 フゲンの“調査官として一人前になりたくないのか”という言葉にしたがって、自分の職務を優先させ、無理やりに恐怖心を抑え込んだのだ。


 それなのに、フゲンは己の興味を優先させている。そんな人物に“一人前”がどうのこうのと言われて、まるめ込まれた自分に腹がたつ。なんだか、馬鹿らしくなってくる。


「もういい、あんなヤツを放っとこうね。ニャン助。わたしたちだけで作業を終わらせましょう」


『うん、わかったぁ』


 ランはニャン助と連れ立って残りの【術 符(マーカム)】を設置してゆく。

 張り付ける場所は防壁だけでなく、念のため壁内側にある村の建屋にも符を張りつけて、警戒網を完成させた。


ランの仕事はまだ続く。魔法の【燈火】を主だった家屋の屋根や木の枝に添着させてゆく。これは周囲を明るくするだけのもの。【燈火】の継続時間は約八時間、つまり今夜いっぱい村中をライト・アップするのだ。


「まあ、これだけ(まぶ)しければ幽霊なんて出てこないよね」


 彼女は己の仕事ぶりに満足する。自分でも少々やりすぎたと感じてはいるのだが、後悔はしていない。“怖いのは嫌だよね”と彼女はニャン助に同意を求めつつ、これらの作業を終わらせた。


 ランとニャン助は村長宅に戻り、夕食の準備に取り掛かる。

 材料は携帯食料品が中心だ。主食は保存性のある堅パン。それに干し肉と乾燥野菜を水で戻してスープの具材にする。

 水は水筒型の魔道具から取り出したもの。この魔道具は空気中の水蒸気を集めて液体にする機能がある。


 村の中にある食糧品や水は使用しない。毒や感染症を避けるためだ。

 食材や水の安全確認をしていれば、これらを夕食の原材料にするところだが、警戒網の設置を優先したので確認する時間がなかった。


 完成したのは野営時の料理である。

 屋根のある場所での夕食だけれど、こんな状況ではしかたがない。


「さあ、ニャン助。どうぞ、召しあがれ。凝った料理はだせないけどね」


『おいしそうだね。いただきま~すぅ』


「それにしても、フゲンは遅いわね。どこをほっつき歩いているのやら」


 フゲンが森に入ってから一時間以上が経過している。

 彼は幻のアゲハ蝶を追いかけて単独行動しているうえに、連絡が途絶えている。まあ、魔法の【念話】があるので異常なことが発生すれば(しら)せてくるだろう。

 あれでも天使なのだから、仮に不測の事態に陥っても自力でなんとかできるはずだ。


 とはいえ、ランは少しばかり心細いのも事実。

 なにせ、ここは村人全員が忽然と姿を消した“神隠しの村”である。そんな薄気味悪い場所にひとり取り残されているのだ。

 いくら(かたわ)らにニャン助がいるからといっても彼は猫である。いざという時に頼りになるかは不明だ。


「かよわき乙女をほったらかしにするなんて、フゲンって酷いよね。ニャン助、そう思わない? 」


 ニャン助はニャァとひと鳴き返しただけ。

 彼の本心としては“どこがかよわいのか? ”とツッコミたいところだが、それを言葉にすることはしない。


 不用意な言動は争いを招くだけだ。

 なによりも、彼はランに叩かれる主人(フゲン)を見ている。自分はああはなるまいと心に決めたニャン助は、迂闊なことを言うなんて馬鹿な真似は絶対にしない。

 彼は無神経な主人(フゲン)と違って、空気が読めるかしこい猫なのだ。



 ピピッ……、ピピッ……。


 食卓の上に置いていた【術 符(マーカム)】が鳴り出した。

 これは警戒網を統合管理するもので、ニャン助が宙に浮かぶ画面を確認する。


『探知網に感あり。移動体はひとつ、場所は正面門の手前約三十メートル、森の奥から移動してきますぅ』


「ああ、それってフゲンよね。ようやく放蕩息子のお帰りってところかしら。ちょっと文句も言いたいし、門までいこうか。ねっ、ニャン助」


『うん、わかったぁ』


 ランはニャン助を抱きかかえて、村の門へと移動する。

 既に夜になっているけれど、彼女が村中に設置しまくった【燈火】のおかげで、村のなかは明るい。魔法の灯りは眼にやさしげな光で小路を照らしてくれる。

 そんな明かりなかを通って彼女は門に到着した。


 フゲンは地べたに座り込んでいた。

 背中を丸め、何やらブツブツとつぶやいていて、彼特有の“はつらつさ”が全くない。その様子からして、“幻のアゲハ蝶”を捕獲するのに失敗したことが判る。


 ランは思わず笑ってしまった。すっかりヘコんでいるフゲンが滑稽だったからだ。

 今の彼は子供そのものであり、“大人の度量”を感じさせる彼とでは落差がありすぎる。ランが評価する “大人の度量”とは、失敗してもフォローしてやると言い切った際に感じさせた“包容力”のこと。

 そんな人物が蝶々を()り損ねただけで意気消沈する(さま)が珍妙すぎる。


「ウフフ、フゲン。その様子だと蝶々には逃げられたようね。警戒網の設置作業を放りだして自分の興味を優先するからよ。きっと(ばち)が当たったのね。少しは反省しなさい」


「ああ、申し訳ない。仕事の途中で抜け出したのは悪かった。でも、もう少し早く森の中に入り込んでいれば見失うことなんてなかったのに。

 このフゲン、一生の不覚! 次の機会はいったい何年先のことになるのやら見当もつかないなぁ。まったくもって残念無念」


「いい加減にしてよ。そもそも、この“神隠しの村”の調査のほうが重要でしょう。真面目に仕事をしなさいよね」


 ランは彼を叱りつけた。

 本当は笑いたくてしかたがないのだが、それを無理やり(おさ)え込んで、シリアスな口調を維持する。

 彼女にとって今回が初任務になるのだし、キッチリと仕事を完了させたい。なのに、教導役のフゲンときたら、まるで子供のようだし真剣さが足りないのだ。ここは教導役としてしっかりしてもらわないと彼女が困る。



 ピピッ……、ピピッ……。


 突然、【術 符(マーカム)】が鳴り出した。

 その音を聞いたニャン助がすばやく状況報告をする。


『探知網に感あり。移動体はひとつ、場所は村の南側奥、備蓄倉庫の横ですぅ』


「えっ? なんでそんな所で反応があるのよ。それって、いつの間にか警戒網を突破されたってことじゃない! 」


 ランはびっくりして叫んでしまった。

 いきなり冷や水を浴びせられたような思いだ。先刻までの気が抜けたような雰囲気が一気に吹き飛んでしまう。


 なにか正体のしれないものが、既に村の中へと侵入しているのだから。


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