1-14.符術師というスキル
太陽は地平線にまで近づいていた。
空はすっかり茜色になり、雲は夕日を受けて黄金色に輝いている。カラスたちは群れをなして営巣地のある森を目指していた。彼らとの距離はあるはずなのだが、村落のなかが静かすぎてカァカァと鳴く声がやけに近く感じる。
この辺境地の村にはフゲンとランのふたりだけだ。
いるべき集落の人たちが誰ひとりとしていない異常な状態である。
「このままじゃあ埒が明かない。今夜はここで過ごして、明日から詳しい調査をしよう」
フゲンの考えは、村人たちが消えた理由を調べるべきというものだった。
すべての家屋を探して判明したのは、誰も見当たらないことだけ。集落には襲撃された痕跡も争った残滓すらない。
村の人々は強制されて移動したのか、あるいは自主的に避難したのかさえ不明だ。こんな異常な事態を放置してはおけない。
「そ、そうね。村人たちが消えた理由を調べるのも、彼らを探すのも賛成よ。でも、ここに泊まるのは反対。絶対にイヤ。
だって、気持ち悪いじゃない。“神隠し”の村で何が起きたのか分からないのよ。集落の外で野営しよう。ね、ね。そのほうが安全だしさ」
ランは、自分が発した“神隠し”という言葉に怯えていたのだ。
彼女は、眼に見える敵―――たとえば数時間前に撃退した【飢えたる小鬼】といった魔物―――を恐れたりしない。
ただ、“神隠し”といった怪異現象や幽霊のような漠然としたものには弱いのだ。自分でもよく理解できないのだが、生理的に受けつけられない。いまの彼女は理性や知性よりも感情が勝っている。
「おいおい、本気で言っているのかい? ランともあろう者が何を恐れているんだ。それに、我々が泊まって何かが起きるなら、それこそ歓迎すべきじゃないか。
ここの住人が消えた理由が判明するかもしれない。やはり、村のなかで一泊するべきだろう」
「え~、いやよ」
本気で嫌がるランだったが、最後にはしぶしぶと同意する。
【調査官】として一人前になりたくないのかと、フゲンに一喝されたからだ。さすがに、そこまで言われてはワガママを突き通すわけにもいかない。
ランはこの集落に泊まることを同意した時点で徹夜を決めていた。下手に寝てしまうほうが怖いからで、絶対に寝ないでおこうと思い定める。
ふたりは相談して、村で一番立派な建屋である村長宅に泊まることにした。
ここは集落の中心なので、どこで異変があっても駆けつけるには最適の位置だ。それに、家の造りが頑丈なので何があっても守りやすいし、比較的にしても安全であろう。
彼らは村長の家に入り込んで、泊まる準備を始めた。
フゲンは周辺警戒のために【術 符】を用意する。
腰のバインダーから十数枚を引きちぎって、広いテーブルの上に並べた。これらは円形の縁取り模様があるだけの未完成品である。
円陣の中央は空白のままなのは意図的なもので、用途に応じて魔導回路を描き加えて完成品となるのだ。
彼は別の【術 符】を取り出して、回路転写用の魔法を起動させる。
「ニャン助、転写する魔導回路の候補を検索してくれ。指定条件は次の通り。
使用目的は周辺警戒、術符一枚の効果範囲は半径三十メートルで、相互に連結するもの。継続時間は約十二時間、使用魔力量は最小級とする」
『マスターからの指定項目を確認。情報格納庫の検索を開始……、条件に合致する魔導回路は二百三十五個がヒットしました。転写作業の簡便さを優先して……。』
ニャン助は尻尾をふりながら、フゲンの指示にしたがって作業を開始した。
いつも似たような作業をしているので手慣れたものである。彼は手早く候補の中から最適な魔導回路をひとつ選択して、それをフゲンに提示した。
フゲンはニャン助から回路情報を受け取り、【術 符】に転写させてゆく。
ランは作業する彼らを見て、以前から思っていた疑問を口にした。
「ねえ、フゲンって【符術師】の天使権能持ちだよね。どうしてそんな面倒なモノを選択したの? 」
ランの質問の真意はこうだ。魔法を使いたければ、それ専用の天使権能を取得すればよい。わざわざ面倒な【術 符】を使用するなんて煩わしいだけである。
実際、先ほどの休憩でフゲンはお湯を沸かすのに【術 符】を使っていた。もし、ランが薪に火をつける役であったなら、指先に火を灯して着火するだけだ。それが可能なのは、彼女が火炎属性魔法の天使権能を取得しているからである。
ランにしてみれば【符術師】なんて不遇スキルでしかない。作成コストもかかるし使い捨てなのでコスト・パフォーマンスが悪いのだ。
なによりも、【術 符】での魔法発動は予備動作が多くなるので、戦闘には不向きである。ほんの一瞬の隙が命取りになる戦場では、可能なかぎりリスクを減らすべきだと、彼女は思っている。
そんな考えを持つランに対して、フゲンはあっけらかんと応じた。
「ああ、【術 符】は汎用性が高いんだよ。特に分析作業では重宝する。確かに手数が多くて大変だけれど、いろんな事象や物質を解析するには都合が良くってね。
同じことを魔法スキルで実施しようとすれば、解析系の天使権能をたくさん持つ必要がある。
でも、【符術師】ならひとつの天使権能で対応できるんだよ」
「あら、分析作業なら【鑑定】のスキルがあれば充分じゃない。【術 符】で分析するなんて、どうしてそんなに手間暇をかけるのよ? 」
「おいおい、【鑑定】は便利だが万能じゃないぞ」
【鑑定】は情報格納庫への照合にすぎない。
調べたい対象を指定し、それに合致するモノを探して、その結果を返してくるだけの単純な機能だ。
照会先の情報格納庫は“この世界”に設置されているローカル版でしかないが、必要に応じて【天界の記録保管庫】に接続する。
この【天界の記録保管庫】は無限とも表現できるほどの情報量があるので、大概の照会に応じてくれるのだ。
結局のところ、ランは【鑑定】を分析のためのスキルだと勘違いしていた。
「そもそも“この世界”に関する知見や報告書は、誰が作成していると思っている? ここで活動している【調査官】たちだ。そしてラン、君はその役目を担う者のひとりなんだよ」
「あ~、なんかごめんなさい。わたし、【調査官】の業務内容を間違っていたというか、甘くみていたような感じかしら? よく判らないけど、なにかを誤解していたようね」
フゲンは、気にすることはないと彼女に応じた。ひと言で【調査官】といっても業務内容は幅広いから役割分担しているし、全員が分析業務をしている訳ではないからだ。
「ただね、ランには意識して欲しいことがある。それは、他人が記述したものを読んだだけで知った気になるのは禁物ということだ。
記述されたものが本当なのかを自分で確かめたわけではない。一流の者になりたいなら“常に疑う姿勢”を保つべきだと、私は思う」
ランは、その考えには異議はないと応じた。それどころか、大きく頷いて賛意していることを態度で示す。
彼女の心うちで、“フゲンはデリカシーのない不調法者だけど尊敬できる面もある人物だ”と評価を改めていた。
ただし、それを素直に表現するランではない。逆に棘のある言葉を発してしまう。
「でも、なんかムカつく。だって、フゲンが偉そうなんだもん。なんで、女性の体重を読みあげるなんてデリカシーに欠けるヤツに説教されなきゃいけないのよ。
乙女の繊細な心を察しない男の言うことなんか、素直に聞ける訳ないじゃん。イ~だ! 」
「ええっ? なんだ、その反応は。逆ギレかよ。それに、あのことはすぐに謝ったじゃないか。あの日以来、私はひと言だってランの体重が百……」
バシッ!
ランの踵落としがフゲンの頭頂に炸裂した。
「フゲンのバカ~。わたしに関する数値はすべて忘れろと、あれほど念押ししたのに。なんで、アンタはそんなにデリカシーがないのよ! 」
ランは顔を真っ赤にして怒鳴る。それはもう怒髪天を突く勢いの怒りようで、情け容赦なくフゲンの胸ぐらを掴む。さらに、あらんかぎりの“力”で彼を思いっきり揺さぶった。
ランは、少しでもフゲンを見直そうとした自分が馬鹿だったと後悔した。
つい先ほど彼への評価を改めたばかりなのに、その直後には価値暴落させる言動には呆れるばかりだ。彼女は怒りが収まるまで彼をぐらぐらと揺さぶり続けた。
一方のフゲンはあまりの勢いに圧されて意識を失っていて、反応できない。もう為されるがままの状態であった。
ちなみに、フゲンがランに説明した内容に嘘はないが、全部を伝えたわけでもない。
確かに【術 符】は汎用性が高いし、分析作業などでは使い勝手は良い。それゆえに彼は【符術師】の天使権能を選択した。
いや、正確には選択せざるを得なかったのだ。
単純にいえば、彼には他に取得できる余裕がなかったのである。その原因は、別の天使権能がフゲンの権能受容領域のほとんどを占めていたから。
かろうじて取得できるものが【符術師】だけであった。
実は、フゲンの天使権能の多くは、彼の真の任務である『この世界のすべてを完全に消去すること』に必要なもので構成されている。
具体的にいえば、世界ひとつを完全破壊させる巨大魔方陣を設置するものだ。
他には天災級の広域破壊魔法などがある。とにかく、彼の天使権能は生物を絶滅させるためのものが中心だ。
こんな偏ったスキル構成なんて不便極まりない。なにせ、普段使いできるものが全くないからだ。
たとえば、薪に火をつけるのであれば、ライターひとつあれば充分である。
なのに、彼の天使権能には、弾頭に戦略核を仕込んだ大陸間弾道ミサイルしかないようなものだ。こんなもので着火する馬鹿はいない。
彼のスキル構成はあまりに偏向している。ここまでくれば大袈裟を通り越して笑うしかないレベルである。
しかし、フゲンはこの状態を愉しんでいた。
彼いわく、不自由だからこそ楽しみが倍増するというもの。数少ない道具を使って試行錯誤してみたり、回り道をしてこそ喜びがあるのだと。
以前、フゲンは上司に言ったことがある。
『私は過程を楽しむ性格であって、性急に回答を求めるタイプではありません。ああでもないこうでもないと試行錯誤するのがイイんですよ』




