1-13.消えた村人
フゲンは村中心にある広場へと着地した。
周囲を見渡すが、やはり誰も見当たらない。この時間帯であれば、忙しく働く村人がいて当然なのにまったく人影がないのだ。
遠くから鳥が鳴く声だけが聞こえてくるが、それが逆に村の静けさを強調している。
この村が異常な状態にあるのは間違いない。
ランが彼の背後に着地してきた。
軽やかに風乗り板を操る様子から、随分と慣れてきたことが分かる。ただ、語りかけてくる彼女の口調は少しばかり焦っている感じだ。
「ちょっとフゲン、どういうつもりよ? いきなり村の中に風乗り板で乗りつけるなんてことしちゃって。そんな行いは非常識なことだって教えてくれたのはあなたじゃないのよ。村人から怒られるなんて、わたし嫌なのに」
ランの指摘はもっともだ。フゲンの振る舞いは、相手の許可なく土足で部屋に押し入るようなもの。村の権威を蔑ろにする行為だし、治安維持の観点からみても問題である。住人から非難されて当然だし、とても褒められたものではない。
「問題ない。というか、我々を咎める人々が集まってきて欲しかったくらいだ。ランは気がつかないか? ここには村人がひとりもいないことに。
私が上空で感じていた違和感の正体、それは見えているべきはずの人影がなかったことだったんだ」
フゲンはそれなりに社会常識を持ち合わせている。
ちょっと変わった性格であるが、普段の彼なら風乗り板で村落のど真ん中に降り立つなんてことはしない。
だが、今回はあえて批判されるような行いをした。この村が異常な状態であることを確信していたからだ。何があったのかは不明だが、村の中に誰ひとりとしていないのは尋常でない。
「うん? 確かに誰の姿も見えないわね。でも、家のなかじゃないのかしら。それとか、みんな外の畑で働いているとかさ」
「いや、それはない。上空から見たが、防壁の内側にも外の畑にも村民の姿はなかった」
フゲンはこの集落のことを簡単に説明した。
ここの世帯数は約四十、合計三百人ほどの村人が住んでいて、辺境部にしては裕福な村落である。
理由はこの一帯でとれる特産物で、これが高値で取引されている。村落の周辺に小さな湖や湿原が幾つもあって、そこに繁殖している水生植物が希少な薬品の原材料になるのだ。
村は薬草取引で得た冨を使って防壁を構築していた。
この防壁、開拓部には不釣り合いなほどに立派なもの。集落全体を土塁と堀で囲い、高く盛りあげた土塁の上に太くて頑丈な木材で柵を組んでいる。
下手な無頼集団の襲撃を受けても難なく退けることは可能なくらいだ。村人全員が囚われるだとか殺害されるなんてことは、そう簡単にできるものではない。
「誰でもいいから村人を見つけよう。ランは村中央から南側半分を調べてくれ。私は北側を探す。ニャン助はランのサポートを頼む」
「了解。じゃあ、ニャン助ちゃん。わたしと一緒に行こうか」
『うん、わかった。ランお姉さん、よろしくねぇ』
彼らは手分けして村人を探すことにした。
フゲンは腰に幾つもぶら下げているバインダーのひとつを手にとる。束になった術符から一枚を選んで引きちぎり、それに魔力を通した。
術符に刻まれていたのは【熱源探知】の魔法陣。
生物が発する体温を感知するもので、これを使えば範囲三十メートル以内の者は発見できる。人間が床下や壁裏に隠れていても見逃すことはないのだが、【熱源探知】に反応はまったくなかった。
彼は家屋の内を調べることにした。まずは中央広場に面している大きく造りがしっかりした建物だ。そこは村長の家で集会所を兼ねている。緊急時には避難所にもなるので、村人がいるとすればここの可能性が高い。
玄関から入ってすぐ横には広い空間があった。村人たちが集まって話をする部屋なのだろう。詰めれば二~三十人は入れるだけの面積があるが、いまは中央に縦長の木製テーブルとイスが並んでいるだけだ。部屋の中は質素なものだがきれいに手入れされていた。
「荒らされた形跡はなし」
次に向かったのは台所だ。奥さんや娘さんのような女性が長くいる場所でもある。
というのも、食事の用意などの賄い仕事や洗濯などの水場仕事は多くの時間を要するからで、もしかしたら何が起きたかヒントを掴めるかもしれない。
だが、彼の期待に反して台所には誰もいなかった。
かまどの上には鉄製鍋が置いてあって、その中には野菜スープが入っている。ただし、すっかり冷めていた。料理が完成してから随分と時間が経過していることが判る。
食卓の上には食器が並んでいた。
テーブルの端っこにバケットがあって堅パンが盛られており、陶器の壺には山羊のミルクが入っている。並んでいる皿やコップは八人分なのだが、それらの中身は空っぽだし汚れてもいないので、食事前であったことが窺い知れる。
フゲンはかまどに触ってみたが熱はない。
かまどの中の薪もすっかり炭化していて燃えカスしか残っておらず、その状態からして最低でも一日以上は経過している。
次に鉄製鍋に残っているスープを調べてみる。すっかり冷えているが、腐ってはいない。
調理されてから五日間以内といったところだろう。それ以上の日数が経過していれば、いまの季節から考えてカビが生えているか腐っているはずだ。
この家の住人が立ち去ったとしても、それは五日以内に起きたことになる。
「ふむ、ちょっと用事があって家から出ただけといった感じか。台所の様子から鑑みるに、慌てている様子はないし、ごく日常的な生活の一コマといった情景のままだ。いったい、何があったのか」
フゲンは念のため他の部屋も探してみる。村で一番大きな建物だとはいえ、部屋数がたくさんあるわけでもなし、たいして時間はかからない。
結局、村長の家族は誰も発見できず、異常が感じさせる形跡もなかった。ちょっと留守にしているだけといった雰囲気である。
「可能性があるのは避難場所ぐらいか」
考えられる場所は床下だ。フゲンは適当に床をコンコンと叩いて家の中をまわると、返ってくる音が違う箇所があった。
そこは玄関横にある広い部屋の隅。床下が空洞になっているので他とは音が異なったのだ。
「みつけた。ここが避難場所の隠し入り口だな」
フゲンは小型ナイフを床板の隙間に突き入れる。
板を持ち上げると地下に続く階段があった。
「【熱源探知】に反応なし。やはり、眼で確認するしかないか。あまり気乗りしないなぁ」
彼が展開している【熱源探知】は生き物の体温を感知するものだ。
死んでいる者は探知できない。
遺骸には体温なんてないし、その温度は周りの気温と同じ値になるので、【熱源探知】では判別がつかないのだ。
もし死体があるとすれば、床下の避難場所まで降りて視認する必要がある。
あまり良くないことを想像しながら階下へと降りた。
階段板は古くてギシギシと音がするし、湿っぽくて少しかび臭い匂いがする。今は夕方だし、ここまで太陽光は届かない。階下は真っ暗なので術符を使って魔法の明りを灯す。
床下の避難場所は階上の広い部屋と同じだけの面積があった。
壁や床はレンガで覆われており、端には大きな棚があって非常食らしきものが並んでいる。他には何もなくてガランとしたものだ。
「フゥ。死体とかがなくて良かった。いや、何の手がかりもないのは悪いというべきか。この状態をどう解釈してよいものやら」
結局、フゲンは村長宅すべてを探したが何も見つからない。
生きている者はおろか死体すら出てこないのだ。部屋中を調べてみても荒らされた形跡はないし、慌てて出た様子も感じられない。少し用事があって出ただけといった状態であり、何が起きたのかサッパリ判らないままだ。
フゲンは他の家屋も調べてまわったが、異常なものは発見できなかった。
村長の家と同じようなもので争った形跡はない。どの家でも日常生活のワンシーンがそのまま残っていて、住人はふっと思いたって外出したような感じである。
フゲンは村中央でランと合流して、互いの情報を交換し合う。
ランが見てまわった家屋の状態は彼と同じようなもの。一点だけ違ったのは生き物がいて、家の裏庭で鶏やヤギなどの家畜が好き勝手にしていたらしい。
どの家も壊れていないし、火事などで焼けた跡もないとニャン助がつけ加えてくれる。
「ねえ、フゲン。わたし、なんだか薄気味悪くて嫌なんだけど。
この村には誰もいなかったのは判ったけど、いったい何があったのかしら? 」
「わからない。とりあえず思いつくまま仮説をあげてみようか。最初に思いつく仮説その一。それは“武装集団や野盗の群れに襲撃された”だ」
フゲンはそう言いながらも、自分でこの仮説を否定した。
理由はどこにも争った形跡はないし、家屋もきれいなままだからだ。そもそも、金品や食料品が強奪されていない。野盗どもがお金の類いを見逃すことなんて絶対にない。
「じゃあ、仮説その二“魔物に襲われた”も違うわよね」
ランも仮説をあげたが、自分で打ち消した。
村中どこを探しても、死体どころか血痕ひとつもなかったからだ。それに防壁門の近くに小さな武器庫があったけど、弓や槍は手つかずのままだった。それらを見るかぎり魔物と戦ったとは思えない。
続けてフゲンが次の説をあげる。
「では、仮説その三“村人全員が自主的に退去した”はどうかな。これなら死体がないとか争った形跡がないことの説明がつく」
「その仮説もちょっと無理があるわよね。だって、避難とか退去なら食糧品や金銭は持っていくはず。それに、わたしが探した家では食べかけの料理が残ったままだったの。
村人自ら進んで退去するにしても、それなりに準備してから出てゆくだろうし。食事の途中で急に出発するなんて考えにくいわ」
「ああ、そのとおりだ。ではいったい、この村は何があったんだ」
「ねぇ、これって“神隠し”じゃない? 」
“神隠し”、それは人が突然に消えてしまう怪奇現象。
原因を合理的に説明できない失踪を“神隠し”として人々は怖れてきた。古来より天狗にさらわれたとか異界に迷っただとか、とにかく人知を越えた何者かの仕業だとされている。
もちろん、ランはそんなものは迷信だと思っている。
村の住人が消えたのには理由があるはずなのだが、気味の悪さを感じているのも事実だ。妙に寒気がして背中のあたりがゾクゾクとする。
得体の知れないモノがこちらを窺っているのではと、変な妄想が頭をよぎるのだ。理性よりも感情が先にたって“一刻も早くこの場を立ち去るべきだ”と訴えてくる。
どこからともなく湧きあがる恐怖で、ランは思わず身を震わせてしまった。