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1-11.初陣


 それは【飢えたる小鬼】であった。

 体長一メートル前後、ガリガリにやせ細った手足、異様に膨れた腹部が特徴的な魔物だ。二本足で歩くモノもいれば、四本足で移動するモノもいたりする。眼玉が赤く濁った色をしており、口には小さな牙と不揃いで所々が抜けた乱杭歯が並んでいる。

 見た目は日本の御伽草子(おとぎぞうし)にでてくる餓鬼に似ている。西洋のファンタジーに出てくるゴブリンのような姿かたちではない。


 小鬼の数は五匹。バラバラに歩いていて隊列を組んでいない。移動速度はゆっくりだし身を隠す素振りもないので、こちらに気づいていないはずだ。


 ランは念のため改めて周囲を確認したが、他に魔物はいなかった。

 彼女が対応すべき相手は眼前の魔物五匹だけなので、()したる脅威とはならない。はっきり言えば【飢えたる小鬼】は雑魚と断言しても良いくらいの魔物だ。

 天使となって初めての実戦であるが、ランひとりだけで殲滅できる相手である。


 ランは短槍だけで対応できると判断した。今回は初陣だが、接近戦闘は得意だし己の力量を試す良い機会だ。油断するつもりはないが、相手は弱敵だし魔法攻撃の必要性すら感じない。物理的武器である短槍だけで充分に制圧できるはずだ。


 彼女は息をひそめて静かに移動した。相手に見つからないように迂回して、敵の背後へと回り込む。タイミングを見計らって、見当違いの場所に小石を投げたのは相手の注意を()らせるためだ。

 彼女の狙い通りに、小鬼たちは石が音をたてて落ちた方向に意識をむける。


 ランは一気に詰め寄って魔物に襲いかかった。


 左足を前にした半身の体勢で諸手突(もろてづ)きをくらわせる。対象は一番近い小鬼で、槍先は肋骨の間の狭いすき間をすり抜けた。

 心臓に刺さると同時に(ねじ)りを加えるのは殺傷力を高めるためで、意識せずとも身体が勝手に動くが、それは修練をつみ重ねた成果である。


 不意討ちを受けた小鬼の反応はビクリと筋肉を収縮させただけ。そのまま絶命する。おそらく、小鬼は己の身になにが起きたのか分からなかった。

 それほどに、ランの最初の一撃は静かで相手に悟られないまま、手際よく行われたのだ。


 ランは間髪(かんぱつ)入れずに槍を引き抜き、身体をずらしながら右半身になる。その(たい)を入れ替える勢いを活かして、短槍を勢いよく横に振るった。

 

 槍の先端が向かう先は二匹目の小鬼。

 風を切る音とともに、槍刃の尖先が二匹目の小鬼の首後部にくい込む。短槍から伝わる感触には大した引っ掛かりもなく、槍刃は小鬼の頭部をきれいに切断した。


 この時点になって、ようやく残りの小鬼たちが振り返る。

 ただし、彼らは何が起きたのかを把握できていない。


 ランは槍を横なぎに振るった勢いのまま旋回しつつ、三匹目との距離を縮める。

 身体を回転させる運動エネルギーを利用して、横方向に動く短槍を縦方向へと変化させ、上段に振りかぶった。


 ランが持つ短槍はかなりの重量がある。力自慢の大男でも持ち上げるのがやっとで自在に振ることはできない。彼女が扱う槍はそれだけの質量があるのだが、これを相手に叩きつけるだけで立派な打撃武器となる。


 そんな大重量の短槍が三匹目の小鬼にむけて振り降ろされたのだ。

 打撃点は刃ではなく柄の部分。そこから硬いものが割れるような鈍い音がする。音の出元は小鬼の頭部で、頭蓋骨は割れてひしゃげて変形したうえに、頭部全体が鎖骨あたりにまでめり込んだ。


 初撃からここまでの所要時間、わずか三秒。


 ランはすばやく槍柄を引いて左半身に構えて残りの小鬼たちをにらんだ。

 彼女の動きは水が流れるように滑らかで、攻撃に一切の遅滞はない。


 このタイミングで残りの小鬼は何が起きたのかを認識できた。

 すぐに二匹は反応したが、その行動は全く正反対である。


 四匹目はクルリと背をむけて逃げ出したのだ。

 ただ、慌てているためか足がもつれて転倒。不様(ぶざま)にバタバタと足掻く。ちゃんと立ち上がれず、最後には()いずって逃げ失せようとした。必死に動く様子は妙に滑稽なのだが、それでも着実にランから離れてゆく。


 五匹目はランに反撃すべく立ち向かってきた。

 前脚を地面につけた四つ脚状態での移動は意外に速い。あっという間に距離を縮めてランに跳びかかってくる。小鬼の狙いは鋭く尖った牙での噛みつき攻撃だ。


 ランは右足を斜め後ろに半歩ずらして小鬼の攻撃をはずす。

 その動作にあわせて、彼女は短槍の金口(刃と柄を接合している部分)で小鬼の脇腹に軽く()れる。小鬼の身体は宙に浮いていて避けることはできない。


 短槍の動きは攻撃ではなく、柔らかく小鬼に接触しただけ。そのままランは短槍の中央部を持つ左手を支点とし、槍の後ろを右手でクルリと廻した。これだけの動作で、小鬼の体躯は勢いよく宙を飛んでゆく。


 投げ飛ばされた小鬼の行く先は遁走する四匹目だ。

 そいつは背を向けていたので気づけずに飛んでくる五匹目とぶつかる。

 ゴツリと鈍い音が響いた。

 四匹目は下敷きになって身体をピクピクと震わせ、五匹目は脚の関節が逆方向に曲がっている。傷ついた小鬼たちがアギャアギャと泣き(わめ)くが、もう逃げることはできない。


 ランは倒れ込んだ小鬼に近づいて槍を突き刺す。

 絡み倒れている二匹の命を絶つため心臓に刃先を潜り込ませた。

 槍先を引き抜くと辺りに血の匂いが漂う。


 ランは残心―――相手の反撃に備えて油断しない心構え―――をしたまま周囲を見渡す。安全が確認できるまで警戒を解くつもりはない。戦う前、他の敵がいないことを確かめているが見落としの可能性もあるからだ。


 彼女から見える範囲には敵はいない。ただ、二十メートルほど先にある樹木の枝に黒猫がいるだけ。

 ニャン助だ。どうやら安全な高所からランの様子を見ていたらしい。

 まだ、安全確認は終わっていないので、彼女は“そこにいろ”と目で合図をおくった。


 ランは改めて倒れた小鬼たちに意識をむける。

 普通の生き物なら絶命しているはずだが、魔物の生命力はしぶといのだ。倒れていても死んだふりをして反撃の隙を伺っているかもしれないので、油断はできない。

 念のため、魔法の【集音】で小鬼たちの心臓が動いているかをチェックする。時間をあけて二回目の確認をして、ランはようやく警戒を解いた。


「ふぅ、状況終了」


 ランはひと息ついて、己の初戦闘の結果を振りかえる。

 【飢えたる小鬼】は大した脅威ではない。個体での戦闘能力は低いし、今回の敵は群れとしての統一意識もなかった。彼女の戦闘力からすれば容易に打ち負かせる相手だ。


 鎧袖一触(がいしゅういっしょく)という言葉がある。

 その意味は、鎧が軽く触れただけで敵を倒してしまうくらいに、相手を撃破する“力”があること。この言葉のとおり、ランと【飢えたる小鬼】の戦闘力の差は大きかった。相手にならないと言い換えても良いくらいだ。


 それでもランは油断しなかった。戦い終わった後でも残心の状態を保っていたし、仮に他に脅威があったとしても充分に対応できたはず。初めての戦いということもあって慎重すぎるきらいもあるが、不注意で失敗するよりマシだ。


 彼女はこれなら合格点だろうと自己採点する。高い戦闘能力があっても慢心することなく、慎重に対処した己を褒めても良いだろう。


「どう? フゲン。ご覧のとおり小鬼をやっつけたわよ」


「う~ん、まあ魔物を制圧した技術は見事だがねぇ」


 ランはフゲンの顔つきを見て、己が失敗したことを悟った。

 彼は“見事だ”と言葉では表現しているが、その表情は“分かってないのかぁ”といった感じである。そのあきれ顔からして、彼女の対応結果を褒めていないのは明白だ。


 ただ、ランは自分の失敗点がわからない。というのも、【飢えたる小鬼】五匹を(すみ)やかに撃破している。反撃されるような隙もなかったし、彼女の戦いぶりに危なげな点はなかったはずだ。

 また、戦闘後の周辺警戒も怠っていないし、万が一の場合に備えて退路確認すら行っている。自分の戦闘行為のどこが問題であったのか思いつかない。


「あ、あのう。わたしなにか失敗したかな? フゲンを見ていると、高く評価してくるような雰囲気じゃないよね」


「まあ、いろいろと指摘したい点はあるかな。とりあえず、ランの戦闘能力に関してはすばらしいよ。弱小の魔物であっても慎重で油断することなく対応できている。倒すべき対象の順番も的確だったし、最小の動きで制圧しているから安心してみていられた」


「じゃあ、合格ってことでいいじゃん」


「いや、ランがいかに戦闘技量に優れていても合格点はやれない。これがテストなら君は落第だ」


「え~、なんでそんなに厳しいのよ。理由を言ってよ。理由を」


「わかった。でも、理由を説明する前に思い出して欲しいことがある。私が“この世界”を“隔離病棟”に例えたときの話だ」


 以前、フゲンがランに思い出させたこと。

 それは、ここの住人たちには【輪廻転生(サンサーラ)の原理】が機能せず、彼らの魂魄(こんぱく)そのものが消滅する可能性があるという内容であった。

 しかも、(たち)の悪いことに、この異常状態は伝染するので、それをフゲンは“感染状態”にあると表現している。

 ここ住人たちは他の世界から切り離されて“この世界”へ移植された。だから、ここは“隔離病棟”なのだ。


 そしてランやフゲンの役割。それは“感染”の原因を調べる【調査官】であり、治療に努める医師でもあり、住人を監視する監獄官でもあるのだ。


「いいかい。私が告げた状況設定。それは、君は【調査官】として山間部の生物分布を調べることが目的だった。覚えているかい? 」


「ええ、覚えているわ。しかも、単独行動との設定だったわ。で、任務中に正体不明の生物を発見したので対応することになった。だから、わたしは魔物を制圧すべく行動して敵を排除したのよ。なにが悪かったのかしら? 」


 フゲンは、ランが兵士なら先刻の対処に問題はないと答えた。

 ただし、彼女の役職は【調査官】だと繰り返す。

 その仕事は異常事態が発生した現場に(おもむ)き、原因や周囲の影響内容を調べること。調査業務をうまく行うために調査業務手引書があるけれど、ランの行動はそれに合致していないと、フゲンは冷静に指摘した。


「ランは分からないかな? 具体的には三つのミスを犯していたんだよ」


「うへぇ、三つもあるの? 勘弁してよ~」


 ランは心底から嫌そうな声で嘆いた。それでも、フゲンが指摘するミスの内容を教えて欲しいと言う。己が反省すべき点を把握して、これを修正したいらしい。


 前向きな性格のランらしい発言であった。


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