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1-09.フゲンの失敗論(後編)

 結局、ランはフゲンへの評価を保留することにした。

 話を聞くかぎり、彼がやること()すことのスケールが大きすぎて品定めするなんて不可能だ。それに、彼とは今日初めて会ったばかりだし、今すぐに判断する必要もない。

 これからしばらくの間、共に仕事をするのだから彼の言動を観察できる。判断するのは保留してもよいだろう。


 ランには、もうひとつ検討すべきことがあった。

 それはフゲンへの接し方だ。先刻、彼女は彼を呼び捨てすること宣言したばかりである。その原因は、彼は彼女のバスト・サイズや体重を大声で読みあげるという破廉恥(はれんち)な行為をしたから。

 あまりにもデリカシーがなさすぎるうえに、乙女のハートを傷つけた彼を簡単に許せるはずもない。彼は断罪されて(しか)るべきである。


 ただ、ランは早まったかもしれない。

 フゲンが傑物(けつぶつ)の可能性があるし、実際に教導役を務めるだけのベテランだ。単なる馬鹿者で無神経なだけの(やから)ではない。

 そんな人物に対して、礼を欠いた態度をとり続けるのは(まず)いだろう。


 とはいえ、いきなり自分の態度を改めるのも変だ。結局、彼女はあれこれ考えた末に、フゲンを呼び捨てすることにした。

 まあ、彼も彼女の言葉使いに頓着(とんちゃく)する様子もないし、今後も同じ接し方をしても問題ないだろうと考えたからだ。


 一方のフゲンはあっけらかんとしたままだ。

 ランが彼を呼び捨てにしタメ口で話しかけていても、彼はそれを気にする雰囲気はない。

どうでも良いことなのだろう。


 そんなフゲンは途切れた話を再開した。


「まあ、私と同じことをしろとは言わないよ。私がいいたいのは、失敗を恐れずにどんどん挑戦すれば良いということだ。下手でもよいから自分なりに考えて行動すればいい。

 良かれと思えば積極果敢に突っ込んでいけばよいさ。試行錯誤を繰り返して、いろいろと経験しているうちに、人生における“上手な転び方”を覚えるよ」


 フゲンはさらに言葉を重ねる。失敗を恐れて挑戦もせず小ぢんまり固まるような、そんな人物にはなるなと。小さく固まったヤツなんて、つまらないし魅力のかけらもない。人間でも天使でも妙に立ち回りのうまい者はいるが、そんなお利口さん(・・・・・)には絶対になるなともつけ加えた。

 

 泥臭くてもよいからどんどんチャレンジして、たくさん失敗するべし。

 それで得られることが自分の“力”となり、無形の財産になるのだからと、フゲンは強調した。


「だいたい、挫折経験の少ない人物は脆い。そんな連中は(フシ)のない竹のようなものだよ。ものすごく脆弱でちょっとしたことでポッキリ折れてしまう。まあ、簡単にいえば打たれ弱い性格だね」


 おまけに、失敗経験が少ない者は大きな問題を起こしやすい。

 なぜなら、失敗に慣れていないから適切な対応ができないからだ。ミスを隠すことを優先し、自分で何とかしようと足掻(あが)く傾向が強い。

 初動段階で“火消し”をすれば小火(ぼや)で済むのに、助けを求めずじたばたするけど、最後には“大火災”になってしまう。


「ランはそんな人物にはなりたくないだろう? だから、たくさん失敗すればよいよ」


「フゲンはそうは言うけど、わたしは失敗するのは嫌だなぁ。だって、叱られるし辛い思いもたくさんするから。それに、失敗の悪影響が自分だけで済むなら構わないけど、周囲のひとたちに迷惑をかけるのは避けたい。他人にまで厄介事を押しつけるのは勘弁だわ」


「安心しろ。ランがどんな失敗をしたって、私がちゃんとフォローしてやる。

 君が心配する必要はない。それが教導役である私の仕事だよ。それにランは数少ない同郷の者だ。私のかわいい後輩なのだから、先輩としてキッチリと最後まで面倒をみるよ」


「あ、ありがとう」


 ランは胸がドキンと大きく鼓動したのがわかった。

 こんなふうに失敗しても構わないと言われたことはなくて、思わず頬が赤くなってしまう。そんな己の状態に気づいて慌ててしまうが、逆にそればかり気になって余計に顔が火照(ほて)ってくる。赤面しているのを知られるのが恥ずかしいので、あらぬ方向に顔をむけてしまった。


 彼女はちょっとばかり嬉しかった。

 今まで、緊張しっぱなしの時間を過ごしていたせいだ。彼女は“この世界”に来る直前まで“天使の基本訓練ベイシック・ディスキプリナ”を受けていたが、それは厳しくてギリギリまで追い詰められていた。とてもではないが優しい言葉など欠片もなかったのだ。


 彼女が人間であった頃も同様だ。

 上司の性格がきつくて最悪な職場だった。ミスしては怒られ、慎重に作業をすれば手が遅いと怒鳴られる。仕事内容を再度確認すれば、何度も言わせるなと嫌味をいわれた。君には無理かなと、これ見よがしにため息をつかれてしまう。

 あまりにも強いストレスの影響で円形脱毛症になってしまったのは、彼女のつらい思い出である。


 ―――ちょっとだけ許してあげようかな。


 ランはフゲンへの評価をあげた。

 

 彼は失礼な性格だし、デリカシーの欠片ものない大馬鹿野郎だ。彼女が気にしている体重を大声で読みあげるなんて、乙女の敵でしかない。まったくもって無礼にも(ほど)がある。


 とはいえ、彼は心暖まる言葉を投げかけてくれた。彼女にしてみれば、思いがけずも胸に染み入るような優しい言葉である。

 少しくらいなら許してやろう。

 それこそ、“乙女の敵”認定を取り下げてもよいくらいに。




■■■■■


 【風乗り板(ベンツェ・タブラー)】の訓練が始まった。


 トレーニング・メニューの最初は身の安全を守るためのもの。

 まずは受け身で転倒したときに身体への衝撃を軽くする動作を何度も繰りした。

 他に魔導的な安全対策も行った。高度からの落下した際に必要な【浮遊落下】や、物理的ショックを緩和するための【衝撃吸収】などの魔法を習得する。


 同時に魔力制御の訓練も行った。魔道具は用途ごとに操作方法が違うが、特に【風乗り板(ベンツェ・タブラー)】には独特の癖がある。起動するのには特有の魔導的操作が必要だ。また、飛行するにしても魔力を流し込むだけでは駄目で、制御方法のコツをつかむのに苦労する。


 その後は【風乗り板(ベンツェ・タブラー)】を使っての訓練だ。

 はじめは地表から十センチほど浮かせて、時速三十キロ程度の速さで移動するだけで、これはスクーターに乗っているようなもの。

 ランにしてみれば訓練というよりは遊び感覚であり、思う存分に楽しめた。ただ、油断するとすぐに安定を失ってしまい、ランは幾度も地表を転げ落ちてしまう。


 あれやこれやの訓練で一週間が過ぎた。


「フウッ」


 ランはわきに【風乗り板(ベンツェ・タブラー)】を抱えている。


 彼女が立つ場所は草原。視線を向ければなだらかな下り斜面がずっと続いており、障害物になるような岩やくぼみはない。ときおり草々が波打つように揺れているが、それは穏やかな風が吹いているからで、それは実に涼やかで心地よい。


 ランの気分はワクワクしていた。今から行うのは初めての単独飛行である。

 心躍るという言葉があるが、まさに今の彼女の状態そのもので、気持ちは高揚するばかり。こうも気分が盛り上がるのは久しぶりだ。


 子供のころにアニメを見て憧れていたシーンがある。

 それは風を全身に受けて空を飛ぶ情景で、あんなふうに飛行できれば最高だなと思っていた。

 

 だから、彼女はゴッコ遊びをした。

 準備するものは三つ。

 一つ目は板状に切り取った段ボール、二つ目は古い型式の扇風機。

 三つ目は、ゴッコ遊びに絶対不可欠な“想像力”。

 

 子供時代の空想するは“力”は無敵だ。

 なんだってできるし、不可能なことは何もない。

 

 ダンボールの上に乗り、扇風機の風を全身に受ければ準備完了。

 眼を閉じれば、身体は大空に浮かび上がり、自由自在に宙を駆け(めぐ)る。真下には緑の大地が広がり、雲のなかを突き抜けゆくのだ。

 

 まさに想像には無限の“力”がある。


 あれは他愛のない子供の遊びだった。

 でも、今は違う。あの頃は空想のなかで空を飛んでいたが、これからすることは現実のことだ。子供時代に憧れていたことが、ほんとうに実現するのだから、もう嬉しくてうれしくて仕方がない。感動のあまり身が爆発しそうなくらいである。


「フウッ」


 ランは気分を落ち着かせるために、深呼吸を何度も繰り返した。

 気持ちが先行するばかりでは身体がついてゆかない。それでは魔力制御を疎かにすれば失敗する。すこしばかり冷静になる必要がある。せっかく子供の頃からの夢を実現させる機会だし、初めての単独飛行は成功させたい。


「さあ、いこうか」


 ランは勢いよく走りだす。

 手に【風乗り板(ベンツェ・タブラー)】を抱えたまま、なだらかな斜面をくだってゆく。すぐに走る速度がトップ・スピードになった。


「起動」


 彼女が魔力を通すと(タブラー)の魔法陣が反応した。同時に浮力が発生し、両手で抱えていた魔道具の重量がなくなったので、前方に放り投げる。


 ふわりと浮かんだ【風乗り板(ベンツェ・タブラー)】に飛び乗った。

 彼女は地表から三十センチほどの高さで滑走する。重心を左へ右へと動かし、S字ターンで草原を駆け降りた。充分に速度がでたところで、膝を軽く曲げながら身体を前傾させて、やがて来る衝撃に備える。



「いっけぇぇぇ」


 ランは魔導発動炉の出力を一気に上げた。

 ドンと強い衝撃がすると同時に、【風乗り板(ベンツェ・タブラー)】が上向きになる。急な加速のせいで全身が仰け反りそうだ。

 油断すると振り落とされてしまうので、さらに足腰に力をこめて前傾姿勢になる。


 ランは吹きあげてくる風をうまく(とら)えて、一気に上昇した。

 地上で耳にしていた雑音が消えて、かわりにピュウピュウと風を切る音だけが響く。正面からくる強烈な風圧が衣服をバサバサと乱れさせた。

 髪の毛もうしろへ流れ、きれいにまとまっていたヘアスタイルは台無しだが、そんなことはどうでもよい。


 眼前の景色に心を奪われていたからだ。


 全周三百六十度、広がるのは青い空。

 ところどころに白い雲が浮かんでいて、ちょっとだけ近くに感じてしまう。視線を(さえぎ)るものがないので、はるか遠くにある山々の連なりまで見える。視点がこうも高いと地平線がゆるやかな円弧を描いているのもわかる。


 地表に目をうつせば、いつもとは違う眺めがあった。

 草原全体が風で揺れ動いていて、それを上空からみればまるで海原が波打つ(さま)に似ている。河川は陽光を反射してキラキラと輝いているし、街道をゆく人や馬車の姿は小さくてとてもかわいらしい。


「愉しいぃぃぃ! 」


 ランは感情が(たかぶ)るままに、声をはりあげた。

 気持ちが高揚しすぎて身体の内圧があがってしまい、それを吐き出さないと爆発しそうなのだ。全身の産毛(うぶげ)が逆立っているのだが、これも興奮のし過ぎによるもの。自然と笑いが込みあげてきて、止まりそうになかった。


 こうして、ランは初の単独飛行を充分に楽しんだ。


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