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1-07.ラン、大いに怒る


 フゲンは、ランが落ちつくまで待つしかなかった。

 いまの彼女は鼻歌を口ずさみながら躍り、ときどき “黄緑色に輝く波にのるんだ~”とか“ねだるな勝ち取れ! ”とか意味不明な台詞を叫んだりしている。とてもではないが、ひとの話に耳を傾けるような状態ではない。

 フゲンはそれを止めることもできず、しばらくの間、彼女を眺めるしかなかった。


「ラン君、落ち着いたかい? 君はこれを“リフ・ボード”とよんだが、正式名称は【風乗り板(ベンツェ・タブラー)】という魔道具だ」


 魔道具は貴重品である。というのも、魔道具を制作できる職人が少ないから。

 製作者として一流の技術を持っていることは当然として、魔導に精通していることは必須だからで、そんな職人は簡単に育つものではない。

 修練と研究に長い年月を費やした者のうち、ごく少数のものだけが魔道具製作者になれるのだ。


 特に【風乗り板(ベンツェ・タブラー)】のような魔道具は流通量が非常に少ない。

 理由は国家や権力者たちが買い占めるためだ。空を飛行できる魔道具なんてものは、戦争で有利になる兵器になるので、軍関係者は必死になって囲い込む。ゆえに一般市場(マーケット)に出回ることは稀有(けう)なのだ。


 なので、一般的な移動手段は徒歩や馬になる。

 まれに、翼 竜(ワイバーン)のような飛行獣を利用する者もいるが、それは国家機関や軍隊組織に属する人物か、魔獣使い(テイマー)のような特殊技能を持つ者に限られる。

 そんな背景もあって、【風乗り板(ベンツェ・タブラー)】を利用する者は少ない。


「ラン君、こちらに来てくれ。不正利用防止のために、君の情報を登録するから」


 フゲンは腰のベルトにつけていたバインダーを取り出した。

 そのなかには【術 符(マーカム)】を束ねて()じている。これは魔道具の一種で特殊加工を(ほどこ)した紙に魔法陣が描かれている。


 彼はどれだったかなと(つぶや)きながら、バインダーをペラペラとめくる。そのうちの一枚の【術 符(マーカム)】をバインダーから引きちぎり、手を当てて起動させた。

 地面に直径一メートルほどの魔法陣が広がる。

 それは幾重もの円陣と幾何学文様、奇怪な形の文字の組み合わせで、怪しげな光を放ちながら、クルクルと動いていた。


「ラン君、円陣のなかにはいってくれ。これで君の生体情報を取るから」


「はいは~い、わかりました。これで空を飛べるなら、なんでもしますよ」


 ランは上機嫌で魔法陣の中央部へと移動する。

 すると、地面に張りついていた魔法陣から光の円柱がせりあがってきて、彼女をすっぽりと包み込んだ。

 円柱は半透明で、内部はキラキラと光の粒が漂っている。光の輪がくるくると回転しながら円柱を上下に動き、彼女の身体をスキャニングしてゆく。三十秒ほどで光の円柱が消えて、地表に魔法陣だけが残った。


「ごくろうさま、もう済んだよ」


「ありがとうございます。もっと時間がかかるかと思っていましたけれど、随分とあっけなく終わりましたね。あと、私はなにをすればよろしいですか? 」


「そこで待っているだけで良いよ。あとは、取得した情報を登録すれば準備完了だ」


 フゲンは魔法陣に触って、空中に画 面(ディスプレイ)を表示させた。

 さらに、指先に光の線を浮かび上がらせて、魔法陣と【風乗り板(ベンツェ・タブラー)】とを結ぶ。


「取得情報の確認開始。対象検体の魔力系統、全三十項目をチェック。

 魔力波長第一類から第五類……、すべてよし。生体における魔力分布の…… 」


 フゲンは【指差呼称(ゆびさしこしょう)】で確認作業を始めた。

 宙に表示されている画面(ディスプレイ)を指さし、項目をいちいち読み上げる。


 この【指差呼称】、名称は知らなくてもこの動作を見た人は多いと思う。

 駅で車掌さんが“停止位置オーライ”と声をだし、指で差し示しながら確認するアレである。他に工場で“安全装置動作よし”とか、病院で“薬剤よし”とかやっていたりもする。


 これを人前でやるのは間抜けみたいだからと舐めてはいけない。

 確認動作をするだけで、ミス発生率が六分の一、つまり十七パーセントにまで激減するのだから驚くほどの効果がある。


 そんな【指差呼称】をフゲンは愛用している。

 というか、彼は信奉者といっても良いくらいに、絶大な信頼を寄せていた。彼が天使になる前、つまり人間であった頃から日常的に使っていて、ずいぶんと助けられたのだ。その有用性を充分に認識していて、天使となった今でもお世話になっている。


「……精神系および意識系、全六十四項目はすべてよし。次、身体系項目のチェックを開始。

 身長百六十五センチ。バスト九十…… 」


バシッ!


 突然、小気味よい音が響いた。

 その原因はランのビンタで、彼女がフゲンの頬を思いっきり叩いたのだ。

 とんでもない威力で、地面に座り込んでいたフゲンが五メートルほど(ころ)げ飛ばされたくらいである。


「い、いきなり、なにをする。酷いじゃないか、力いっぱい平手打ちするなんて」


「いちいち、数値を読みあげるなぁ! 」


「いや、これは【指差呼称】といってだな、うっかりミスを防ぐための高等テクニックなのだよ。

 ち、ちょっとラン君。なんで、私の額をつかむのかな? これってもしかしてアイアンクローかい。頭蓋骨からミシミシって音が鳴っているだけどさっ。い、痛い、いたい、イタイってばぁ! 」


「わたしが聞きたいのはそんなことじゃない! フゲン先輩は乙女に対する配慮に欠けているの。それをどう思っているのよ? 

 女性のバスト・サイズを声に出して読みあげるなんてデリカシーなさすぎでしょ」


「ごめんなさい」


 フゲンの頬部は()れ上がっていた。

 しかも、その形はくっきりと手の(ひら)状になっていて、まるで紅葉(もみじ)のようだ。ヒリヒリと痛くて、ほっぺたを触ると熱い。叩かれた直後はそうでもなかったが、時間が過ぎるにしたがって、患部が真っ赤になってゆく。


 実のところ、フゲンはランの怒りの原因を理解していない。

 彼は彼女の剣幕に押されて謝罪しただけで、その場しのぎの行為であった。


 だから、彼は反省できていない。なにしろ、彼女が怒った理由を分かっていないのだから、やりようがない。反省とは、問題点を認識して己の言動を(かえり)みてこそ成り立つものなのだから。


 単に、彼はいわゆる“技術系の専門馬鹿”である。

 心の持ちようというか、関心の優先順位が常人と違っていて、好奇心や研究心を優先してしまう。

 彼は善良な性格だし、冷酷でも非情な人物ではない。ただ、ひとの感情や心の機微(きび)(うと)くて、ついつい無遠慮な言動をしてしまうのだ。

 彼が人間であったときからそうで、天使になった現在でもこの傾向は変わっていない。


 これ以降、ふたりは同じようなことを繰り返す。

 フゲンが無神経さを発揮して、ランがそれを力技で矯正するというパターンが常態化するのだ。今回のやり取りが記念すべき初回であった。


「あ、あのう。そろそろ登録作業を再開して良いかな。でないと、【風乗り板(ベンツェ・タブラー)】の練習ができないから」


 フゲンはオドオドしながらランに許可を求めた。

 この時点で、彼の先輩としての威厳はすっかり吹き飛んでいる。まったくもって不甲斐ないというか情けない姿なのだが、フゲンはそんなことに頓着するような性格でもなかった。


「さっさと済ませて」


 ランは凄い形相(ぎょうそう)でフゲンをにらむ。

 彼女が発する威圧感は強烈で、ほんとうに空気がビリビリと震えており、まるで辺り一帯が帯電したかのよう。もし、フゲンが同じミスをすれば、彼女が大きなカミナリを落とすこと確実だ。


「じゃあ、お許しが出たことだし作業再開しようかな。うーん、魔魔力系までは完了。身体系項目以降がすべて消失しているな。

 では、ここから登録を開始。身長、百……。おっと、危ない、あぶない。身体系の数値は読みあげてはいけないのだった。バス……。いや、ビー。うん、Bと略字で呼称しよう。B、入力よし」


 さすがに、フゲンは具体的な数値を声にすることはしなかった。

 身の危険を感じているからだ。彼の背後にランがいるため、彼女の姿はみえないのだが、それでも彼女が放つ異様な圧力はわかる。

 というか、思い知らされている最中である。なにしろ激しいプレッシャーのせいで、フゲンの指先がプルプルと震えているくらいだ。


 それでもフゲンは登録作業を続けた。彼は高いプロ意識を持っていて、自分がなすべきことは疎かにしない主義なのだ。たとえ、どんな状況下にあっても投げ出すようなことはしない。ひとの気持ちには鈍感でも、彼の責任感は人一倍なのである。


「……W、入力よし。H、入力よし。体重……。えっ、なにこれ。測定ミス? いくらなんでも、体重が百…… 」


 ビシィッ。


 雷が落ちるような炸裂音が(とどろ)く。


「フゲンのバカ~。お前なんか、お星さまになってしまえぇぇぇっ! 」


 ランは渾身の力を込めてパンチを放った。

 全身の筋肉を使って得た“力”をただ一点、右の拳に集中させた見事なアッパーカットだ。それこそ教本に載せても良いくらいに見事なフォームである。


 その拳打をまともに受けたフゲンは宙を飛んでいる。

 いや、この表現は控えめすぎる。彼はお星さまになって大空へ消えていったのだから……。


 実は、ランは見かけ以上に体重は重い。

 平均的な女性の三倍以上の重量があるが、決して肥満体形ではない。

 むしろ、彼女のプロポーションは抜群に良い。出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる。世の男性諸氏の視線を釘付けにするくらいに魅力的なボディだ。


 ただ、ランの身体構造が特殊なものであった。身体を構成している細胞の質がまったく違うのだ。

 筋肉組織は生物界最高級の出力があるし、骨組織は頑丈無比。全身は外的衝撃やその他ダメージに対する耐久性に優れている。

 どこであれ、身体に傷ついた部位があれば、それを速やかに修復する自己治癒力すら兼ね備えている。


 ランは己の身体構造を近接戦闘用に調 整(チューニング)していた。

 格闘や肉弾戦において重量は大切な要素だ。単純に真正面からぶつかり合えば、体重のあるほうが有利だし打撃力も強い。

 ややもすると女性戦士は俊敏さや技巧に(かたよ)りがちだが、彼女は違った。体重二百キロ巨漢と真正面からぶち当たっても押し勝つ身体を求め、それを実現するように身体を調 整(チューニング)したのだ。


 そんな高性能な身体なのだが欠点も多い。

 とにかく燃費が悪いのだ。重装甲高火力の戦車が燃料一リットルあたり二~三百メートルしか走行できないのと同じである。

 戦車が大量の燃料を必要とするように、ランも多くのエネルギーが不可欠で、食べものを大量に摂取しないといけない。彼女が朝食で十数人分の料理をたいらげたのは、こんな背景があったからである。


 とはいえ、ランは年若い娘である。きれいでいたいし、かわいくも見せたい繊細な乙女心をもっている。そんなデリケートな女性の気持ちを、フゲンは傷つけてしまったのだ。


 その罪は万死に値する。

 女性のバスト・サイズや体重を大きな声で言うなんて言語道断だ。それを殴りつけた程度で済ませたのだから、彼には感謝してほしいくらいである。


「ごめんなさい、ゴメンナサイ。ほんとうに申し訳ございません。もう二度とこんな真似はしませんから、どうか許してください」


 フゲンは土下座してひたすら謝った。

 それはもう誠心誠意込めて心の底から謝罪している。


「まず、わたしに関する数値はすべて忘れなさい。あなたの頭の中から完全消去するのよ。それと、これからはあなたのことを“フゲン”と呼び捨てにするから。デリカシーのないひとに敬意なんて払えないわ。わかった? 」


「それで許してくれるなら構わない。私も君のことを“ラン”と呼ぶことにするよ」


 この日以降、ふたりの心理的な距離は縮まることになる。

 たかが、“先輩”や“君”といった敬称をなくして相手を呼び捨てにするだけ。でも、これだけのことで互いに遠慮することなく会話するようになる。相手に親近感をもち、いつの間にか打ち解けてゆく。


 天使であれ人間であれ、心とは不思議なものである。


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