1-04.天使のお仕事
フゲンは請求金額を告げられた。
その額は非常に多くてとてもではないが二人分の料金ではない。十数人もの顧客が宴会でもしたような額である。しかも、提供した料理は朝食用の軽いメニューで、お酒の類は含んでいないにもかかわらずだ。
全くもって、普通ではありえないような請求額である。
そんな金額であったが、フゲンは軽くそれを聞き流した。
ただ、“ちょっと食べすぎたかな”と言うだけで、顔色ひとつ変えずに支払いを済ませる。実際、彼にとっては料金や食事量などは些事でしかなく、ぜんぜん気にしていない。久しぶりに料理を食せたことに満足しているだけだ。
そんなフゲンが店を出る間際に店員に言葉をかける。
「おいしかった。また来るよ」
「ヒッ! ……あ、ありがとうございます」
店員は恐怖を感じて小さく悲鳴をあげた。というのも、フゲンとランをバケモノだと感じていたからだ。食堂に備蓄していた大量の食材を食べ尽くすなんて、絶対に普通の人間ではないし、それこそ人外のモノではないかと、彼は疑っていたのだ。
のちに、とある噂が流れた。
それは“暴食魔人”が出現したというもので、そいつはあらゆる物を喰い散らかすバケモノだという。店にあったすべての食材を喰い尽くし、挙句の果てにはテーブルや椅子までもバリバリと噛み砕いたらしい。
同席していた食事客たちは恐怖のあまり逃げ出したが、脱出しそこねた者は生き血を吸われたという……。
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フゲンとランは食欲を満たして満足していた。
ふたりは機嫌よく連れ立って街中を歩く。
「ラン君、朝食につき合ってもらってありがとう。ここ最近、辺境地での調査活動でね。まともな料理を食べられなくて大変な思いだった。正式な料理人が作った食事なんて本当に久しぶりだったので、ついつい夢中になってしまったよ」
「いえ、お気になさらずに。こちらとしては食事を奢っていただいたので、むしろ感謝しています。ほら、わたしが食べる量って他の人たちより“ちょっぴり多い”ですから」
ランは軽く舌をだしつつ感謝を述べた。
ただし、彼女の言う“ちょっぴり多い”なんて表現は全くもって不正確だ。なにせ、彼女が腹に納めた分量は軽く十人分を越えていたのだから。
しかも、食堂側から材料がなくなったと告げられたので、しかたなく注文を止めただけ。もし、店に充分な在庫があれば、彼女はまだまだ食べ続けていたはずだ。
「これからの事について話をしよう。なにせ、食堂では人目が多くて詳しい話ができなかったからね」
フゲンたちが会話を控えていたのは防諜のためだ。食堂のような閉鎖空間は盗聴されやすい。ましてや、フゲンとランの食事姿は衆目を集めていた。そのため、彼らは差し障りない会話に限定していたのだ。
一方、今のように移動しながらの会話は安全である。街路は解放空間だから盗聴しにくいうえに、自分たちに関心を寄せる者たちを発見しやすい。
さらに、周囲の人間と充分に距離をとっておけば、会話を盗み聞きされることはない。
「では、改めて自己紹介をしよう。私の名前はフゲン・バトラ。【独立調査官】として活動している。
ちなみに、“この世界”での職業は博物学の学者だ。他に魔導工学やら錬金術やらにも手を広げているから、学術分野の“何でも屋”と思われている。これから、よろしく頼むよ」
「改めてご挨拶させていただきます。わたしはラン・ラムバー、【初等調査官】として赴任してきました。こちらでは冒険者として活動する予定です。
ちなみに、“天使の基本訓練”を修了したばかりで、今回が初任務となります。
フゲンさんの下で現地経験と積むようにと指示を受けています。よろしくお願いします」
「ああ、その件は了承している。一応、私は教導役になるけど、そう畏まることはない。先輩後輩の関係ぐらいのつき合い方で頼むよ」
「ええ、分かりました。フゲンさんに異存がなければ、“先輩”とお呼びします。それでよろしいですか? 」
フゲンは“それで良いよ”と返答しつつ、ゆっくりと歩く。
「ラン君に確認したいことがある。君は “この世界”の状況については概要説明を受けたかい? 」
「いいえ。こちらに関する情報は開示されませんでした。現地で詳しい説明を聞かさせてもらえるとのことでしたので。ここに来る前に受けたのは“天使の基本訓練”のみです」
「ああ、それで結構。予定通りだよ」
ランが事前情報を知らされていなかったのは、あらかじめ計画していたことだ。
“この世界”の情報を知っていれば、変な偏見をもつ可能性があるので、それを避けるための措置である。
しかも、彼女は天使としては”新人”だ。なんら経験を積んでいないがゆえに、真っ新な状態であり、そこに価値がある。
「では、“この世界”について概要説明する前に、基本的な質問だ。
“天使の仕事”についてどう教えられた? 」
「わたしたち天使が行うべきこと、それは“世界の維持管理”です。“創造する者”は数多くの世界を作り、天使がそれらを調整・安定化させることだと教わりました」
「そう、君の回答は簡潔で実によろしい。世界を調整し安定化する仕事なのだが、私はそれをマンション経営に例えている」
フゲンは、“創造する者”は会社の社長みたいなものだと説明した。
この社長、あちらこちらにマンションを建設しまくっている。
一方で、天使が管理人として建物の保守管理を担っているのだ。その仕事内容はマンションを清潔に保ち、ゴミや汚れを取り除く。故障があれば修理するし、ときには建物全体の大規模修繕だって行う。
「管理人である天使は住人たちには介入しない。我々の仕事はあくまでマンションの維持管理に限定されているからだ。建物に住まう者たちに対して、あれこれ命令をしたり教育的指導するなんてことはない。どんなに住人がトラブルを起こしても、天使は見守るだけだ」
「ええ、そうですね。わたしが天使としてスカウトされる前、つまり自分が人間であった時分ですが、天使を見た人なんていませんでした。あくまで、天使は宗教や物語にでてくるものであり、想像上の存在とされていましたからね。
フゲンさんの例えでいえば、管理人はマンションを維持管理するだけ。完全に裏方に徹していて姿すら現さない」
「そうだ。管理人は見えないところで働くだけ。ただ、困ったことにマンションでは問題を起こす住人がいる。
具体的には、人類のような知的生命種だね。彼らはところかまわずにゴミを投げ捨ててほったらかす。マンションは限りある空間なのに、後片づけをしないから荒れ果てるばかりだ」
問題を起こす住人は、他人の部屋に押しかけて強引に住処を奪う。
ときには、他の家族すべてを殺し、絶滅させる。マンションの環境を破壊し、住人関係の均衡を崩す。
そんなことを続ければ碌なことにはならないと、フゲンは嘆いた。
「確かにフゲンさんの仰るとおりです。元・人間としては耳が痛い指摘ですね。でも、個人単位でみれば善人は多いし、人間は馬鹿じゃあありません。いつか必ず己の行いを改めるはずです」
「ラン君が言いたいことはよく分かる。私だってもともとは人間だったし、彼らが己の行いを悔い改めることを願っているよ。
そもそも、我々天使はすべての生き物に対して愛情を惜しみなく注いでいる。
人類に対しても同じだ。やんちゃばかりする子供のような人類であっても、慈愛の念をもって見守っている。彼らの悟性を信じ、自らの力で覚醒することを期待しているからだ」
フゲンは“話が脱線したね”と言って話題を戻した。
彼が言いたかったこと。
それは、天使が人類のような知的生命種に対して直接介入しないというものだ。あくまで自分たちは世界を維持管理するのみ。世界全体の環境を調整して安定させるだけだと、彼は繰り返した。
「さて、これからが本番の話だ。我々天使は“この世界”の住人に対して干渉している。先刻の例でいえば、“マンションの管理人は介入しない”という原則を破ってまでね」
フゲンは補足の説明を付け加えた。
干渉といっても間接的なものであると。“この世界”の住人には気づかれていないし、陰ながら支援する程度にとどめている。人間の自主独立を尊重しているからだ。ただ、それでも原則を破ってまで天使が介入しているのは事実である。
「ラン君に質問しよう。なぜ、我々は“この世界”の住人に干渉していると思う? 不介入の原則を無視してまでサポートしている理由は分かるかい? 」
「う~ん、干渉している理由ですか。いまは例外措置をせざるを得ない状態ということですよね。危機的な状況にあるのは理解できますが、他の情報が少ないです。なにかヒントをくれませんか」
「そうだな。ヒントはこの地の住人の“多様性”だ」
“この世界”の住人だが、実に変化に富んでいた。
まずは標準的な人 間、それは地球のホモ・サピエンスと同じなのだが、見た目がほんとうに多彩だ。肌色が黄・白・黒はもちろんのこと赤や青、緑の人種がいるし、髪の毛もパステル調のブルーやピンクといった普通ではあり得ないような部族がいたりする。
さらに、童話にでてくるような種族がいたりするから驚きだ。
具体的には獣人系人種の人狼族や人虎族、亜精霊系人種に属する森精人種や岩窟人種などだ。
さらに、フゲンはランにとんでもない事実を告げる。
それは“この世界”の人類種族は“共通の祖先をもっていない”ということであった。生物分類学的にいえばそれぞれが独立していて、互いに無関係なのだ。
フゲンは、住人たちの遺伝子系統樹図を作成したことがある。遺伝子情報の出元は【天界の記録保管庫】だから、正確無比で間違いは絶対にない。
この系統樹図で判明したこと。
それは“この世界”の人間の祖先種は完全に別モノで、生物分類的にいえば全く無関係な間柄であった。たとえば、遺伝子的に近しいはずの狼型人種と犬型人種の祖先は別々に存在する。それどころか、標準的人間種であっても、祖先種が幾つもあったりする。
地球の生き物であればあり得ない。なぜなら、共通する祖先種的生物が存在するからだ。動物なら魚類や両生類、爬虫類、鳥類、ほ乳類と枝分かれするが、それでも共通する遺伝子は必ず存在する。
だが、“この世界”の住人たちには共通する祖先種がない。
これは他に類を見ないほどに異常なことである。




