00-01.目覚めと困惑
う、うぅ~ん。
私は大きく伸びをして上半身を起こした。
まぶたをゴシゴシとこすりながら周囲を見渡す。
「うん? ここはどこだ…… 」
私は覚えのない部屋にいた。
自分が寝ていたのは天蓋付きの寝台。サイズは無駄に大きく、頭上には瀟洒なレース・カーテンがかかっている。身体を覆うシーツは上等なリネン生地だし、枕のあつらえも高級な造り。
はっきりいって小市民の自分には似合わない。
ふあぁ~。
大きなアクビがでてしまう。
ここがどこなのか疑問を感じているのだが、その答えを探そうという意志が続かない。眠気が勝っているせいだ。
「まっ、いいか」
まあ、慌てて起きる必要はないだろう。
二度寝するつもりでバタリと身を横にして頭からシーツをかぶった。モゾモゾと身体を動かして寝やすい態勢を探す。
やんわりとした眠気がやってきた。このウトウトする感じが好きだ。寝入るでもなく覚醒するでもない中途半端な感じがすごくイイ。
できるなら、ずっとこのままの状態でいたい。
部屋の扉が開く音がした。
どうやら、誰かが入室してきたようで、小さな足音が移動してきて寝台の横で止まる。
同時に若い女性の声がした。
「起きてください」
「…… 」
無視だ、無視。面倒くさい声掛けには知らんぷりするにかぎる。
安眠を妨げる声なんて聞き流すべきだ。毎日、ハードな業務をこなしているのだから、たまにゆっくりしても罰は当たらないだろう。
日常生活に疲れたおっさん的な思考なのだが、別に恥じ入る必要もあるまい。
再び、女性が声をかけてくる。
しかも、その口調はややキツめな感じで。
「起きてくださいな。目覚めているのはわかっていますから」
「ううん、あと五分だけ…… 」
私はしかたなく返事した。口にしたのは場当たり的な言葉で本当は起きるつもりなんてまったくない。
『惰眠を貪る』という言葉があるが、今の自分のためにあるようだ。
だ・み・ん。
うん。この響きは自堕落な感じがして実に良い。最高だ。
不意に私の顔に冷たいモノが押しつけられる。
それは床拭きモップだ。
その先端は半乾きで生臭いものだから、私は慌てて払いのける。
「な、なにをする! 」
「この寝坊すけさん。いい加減に起きてください! あなたって、どうしてこうも目覚めが悪いのでしょうかね。いつもわたしの手をいつも煩わせるのは悪い癖ですよ」
可愛らしいメイドさんが床拭きモップを構えていた。
彼女はかたちの良い鼻からフンッと空気をだして、私のことを睨んでいる。
“わたし怒っています”とばかりに目じりは吊り上がっているけれど、顔の造りに愛嬌がありすぎて、まったく怖くない。
彼女は愛らしげな猫を思わせる。
まるで、愛嬌のある子猫が毛を逆立てて精一杯に怒りを表現しているみたいだ。
ただ、その姿に恐ろしさはない。むしろカワイらしさが強調されてしまう。
私は、彼女を前にして疑問に思うことがあった。
自分にはこのメイドさんに見覚えがないのだが、彼女は私のことを知っている様子なのだ。
どうにも面妖しい。
こんなに可愛らしい女性なら絶対に記憶しているはずだ。
私は素直に尋ねることにした。
「ええっと、どちら様ですかね? あなたとは初対面だと思うのですが、どこかでお会いしたでしょうか」
「あぁ。あなた、また意識がズレていますね。何回も物質領域界と精神領域界を行き来しているにもかかわらず、何故にこうも失敗しますかね。
しかも、わたしが受入れ担当のときに限ってあなたは必ず意識をズラすだなんて。これって単なる偶然ですか? それともイジワルでやっています? 」
可愛らしいメイドさんが意味不明な言葉を口にした。
物質領域界?
精神領域界?
なんのことだ……。
言葉自体は聞き取れるのだが、その意味することはさっぱり分からない。
しかも、私はその領域界とやらを幾度も往来しているらしい。まったく身に覚えがない。
それ以前にそんな怪しげな行為をしてまで、私はメイドさんに悪戯なんてしませんよ。
メイドさんは腰に手を当てて大きな溜息をつく。
「はぁ~、まあ構いませんわ。いつものことですし。今のあなたに説明しても無駄なのでサッサと意識調律してあげます。さあ、眼を閉じてください」
私の額に彼女の手がふわりと触れる。
その感触は柔らかくてほんのりと暖かい。私の心拍数がちょっぴりあがってしまったのはナイショだ。
しばらくすると彼女の手からピリピリと細かな振動が伝わってくる。その振動に共振するかのように、私の頭の芯も揺れ始めた。
じつに気持ちが良い。
不要な緊張がほぐれてきて、すっかりリラックスできる感じがする。最初、彼女に何をされるか不安で私は身体を固くして身構えていた。しかし、今では自然と頬がゆるんで笑顔になっている。
なんだか無性に笑いたい気分だ。
いつの間にか、メイドさんは手を離していた。
彼女は私の正面にかがんだまま、やさしく声をかけてくる。
「終わりましたよ。眼を開けてくださいな」
「あ、あぁ」
私は曖昧に返事をした。徐々に意識がはっきりしてきて、同時に身体に芯が戻ってくる。
どうやら、結構な時間をボンヤリとしていたようだ。できることなら、もう少しのあいだ夢心地を楽しんでいたいが、そうもしていられない。
メイドさんは私の同僚だ。
その目つきが妙に冷静なのは、私に施した意識調律の結果を確かめるため。
彼女は自分の仕事をキッチリとこなすタイプだ。決して手を抜くようなことはしない。
パッと見た目は可愛らしいけれど、その実はプロフェッショナル意識の高い女性なのだ。
「気分はいかがですか? 意識調律の施術は完璧でしたが、ちゃんと覚醒しています? 」
「ああ、問題ない。ちゃんと目が覚めたよ。また手間をかけさせてしまったようで申し訳ないな。恩にきるよ」
私は軽く頭をさげた。つい先刻まで記憶が欠けていたけれども、いまは彼女のことをしっかりと思い出している。
現在の彼女はメイド役を担っているが、以前は最前線の現場で共に働いていたこともある。腐れ縁と表現しても良いくらいだ。仕事上のつき合いは長くて、互いの気心も知れている。
「感謝するよ。私としちゃワザとやっている訳ではないし、迷惑をかけるつもりもないんだがな。これは不幸なめぐり合わせというやつだな」
「前も同じような台詞を言っていましたが、今回は勘弁してあげます。でも、目覚めが悪い癖は直してくださいね。あなたは精神領域界へ来るたびに意識をズラしていますし、わたしがそれを意識調律するハメになるのは感心しません。
まあ、あなたの仕事が大変なのは知っています。過重労働で苦労しているのも分かっていますから許してあげますけどね」
同僚のメイドさんは苦言を口にする。
言葉こそ悪いが彼女の口調に悪意はない。相手が私だから気軽に嫌味も言えるのであって、ふたりの会話はじゃれ合っているようなものだ。
ついでに補足すれば、先刻の私のように不具合のある者へ対するケアは彼女の仕事である。
「ところで、私が呼び出された理由を知っているかい? 」
私は“可能なかぎり急いで出頭せよ”との命令を受けていた。
呼びだされた理由は聞かされていないし、取り掛かっていた仕事を中断させられたのだ。
自分としては、いきなり呼び出しを受けるような謂われはない。なぜ、このような命令が来たのか判らない。
なので、私は彼女から事前に情報を得ようと試みたのだ。
上司からどんな話を聞かされるのかを予め把握できれば、それなりに準備もできるだろう。
しかし、彼女からの返答はツレないものだった。
「わたしは何も知りません。あなたみたいに意識領域界に戻ってくる方々を世話するだけです。わたしは自分の役目に専念するだけで、余計なことに首を突っ込むつもりはありません」
「それは残念。事情通の貴女なら、なにか知っていると思ったんだけどなぁ。
もしかして、私は叱責されるのかな。イヤ、これまでの頑張りを評価されたご褒美をもらえたりして。長期休暇をもらえるなんて話なら嬉しいんだが」
「ありえません。自信をもって言いますが、あなたの活躍を考慮するかぎり長期休暇なんてあり得ません」
彼女はキッパリと断言した。
その判断に自信を持っているようで、彼女は賭けても構わないと言い出す始末。彼女いわく、我々の上司は信頼厚い部下を無駄に遊ばせるなんてこと絶対にしないそうだ。
やけに私に対する評価が高いが、見当違いも甚だしい。
私は手を左右に振って彼女の言葉を否定する。
「おいおい、それは買いかぶり過ぎだ。私はヒーヒーと悲鳴をあげながら仕事をこなしている一般職員でしかない。今だって過重労働で身も心もボロボロなんだぞ。
私たちの仕事の割り振りなんて、ブラック企業も真っ青じゃないか。いや~、本気で長期休暇をもらえないかな」
「わたしにそんなことを話しても無駄です。訴える相手を間違えていますわ。あなたの要望を直に“我らが上司”へお願いすればよろしいかと。聞き入れられるとは思えませんが。
そもそも、どうして長期休暇にこだわるのかしら? あなたは立派な【天使】でしょうに」
そう、私は【天使】なのだ。
自分でも忘れがちなのだが、私は本物の天の御使である。