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よあけまえのキミへ  作者: 三咲ゆま
二章 陸援隊編
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第九十二話 矢生とりく


 曲がりくねった道をひたすら前進していると、だんだん道幅が広くなっていき、やがて開けた場所に出た。

 そこでは負傷した隊士さん達が休息しており、先頭には中岡隊長や潮くんの姿もあった。


「中岡さん、無事っすか!」


 田中先輩が駆け寄ると、隊長はふっと表情を和らげて、頷いた。


「ああ、怪我はない。ケンも大橋くんも負傷しているようだな」


 手負いの二人を労うように隊長が声をかける。

 その後、先輩のうしろから顔を出した私を見て、彼は顔をほころばせた。


「天野も無事か。良かった。心配していたんだ」


「おかげさまで、無傷です。隊長たちは、矢生やりくを見かけませんでしたか?」


「それが、まだ見つからないんだ。そちらはどうだ?」


 腕を組んで難しい顔をした隊長は、田中先輩に視線を送る。

 先輩と大橋さんは、これまでの戦いのことを報告する。


「……なるほどな。主力は削ってくれたわけか。あとは親玉の矢生を討つだけだな」


「にしても、こんだけ探し回っても見つからねぇってのは痛手っすね」


「そうだな。俺たちはそれぞれ違う道筋を歩んでここに辿りついた。その間に矢生を見ていないということは、奴が待つのはこの先の道だろうな」


 隊長が顎に手を当てて唸ると、田中先輩も大きく息をついて髪をかき上げた。


「幸い、この先は一本道っすよ。前進あるのみだなァ」


「ああ。進んでみるか」


 先輩と隊長が頷き合う。

 身体を休めている隊士さん達を見るに、ここに至るまでに激しい戦闘を繰り広げてきた様子だ。

 合流した私たちの側にいる平隊士さん達を含め、手負いの仲間が多いのは不安材料でもある。


「矢生一派が率いる盗賊たちは、こちらの軍勢に比べると少人数だと思うから、大体は駆逐できたんじゃないかな」


 そろりそろりと前進を始めたところで、潮くんが口を開いた。


「マジか? そうだったら助かるんだがよ」


 最前列を歩いていた田中先輩が振り返ると、潮君は大きく頷いた。


「ただ、矢生もりく姉ちゃんも火薬を使う。だから油断はしないほうがいい」


「わぁってるよ。慎重にいこうぜ」


 ぐっと拳をつきあげてみせる先輩の後姿を見て、なんだかほっとする。

 ここまで実力で敵を退けてきたんだもの。皆が負けるはずはない――!!


 静まり返ってひんやりとした空気が流れる地下通路は、点々と灯りはあるものの、薄暗くて不気味な雰囲気だ。

 前を行くのは隊長と田中先輩。隣には藤堂さんと大橋さん。後ろには潮くんがいてくれる。

 路の脇には部屋が点在しており、そこを探索しながら前進していく。

 小部屋の中身は、大半が盗品とおぼしき品々だ。その数と量に、やつらへの憤りが増していく。


「矢生とりくは、仲間を置いて逃亡してたりして……」


 連中ならやりかねないと口に出せば、潮くんがすかさず首を振った。


「それが、ああ見えてけっこう仲間意識は強いんだよ。まだここに残っていると思う」


「そっか。だったら見つけ出して決着をつけないとね」


「うん」


 相手は姉だというのに、潮くんは躊躇なく頷いてみせた。この子なりに覚悟を決めて来たのだろう。


 通路の下は砂地なので、ざりざりと音を響かせながら集団で移動する。

 今のところ進路に敵はいなかった。もう大半を退けてしまったのだろうか。


「ここの地下通路は、だいぶ前にうちの先祖が作ったものかもしれない」


 潮くんがそう呟けば、前を歩く全員が彼に視線を向けた。


「そうなの? すごい規模だから、人の手で作るのは難しそうだけど……」


 と、私が問えばすかさず潮くんは頷いてみせた。


「前に話は聞いたことがあるんだ。京のどこかに先祖が作り上げた巨大な地下倉庫があるって」


「へぇ。きっと何十年もかけて作ったんだろうね」


「うん。そうだと思う。ぼくに場所は教えてくれなかったけど、正妻の子のりく姉ちゃんには知らされていたのかもしれない」


「なるほどぉ」


 となれば、りくはこの入り組んだ通路の全容が頭に入っているかもしれない。

 だとしたら、こちらが圧倒的に不利だ。



「灯りが見えてきたぞ」


 ふと、先頭を歩いていた隊長と先輩が足を止める。

 たしかに、湾曲した通路の先にはほのかな灯りが見える。

 後続も動きを止め、ここからどう出て行くか、隊長の判断を待つ。


「隊列を変更する。無傷の隊士は前に出て銃を構えろ。後列から俺が指示を出す」


「はいっ!!!!」


 一同は迅速に指示通りの形へと移動する。

 無傷の隊士さん達ががっちりと前線に出て、隊長や田中先輩は後ろに下がる。

 同時に私と大橋さん、藤堂さん、潮くんもその背後に回る。


「敵の姿を確認次第発砲。弾込めは速やかに。それでは、前進」


 隊長が指示を出すと、再び私たちは歩き出した。

 この先に何が待っているのか。恐ろしくてかすかに肩が震える。


「天野さん、大丈夫です。あなたのことは私たちが責任を持ってお護りします」


 大橋さんが、隣で肩を支えてくれた。その優しさに、ぐっと背筋が伸びる。


「ありがとうございます。私も何かお役に立てるよう頑張ります」


 気丈に返答して、ピストールを構える。

 ここに来てから、私は護ってもらってばかりだ。護身用とはいえ、武器を与えられているのだから何かしら役に立ちたい。


 灯りのほうへと前進してみれば、そこは道幅が広くとってある、やや開けた場所だった。

 そこに人影はなく、道の両脇には小部屋がある。

 部屋の中を調べるべく隊士さんが扉に近づくと、ふいに右の扉が開き、無数の爆弾が足元に転がった。

 すさまじい炸裂音とともに、あちこちから悲鳴が上がる。濃い煙に満たされた空間が一旦落ち着くと、床には多くの隊士さんが倒れている。

 恐れていたことが現実になった。

 これだけの規模の爆破が可能なのは、矢生かりくくらいだろう。

 幸い、後列に陣取っていた隊長や幹部のみなさんに怪我はない。

 しかし、まともに動けそうな平隊士さんは、三、四人しか残っていない。

 さて、これからどう動くべきか。


 ひとまず私は、負傷した隊士さんの手当てに回る。

 一言二言言葉を交わした隊長と田中先輩は、同時に両脇の扉を開けることに決めたようだ。

 右の扉を開けるのは隊長。左の扉を開けるのは田中先輩だ。

 隊長のうしろには大橋さんが、先輩のうしろには藤堂さんが控えている。

 ぽつりと取り残された潮くんは、目に涙を浮かべて震えている。もともと臆病な子だ。ここまでついてきただけでも上出来だ。


「よし、扉を開けるぞ」


「了解っす」


 隊長と先輩は、示し合わせて同時に扉を開いた。

 双方銃を構えて部屋に乗り込む。

 が、左の部屋の中に人影はなかった。

 となれば……。


 右の部屋から爆撃が来ると身構えていたら、何事もない。肩透かしをくらってしまった。

 部屋の中は真っ暗だ。大橋さんが灯りをもっていたので、うっすらと中の様子がうかがえる。

 人影は二人。

 隊長が長銃を構えて、中に向かって発砲する。

 一発、二発。

 気味が悪いほどに、部屋の中は静まり返っている。


「そこにいるのは矢生だろう?」


 隊長が大きく声を張った。

 静寂が返ってくるかと思いきや、聞こえてきたのは、つかつかとこちらに歩み寄る足音だった。


「いかにも。よくぞここまで辿り着いた」


 姿を見せたのは、矢生。その背後には、りくが控えている。


「ブス女、生きてたのね」


 りくが殺気のこもった眼でこちらを睨む。

 私も彼女に目を向けて、口を開いた。


「あなたはまだこんな人たちに加担してるんだね」


「偉そうに説教する気? だからアンタは嫌いなのよ」


 りくが両手に持った短刀を構える。

 傍に居た藤堂さんが、ざっと抜刀の体勢をとって私の前に出る。

 護られてばかりではいられない。

 私もピストールの撃鉄を起こし、構える。


「貴様らの仲間はほぼ壊滅した。勝ち目は無いと思え」


 中岡隊長は矢生に向けて長銃をかまえたまま、険しい顔で口をひらく。


「あんたらの相手なんか、二人だけで十分よ」


 りくはじりじりと距離をとる。腰に何やら大きな袋を提げているけれど、中身は爆弾だろうか。

 できるだけ火薬を使われる前に二人を倒したい。ここにいる仲間たちも同じ考えだろう。



「廉さま、こちらへ」


 矢生の手をひいて、りくは後退する。

 距離をとるということは、また爆破しようという算段なのだろう。

 隊長や先輩もそのことを感じとったのか、離れようとする奴らとの距離をつめる。


「貴様らは一体何者なんだ? なぜ盗みをはたらく?」


 銃を構えていつでも発砲できる姿勢をとりながら、隊長が問う。


「――それを知って如何にする?」


 矢生は、あいかわらず不敵な笑みをたたえている。

 この男に関しては、初対面の時から何を考えているのか分からない。


「貴様らは腕に覚えのある集団。その実力を持って、いかようにも仕官できたはずだ。わざわざ盗人の道を選ぶとは……」


「人の世に愛想をつかしたからよ。弱きものにどこまでも非情な世。富む者は弱者を足蹴にし、上り詰める。弱者として生まれたものは、生涯そうして泥にまみれて生きていかねばならぬのか?」


 矢生の問いに、皆が険しい表情になった。

 矢生一派は、身分や貧富の差に苦しんできたのだろう。しかし、だからといってこれまでの暴虐が許されるはずはない。


「なるほど。生まれによって生き方を左右されない世を作りたいという思いは、俺にもある」


 中岡隊長が、矢生の問いに理解を示す。しかし、返ってきた言葉は――


「どこまでも分かり合えぬな。我等は変革をもたらそうなどとは思っておらぬ。ただ、うまい汁を啜って生きてきた恵まれし者達から、少しばかり富をいただいておるまでよ」


「少しばかりだと? すべてを奪い去り、燃やし尽くす貴様らが何を言う」


「くくく。我等が燃やすのは貧困を知らず、生を受けしその瞬間より富に溢れておる傲慢な者達のみ」


「富を得ることが傲慢だと?」


「その通り。富むものは皆、誰かしらの恨みを買いながら生きておる。いずれその報いがあろう」


 誰かしらの恨みを……。そこまで聞いて、ふと谷口屋さんの顔が浮かんだ。

 いずみ屋は繁盛していたけれど、私達の知らないところで、恨みを買っていた。矢生の言うこともあながち間違ってはいない。

 けれど――……。


「あなたたちは、その状況を少しでも変えようと動いたことはあるの? 何もせずにお金の方から降ってこいみたいな考えには賛同できない」


 貧しい家の生まれでも、実力で上り詰めていった人間は少なからずいる。

 こうしてじめじめとくだを巻くだけの生き方に、意味はあるのだろうか。


「黙りなさいよ、ブス。何不自由なく生きてきたアンタに何が分かるって言うの!」


 獣のような鋭い視線で私を射抜くりくは、今にも飛びかかってきそうな体勢だ。

 

 何不自由なく……。

 言われてみればそうだ。これまで生きてきてお金に困ったことはないし、私の傍には常にこの身を護ってくれる誰かがいた。

 貧困も知らない。孤独も知らない。

 そんな私が思いもよらないような生き方をしてきた矢生やりくに、言葉をかける権利はあるのだろうか。


 一瞬私が言い淀むと、眉間にシワを寄せた田中先輩が、ずかずかと前へ向かって歩いていく。


「被害者ヅラしてんじゃねぇよ。何があろうと越えちゃいけねぇ一線っつうもんがあるだろうが。てめぇらはそこを越えた異端者だ」


 先輩は長銃を構えると、りくに銃口を向ける。

 りくの目に明確な殺意が宿ったのを、私は見逃さなかった。

 腰に提げた袋から手のひらにちょうど収まるほどの大きさの爆弾を取り出したりくは、それを躊躇なく先輩の方へ向かって投げた。


「せんぱい! 危ないっ!!」


 いつ炸裂するか分からない爆弾から先輩を護るべく、私は彼に抱きつくような形で地面に伏せた。

 頭上で派手な爆発音が響く。直撃は免れたものの、爆発とともに飛散した鋭利な金属片が私の足に突き刺さった。


「天野ッ! 無事か!? 無茶すんじゃねぇ!!」


 先輩は血相を変えて私の肩を揺さぶる。

 怒っているような、嘆いているような、複雑な表情だ。


「だいじょうぶです……! それより矢生とりくを、早く討たなきゃ……」


 爆薬による攻撃は防ぎようがないし、隠れられそうな場所もない。

 これ以上彼らに攻撃されたら、私たちの戦力が削がれていく一方だ。

 早急に二人の動きを封じなければならない。



「随分高いところから物を言うが、やってる事は単なる盗人だろうが」


 藤堂さんが矢生の間近まで瞬時に距離を詰め、抜刀する。鞘から走らせた刀は弧を描き、矢生の首もとに達する。


「我らは自ら選びとり、このように生きておる。それはそなたらが最も大事にする思想というものに基づく生き方であろう」


 間一髪のところで、矢生は刀を抜き、藤堂さんの攻撃を受け止めた。

 ただの傘だと思っていたけれど、どうやら仕込み刀だったようだ。


「けっ、なんとも浅ましい思想だぜ」


 藤堂さんは攻撃の手を緩めない。

 追撃に次ぐ追撃。すさまじい速度で四方八方から飛んでくる攻撃を、矢生はすべて捌いている。恐ろしいほどの動体視力だ。

 刃が互いの肌スレスレを行き交う、息のつまる攻防。

 やがて押し負けたのは、藤堂さん。壁際に追い詰められ、右手首をざくりと抉られる。彼は苦悶の表情で刀を取り落とした。


 もうだめだと顔を背けようとしたその時。

 じりじりと矢生との距離をつめていた大橋さんが、鞘から刃を滑らせる。


「あなたがこれまでに殺めてきた人々の無念を思えば、死罪がふさわしいでしょう」


 刃は矢生の胸元を一閃する。

 手応えがありそうだと拳を握るも、どうやら着物を裂いただけで、体までは届かなかったようだ。

 そうして今度は、大橋さんと藤堂さんの二人が矢生に斬りかかる。

 二対一。

 圧倒的にこちらが有利。

 そのはずなのだけれど、両者矢生には一撃も加えられない。

 矢生の刀捌きは、敵ながら華麗だ。踊るように呼吸し、なめらかな動きで相手をいなしていく。


「こちらは数的に有利。俺は一対一の状況を作ってやるほどぬるくはない」


 そう宣言するやいなや、中岡隊長は長銃をかまえて、目を細める。

 矢生と大橋さん、藤堂さん。三人は激しく入り乱れ、体勢はめまぐるしく変わる。

 この状況で狙い通り的を射るのは困難だろう。


「そなたもまた、傲慢に生きておるな」


 中岡隊長に刺すような視線を向け、矢生は懐に手を入れた。

 その動きを好機と見て大橋さんと藤堂さんが距離をつめようとする。

 その刹那、矢生が地面に向かって何やら爆弾のようなものを投げつけた。

 大きく地を抉るように爆発したそれは、土煙の弾幕を作り、矢生の姿を隠す。

 

「まことに死ぬべきは、そなたではないか?」


 濃い土煙の中から姿を現した矢生は、中岡隊長との距離を詰めながら、クナイを放つ。

 隊長は抜刀し、それを捌く。しかし、いくら振り払おうと矢生の手からそれらが投げられるのを止められない。

 やがて間合いまでたどり着くと、矢生は両手に筒状の爆弾を持ち、中岡隊長へと投げた。

 隊長は横に転がるようにして爆弾の軌道から逃れ、地に伏せる。

 空中ですさまじい爆発が起きた。隊長も無傷ではいられないだろう。


「どちらが死ぬべきか、武力に問うてみようじゃないか」


 長銃を地面に置き、刀を手にした隊長は、ゆっくりと立ち上がる。

 爆風にやられて自慢の外套もぼろぼろだ。


「ふん。我等はある筋からそなたの殺害を依頼されておった。そなたの死を願う人間は世に複数おるぞ」


 不敵な笑みを浮かべた矢生は、中岡隊長に斬りかかる。

 その一撃を受け止め、鍔迫り合いに持ち込みながら隊長が口を開く。


「思想を持ってこの時代を駆ける者には、当然敵がいる。命を狙われる事など珍しくはない」


「やはり傲慢ではないか。反対派も多数おる中、己の思想で塗りつぶそうという考えは」


「時勢を読み、先の世を考察し、人と人との間を渡り歩いた。その経験が思想を作った。俺はそれに命をかけている。何者にも惑わされない」


 互いの心情を吐露しながら、激しく刃を打ち合う。刀が折れてしまうのではないかと思わせられるような、息の詰まる攻防。

 たしか、以前に聞いたな。中岡隊長は、刀の扱いがそう上手くはないと。

 このまま長期戦になれば、隊長が不利になるのではないか――。

 そう考えがよぎった時、ふいに銃声が響いた。


「っ……」


 矢生がだらりと肩を落として数歩後退する。

 中岡隊長の右手にはピストールが握られている。どうやら片手で撃ったらしい。

 それは見事に矢生の右肩に命中したようで、奴の着物がじわりと血で滲む。


「貴様は所詮傍観者。不平不満だけを垂れ流し、先を行くものの足を引っ張る。やはりここでくたばるのが相応しい」


 隊長は刀をおさめ、地面に置いていた長銃を手にとり、矢生に銃口を向ける。

 矢生の背後には、大橋さんと藤堂さんも迫っている。

 だいぶこちらに有利な体勢に持ち込みつつあるようだ。



 それぞれが距離をはかりながら、じりじりとした攻防が続くかと思われたその時。

 後方で震えていた潮くんがりくに視線を向けてつかつかと歩いてきた。


「りく姉ちゃん、父さんから教わったでしょ。金は盗るが命は盗るなってさ」


 両手に短刀を持ち、ぐっと低い姿勢をとった潮くんは、今にもりくに飛びかかりそうだ。

 間合いとしては、りくに届きそうな距離感だ。


「そういう手ぬるいやり方が嫌いなのよ。あんたは大人しくここで死になさい」


 潮くんが動くよりも速く、りくは両手に構えた刃物を交差させ、首を刈り取るように刃をすべらせる。

 その攻撃をかろうじて受け止めると、潮くんは体勢を崩してその場に倒れこんだ。


「あいかわらず弱いのね。虫酸が走るわ」


 震えながら立ち上がろうとする潮くんのお腹を踏みつけ、ぐりぐりと痛め付ける。


「弱くても、ぼくには譲れないものがある! 矢生たちが軽々越えた一線だけは越えない!!」


「アンタも盗人のくせに、偉そうなこと言ってんじゃないわよ。悪事を働きそれを生業にしているのは変わらない」


「うちの団が壊滅した今、ぼくはもう盗人じゃない。食い扶持は自分でどうにかする」


 敵意を宿した瞳をりくに向け、潮くんは不安定な姿勢のまま短刀を薙いだ。

 そんな動きもりくにはお見通しだったようで、彼女は威圧的な表情を浮かべて、一歩後退する。

 りくの視線が潮くんへと向いている今が好機かもしれない。

 そう感じた私は、ピストールを構えてりくに銃口を向ける。

 そうした私の動きを横目で見ていた田中先輩も、そっと銃を持ち上げりくを狙う。


 乾いた発砲音が立て続けに二発、その場に響いた。

 相手との距離もそう離れていなかったこともあり、二つの銃弾は、りくの腹部と脛にめり込んだ。


「ぐっ……」


 表情をゆがめながら、りくはその場にへたり込む。

 もう今までどおり立ち回ることは不可能だろう。

 追撃すべく再びりくに銃口を向ければ、彼女は矢生のほうを振り返り、声を張り上げる。


「廉さま、申し訳ございません! アタシはこれ以上お役に立てそうにない……あなただけでも逃げてください!」


 その言葉を受けた矢生は、表情ひとつ変えずにこちらへ向かって歩いてくる。


「りく、大儀であった。数の上で此方は圧倒的に不利。この場を脱する算段がつかぬ」


 ことここに至っても矢生は不敵な笑みを絶やさず、りくに向かって歩み寄ろうとする。

 それを阻止するかのように、中岡隊長は容赦なく引き金を引く。

 一発、二発、三発。

 銃弾は二つ矢生に命中した。一発はみぞおちのあたりを、もう一発はふとももを。

 矢生も満身創痍だ。派手な動きはできないだろう。


 現在私たちは、矢生とりくを囲むように円を描いて立っている。

 中岡隊長に田中先輩、そして大橋さんと藤堂さん、潮くんと私。

 こちらはそれぞれが武器を構えて臨戦態勢だ。そうそうこの包囲網を抜けることはできないだろう。


「時勢を読み思想を持って動く者は、意見が違えど悪と断言することはできない。しかし貴様は純然たる悪。滅びてしかるべき命だ」


 中岡隊長は長銃を足元に置いて、懐からピストールを取り出す。きっと弾が切れたのだろう。


「己の境遇を嘆くなら、世を変える努力をしろ。そうした気概を持たぬというなら、それまでだ。貴様に変革が起こることはないだろう」


 中岡隊長は鋭い眼を細めて、厳しく諭すような口調で矢生と向かい合う。

 隊長は命がけで世の中をひっくり返そうとしている人間だ。

 自ら動かず不満ばかり口にする者に手を差しのべる気は一切ないのだろう。


「変革など求めてはおらぬと言うたはず。この腐りきった世で、我等も同様に腐敗し、世の闇にまぎれて刹那を生きた。ただそれだけのこと」


 矢生はふとももに受けた銃弾のせいもあり、やや引きずるようにして前進する。

 りくの元へ向かおうとしているのだろう。

 二人の命はここまでだ。矢生自身が発したように、ここから脱することは不可能なはずだ。


「銃を持っている者は全員射撃姿勢をとれ。とどめを刺す」


 中岡隊長の指示を受け、私たちは大きく頷き撃鉄を起こす。

 矢生がりくの元にたどり着き、膝を折って彼女を抱き寄せた。

 そうした動きを見せる二人へと、一斉に銃口が向く。


「りく、そなたと過ごしたわずかな日々、忘れることはない」


「廉さま……アタシもです。あなたのことが大好きです」


 ぽろぽろと、りくが涙をこぼす。その姿を見て、なぜかこちらも視界が滲んだ。

 彼らの生まれや境遇について、私達は何も知らない。

 けれど、こうして歪んだ生き方を選び取るまでに、紆余曲折あったことは間違いないだろう。

 満たされない人生を生きてきて、たまたま手を差しのべてくれた人が矢生のような悪人だったら――。

 りくと同様に、私もその手をとってしまうのかな。



「撃て」


 と、中岡隊長からの指示が出た直後、中央ですさまじい爆発が起きた。

 爆風と共に細かな棘のようなものが飛散し、私達はその場に伏せる。

 周囲が見渡せないほどの煙に咳き込みながら、肩や腹部に刺さった棘を抜く。たらりと血が流れ出た。

 まだよく見えないけれど、皆が同様に負傷しているはずだ。不安感ばかりがつのっていく。


 しばらく経って視界が明瞭になってくると、中央にあったはずの人影がなくなっている。


「矢生とりくの姿がありません!!」


 思わず叫ぶ。

 どこに行ったのだろうか。二人とも足を負傷しているはずだ。そう遠くへ行くことはできないだろう。


「よく見てみろ! 二人がいた場所に穴があいている」


 中岡隊長が駆け寄り検分する。

 言われてみれば確かに、人一人が通れそうなほどの穴がある。

 もともと掘られていたものを、隠していたのだろう。梯子がかかっており、中は真っ暗だ。


「降りてみるか」


「そうっすね」


 隊長の言葉に田中先輩は頷いて、先陣を切って梯子を降りていく。

 どうか何事もありませんように……! 強く願いながら、一人一人が降りていくのを見守る。

 呆然と立ち尽くす潮くんと共に、震えながら皆が帰ってくるのを待つ。

 


 しばらく経つと、中から三発、四発と銃声が響いてきた。

 また戦闘になったのだろうかと穴の中を覗き込めば、早々と藤堂さんが戻ってきているところだった。


「藤堂さん! また中で戦ってるんですか!?」


「いや……奴らはもう息をひきとってた。互いに互いを刺して心中してやがった」


「そう……ですか」


 心中。思いも寄らぬ結末だ。

 私たちにとどめを刺されることを屈辱と感じたのだろうか。

 二人のあっけない最後に、私は言葉を失って、ただただ立ちすくんでいた――。


「念のため、二発ずつ撃ってとどめを刺してきた。これで決着だろう」


 全員が梯子から上がってくると、中岡隊長が一息つきながら戦いの終わりを告げた。

 私は張り詰めていた気持ちがぷつんと切れて、その場にへたりこんでしまった。


「ようやく終わったんですね……」


「おう。長かったな。おめぇまで巻き込んじまって悪かった」


 ぐっと背伸びをして笑顔を見せた田中先輩は、私の隣に歩み寄ってきてくれた。

 やっぱり隣に先輩がいると安心するな。


「謝るのはこちらのほうです! わざわざ助けに来てくださって……」


 感謝してもしきれない。

 この人たちに何度救われたことだろう。

 それぞれが傷を負いながらも、常に私を護ってくれた。

 これからも信じていこう。皆さんが歩む道を。


「さて、脱出だ! 各自元来た道を行き、手負いの隊士を回収して屯所まで戻ること」


「はいっ!!」


 隊長の指示に皆さんは大きく頷き、休む間もなくそれぞれの道を歩いていく。

 

「天野はオレと一緒に来い。足も怪我してんだろ? ほら、おぶってやるから乗れよ」


 先輩は屈んで、こちらへと背中を差し出す。


「ええ!? いいですよ、そこまでしていただかなくても……! 先輩も疲れているでしょうし」


「これしきでへばるオレ様じゃねぇよ。ほら、乗れ! 乗らなかったら小脇に抱えて運ぶぞ」


「うう……分かりました。お世話になります」


 そう言って恐る恐る先輩の背中に身を預けると、軽々と持ちあげて、先輩は元来た道を歩き出した。


 矢生とりく。

 敵として出会った二人の考えは、最後まで理解する事ができなかった。

 けれど、生まれや身分、貧困に打ちのめされて、矢生一派は時代の中でもがいていた。

 これから、中岡隊長や田中先輩が立ち回って、新しい世が来たとして。

 それは、どんな変革をもたらすのだろう――。




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