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よあけまえのキミへ  作者: 三咲ゆま
二章 陸援隊編
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第八十八話 命よりも大切なもの

 潮くんが寝入って、厨でそっと食事の準備をしていると、藤堂さんを呼びに行っていた田中先輩が帰ってきた。


「おう、ここにいたのか。腹へった。何か食うもんくれや」


「水を一杯くれ」


 先輩に続いて、藤堂さんも顔を出す。

 二人に向けておにぎりとお茶を差し出せば、どちらも空腹だったのか、すごい勢いでかぶりつく。

 陸援隊の屯所から御陵衛士の屯所まで、結構な道のりなのだけれど、二人は予想よりはるかに早くここに到着した。

 やっぱり先輩は、普段私と走っている時加減してくれていたんだな。


「んでよ、蔵の裏に訓練場があんだよ。ちょっとそこ見に行ってみっか?」


「そうだな。時間までまだけっこうあるしな」


「よっしゃ、行こうぜ」


「あ、待ってください!」


 外へと出て行こうとする二人の後を追って、私も草履をひっかけてついていく。

 誰とも喋らずに一人でいると、不安になってくるのだ。気分転換についていこう。


 訓練場につくと、そこは開けて涼しい風が吹き抜けていた。

 普段ならここで銃の射撃姿勢などを練習している隊士さんがいるのだけれど、今日はその姿も無い。

 熱心に訓練している隊士さんは、隊長に招集されたからだろう。

 無人の訓練場を得意げに披露し、陸援隊の装備の充実っぷりを語りだした先輩は、上機嫌だ。

 戦闘を前にして昂ぶっているのかもしれない。目がギラギラしている。


「……そんなに言うなら、実力見せてみろ」


 藤堂さんはそうつぶやくやいなや、腰の刀を引き寄せ勢いよく抜刀し、先輩に斬りかかる。


「うおっとぉ! おいコラ! 銃の準備くれぇさせやがれ!」


 横一文字の一撃をかろうじて避けながら、先輩はざっと距離をとる。


「腰に差してるモン使え」


「こっ、こいつはダメだ! すげぇ大切にしてる――」


 会話する隙も与えない追撃に、先輩は防戦一方だ。ブンと振りかざされた刃が、先輩の髪をわずかに斬って落とす。

 藤堂さんは加減しているのかもしれないけれど、振り回しているのは真剣だ。まともにくらえば命が危うい。


「先輩! 刀を抜いて防いでください!!」


「ダメだっ! こいつは使わねぇ!!」


 頭上から振り下ろされる追撃に、一瞬短刀を抜こうとし、ハッとして先輩は手を離した。

 そして、懐に手を突っ込んでピストールを取り出し、藤堂さんへと銃口を向ける。


「……バァン! おし、これでオレの勝ち」


 引き金を引くフリをして右手を下ろし、停戦だと呟けば、藤堂さんが白けたように唾を吐き捨てた。


「テメェ、なぜ刀を抜かねぇ?」


「だからよ、こいつはオレの宝なんだよ。傷ついたらどうすんだ」


「はぁ? 傷ついたら研げばいい。刀はこういう時のためにあるんだろうが」


「オレの武器はあくまで銃器だ。刀は抜かねぇ」


「ただの飾りか? 糞の役にも立たねぇナマクラなんざ捨てちまえ」


 興をそがれた様子の藤堂さんは、心底呆れたようで、先輩を一睨みしてその場を去っていった。


「……へっ。なんとでも言え馬鹿野郎」


 先輩は撃鉄を上げ、引き金を引く。同じ動作を三回。

 バン、バン、バンと的の頭部を弾が貫く。弾が無くなったようで、そこで撃ち止めだ。

 以前ピストールは苦手だと言っていたけれど、今回は三連続で中央を射抜いた。なかなかの腕前なのではないだろうか。

 しかし、その腕前を誉める前に、私は憤っていた。


「先輩、いくら大切な刀でも、身の危険が迫ったら抜いてください!」


「何度も言わせんな。こいつは特別大事にしてんだよ」


「それでも、命より大切なわけないです!!」


「命より、もしかしたら大切かもな」


「――っ! そんなわけない!! 少なくともあなたの周りの人たちは皆、刀が折れてもあなたに生きててほしいはずです!!」


 頭に血が上っていくのが分かる。

 命を粗末にする人は嫌いだ。

 それが、好きな人の場合だったら尚更――!!


「分かってもらいてぇとは思わねぇよ。オレはあくまで銃で戦う、刀は飾りでいいんだよ」


「よくないです! 私は嫌だ! 先輩が傷つくくらいなら刀が傷つけばいい!! 命を粗末にする人は嫌いです!!」


「正論かもしんねぇが、オレには響かねぇよ。もうこの話はしまいだ」


「待ってください、まだ――……」


 言いたい事を伝えきれていない。

 私は先輩のことが好き。だから、命を大切にしてほしい。

 そう言おうとし、口を開いたその時、

 間近で大きな爆発音が響いた。立て続けに、五回。


「おい、田中、来い! 敵襲だ!!」


「なんだと!?」


 血相を変えて、藤堂さんが先輩を呼ぶ。

 急いで敷地の中央へ向かうと、そこには爆発の被害に遭ったであろう隊士さん達が十数人倒れている。

 そして、正門からなだれ込んで来る無数の武装した勢力。

 顔を覆って全身黒ずくめの身なりからして、矢生一派だろう。


「ケン! 藤堂くんと共に応戦してくれ! 天野は怪我人の手当てを頼む!!」


 蔵の中にいて爆破の被害を免れた様子の隊長は、大声で隊士さん達に指示を出す。

 無傷の隊士さん達は急いで武装し、長銃で矢生一派を迎え討つ。

 門前では白兵戦が行われているようで、そこには大橋さんの姿もあった。


 遠めで混戦を視界に入れながら、がくがくと足が震えて動けない。

 その場に立ち尽くしている私の元へ、二人の刺客が集う。このままじゃ殺されてしまう……!!!


「ちくしょう! 弾切れで武器がねぇ!」


 先輩が間近に迫った刺客のみぞおちを思い切り蹴り上げると、相手は吐瀉物を吐き出して地に伏せる。

 そして刀で斬りかかるもう一方の攻撃を避けようとし、体を引くも、刀の切っ先が腕をかすり、血が噴出した。


「先輩、刀を……!」


 抜いてくださいと叫ぶ前に、先輩は大切にしている短刀を帯から抜いて、私の方に投げた。


「それ持っててくれ!」


 丸腰になった先輩は、敵の袈裟斬りを間一髪のところで回避し、相手の顔面を手で掴んで地面に叩きつけた。

 ぐしゃりと嫌な音が響き、黒ずくめの男は白目を向いて痙攣している。

 その隙に敵が取り落とした刀を奪い、倒れている二人にトドメを刺すべく、胸の中央を深々と突き刺した。


「……ふぅ……無事かよ?」


「あ、その……無事です、ありがとうございます」


「おお、良かった。傷ついてねぇな」


 と、先輩が手にとったのは、先ほど私に向かって投げた短刀だった。

 ――ぎゅっと、胸の奥を握りつぶされたような感覚。

 先輩が心配して護りたかったのは、私じゃなくて刀だったの?


 ぽろりと一粒涙がこぼれ落ちる。

 この人は本当に、命を粗末に扱っている――。

 

「先輩なんて、嫌いです」


 泣きながら、先輩の頬を張った。

 どくどくと壊れそうに鼓動が高鳴っている。

 もう知らない。こんな人のこと、好きになるんじゃなかった。


 私はそのままきびすを返し、怪我人が運び込まれる屋敷の中へと走り去った。



「……はぁ……」


 大広間に集められた怪我人の手当てに追われながら、頭の中では先ほどのやりとりを反芻していた。

 先輩はなぜあんなにも刀に執着するのだろうか。

 彼は危機的状況でも、刀が傷つかないか案じながら動いていた。

 異常なことだ。

 普通なら自分の身の安全を最優先させるはず。

 おまけに私のことまで軽んじるような言葉を発して……これで腹を立てるなという方が無理だろう。

 ああ、なんだかまた胸の奥がむかむかする。


「天野ちゃん、まだ消毒薬残ってる? あっちにも新しく怪我人が入ってきたんだけど」


 介抱を手伝ってくれている西山さんが、私の顔を覗きこむ。

 はっとして、脇に置いてある消毒薬の瓶を振れば、残りは僅か数滴になっていた。

 長岡さんからもらった分も、屯所の薬箱に入っていたものも使い果たしてしまったようだ。


「ごめんなさい、もう消毒薬もサラシも切らしてしまったみたいで……ちょっと螢静堂まで行ってきます」


「うん、よろしく。それまでここを見てるからさ」


「はい! お願いします!」


 立ち上がって部屋の様子を確認し、まだ怪我人を受け入れる場所は残っていることを見届けて、屋敷を出た。

 外に出れば刀と刀がぶつかり合う音や銃声が耳に響く。

 間近で戦闘が行われている恐怖に震えながら、私は裏口まで走った。


 普段は門番が立っているのだけれど、今日は誰もおらず、敵の姿も確認できない。

 そっと出ていこうとしたところで、ふと思い出す。

 そういえば、一人で外出するなと言われているんだった。

 どうしよう。間近に潜んでいる敵もいそうで、足がすくむ。

 誰かについてきてもらうべきか。

 考えあぐねて俯いていると、垣根の向こうから中岡隊長が歩いてきた。

 鼻から口元を布で覆っているものの、外套で誰か分かった。

 戦闘が行われているあたりは砂煙がひどいので、その対策だろう。


「外に出たいのか?」


「あ、はい。螢静堂に行きたくて……でも一人じゃだめですよね」


「では俺がついていこう」


「いいんですか? まだ戦闘中みたいですが……」


「構わない。行こう」


 と、先導するように隊長は裏口から出ていく。私も急いで後をついていく。

 早歩きで、ずかずかと小路を進む。

 こちらを振り返ることもしない隊長は、珍しく無口だ。

 置いていかれないよう背中を追いかけるのがやっとな私は、長く歩いているうちに息があがってきた。

 私の知らない薄暗い道ばかり通るので、そのたびに蜘蛛の巣が体に張り付いて、払いのけるのに必死だった。


 するすると人目につかない道を行く隊長の背中を追いかけていると、やがて民家もまばらになり、緑の多い山道の入り口に出た。

 頭上を烏が飛び交い、気味の悪い声で鳴いている。

 ここは一体どこだろう? 螢静堂に続く道だとは到底思えない。


「あの、隊長……道が違うのでは? ここは一体……」


 恐る恐る訪ねると、隊長は足を止め、こちらを振り返った。

 そして顔を覆っていた布をとると、ニタリと能面のような笑みを見せる。


「ひっ……」


 違う。この人は隊長じゃない。

 あらわになった顔を見て、がくがくと足が震える。

 まるっきり別人……いや、この顔は……


「久しいな、天野美湖」


 発せられた言葉を聞いて、確信した。

 矢生だ。

 助けを呼ぼうと口を開いた瞬間、体を拘束され、布で鼻から下を覆われた。

 声にならない声を発しながら、私はじたばたと手足を動かす。

 そうして思い切り息を吸い込んだところで、がくりと意識を失った。

 最後に聞いた言葉は、身震いするほどおぞましいものだった。


「そなたの命、存分に利用させてもらう」





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